ルカの福音書講解説教(7)/メッセージ原稿/『ザカリヤへの神の啓示』(その 4)/2016.05.08
『人の不信、神の不変!』
―「私のことばは、その時が来れば実現します。」ー
《ルカ 1:5-14、18-25/今回は 1:18-25》
【序 論】
●聖書は、クリスチャンを「土の器」(2 コリ 4:7a)にたとえています。「土の器」は壊れやすいものですが、古代において、価値あるお金や宝石や重要書類などを保管する物として使われていました。神は「土の器」である私たちクリスチャンを通して、ご自身の「測り知れない力」(2 コリ 4:7b)を現されるのです!
●今回は、『ザカリヤへの神の啓示』の四回目で締めくくりのメッセージです。ザカリヤとエリサベツは、謙遜で、神の前に義とされ、従順で、祈り深く、心から主に仕えていました。しかし、彼らも私たちと同様に
「土の器」としてのもろさがありました。神に対する不信を抱き、疑い深く、恐れに捕らわれ、しかも主から懲らしめを受ける者でもありました。この締めくくりのメッセージを通して、あなたは、神がごく普通の器を用いておられる事を知るでしょう。また、私たちは今回のメッセージを通して、神のご計画と目的は永遠の昔から確立していて、間違いなく起こるという事を再確認する事にもなるでしょう。神の主権による支配は何と力強い事でしょう!
●今回のメッセージの主題は『人の不信、神の不変!』で、アウトラインは下記の通り四つのポイントから成り立っています。神ご自身と神のご計画やその約束の確かさや素晴らしさに心動かされる時となる事でしょう!
【全体のアウトライン】
『ザカリヤへの神の啓示』
◎序論/義の太陽が夜明け前に上る!/済
[1]最も偉大な生涯の物語の時代的背景(ルカ1:5a)/済
[2]ザカリヤ夫妻の義認と聖化そして苦悩と失意(ルカ1:5b-7)/済
[3]ザカリヤの祭司としての栄誉ある任務(ルカ1:8-10)/済
[4]ザカリヤへの神の預言の啓示(ルカ1:11-14)/済
[5]ザカリヤの不信仰に対する神の叱責(ルカ1:18-25)/今回
【今回のアウトライン】
[5]ザカリヤの不信仰に対する神の叱責(ルカ1:18-25)/今回
1)ザカリヤの神への不信(1:18)
2)ガブリエルの叱責(1:19-20)
3)人々の不思議がる思い(1:21-22)
4)神の約束の実現(1:23-25)
―1―
【本 論】 それでは、今回のメッセージの本論に入りましょう。
[5]ザカリヤの不信仰に対する神の叱責(ルカ1:18-25)
1)ザカリヤの神への不信(1:18)
●ザカリヤと妻のエリサベツは、長年にわたって子どもが与えられるように祈って来た中で、既に「年をとって」(1:7)いました。それで、「もうだめだろう」と思うようになり、この時点では祈るという事も恐らくなかったのではないかと思われます。ザカリヤが神殿の聖所で祭司の務めをしている時に、御使いがザカリヤを訪れました(1:11)。そこで、彼は「不安」と「恐怖に襲われた」(1:12)のですが、御使いは、「ザカリヤ。あなたの願い
が聞かれたのです。」(1:13)という神からのメッセージを伝えました。通常、そこで喜び、感謝に溢れて「有り難うございます」と御使いに感謝を表し、また神ご自身へは「主よ。本当に有り難うございます。
私たちの祈りにお答え下さり心から感謝します。」と言ってよいのではないかと思われます。
●しかし、ザカリヤの最初の「不安」と「恐怖」は直ぐに疑いと不信へ変わりました。そして、御使いの言葉が信じられず、御使いに対して次のように問い掛けました。18 節に記されていますように、「私は何によってそれを知ることができましょうか。私ももう年寄りですし、妻も年をとっております。」、と。丁度、それは、使徒 12:12-16 に記録されているペテロの脱出のために祈った「大ぜいの人」を思い出させます。
ペテロが牢獄から解放されるように祈っていた人々が、いざペテロが奇蹟的に牢獄から解放されて彼らが祈っていた家の「門の外に立っている」という「知らせ」を受けた時、彼らは、それを伝えた女中ロダに対して
「あなたは気が狂っている」と言って信じませんでした。それと同じように、ザカリヤは、自分と妻が祈って求めていた事が叶えられると御使い自身によって直接告げられたにもかかわらず、何と、信じる事を拒絶したのです!キリストを信じる全ての信仰者と同じく、ザカリヤは神の前に義とされ正しい人でしたが、罪のない者ではありませんでした!義人されど罪人であるのです!
