『義憤を宣教へと切り替える使徒パウロ!』

―「自分の神を知る人たちは堅く立って事を行う」(ダニエル11:32)。―《使徒17:16-34/今回は前置&序論(17:16-21)》
【前置】
―「アテネ」という世界文化の中心都市にやって来た使徒パウロ―
●今回のメッセージは、オリンピックの話から始めて行きましょう。日本ではこれまで、夏冬合わせて四回にわたってオリンピックが開催されて来ました。1964年と2021年の二回にわたって、夏季オリンピックがいずれも東京で開催されました。真夏の暑さを考慮して、マラソン競技は札幌で開催されました。冬季オリンピックは1972年には札幌で、1998年には長野でそれぞれ開催されました。札幌では、オリンピックに合わせて、地下鉄をはじめとする交通網や諸施設が整備されました。
●オリンピックの発祥の地は、ギリシアの「オリンピア」という都市です。この「オリンピア」には多くの遺跡が遺されており、1989年には世界遺産に登録されました。古代オリンピックは紀元前8世紀にさかのぼるのですが、一千年以上にもわたって行われ、293回の開催を遂げました。一方、近代オリンピックは、第1回目が1896年で、それは129年前にさかのぼります。どこで行われたのかといいますと、それもまた、オリンピックの発祥の国、ギリシアの首都「アテネ」ででした。そのような事で、オリンピックの歴史を振り返ってみますと、その中心がギリシアという国と深く関わっていた事が理解できます。
●ギリシアと言えば、クリスチャンにとっては、オリンピックよりも遥かに重要な事実があります!それは、新約聖書が、当時世界で最も広く浸透していた言語であるギリシア語で書かれているという点です!ギリシアは、ペルシャ帝国の後に起こりました。そして、ギリシアの後にローマ帝国が起こりました。イエス・キリストがお生まれになった時代、イスラエルはローマによって支配されていました。そして、イエス様の後を受け継いだ使徒たちもまた、ローマの支配下での宣教でした。確かにローマの時代ではありましたが、当時の文化・芸術・哲学・宗教・政治・商業とありとあらゆる面で多大な影響を与えていたのがギリシアでした!そのギリシアの首都が、今回の使徒パウロの宣教地である「アテネ」です!
●ギリシアの「アテネ」から輩出された著名な人物たちを取り上げましょう。現在の日本の学校教育の中でも取り上げられている有名な人物たちです。一番目は「ソクラテス」です。偉大な哲学者で、多くの国々の教科書で取り上げられる人物です!その弟子には、博学な「プラトン」という哲学者がいました。また、プラトンの弟子には、「アリストテレス」という哲学者がいました。「アリストテレス」は、恐らく、この世に最も大きな影響力を与えた哲学者だと言われています。彼らは、皆、「アテネ」で教えていました!
※その他に、今回の聖書箇所の18節にも記されていますように、「エピクロス派」を立ち上げた「エピクロス」、そして「ストア派」を立ち上げた「ゼノン」という二大哲学者たちが、その当時「アテネ」で多大な影響力を与えていました!それから、その当時の世界で最も有名な大学も「アテネ」にあり、「アテネ」は学問の都でもありました!ギリシアはローマの支配下にあったにもかかわらず、何と、その首都「アテネ」は、その中にあっても自治権が与えられていた都市でした!(I see!)そういう意味でも、「アテネ」という町は、世界で最も力のある都市の一つであったという事が理解できます!
