『影響を与えるクリスチャンの特徴!』③

十字架

第3の特徴/弟子を生み出す弟子たちを育成する者――第4の特徴/宣教に伴う妨げに備える者―《使徒17:1-15/今回は17:4、12、5-9、13-15》

【序論】

―教会所在地付近の女子児童の誘拐事件―

●このメッセージを最初に取り次いだのが、2014年2月9日でした。今から、11年と6ヶ月前の事です。その当時、私たちの教会所在地に隣接する東札幌地区の小学校の三年生の女子児童が、1月27日(月)、住宅街からこつ然と姿を消しました!白石警察署は、200人の捜索態勢で、周辺地域の約40台の防犯カメラやタクシー会社のドライブレコーダーの映像を解析しましたが、手掛かりはなかなか掴めない状況でした。それから六日後の2月2日(日)の夜、事件は解決へ向かって急展開しました。少女漫画雑誌四冊と段ボール五箱を持ってタクシーに乗車した不審な男が白石署に通報され、そこに女の子が監禁されている事が発覚して逮捕される事となりました。主が守っておられ、そして私たちの祈りに答えてくださった瞬間でした。逮捕された26歳の男性は、「女児がかわいくなって、手放したくなかった」と供述しています。その子の好きな栄養食品などを大量に購入して、長期にわたって監禁するつもりだった可能性があるとみて取り調べが進められて行きました。監禁から一週間後の解決で、家族をはじめ学校関係者、そして地域住民に安堵感が広がりました。犯人のアパートからから女児の自宅までは、わずか350mしか離れていませんでした。

●私は、この出来事が起こって以来、神は私たち教会に対して何を語り掛けておられるのかを探り祈っておりました。事件解決後、私は二つの事実に驚きを隠せませんでした。一つ目は、被害者と加害者の住まいがある地域を、私たちの教会が、その事件が起こった前の年の11月24日(日)に、クリスマスの案内を兼ねたトラクトを配布していたという事でした。私の配布担当地域でしたが、一人にしては配布軒数が多かったので、後から西田兄が駆けつけて手伝ってくれました。それでもトラクトは足りないくらいでした。女の子が買い物をした商店のある建物にも配布していましたし、目撃証言のあった女の子の自宅近くの商店は、トラクト配布の日に、西田兄が私に飲み物を私におごってくれていた店でした。そして二つ目の事実は、犯人のアパートに関してですが、何と、犯人の部屋の真上の部屋に、私たちの教会員の一人が住んでいたという事でした!

●私はこの二つの事実で、神の摂理を感じざるを得ませんでした!「神は、私たち教会に対して何かを語り掛けておられるのか」、という点でした!東札幌に隣接して私たち教会の所在地である白石中央があります。神がこの地に私たちの教会を植え、この地を宣教地として与えておられます。この事件が解決した日曜日の朝、時間的には事件解決の約15時間前の事ですが、私は牧師室で、ディボーションカレンダーに沿って詩篇44篇のディボーションをしていました。そこには、神が、イスラエルの民を約束の地カナンへ植えられた事が記されていました。そして、その関連で、詩篇80:8-11の御言葉を開くよう導かれました。神によって出エジプトしたイスラエルの民が40年以上後に約束の地カナンに入り、「深く根を張(って)」繁栄を続け、その地全体を覆って行ったという内容です!                          ―1―

●私はこのディボーションで確認した事は、私たちの教会はこの白石中央の地に、主によって「植えられ(た)」のだという事です!そして、今、「根」を「深く」この地に下ろし始めているのだ、と!そして、これから、教会所在地を中心にして福音宣教という「大枝」や「若枝」が伸びて行く先々に光が照らされて、地域の闇を照らして行くのだ、と!女子児童を略取して長期間にわたって監禁しようとするような人の心の闇を照らして救いへと導こうとするのだ、という事を!福音の光がもたらされる先々で、人々を罪から解放されて行くのだ、という事を!そして、人々へ真の幸せをもたらして行くのだ、という事を!それは、まるで熟して甘く香りを放った「ぶどう」の実の収穫をもたらす喜びのようにです!

