『知られていない神』を知るには」(その2)/2025.08.10

十字架

地の全ての人に知られ得るまことの神!

―知性は知的存在者である神から、道徳心は道徳的存在者である神から来る!―《使徒17:16-34/今回は17:22-23

【前置】

●前回から、「『知られていない神』を知るには」というテーマのリメイクメッセージを始めました。世界文化の中心都市であった「アテネ」は多くの哲学者を排出し、また一方、多くの偶像の神々に溢れてもいました。オリンピックでさえ、元々は偶像の神々にまつわる宗教行事から端を発したものでした。その世界の中心都市に、使徒パウロを通して福音がもたらされました!どんな状況でも、またどんな時でも、使徒パウロは決して妥協する事なく福音をストレートに語り告ぐのでした!

●二回目の今回は、『地の全ての人に知られ得るまことの神!』と題してメッセージを取り次ぎます。使徒17:22-23のたったの二節だけを取り上げるのですが、メッセージ原稿の枚数は通常のより一枚多いです。それだけ、この二節に込められた内容が深いものだという事が分かります!どういう意味で深いのか、その三つの理由を挙げましょう。まず一点目は、因果関係の世界に見られる神の存在の証拠です!二点目は、知性や道徳心というのはどこから来たのか、神はいないという無神論者とはどういう人なのかです!そして最後の三点目は、クリスチャンの希望のメッセージとは何なのかです!このメッセージシリーズの全体の流れと、そして今回の流れを示すアウトラインは次の通りです。

【全体のアウトライン】

[1]まことの神がおられる事を認めること(使徒17:22-23)/今回(二回目)

[2]まことの神が誰であるのかを認めること(使徒17:24-29)/次回(三回目)

[3]まことの神が言われた事を認めること(使徒17:30-34)/次々回(四回目)

【今回のアウトライン】

[1]まことの神がおられる事を認めること(使徒17:22-23)

1)アテネの人々のあつい宗教心(使徒17:22-23a)

ア)まことの神の明らかな存在(ヘブル11:6/詩篇19:1/ローマ1:19/ヘブル3:4)

イ)まことの神の明らかな存在を認めない理由(詩篇14:1/ローマ1:18-23)

2)アテネの人々へまことの神は知られ得る(使徒17:23b)

ア)聖書の神がまことの神である(申命記4:35)

イ)まことの神はユダヤ人と異邦人の双方に知られ得る(1列王記8:43)

【本論】 それでは、本論に入りましょう。

[1]まことの神がおられる事を認めること(使徒17:22-23)

―前回の箇所から今回の箇所へのつながり&パウロのメッセージの導入―

●前回学びましたように、アテネで有名な市場の「広場」(17:17)で、使徒パウロは、「エピクロス派とストア派の哲学者たち」の「何人か」と「議論してい」ました。ある人々は、「『このおしゃべりは、何が言いたいのか』と言い、ほかの者たちは、『彼は外他国の神々の宣伝者のようだ』」と語っていました(17:18)。それで、彼らはアテネの最高機関である法廷でもありまた会議場でもある「アレオパゴス」へパウロを連れて行き、彼から話しを聞こうではないかという事になりました。                                ―1―

●そして、今回の聖書箇所である22節につながりますが、「パウロは、アレオパゴスの中央に立って言(い)ました。その第一声で、パウロは、「アテネの人たち。あなたがたは、あらゆる点で宗教心にあつい方々だと、私は見ております」と話し出しました。まずは、彼らのあつい宗教心を認める事によって、聴衆の心に架け橋を渡しました。そして、続く23節で次のように話しを進めました。道を通りながら、あなたがたの拝むものをよく見ているうちに、『知られていない神に』と刻まれた祭壇があるのを見つけたからです」、と伝えました。そう告げる事によって、これから取り次ぐメッセージの足掛かりとしました。

●アテネの人々は、神を知るための最初のステップを踏み出しました!というのも、彼らは超自然的な存在を信じる者たちでしたであったからです。神の存在を否定する者たちが、神を知る事は明らかに不可能です。「神に近づく者は、神がおられること」を「信じなければならないのです」、とヘブル11:6が告げている通りです。存在しない目的地への道を、探し出そうとする人はいません。アテネの人々は、自分たちの神々の中に、まだ自分たちが知らないが神が存在していると信じていたに違いないのです!