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●一方、宗教的にはどうだったでしょうか?「アテネ」は宗教の中心地でもありました!ローマ皇帝ネロの側近であり、政治家でもあり、また文筆家でもあった「ペテロニウス」という人物が、「アテネ」を次のように皮肉っぽく伝えています。「『アテネ』では、人よりも神を見つけるのがた易い場所である」、と!※1何と、一つ一つの建物が一つ一つの神にささげられていた、と言われております。冒頭で述べましたオリンピックも、元々は宗教行事でした。オリンピアにあるゼウス神(多神教の中にあって絶対的で強大な力を持つ神)をはじめ、多くの神々を祭るためのアスリートの競技や芸術の祭が催されていました。しかし、ローマにキリスト教が伝わり、キリスト教がローマの国教となってからは、この宗教行事であるオリンピックが廃止されました。しかし、それから1500年後に、古代オリンピックに感銘を受けたピエール・ド・クーベルタンというフランスの男爵(だんしゃく)が提唱した事によって、宗教儀式ではない近代オリンピックが開催されるようになりました。
●偶像の神々で満ち溢れていた都(17:16、23)、そして世界で最も影響力のある町「アテネ」へ、テサロニケやベレヤで迫害を受けて追放されてやって来たのが使徒パウロでした!パウロの時代は、コリントという町が政治的にもまた商業的にもギリシアの中心ではありましたが、アテネの芸術や哲学や宗教面での勢いは衰えていませんでした!(I see!)
●世界の文化の中心地である「アテネ」の町を歩いていてパウロが強く感じた事は、先程触れましたように、町が「偶像でいっぱい」であったという事です!(使徒17:16)そして、その中で、17:23に記されていますように「『知られていない神に』と刻まれた祭壇があるのを見つけた」のです!そこで、パウロは、「アテネ」の人々が「知らずに拝んでいるもの」すなわち聖書のまことの神について「教えましょう」と語って、「アテネ」における宣教を始めて行きました!(I see!)これらが、今回を含め四回にわたって取り扱うメッセージの背景です。
●今回から四回シリーズで取り次ぐメッセージのテーマは、「『知られていない神』を知るには』」です!当時、世界の文化の中心都市であった「アテネ」において、使徒パウロは、使徒17:22-31で、次の三つの重要なポイントでメッセージを取り次いでいます。この三つのポイントが本論部分のアウトラインで、いずれも、人が知らねばならない根本的なもので、最も重要な点です!
【本論のアウトラライン】
・第一に神がおられる事を認めるということ(使徒17:22-23)/次回/二回目
・第二に神が誰であるのかを認めるということ(使徒17:24-29)/次々回/三回目
・第三に神が言われた事を認めるということ(使徒17:30-34)/最終回/四回目
―神を知る事の大切さ、しかも正しく知る事の大切さ―
●本論となるこの三つの大きなポイントについては、次回から取り上げますが、今回はその前置と序論部分のメッセージとなります。その前置でまず触れたいのは、自分の神を知る事、しかも正しく知るという事がいかに大切なものなのかという点です!イスラエルの過去においてもまた未来の終末においても、一貫して言える事は、「自分の神」すなわち聖書のまことの「神を知る人たちは堅く立って事を行う」事ができるという事なのです!
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●ピリピ4:11が告げていますよう、神はその人に対して、「どんな境遇にあっても満足」する心をお与えになります!また、神を正しく知るという事は、詩篇33:12や144:15が告げていますように、「幸い」をもたらします!更に、イザヤ26:3やロ-マ8:6が告げていますように、「全き平安」をお与えになります!そして、前述しましたダニエル11:32が告げていましたように、危機に直面した時に、「堅く立って事を行う」者となります!まことの神を正しく知るという事は、人にとっては最も重要な事です!全ては、その一点に掛かっています!偶像に満ちた異教の都市「アテネ」において、使徒パウロは、生けるまことの唯一の神は、異教の中心地である「アテネ」の人々にとっても知られ得る神であるという事を力説して行くのです!(Amen!)
―今回の序論のメッセージ(17:16-21)―
●長い前置きでしたが、これから、使徒17:16-21に記された御言葉から、序論のメッセージを取り次ぐ事にしましょう。その主題は、『義憤を宣教へと切り替える使徒パウロ!』です。序論部分のメッセージの流れは、次の通り大きく分けて二つの点から成り立っています。
【序論のアウトラライン】
1)パウロの憤りは宣教へ(使徒17:16-18)
2)アテネの人々の生き方(使徒17:19-21)
1)パウロの憤りは宣教へ(使徒17:16-18)
―パウロの憤り(17:16)―
●それでは、序論部分のメッセージです。16節では、次のように伝えられています。「さて、アテネで二人(シラスとテモテ)を待っていたが、町が偶像でいっぱいなのを見て、心に憤りを覚えた」、と!偶像に溢れた余りにもひどい「アテネ」の霊的状況に対して、パウロは「心に憤りを覚えた」のです!ギリシアの首都アテネは、世界でも有数の観光地で、2023年にギリシアを訪れた外国人観光客は3600万人強でした。一方、一年遅れの2024年に東京を訪れた外国人観光客は2500万人弱です。アテネは文字通り観光地ですが、パウロは、決して観光者の目線でその町を見ていたのではありませんでした!