●そこで大切な点は、このような福音宣教の「大枝」と「若枝」を「伸ばし(て)」行くのは、一人では到底不可能な業だという事です!救われてキリストの弟子となり、そしてその弟子たちが更に他の人々を弟子とする事によって初めて可能なものとなります!そうして初めて、教会は健全な成長を遂げて行く事ができます!そして、この世に対してキリスト教の素晴らしい影響をもたらす事ができます!このように霊的に発展して増殖して行く教会がどういうものなのかという点について、使徒パウロの働きを通して学んで行く事にします!

●『世界中を騒がせてきた者たち』についての最終回のメッセージの主題は、これまでの二回と同じく『影響を与えるクリスチャンの特徴』です。そして、副題が「第3の特徴/弟子を生み出す弟子たちを育成する者」と、「第4の特徴/宣教に伴う妨げに備える者」です。それでは、全体並びに今回のアウトラインを通して、メッセージの全体の流れを把握する事にしましょう。

【全体のアウトライン】

[1]勇敢な者(使徒17:1-2a、10)/前々回(済)

[2]福音を正しく説く者(使徒17:2b-3、11)/前回(済)

[3]弟子化する者(使徒17:4、12)/今回

[4]反対される者(使徒17:5-9、13-15)/今回

【今回のアウトライン】

[3]弟子化する者(使徒17:4、12)

1)テサロニケにいる頑ななユダヤ人と神を敬うギリシャ人への宣教と弟子化(使徒17:4)

2)ベレアにいる従順なユダヤ人とギリシャ人への宣教と弟子化(使徒17:12)

[4]反対される者(使徒17:5-9、13-15)

1)テサロニケにおける迫害(使徒17:5-9)

2)ベレアにおける迫害(使徒17:13-15)

【本論】 それでは、本論に入りましょう。

[3]弟子化する者(使徒17:4、12)

1)テサロニケにいる頑ななユダヤ人と神を敬うギリシャ人への宣教と弟子化(使徒17:4)

―御言葉(福音の真理)の解き明かしと聖霊の働き―

―2―

●それでは、本論の第三ポイント、弟子化する者すなわち弟子を育成する者すなわちキリストの弟子を育成する者について学ぶ事にしましょう。その一番目は、テサロニケにいる頑ななユダヤ人と神を敬うギリシャ人への宣教と弟子化について取り上げて行きましょう。四節で、「彼らのうちのある者たちは納得して、パウロとシラスに従った」とあります。「彼ら」とは、テサロニケのユダヤ人たちを指しています。残念ながら、多くのユダヤ人たちは、パウロの語る福音に抵抗を示していたのです!これが、偽らざる現実です!多くのユダヤ人は、キリストの救いの福音を受け入れないのです!テサロニケのユダヤ人たちは、ベレアのユダヤ人たちようには福音の真理に対して心を開きませんでした!

●しかし、パウロが説得力を持って旧約聖書を解き明かし、それと同時にと聖霊が豊かに臨んでくださったので、その多くのユダヤ人たちの中から「ある者たち」が救いへと導かれました!そして、それに加えて「神を敬う大勢のギリシヤ人たち」や「かなりの数の有力な婦人たちも同様に」信仰へ導かれました!それを裏付ける御言葉が、後々、パウロがテサロニケ教会へ書き送った手紙の中に記されました。1テサロニケ1:5は、次のように伝えています。「私たちの福音は、ことばだけでなく、力と聖霊と強い確信を伴って、あなたがたの間に届いたからです」、と!実に、その通りです!聖書の御言葉を解き明かす、そして聖霊が同時に働いてくださったからこそ、初めて、福音の真理を聞いた者たちが救われて行きました!