1)アテネの人々のあつい宗教心(使徒17:22-23a)

ア)まことの神の明らかな存在(ヘブル11:6/詩篇19:1/ローマ1:19/ヘブル3:4)

―神の存在を受け入れるか否かは、啓示と信仰の問題である!―

●さて、ここから第1ポイントのまことの神がおられる事を認めることという点に進んで行きましょう。その一番目はアテネの人々のあつい宗教心という点に触れたいのですが、そうするに当たって、まことの神の明らかな存在という点にスポットを当てる必要があります!これからお伝えする事は、今回のメッセージの中心部分です!聖書には、「もし神がいるなら」とか「神がもし存在するなら」というような文言は一切使われておりません!聖書は、神が存在する事自体については取り上げていません!聖書の一番初めに記されたお言葉は、「はじめに神が天と地を創造された」です!(創1:1)すなわち、聖書は、神が存在するという事を前提にスタートしているのです!

●ですので、天地創造の唯一の神の存在を受け入れるか否かは、最終的には、神からの啓示とそれを信じ受け入れる信仰の問題なのです!(I see!)ヨハネ1:18は、「いまだかつて神を見た者はいない。父のふところにおられるひとり子の神が、神を説き明かされたのである」と告げています!父なる神が、御子イエス・キリストを通して、神ご自身を啓示された、すなわち人によく分かるようお示しになられたのです!そして、その啓示された事実を受け入れて信じる事を、聖書は信仰と呼んでいます!神の存在というものは、科学の実験や数学の数式のように証明できるものではありません!しかしながら、原因と結果という因果関係の世界において、神の存在を信じて受け入れるという事は、確かに、理にかなう合理的なものなのです!神の存在と因果関係については、後で詳しく説明する事にしますので、待っていてください。

ヨハネの福音書は、その神からの啓示という点について、ピリポとイエス様とのやり取りの中で、次のように伝えています。

14:8 ピリポはイエスに言った。「主よ。私たちに父を見せてください。そうすれば満足します。」 14:9 イエスは彼に言われた。

―2―

「ピリポ。こんなに長い間、あなたがたと一緒にいるのに、わたしを知らないのですか。わたしを見た人は、父を見たのです。どうしてあなたは、『私たちに父を見せてください』と言うのですか」(ヨハ14:8-9)。

前述しましたように、父なる神は、実に、御子イエス・キリストを通して、ご自分がどのようなお方のか、まことの神がどのような方なのかをよく分かるよう啓示されたのです!

●また一方、信仰については、12使徒のひとりであるトマスとイエス様とのありのままのやり取りで、聖書は次のように伝えています。

20:25 そこで、ほかの弟子たちは彼に「私たちは主を見た」と言った。しかし、トマスは彼らに「私は、その手に釘の跡を見て、釘の跡に指を入れ、その脇腹に手を入れてみなければ、決して信じません」と言った。 20:26 八日後、弟子たちは再び家の中におり、トマスも彼らと一緒にいた。戸には鍵がかけられていたが、イエスがやって来て、彼らの真ん中に立ち「平安があなたがたにあるように」と言われた。 20:27 それから、トマスに言われた。「あなたの指をここに当てて、わたしの手を見なさい。手を伸ばして、わたしの脇腹に入れなさい。信じない者ではなく、信じる者になりなさい」(ヨハ20:25-27)。

疑い深いトマスに対して、イエス様は実際のご自分を現されて啓示されたのですが、ここではそれ以上に、神の存在を見ずに信じる者の幸いを語っています!すなわち、信仰の大切さを語っています!更に、ヘブル人への手紙では、信仰について次のようにはっきりと告げています!

信仰がなければ、神に喜ばれることはできません。神に近づく者は、神がおられることと、神がご自分を求める者には報いてくださる方であることを、信じなければならないのです(ヘブ11:6)。

●これらの御言葉から分かりますように、まことの神の明らかな存在を受け入れるか否かは、神からの啓示とそれを信じる人の信仰の問題なのです!でもだからと言って、そのような信仰は、決して妄信的なものではありません!盲目的にやみくもに信じているのではありません!破れかぶれでもなく、向う見ずなものでもありません!確かな根拠に基づく信仰です!