●皆さん、いかがでしょうか、国内外においてあなたが偶像に溢れている光景を見たとしたら、「心に憤りを覚え(る)」でしょうか?彼は、「アテネ」の町に住んでいる人々が、キリスト無しに永遠の滅びへ向かっているというふうに捉えていました!それは丁度、イスラエルの首都エルサレムの霊的退廃がイエス様を涙と憤りに動かしたように、使徒パウロにとっても、アテネの状況が彼を聖なる怒りへと駆り立てたのです!
●この「心に憤りを覚えた」という言葉は、本来はもっと強い意味を持った言葉です。同じ言葉が、使徒15:39に記されています。パウロとバルナバとの間で助手のマルコをどう扱うかという点で、二人の間で生じた軋轢を表現している言葉として用いられています。そこでは、「激しい議論」と訳されています!(使徒15:39)使徒パウロは、聖なる激しい怒りを偶像に対してもったのです!なぜなら、偶像がまことの神の栄光を奪い取っているからです!(Wow!)その事をローマ1:23がはっきりと告げています。「朽ちない神の栄光を、朽ちる人間や、鳥、獣、這うものに似たかたちに似た物と替えてしまいました」、と!
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ですから、パウロの目には、アテネの人々が偶像の神々を造りそれらを礼拝する事によって、主なるまことの神を冒涜しているというふうに映ったのです!その怒りは、その後どうなるのでしょうか?次の節に注目しましょう。
―パウロの憤りは宣教へ/いつもの宣教パターンを踏襲(17:17)―
●17節の前半で、「それでパウロは、会堂ではユダヤ人たちや神を敬う人たちと論じ、広場ではそこに居合わせた」異邦「人たちと毎日論じあ(った)」と記されています。すなわち、パウロは「偶像」に満ち溢れたアテネの町に対する自分の怒りの感情を、アテネにいるユダヤ人と異邦人への宣教という行動に切り替えたのです!彼がいつもしている宣教のパターンは、まずは安息日に同胞のユダヤ人の集まる「会堂」へ行って、「ユダヤ人や神を敬う人たちと論じ(て)」宣教する事でした。そして、週日は、アテネで有名は市場のある「広場」に出掛けて行き、「そこに居合わせた」異邦「人たちと論じ(て)」伝道したのでした。
―「エピクロス派とストア派の哲学者」への宣教(17:18)―
●これまでは、「偶像」に満ち溢れた「アテネ」がパウロの感情をかき立てていましたが、今度は逆に、パウロが「アテネ」の町の人々の感情をかき立てる番となります!(I see!)パウロが論じ合っていた中に、18節に記されていますように、「エピクロス派とストア派の哲学者たち」が「幾人か」いました。その当時のアテネには、「エピクロス派」、「ストア派」、そしてこの聖書箇所には記されていませんが、もう一つ、ソクラテスの弟子であるアンティスネスを祖とするギリシア哲学の一派の「キニク派」というグループがいて、それぞれが哲学の学校を持っていました。
●「エピクロス派」の哲学の核心(中心点)は、快楽の追求と苦痛の回避というものが、人間の最大の目的であるという教えにありました!彼らは、精神や心などという人間にとって根底的なものは物質であると考えました!ですので、彼らは唯物論者であり、神々の存在を否定はしませんでしたが、神々は人間の事に干渉しないと考えていました!彼らは、死後、原子から構成されている体と魂とが分解し、死後の世界は存在しないと教えました!