2)ガブリエルの叱責(1:19-20)
―神の約束について!―
●神のお言葉の確かさや神の約束の信頼性を疑うという事は、神の真実を否定するという事です!ですから、それは大きな罪だと言えます!旧新約聖書を通して、神は、ご自分の約束がいかにその通りに実現したのか、四名の神の器たちが次のように伝えています!
[ヨシュア]
■あなたがたの神、主が、あなたがたについて約束したすべての良いことが一つもたがわなかったことを。それは、一つもたがわず、みな、あなたがたのために実現した(ヨシ 23:14)。
[モーセ]
■約束どおり、ご自分の民イスラエルに安住の地をお与えになった主はほむべきかな。しもべモーセを通して告げられた良い約束はみな、一つもたがわなかった(1 王 8:56)。
―2―
[パウロ]
■神の約束はことごとく、この方において「しかり」となりました。それで私たちは、この方によって
「アーメン」と言い、神に栄光を帰するのです。(2 コリ 1:20)
[ヘブル書の著者]
■約束された方は真実な方ですから、私たちは動揺しないで、しっかりと希望を告白しようではありませんか。(ヘブ 10:23)
それゆえ、ザカリヤの不信仰は、御使いの厳しい叱責を招くのでした!
―ガブリエルについて―
●御使いは、自分を「私は神の御前に立つガブリエルです」と告げました!「私は・・・ガブリエルです」という言い方は強調表現です。それは、普通の御使いではないという事を意味しています!聖書の中に、何名の御使いの名前が記されているかご存じでしょうか?たったの二人です。一人がミカエルで、もう一人がこのガブリエルです。ガブリエルは、神が御使いの中で定められた最上位のメッセンジャーです。
神の贖いの歴史の中で、最も重要ないくつかの告知を伝えるために遣わされました!ダニエル 8:16-26 ではイスラエル国家の歴史上の重要な時について告げています。また同じくダニエル 9:21-27 では、
反キリストや千年王国について告げています。そして、このルカ 1:26-38 では、ガブリエルは、マリヤに対して受胎告知をしています!
―御使いの働きについて/「遣わされ」&「良き知らせを伝える」―
●更に、御使いガブリエルの働きについて掘り下げましょう。19 節の後半で、御使いはザカリヤへ「話をし、この喜びのおとずれを伝えるよう」神ご自身によって「遣わされ(た)」者であるという事が記されています!神は聖なる御使いたちを統治しておられ、御使いたちは常に神の命令を行う事を示しています(出 23:20、23、33:2/民 20:16/1 歴 21:15/2 歴 32:21/詩 103:21/ダニ 3:28、6:22)。
●この「喜びのおとずれ」という言葉は、原語を見ますと「良き知らせを伝える」(“エバンゲリゾー”)という言葉(動詞)が使われています。名詞は“エバンゲリオン”で、「良き知らせ」、「福音」です。日本のアニメのタイトルに用いられていますが、その内容ははなはだ聖書から逸脱したものです。そのアニメの中で記されている「使徒」は地球を攻撃する者です。
●実は、この言葉は、ギリシャ人にとってはとても馴染みのある言葉でした!と言うのも、喜びの知らせを表現する時に用いられた言葉であったからです。特に、皇帝カエサル(シーザー)が王座に就任する時に用いられた言葉でした。そして、王が就任するという事は、新しい時代の幕開けを意味するのでした!この言葉は、福音書で 11回出てきますが、その内10回はこのルカの福音書に出てきます。その言葉が出て来るところは、どこででも同じ宣言がなされているのです!それが、神がご自分の御子を送られ、御子を信じる全ての人の罪を贖うために死んで下さるという良き知らせ(福音)を意味していました!