霊的に発展して増殖したテサロニケ教会!―

●テサロニケ教会が霊的に成長を遂げて行った事が、複数の聖書箇所によって明らかにされています!一番目の使徒20:4の中盤には、「テサロニケ人アリスタルコとセクンド」が「パウロに同行していた」と伝えています!すなわち、テサロニケ教会からは、二人の神の器たちが、使徒パウロの宣教の働きに加わっていました!二番目に、1テサロニケ1:8では、パウロが、テサロニケ教会を称賛して次のように述べています。「主のことばがあなたがたのところから出て、マケドニアとアカイアに響き渡っただけでなく、神に対するあなたがたの信仰が、あらゆる場所に伝わっています。そのため、私たちは何も言う必要がありません」、と!「マケドニアとアカイア」というのは、バルカン半島の下に更に続くペルポネソス半島があり、そのペルポネソス半島の北と南に位置する地域を指しています。バルカン半島はどこにあるかと言いますと、トルコ、エーゲ海、バルカン半島、アドリア海、そしてイタリアという位置関係です。パウロはテサロニケ教会に対して、その前の7節で、「あなたがたは、マケドニアとアカイアにいるすべての信者の模範になったのです」とも記して、広範囲にわたる良い影響をもたらした教会として賞賛しています!(Wow!)

●彼らは、自分たちが救われただけでなく、その救いの恵みを自分たちの町にも、また自分たちの町の垣根を越えて別の町々にも福音宣教に励み、多くのキリストの弟子たちを生み出して行きました!このように、テサロニケ教会は、霊的に発展して増殖して行った教会です!テサロニケ教会は、ローマ帝国がギリシャのバルカン半島に建設した横断道路である「エグナチウス街道」を利用して、福音宣教と弟子化に励んで行きました!福音は、ローマが造った幹線道路そしてそれに連結する道路網を利用して伝えられて行ったのです!

―3―

2)ベレアにいる従順なユダヤ人とギリシャ人への宣教と弟子化(使徒17:12)

―ベレアの人々の福音に対する反応―

●弟子化する者すなわちキリストの弟子を育成する者の二番目は、ベレアにいる従順なユダヤ人とギリシャ人への宣教と弟子化です。テサロニケに続き、今度は、ベレアの人々の福音に対する反応を取り上げましょう。前回のメッセージでも触れましたが、テサロニケとベレアでは、霊的には大きな違いが見られました!11で、ベレアの「ユダヤ人たちは、テサロニケにいる者たちよりも素直で、非常に熱心にみことばを受け入れ、はたしてそのとおりかどうか、毎日聖書を調べた」くらいでしたので、ユダヤ人の「うちの多くの人たちが信じた」、と伝えられていました!更に、今回取り上げている12節では、「ギリシヤの貴婦人たち、そして男たちも少なからず信じた」と伝えられています!福音の真理に心開かれ、御言葉に従順なベレアの人たちであったという事が伝えられています!使徒20:4前半には、ベレアからは「ソパテロ」という人物が「パウロに同行していた」という事が伝えられています!テサロニケの教会と同様に、ベレアの教会からは一人の人物が、パウロの福音宣教の働きに加わっていたのです!自分たちの町を超えた宣教と弟子化が進められていた事が理解できます!

―テサロニケとベレアの違いをどう受け止めるか?!―

●さて、このテサロニケとベレアの違いをどう受け止めたらいいのでしょうか?テサロニケとベレアは、私たちが宣教において出会う二種類の人々を指しています!神の言葉というのは、テサロニケのような閉ざされた人々にも、逆にベレアのような開かれた人々に対しても、すなわち福音の真理に対して頑なな人々にも、また逆に従順な人々に対しても、説得力を持っている事を示しています!(I see!)真理を求める人々には勿論の事、そうでない人々にも、聖霊は神の言葉を豊かに臨ませる事ができるという事です!

●私たちの教会の宣教の働きにおいても、この二種類の人々が存在している事は明確です!真理に飢え渇いて来られる人々、いやいやながら連れて来られる人々、中には自分の友人や知人を教会から奪還しようと来会される方々もいました!しかし、根気強く宣教する中で、神の言葉が頑なな心に豊かに臨まれ、働き掛けられ、聖霊によって説得させられて回心へと導かれて行くのです!まさに、御言葉と共に働かれる聖霊なる神のお働きを示しています!