●一方、「ストア派」の哲学者たちは、「自制」こそが最大の美徳と考えました!時々、スポーツの解説者が「彼はストイックです」と言いますが、これは「ストア派」から来た言葉で、「彼は禁欲的です。彼は十分自制して打ち込んで練習しています」、という意味を伝えています。「ストア派」の哲学者たちは、「自制」は快楽と苦痛の両方に無関心になる事から生まれ、何も感じない状態に達する事だと信じていました!「エピクロス派」の実用的な無神論とは対照的に、「ストア派」は、全てに神が宿っている、一切が神そのものであると信じる汎神論者たちでした。
●聖書注解者のF.F.ブルースは、次のように語っています。キリスト教以前の異教の世界というものは、この「エピクロス派とストア派の哲学たち」の教えによって、人生の門題を解決しようと試みました。「エピクロス派」の教えを取ると「ストア派」の教えを捨てる以外に道はありませんでした。逆に、「ストア派」の教えを取ると「エピクロス派」の教えを捨てる以外に道はありませんでした。両者は、正反対の教えであったからです!キリスト教以後の異教の世界は、それらの哲学に勝る教えを提供する事ができませんでした。※2いかがでしょうか、この二つの哲学は、人に真の人生の解決をもたらすでしょうか?その答えは、勿論“No”です!人間を造った唯一でまことの神を否定する哲学に、この世界の疑問を解決する力はありません! ―4―
●この二つの根本的に異なる哲学の支持者たちが一緒になって、パウロの教えをさげすんだのです!18節の中盤で、その中の「ある者たちは、『このおしゃべりは、何が言いたいのか』と言い」ました。「このおしゃべりは」という言葉は、実に、さげすみを含んでいます。“スペルモロゴス”という言葉が使われているのですが、直訳すると「種をつつく者」という意味の言葉です。ジョン・B・ポルヒルという聖書注解者は、それを次のように説明しています。「この言葉は、農場の庭で種を無差別につつく鳥の姿を連想させます。すなわち、あちこちから断片的なアイデアを拾い集め、何の深い理解もなしに、それをまるで奥深い思想として見せ掛けて偽装する素人を指す言葉でした」※3、と。パウロに対する、「エピクロス派とストア派の哲学者たち」からの的の外れた批判ではありましたが、それらは辛辣なものでした!
●また18節の後半では、「ほかの者たち」が、パウロの言っている事を全く誤解して、「『彼は他国の神々の宣伝者のようだ』と言った」とあります。「パウロがイエスと復活とを宣べ伝えていた」にもかかわらず、「他国の神々」の話に聞こえたというのです。それは恐らく、「『復活』を意味する「アナスタシス」という言葉を、パウロが、女神の固有名詞として使っていた」、と聴衆が理解していたのかも知れない、と聖書注解者のマッカーサー師は解説しています。※4
2)アテネの人々の生き方(使徒17:19-21)
―「アレオパゴス」(17:19)―
●十分な騒ぎを起こしたため、19節の前半で、ついに「彼らは、パウロをアレオパゴスに連れて行き」ました。「アレオパゴス」は裁判所であり、その名はかつてその丘で裁判が開かれていた事からそう名付けられていました。その丘は、高さ113メートルにも及びます。その裁判所の権力は長い月日の流れの中で変動しては来ましたが、ローマ時代には相当重みのあるものでした。前述しましたように、「アテネ」はローマ帝国における自由都市の地位が与えられており、自治権を有していました。何世紀も前の事ですが、ソクラテスは、そこで糾弾されました。パウロは、そこへ正式に訴えられたというよりも、むしろ非公式ではありますが、自分の教えを伝える場と機会が、神によって与えられたのでした。
―アテネの人々の傾向/「耳慣れないこと・・どんなことなのか、知りたいのです」(17:20-21)―
●そこで、19節の後半から20節に掛けて、パウロが最初に問われた事は、「あなたが語っているその新しい教えがどんなものか、知ることができるでしょうか。私たちには耳慣れないことを聞かせてくださるので、それがいったいどんなことなのか、知りたいのです」という事でした。しかし、21節で「アテネ人も、そこに滞在する他国人もみな、何か新しいことを話したり聞いたりすることだけで、日を過ごしていた」と記されていますように、アテネの哲学者をはじめその住人たちは、福音に対して本当の関心があった訳ではありませんでした。「何か新しいことを話したり聞いたりすること」を好む、アテネの人々の気質を示していました。それは、ルカだけでなく、古代の他の文書にもしばしば記されているものでした。