●それでは、神の明らかな存在という点について、聖書がどのくらい力強くまた説得力のある証拠を提供しているのかという点を見て行く事にましょう!大きく分けて、外面的な証拠と内面的な証拠があります。目に見える外面的な証拠として、「天は神の栄光を語り告げ、大空は御手のわざを告げ知らせ(てい)」ます!(詩19:1)また、内面的な証拠として、神について知りうることは、彼らの間で明らかです。神が彼らに明らかにされたのです、と告げられています!(ロマ1:19)ギリシャ語の原文では、「彼らの内に明らかにされたのです」と訳す事ができる言葉です!ですので、人にとって、神は、外面的にもまた内面的にもご自分の存在を明らかしておられるというのです!それで、ここから少し時間を掛けて、それらの事を具体的に説明して行く事にしましょう。

―神の存在と因果の法則・因果律との関係―

●前述しました因果関係について、ここで掘り下げて行く事にしましょう。全ての現象や出来事には必ず原因というものがあり、その原因なしには現象や出来事は起こらないというのは、大勢の人々が常識としているところです。                                       ―3―

ですから、因果の法則また因果律というのは、結果があれば必ずそこにはそうなった原因がある、という事を示しています!約約11年前にメッセージを取り次いだ時に、私は、次のような例を挙げて説明していました。「最近、本州だけでなく北海道にもPM2.5による大気汚染が見られます」、というニュースを耳にするようになりました、と。11年経た現在でも、時々、PM2.5が飛来しているという警報が北海道で出されています。その情報を聞いた人は、そのような現象が偶然に起こったとは考えません!何らかの原因があって、PM2.5が飛来して来たのだろうと考えます!ちなみに、それはどういう原因から起こっている空気の汚染現象であったでしょうか?その原因を中国が作っているのですが、経済成長の著しいインドにおいても深刻な問題となっています。

●ここで、日本への飛来の原因を具体的に挙げてみましょう。第一に、中国国内で取れる安い石炭から燃焼時にPM2.5が排出されないよう、十分な環境設備をしないままに燃やしているという事が主な原因だと言われています。それで、その対応策として、その排出基準を満たさずにPM2.5を排出している工場を中国政府が爆破するという手段に出ました。第二に、質の悪い石炭を暖房として中国の家庭では使っており、それがPM2.5を排出している原因ともなっていました。そして第三に、急速に成長した中国経済に伴って急速に車社会となり、質の悪い大量のガソリンが出回っていたのも、更なる原因の一つだと言われています。日本も過去に経済成長の中で大気汚染を招いた国でしたので、その中から生まれた対策技術を中国に提案したのですが、コストが高く付くという事で中国国内では普及しなかったようです。物事には原因があるので、それには結果が伴うという事を語って来ましたが、それを、因果の法則または因果律と表現しています。その因果の法則が、実は、神の存在を表しているという点に目を留めたいのです!

●この因果の法則と言っても、原因が無限に続いて行くという事ではありません。PM2.5の原因にしても、その原因を突き詰めて行くとかなり深いところまで究明して行けますが、例えば、究極的に大気というものはどうして起こるのか、地球の自転や公転、地軸の角度も合わせて、それらはどうして起こるのか、と様々な原因や要因を探って行く事ができます。PM2.5による大気汚染であれば、石炭を十分な環境対策をせずに燃やしているのが原因ですが、その石炭はどうしてできたのか、地球の成り立ちの中でどうして地中に植物が入り込み、それが圧縮されて石炭へ変わって行ったのか、そしてそもそも地球はどのように造られたのか、この宇宙はどのようにして成り立って来たのか、という最後の原因や起源にまでさかのぼる事になります!

●因果の法則は、実に、神の存在を物語っています!全ての結果には原因が存在しなければならないというのは、人々が常識としているところです!しかし、そのような原因が無限に存在してつながって来たというのではありません!原因のない最初の原因というものが、存在しなければならないのです!このような論の進め方を、神学者たちは『宇宙論的論証』と呼んでいます!全ての事象・現象には、それが始まった原因があります。宇宙が存在し始めたのにも原因があります。

ですから、天地宇宙の誕生には、その原因がなければならないのです!