[4]反対される者(使徒17:5-9、13-15)

1)テサロニケにおける迫害(使徒17:5-9)

―成功には、妨げが伴う!―

●『世界中を騒がせて来た者たち』というテーマのメッセージの最後の第四ポイントは、反対される者です。この第四ポイントは、これまでの三つのポイントの結果、福音宣教者たちが直面する迫害を指し示しています!まずは、五節から九節に記されたテサロニケにおける迫害についてです。聖書の正しいメッセージを勇敢に語り、そして回心者を勝ち取るまでになりましたが、その結果、対立関係に直面して行くのです!福音宣教の進展には、必ず妨げが伴うのです!それは、パウロやその同労者たちにとっても例外ではありませんでした!テサロニケの信じないユダヤ人たちは、福音が増え広がる事によって怒りが込み上げて来ました!そうなってしまう理由とは、彼らが「自分の行いが悪いために・・・光よりもやみを愛し(て)」いるからに他なりませんでした!       ―4―

五節で、「ユダヤ人たちはねたみに駆られ、広場にいるならず者たちを集め、暴動を起こして町を混乱させ」ました!彼らは、パウロ一行に対して、六節で「世界中を騒がせてきた者たち」だと訴えていますが、皮肉にも、実は彼らが、「暴動を起こして町を混乱させ」ている張本人たちなのです!彼らは、パウロ一行がいると思われた「ヤソンの家を襲い」、パウロとシラスの「二人を探して集まった会衆の前に引き出そうとし」ました!しかし、パウロとシラスとテモテはそこにいませんでしたので、「ならず者」たちは、「ヤソンと兄弟たちの何人かを町の役人たちのところに引いて行(く)」事にしました。

―「役人」(“ポリタークス”)という言葉に見られる聖書記述の正確性!―

●著者のルカは、ここで、「役人」(他の日本語訳聖書では「当局者」)という言葉を用いています。この「役人」という言葉を、ルカは、ギリシャ原語で“ポリタークス”という言葉を用いています。すなわち、この地方行政長官である「役人」を、ルカは、“ポリタークス”という言葉で記しているのですが、テサロニケやベレアのあるマケドニヤの地で発掘された碑文の中にも、地方行政長官である「役人」を表すのに“ポリタークス”という言葉が用いられていたのです!いったいそれは、何を意味しているのでしょうか?それは、ルカが用いた言葉が、その当時使われていたものと全く同じであったという事なのです!聖書の記述というものが、いかに信憑性をもつものなのかを証明しています!

―「ヤソン」について―

●この「ヤソン」がどういう人物であったかという事については何の情報もありませんが、恐らくユダヤ人であったであろうと考えられます。なぜなら、母国イスラエルから散らされたユダヤ人たちの名前が、よく「ヤソン」と付けられていた事からそう推測できます。

―ユダヤ人リーダーたちの二つの訴え―

●ユダヤ人リーダーたちは、六節と七節で、パウロとその一行に対して二つの訴えを起こしました。一つ目が6節で、「世界中を騒がせて来た者たち」というものでした!この宣教師たち一行について、彼らは騒ぎを起こす者たちだと主張するのですが、この訴えには証拠はありませんでした!先程の五節に記されていましたように、事実は何かと言いますと、騒ぎはユダヤ人リーダーたちによって「かり集め」られた「ならず者」たちによって起こされたものでした!彼らは、「ヤソン」が宣教師たち一行を「迎え入れた」という事で、犯罪人をかくまった罪として訴えたのです。

●二つ目の訴えが七節に記されていますが、それは大変深刻な内容でした。パウロとその一行が、「『イエスという別の王がいる』と言って、カエサルの詔勅に背く行いをしています」というものでした!ローマ帝国においては、カエサル以外の王の存在を認めるという事は最も深刻な犯罪に相当しました!当時のローマ世界では、次のように受け止められていました。「イエス・キリストが『自分はカエサルに匹敵する地上の支配者である』と主張した事によって、ローマ当局はキリストを十字架で処刑した」、と!(参/ヨハ19:12)しかし、救い主として来られた王であるキリストは、この世の王になるというような関心は何一つありませんでした!キリストは、ご自分を救い主として信じる者の心の中に宿り、王としてその人を治めるために来られたのです!イスラエル国家にとってもまた植民地支配をしているローマにとっても、何の脅威ももたらすものではありませんでした!ですので、この二つ目の訴えも、根も葉もないでっちあげであり、ユダヤ人リーダーたちの訴えというのは、どれも的を射た正しいものではありませんでした!                                         ―5―