●パウロが、そのような聴衆の傾向について全く気付かなかったのではありません。しかし、そのような聴衆であっても、パウロは福音を説き続けました。そして、この章の最後の節である34節で、ある人々の反応を伝えています。何と報告されているでしょうか?二節前の32節から取り上げましょう。
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17:32 死者の復活のことを聞くと、ある人たちはあざ笑ったが、ほかの人たちは「そのことについては、もう一度聞くことにしよう」と言った。17:33 こうして、パウロは彼らの中から出て行った。17:34ある人々は彼につき従い、信仰に入った。その中には、アレオパゴスの裁判官ディオヌシオ、ダマリスという名の女の人、そのほかの人たちもいた。
何と、一人の「裁判官」の名前が記されています!それから、一人の女性の名前も記されています。そして更に、「その他の人たち」も信じ救われたのでした!どんな状況下にあっても、主に信頼して福音を曲げずに語り続ける事に、大きな意義があるのだという事を教えられます!
【まとめ】 それでは、今回のメッセージをまとめましょう。
●今回から四回シリーズで、「『知られていない神』を知るには」というメッセージシリーズを始めました。新約聖書が記された時代に、世界文化の中心都市であったギリシアの首都「アテネ」は、多くの哲学者や多くの神々を生み出していました。オリンピックというスポーツの祭典でさえ、元々はと言えば、人が考え出した神々の宗教行事から端を発したものでした。その世界の中心都市「アテネ」に、使徒パウロを通して福音がもたらされました!どんな状況にあっても、またどんな歴史や文化的な背景があっても、知恵をもって、しかし妥協する事無く、福音の意味を決して薄くして語ったのではありませんでした!使徒パウロは、偶像に満ち溢れた町「アテネ」に対する義憤を、その聖なる怒りを、キリスト教宣教へと切り替えたのでした!
【適用】 最後に、今回のメッセージを適用しましょう。
●「アテネ」が多くの偶像の神々に溢れているという点では、日本と共通しているのではないでしょうか?そんな異教社会中で、パウロがたゆみなく福音を語り続けたのは、日本人クリスチャンにとって大きな励ましになかったのではないでしょうか?また、いかがでしょうか、日本にもギリシアと同様に、人の考え出した「だましごとの哲学」がはびこっていないでしょうか?(コロ2:8a)人々の知性を惑わし、堕落させ、聖書の真理から離そうとする哲学が日本を覆っていないでしょうか?神はいない、神はいても人々と関わらない、神は人に知られない、聖書には誤りがある、キリストは人であり不完全、キリストには妻や子どもがあった、その子孫が今でも生き続けている・・・など、人の堕落した知性をいかようにも混乱させてまことの神から離そうとしてはいないでしょうか?あるいは逆に、日本によく見られますように、神よりも神を造った人が神の上に立ち、神を自分に仕えさせていないでしょうか?神は自分にご利益をもたらす者で、神をあがめ、尊び、礼拝するという観念が全く欠落していないでしょうか?
●いかがでしょう、あなたは、その日本に遣わされているのです!「主であり救い主であるイエス・キリストの恵みと知識において成長し」(2ペテ3:18)、福音の戦士として宣教に用いられようではないでしょうか?身近な家族や友人に関わりながら、そしてこの教会の置かれた地を愛してキリストの救いを宣べ伝え続けようではないでしょうか? それでは、祈りの時をもちましょう。
【結論】 あの空しいだましごとの哲学によって、だれかの捕らわれの身にならないように、注意しなさい。それは人間の言い伝えによるもの、この世のもろもろの霊によるものであり、キリストによるものではありません(コロサイ2:8)。