●聖書は、この因果の法則について何と語っているのでしょうか?ヘブル3:4はこう告げています。「家はそれぞれだれかが建てるのですが、すべてのものを造られたのは神です」、と!家が建て上げられるには、それを可能とする効率的な原因が必要とされます!            ―4―

台風がやって来る進路に建築資材の山を置き、そしてその台風がもたらす嵐が家を組み立てる事を期待するというのは、余りにも馬鹿げた事です!私たちが住みそして生きるこの極めて複雑な天地宇宙に、それを成り立たせている有効な原因が存在しないなどと想像する事は、更に馬鹿げた事です!

―自然界に見られる神の存在―

●自然には、実に見事な設計が施されているという事を、自然そのものがその証拠を提供しています!生物学者のマイケル・ピットマンは、次のように解説しています。「目をよく凝らして生物の世界を見渡してみますと、何と、そこには実にはっきりとした設計と配列というものがある事に気づかされます」※1、と!細胞の不可解な複雑さから、毛虫が蝶へと奇跡的な変態を遂げる過程、そして生命を支えるために精密に設計された地球まで、様々な事例が至る所で見受けられます!

―「アツモリソウ(敦盛草)」&「レディースリッパ」&「パフィオペディルム」の設計から教えられるもの―

●一つの具体例を挙げましょう。「アツモリソウ(敦盛草)」という特定国内希少野生動植物種に指定されているランという花があります。これは、平清盛の弟である忠盛の末っ子の敦盛(あつもり)が飛んでくる矢を避けるためにまとっていた防具から命名されているランの花の名前です。野生ランの王様と言われているものです。この種類は英語圏でも代表的なランとして有名で、「レディースリッパ」と呼ばれています。「女性のスリッパ」という名前を持っています。確かに、その形状がスリッパの形をしていない訳ではありません。また、学名が「パフィオペディルム」と呼ばれているランです。それでは、このランの画像を見てみましょう(二枚)。このランの受粉の仕組みについて、実に興味深い観察と報告が植物学者によってなされています。この受粉の仕組みがかなり複雑な内容でしたので、私なりに分かりやすく説明にしてお伝えしようと思います。

●このランの袋状の部分を唇弁(しんべん)と言います。昆虫を媒介して受粉させるという袋の中の構造になっています。この花に来た昆虫がこの袋状の唇弁に落ち込むと、容易には脱出できない構造になっています。昆虫は、袋の内部から分泌される香りに誘われて中に入って来ます。開口部の内側はすべすべしているか、もしくは下向きの毛があるために、正面の開口部からは脱出できないようになっています。しかし、花の裏側では毛は上向きになっていますので、そこから昆虫が脱出できるような構造になっています。そしてそこには、花粉の塊が待ち受けており、昆虫がそこを通り抜ける時に、必ず花粉の塊をその昆虫の体に付けさせる仕組みになっています。それから、雌しべの下向きの柱頭の脇を通り抜け、次に土台の部分の左右にある雄しべの側を通らねばなりません。ですから、この落とし穴を抜け出す過程で、昆虫は自分の体に花粉を着させながら、受粉を成立させて行くのです!

―創造者を知らない者と知る者とのコメントの大きな違い―

●佐賀県立宇宙科学館のホームページは、次のようにコメントしています。「メスのフェロモンや腐った食べ物にそっくりな臭いを発したり、花の一部をメスに似せたり、蜜で誘うなど様々なテクニックを駆使して昆虫を誘います。また、どの花も訪ずれた昆虫が花粉の塊を付けるような構造や仕組みを持っています。・・・ランというは花粉の塊を昆虫に運ばせるために様々な進化をしてきました。」※2、と解説しています。そして、そのホームページの見出しが、「したたかな受粉戦略」※3と記されています。

―5―

●しかし、一方、クリスチャンの生物学者は、同じランの受粉の仕方やその構造を見て、次のようにコメントしています。前述した佐賀県立宇宙科学館のものとは全く対称的な表現です。「植物と昆虫との間でなされる相互作用というのは、実に驚異的なものです。それを見抜く目のある人にとっては、その作用は明らかに、全てにおいて賢い創造者の顕著な特徴の痕跡を見る事ができます」※4、というコメントです!(Wow! & Wow!)このコメントの大きな違いは何なのでしょうか・・・?!

―プランにはプラナー、プログラムにはプログラマー、デザインにはデザイナーという常識―

●「全てに賢い創造者の顕著な特徴の痕跡を」見抜く者は、次のようにコメントしています!非常に大切なポイントです!