―訴えの結果―

●彼らが訴えた結果、どうなって行ったのでしょうか?8によりますと、その偽りの訴えは、「これを聞いた群衆と町の役人たち」を「動揺」させました!「群衆」と「町の役人たち」の不安の解消法とは、双方の言い分を等しく聞いてから裁くのではなくて、騒ぎを起したと訴えられた者たちを直ちに町から追放するというものでした!パウロやシラスが、ローマの市民権を持っているという事を調査する事さえもしませんでした!「群衆」も「町の役員たち」も、全く冷静さを失っています!ピリピでなされた事と全く同じ事が、ここテサロニケでも繰り返されたのです!

9節で、結果的に、「役人たちは」、「ヤソンとそのほかの者たちから保証金を取ったうえで釈放」する事にしました。これ以上のトラブルが起きると、更にまた「町の役人たちのところに引(か)」れて「行き」、保釈金を支払わせられる羽目になります。となると、パウロとその一行がそこを去るという以外に取るべき方法は、他に残されていませんでした。テサロニケの町から追放されて排除されるというパウロの苦悩について、彼自身が1テサロニケ2:17-18で次のように語っています。

兄弟たち。私たちは、しばらくの間あなたがたから引き離されていました。といっても、顔を見ないだけで、心が離れていたわけではありません。そのため、あなたがたの顔を見たいと、なおいっそう切望しました。それで私たちは、あなたがたのところに行こうとしました。私パウロは何度も行こうとしました。しかし、サタンが私たちを妨げたのです。

2)ベレアにおける迫害(使徒17:13-15)

―ユダヤ人たちの迫害―

●反対される者の二番目で最後の点は、13節から15節に記されているベレアにおける迫害です。使徒パウロとシラスがテサロニケから追放され、彼らはベレアへ移動して来ました(17:10)。しかし、サタンによる福音への妨げはベレアへもやって来て彼らを悩まします。13節が、その事を私たちに伝えています。「ところが、テサロニケのユダヤ人たちが、ベレアでもパウロによって神のことばが伝えられていることを知り、そこにもやって来て、群衆を扇動して騒ぎを起こした」、と。具体的にどのような妨げがあったのかについて、ルカはその詳細を記してはいませんが、その妨げによってパウロがその地を去らなければならなかった事は確かでした。福音を妨げるのは、やはりユダヤ人たちでした!ベレアのユダヤ人たちは聖書を学ぶ事に心開かれ熱心でしたが、テサロニケのユダヤ人たちはその反対でした。福音に対して反抗的であったユダヤ人に関するコメントを、パウロは1テサロニケ2:14-16で次のように述べています。

2:14 兄弟たち。あなたがたはユダヤの、キリスト・イエスにある神の諸教会に倣う者となりました。彼らがユダヤ人たちに苦しめられたように、あなたがたも自分の同胞に苦しめられたからです。2:15 ユダヤ人たちは、主であるイエスと預言者たちを殺し、私たちを迫害し、神に喜ばれることをせず、すべての人と対立しています。2:16 彼らは、異邦人たちが救われるように私たちが語るのを妨げ、こうしていつも、自分たちの罪が満ちるようにしているのです。しかし、御怒りは彼らの上に臨んで極みに達しています。

―6―

エルサレムにある初代キリスト教会をはじめ、その後開拓された諸キリスト教会が、その同胞であるユダヤたちによって迫害され、福音宣教が妨げられて来ました!その妨げはイスラエルにあるキリスト教会のみならず、異邦人の地においてもユダヤ人によって迫害されて行ったのです!神の「御怒り」がユダヤ人の「上に臨んで窮みに達しています」、とパウロが語っている言葉の中に、彼らの罪深さが如実に表れています!しかし、使徒パウロは、ユダヤ人同胞に対する深い愛に動かされて、彼らに対する宣教を続けて行ったのです!まさに、神の愛に押し出された宣教の業でした!

