聖書

札幌白石中央

キリスト教会の信条

私たちの教会はプロテスタントの教会で、聖書のみを土台にして、宗教改革者たちが掲げそして命がけで守ったキリストの救いについての教えを信じ受け継いでいます。マルティーン・ルターに代表される、救いに関する根幹的な教えをラテン語で集約した「五つのソラ(“sola”/「ただそれのみ」)」を固く信じています。また同様に、ジャン・カルヴァンの数々の教えの中から、救いに関する教えをまとめた「カルヴァン主義の五特質」を固く信じています。キリスト教が初めての方にとりましては耳慣れない見出しが続きますが、その内容説明に目を留めていただければと思います。

その説明には、神(父なる神)、イエス・キリスト(子なる神)、そして聖霊(聖霊なる神)という聖書の神に関する言葉が記されています。聖書が示している神は唯一の神なのですが、その表れとして、父と子と聖霊という三つの位格をおもちのお方です。これを、キリスト教の教理の用語では「三位一体」と表現しています。三位一体という用語自体は聖書の中には記されていませんが、その用語で示している真理は聖書的です。三位一体の神は、まさしく聖書の神です。

それでは初めに、私たちの教会の根幹的な教えである「五つのソラ」と「カルヴァン主義の五特質」を、それぞれ五つのポイントでまとめましたのでお読みください。

1 私たちは「五つのソラ(“Sola”)」を信じます

1)「聖書のみ」(ソラ・スクリプトゥラ)

~神の霊感によって記された聖書は全く誤りのないもので、教会の営みである礼拝、建徳、伝道のすべては、神の言葉である聖書の権威に従ってなされるべきです(2テモテ3:15-17/他)。

2)「信仰のみ」(ソラ・フィデ)

~人が救われ義人とされるのはただ信仰によるものであり、善行によるのではありません。善行は、キリストを信じて救われた者へ、神が備えてくださるものです(ガラテヤ2:16/エペソ2:10/他)。

3)「恵みのみ」(ソラ・グラティア)

~人が救われ義人とされるのはただ神の恵みによるものであり、それはキリストを通して与えられる神からの賜物です(エペソ2:8/他)。

4)「キリストのみ」(ソロ・クリストゥス)

~キリストは、唯一、神と人とをとりなすお方であり、他のいかなる介在者も認められません。それゆえ、人が義と認められるという救いは、キリストのみにあります(使徒の働き4:12/他)。

5)「神の栄光のみ」(ソリ・デオ・グロリア)

~神にのみ栄光をささげるもので、イエス・キリストをみごもったマリヤをはじめ、いかなるや聖人や御使いもその対象とはなりません(ピリピ2:6-11/他)。

2 私たちは「カルヴァン主義の五特質」を信じます

1)「全的堕落」(ぜんてきだらく)

~人は原罪をもって生まれ(ローマ7:18、23/エペソ4:18/ヨハネ5:42)、霊的には死んでいる状態です(エペソ2:1-5)。それゆえ、死んでいる霊は神に反応できず、神を求めることができません。その魂と生活のあらゆる領域にわたって悪が浸透し、何一つとして良いことをするがことができない状態にあります。人は、神を喜ばせる善を決して行えません。もし人が良いことを成し得るのでしたら、それは、神がすべての人に与えておられる恩恵によります。恵みと信仰が与えられてその霊が生き返った者は良いことができますが、神は、その良いことさえも備えてくださるのです(エペソ2:10)。

2)「無条件的選び」(むじょうけんてきえらび)

~生まれながら霊的に死んでいる人は、神を求めることも、神に関する事柄を理解することもできません。神が罪人をお選びになり、また聖霊を通して信仰をお与えになり、そして霊的に再生させてくださる時だけ、人はキリストによって救われることができます(エペソ1:3-6)。もし人が全的に堕落していて、その上である人が救われているのなら、ある人が救われ、ある人が失われる理由は、ひとえに神の主権による選びによります。神が人を永遠の命に選ばれるのはその主権に基づくもので、人の性質や行為には見出されません。

3)「限定的贖罪」(げんていてきしょくざい)

~キリストの救いによる罪の赦しすなわち贖罪は、世界のすべての人々のためではなく、父なる神によって選ばれた特定の人々すなわち信者に限定されるものです。すなわち、キリストは世のすべての人々のために死なれたのではなく、ご自分を主とし、そして救い主として信じる者たちだけを救う贖いをなされました(ヨハネ10:15/エペソ5:25)。

4)「不可抗的恩恵」(ふかこうてきおんけい)

~なぜある人はキリストを信じ受け入れ、またある人はキリストを拒むのでしょうか。キリストに対するその違った反応の原因に対する聖書の答えは、神の恵みを通して救いに選ばれた者は、神がお与えになるその救いを拒否する事ができないからです。「不可抗的」ということは、神がある人々を救うように選ばれ、神を無視する思いから神を認識して愛する者へと変えるために聖霊をお送りになると、誰も神に抵抗できないということです(ヨハネ6:37、44、10:16、ローマ8:29-30)。

5)「聖徒の堅忍」(せいとのけんにん)

~「聖徒の堅忍」とは、一度救われた者は常に救われているということです。人が一度キリストを主そして救い主として聖書的に信じ受け入れたのでしたら、その救いは決して失われることはありません。すなわち、常に救われており、決して地獄に行くことはありません。キリストは信者にとっては常に救い主であられ、信者は、自分の救いについて思い悩む必要は決してありません。神は信者を新しく生まれ変わらせただけでなく、信者が一瞬一瞬霊的に生きて行けるように保っておられるのです。「聖徒の堅忍」の基礎は、神のたえざる「堅忍」なのです。そして、それは聖徒が永遠に保持されることであり、神が保ち守ってくださるのなら、誰も神の御手から信者を奪い去ることはないのです(ローマ8:29、38-39、33-34、6:14/ピリピ1:6/ヨハネ6:39、44、51、10:28-29、11:25/エペソ1:13-14/1ペテロ1:4-5)。

※私たちの教会の信条をホームページに記載することについては継続作業中です。出来上がり次第、順次掲載して行くことといたします。