計画を立てるには、計画を立てる人が必要です。プログラムを作るには、プログラムを作る人が必要です。そして、デザインするには、デザインする人が必要です!※5(これを、英語を交えて言いますと、プランにはプラナーが、プログラムにはプログラマーが、そしてデザインにはデザイナーが必要です!)天地宇宙の秩序と複雑さというものは、偶然の積み重ねによっては生じ得ないのです!創造主が意図して設計されたものなのです!それを、神学の専門用語では、「目的論的論証」と言います。天体の運行や生命体の緻密な構造が、偶然ではなく特定の目的に基づいて存在しているという事を根拠に、神の存在を証明しようとする論法です!

この真理を、聖書は次のように私たちへ伝えています!「気づけ。民のうちのまぬけ者どもよ 愚か者どもよ おまえらは、いつになったら、悟るのか。耳を植えつけた方が 聞きかないだろうか。目を造った方が 見ないだろうか」、と!(詩94:8-9)(Wow! & Wow!)

●知性は知的存在者であられる神から来ますし、道徳心は道徳的存在者であられる神から来ます!このメッセージの副題にした言葉です。大変、重要な言葉です!知性や道徳心が命の無い物質から来たと論じるのは愚の骨頂です!

イ)まことの神の明らかな存在を認めない理由(詩篇14:1/ローマ1:18-23)

●『神の存在』の証拠は、この天地宇宙に圧倒的に見られます!そうであるのなら、なぜ無神論者たちがいるのか、という疑問が起こってきます。聖書は、その理由は知的で理性的なものではなく、道徳的かつ霊的なものであると教えています!ダビデは、詩篇14:1前半で次のように記しています。「愚か者は心の中で『神はいない』と言う」、と!ここで言う「愚か(さ)とは、道徳的な意味で語られているもので、知的に愚かだと言っているのではないという事が、同じ節後半を読めば分かります。それは、「彼らは腐っていて 忌まわしい事を行う。善を行う者」ではないからです!無神論は神の存在を否定しますが、それは、罪深い生活を送る事によって、神に裁かれる事を回避したいと願う人々にとっては好都合な主義主張なのです!

●ローマ1:18-23は、神を拒む事は意図的に行っている行為であり、罪を愛するからであるという事を明確に示しています!御言葉を読みましょう。

1:18 というのは、不義によって真理を阻んでいる人々のあらゆる不敬虔と不義に対して、神の怒りが天から啓示されているからです。1:19 神について知りうることは、彼らの間で明らかです。神が彼らに明らかにされたのです。                            ―6―

1:20 神の、目に見えない性質、すなわち神の永遠の力と神性は、世界が創造されたときから被造物を通して知られ、はっきりと認められるので、彼らに弁解の余地はありません。1:21 彼らは神を知っていながら、神を神としてあがめず、感謝もせず、かえってその思いはむなしくなり、その鈍い心は暗くなったのです。 1:22 彼らは、自分たちは知者であると主張しながら愚かになり、1:23 朽ちない神の栄光を、朽ちる人間や、鳥、獣、這うものに似たかたちと替えてしまいました。

「『神はいない』」と言って(いる)」無神論者たちの「不敬虔と不義に対して、神の怒りが天から啓示されて」来ました!

●具体的に神の怒りはどのように啓示されて来たのでしょうか?二つの方法によってです。一つ目が、道徳律に違反した場合にもたらされる神の間接的な怒りです。二つ目が、神の直接的な怒りです。一つ目ですが、私たちが高い建物から飛び降りるなら、重力という自然界の物理法則に従って真っ逆さまに落ちて地に叩き付けられます。それと全く同じように、神は、この世界に神の道徳の法則(道徳律)を破る者には、神の裁きに向かって真っ逆さに落ちて行くのです!平易な表現をしますと、悪い事をすると罰が待っているのです!神が直接介入されなくても、道徳の因果関係の法則が働いて、神の怒りを刈り取る事になります!聖書の御言葉を用いてこの法則を説明すると、「自分の肉に蒔く者は、肉から滅びを刈り取り、御霊に蒔く者は、御霊から永遠のいのちを刈り取るのです」!(ガラ6:8)

●二つ目の神の直接的な怒りとは、神に反逆したアダムとエバに対するのろいの宣告に始まり、世界規模の洪水による裁き、ソドムとゴモラへの火と硫黄の裁き、ユダヤ人のバビロン捕囚による裁きなどがあります。その中でも、最も顕著に示された神の聖なる怒りというものが、信じる人の身代わりとなって罪の裁きを受けて殺害された御子イエス・キリストです!(Wow!)「『神はいない』」と言って(いる)」無神論者たちの「不敬虔と不正に対して、神の怒りが天から啓示され」て来たというのは、こういう事を指しています!