―パウロのベレア脱出とアテネへの移動―

●テサロニケから来たユダヤ人たちのベレアでの迫害のゆえに、使徒17:14の前半では、ベレアのキリストにある「兄弟たちは、すぐにパウロを送り出して海岸まで行かせ」なければなりませんでした!そこから、船でアテネへ移動する事ができました。パウロがベレアからアテネまでどのルートで行ったのかははっきりと記されてはいませんが、恐らく、近くの港から船で移動したのであろうと推測できます。一方、14節後半に記されていますように、テサロニケの場合とは違って、「シラスとテモテ」がベレアに留まって、宣教の働きを継続して行きました!

●そして、アテネに到着したパウロは、15節で、彼をアテネまで案内した人たちに対して、「できるだけ早く」自分「のところに来るようにという、シラスとテモテに対する指示を」出しました。それから、パウロを案内した」その「人たち「帰途につ(き)ました。そのような命令を出さなければならないほど、マケドニヤにおける福音宣教者たちの命が危険にさらされているという事を示していました!

【まとめ】 それでは、今回のメッセージをまとめをしましょう。

●『世界中を騒がせてきた者たち』と題して、3回にわたってメッセージを取り次いで来ました。「世界をひっくり返(す)」クリスチャンの四つの特徴について学んで来ました。第一の特徴が勇敢な者、第二が福音を正しく説く者、第三が今回の弟子化する者すなわちキリストの弟子を育成する者、そして第四が反対される者すなわち迫害の嵐に備える者でした。

●特に、今回教えられた点は、宣教において出会う二種類の人々の対応についてです。テサロニケのような閉ざされた人々にも、あるいは逆にベレアのような開かれた人々に対しても、また福音の真理に対して頑なな人々にも、あるいは逆に従順な人々に対しても、神のお言葉は説得力をもっているという事でした!真理を求める人々には勿論の事、そうでない人々にも、聖霊は神のお言葉を豊かに臨ませてくださる事のおできになるお方であるという事でした!

【適用】 最後に、今回のメッセージを適用しましょう。

●いかがでしょうか、あなたの回りには、このような二種類の人々はおられませんか?心開いている人または閉ざしている人、従順な人または心頑なな人、いずれにせよ全ての人が宣教の対象です!教会は、人々を救いに導く器を育てる重要拠点です!弟子を育て、御言葉で武装するようにし、そして未信者をキリストの救いへ案内するという、その重要な働きに備える働きをするところです!闇の世界に光を当てる教会の働きをしたいのです!そしてまた、兄姉の身近な方々を救いに導く宣教の業にも進んで携わって行きたいのです!

―7―

●かつて、福音に心を閉ざし、頑なで、神の器たちに反抗したテサロニケの地に誕生した教会が、「マケドニアとアカイアにいるすべての信者の模範になったのです。・・・あなたがたこそ私たちの栄光であり、喜びなのです」(1テサ1:7、2:20)と言われる程になりました!私たちも、希望を失わず、宣教の業に用いられる教会であり続けましょう!テサロニケの人々を変えられた主に、あなたも信頼して歩みませんか?このお方に希望を持って進もうではありませんか?

【結論】

主のことばがあなたがたのところから出て、マケドニアとアカイアに響き渡っただけでなく、神に対するあなたがたの信仰が、あらゆる場所に伝わっています。そのため、私たちは何も言う必要がありません(1テサロニケ1:8)。

[引用&参考文献]

・ジョン・マッカーサー、『マッカーサー新約注解書/使徒の働き13-28』(ムーディー出版、1996)(John MacArthur, The MacArthur New Testament Commentary, Acts 13-28, The Moody Bible Institute of Chicago, 1994, p.122-125.)

―8―