2)アテネの人々へまことの神は知られ得る(使徒17:23b)

ア)聖書の神がまことの神である(申命記4:35)

●最後に、アテネの人々へまことの神は知られ得るという点を取り上げましょう。その一つ目は、聖書の神がまことの神であるという点です!「だましごとの哲学」(コロ2:8)や偶像礼拝によって混乱を来たしていたアテネの人々に対して、使徒パウロは、唯一のまことの神が存在しているばかりでなく、そのお方は知られ得る神であるという事を力説しました!それが、「あなたがたが知らずに拝んでいるもの、それを教えましょう」という語り掛けの中に見られます!(17:23)出エジプトしたイスラエルの民を諭すように語ったモーセの次の言葉を思い出します。「あなたにこのことが示されたのは、主だけが神であって、ほかには神はないことを、あなたが知るためであった」、と!(申4:35)

イ)まことの神はユダヤ人と異邦人の双方に知られ得る(1列王8:43/他)

●二つ目は、まことの神はユダヤ人と異邦人の双方に知られ得る神であられるとい点です!神の御心は、初めからイスラエル人と異邦人の双方がまことの神を知り、まことの神を恐れ、まことの神を愛するようになる事でした!                                ―7―

旧約時代において、救われて神を知る人々が起こされましたし、また新約時代になると、初代教会を通して異邦人へ宣教がなされて行きました!そして、この極東に位置する私たちの国日本にも福音が伝えられて来ました!ソロモン王が、神殿を建設するに当って次のような祈りを神の御前にささげましたが、まさにそう願うのです!「外国人があなたに向かって願うことをすべて、かなえてください。そうすれば、地のあらゆる民が御名を知り、あなたの民イスラエルと同じようにあなたを恐れるようにな(る)・・・でしょう」、と!(1王8:43)まことの神が知られ得るお方であるというのは、失われた世界の人々に対するクリスチャンだけが持つ事のできる希望のメッセージです!そのために、愛する皆さんまたあなたの属するこの教会が、まことの神の御名を知らせる宣教のために用いられる事を心から願うのです!

【まとめ】 それでは、今回のメッセージをまとめましょう

●今回は、特に、私たちの住んでいるこの因果関係の世界では、実に理にかないまた道理にかなった神の存在の証拠の数々が満ちており、また実に見事な設計が施されているという証拠に溢れているという事を学びました!そして、知性は知的存在者である神から来、道徳心は道徳的存在者である神から来るという事を学びました!しかし、それにもかかわらず、日本を含め全世界で、それらは偶然に起こって進化して来た事だと教えられ、知性や道徳心が命の無い物質から来たと信じています!「『神はいない』と言って」、人々は無神論をかざしています!その理由は、罪深い生き方に対する神の裁きを退けたい人々の思考であるという事を、聖書がはっきりと指摘していました!しかし、そのような中で、まことの神が知られ得る神であるという事を学びました!それが、失われた世界の人々に対するクリスチャンの希望のメッセージであるという事を学びました!

【適用の祈り】 それでは、今回のメッセージを適用できるように祈りましょう。

●主よ、あなたが確かにまた明らかに存在しているという事をこの天地宇宙は語り次げていますが、多くの人々が天地創造の神を信じません!それが、自分たちの罪深い生き方への神の裁きを退けたい者たちの考えであるという事を学びました!主よ、あなたが使徒パウロをアテネへ遣わされましたように、私たちを、私たちの周りにいる人々へ遣わして下さい!罪深い生き方に対して神の裁きがありますが、その罪に根本的な解決を与え、赦しと永遠の命が御子イエス・キリストの十字架と復活によって与えられる事を告げる事のできるよう、私たちを宣教のために用いてください!主よ、日本のキリスト教会を宣教の教会として栄えさせてください! この祈りを、主イエス・キリストの御名によって御前に捧げます。

【結論】

天は神の栄光を語り告げ 大空は御手のわざを告げ知らせる(詩19:1)。

―8―