―3―
―ザカリヤへの懲らしめ―
●神からの「良き知らせ伝え」に来た御使いの言葉を信じないザカリヤに対する取り扱いが 20 節に記されています。ザカリヤの不信は神の前に罪深いものでした!それゆえ、20 節で、ガブリエルは次のような懲らしめの言葉をザカリヤへ伝えました。「ですから、見なさい。これらのことが起こる日までは、あなたは、ものが言えず、話せなくなります。私のことばを信じなかったからです。私のことばは、その時が来れば実現します。」、と!「これらのことが起こる日までは、あなたは、ものが言えず、話せなくなります」とありますが、
それはいつまでであったのでしょうか?その答えが、同じこのルカ 1 章に記されています。59 節と 66 節に目を留めましょう。
1:59 さて八日目に、人々は幼子に割礼するためにやって来て、幼子を父の名にちなんでザカリヤと名づけようとしたが、 1:60 母は答えて、「いいえ、そうではなくて、ヨハネという名にしなければなりません」と言った。 1:61 彼らは彼女に、「あなたの親族にはそのような名の人はひとりもいません」と言った。 1:62 そして、身振りで父親に合図して、幼子に何という名をつけるつもりかと尋ねた。 1:63 すると、彼は書き板を持って来させて、「彼の名はヨハネ」と書いたので、人々はみな驚いた。 1:64 すると、たちどころに、彼の口が開け、舌は解け、ものが言えるようになって神をほめたたえた。 1:65 そして、近所の人々はみな恐れた。さらにこれらのことの一部始終が、ユダヤの山地全体にも語り伝えられて行った。
1:66 聞いた人々はみな、それを心にとどめて、「いったいこの子は何になるのでしょう」と言った。
主の御手が彼とともにあったからである。
●その日が来るまで、その間、ザカリヤは、神殿の中で超自然的な神の御使いが訪れたという事や、自分たち夫婦に息子が生まれるという素晴らしくまた信じがたい程の御告げを受けたという事を説明することができませんでした。それと、ザカリヤは帰宅後、10ヶ月余りにわたって、その村の人々に聖書を教えるという祭司の義務であり役割を果たす事もできませんでした。その間、ザカリヤはどのような思いを持って過ごしていたのでしょうか?それは大変です。懲らしめられるという神の取り扱いを祭司として体験するという恥を忍ばなければなりませんでした!その恥の原因は、ザカリヤが神の「ことばを信じなかったからです」(1:20)という罪深さにありました!
●このガブリエルの締めくくりの言葉はザカリヤの信仰の無さを強調していますが、もう一つ重要な点も強調しています。それは、神の主権による支配です!神のご計画と目的は永遠の昔から確立していて、間違いなく起こるという事です!しかしまた、その神のご計画や目的に沿って歩む事によって受ける祝福や報いはクリスチャンにとっては喜びなのですが、神への不信によってそれらを失ったり、また神の懲らしめに取って変わる事もあるのだという事を教えています!
●神の懲らしめについて、ヘブル書は次のように明確にその目的を示しています。神の懲らしめは、神ご自身の愛から出ているという事が理解できます!
12:10 霊の父は、私たちの益のため、私たちをご自分の聖さにあずからせようとして、懲らしめるのです。 12:11 すべての懲らしめは、そのときは喜ばしいものではなく、かえって悲しく思われるものですが、後になると、これによって訓練された人々に平安な義の実を結ばせます。 12:12 ですから、弱った手と衰えたひざとを、まっすぐにしなさい(12:10-12)。 ―4―
3)人々の不思議がる思い(1:21-22)
●御使いとザカリヤとの間のやり取りの間に、21 節で、「人々はザカリヤを待っていたが、神殿であまり暇取るので不思議に思った」とあります。神殿の聖所での祭司の役割は、香を炊いて後にそこを出て、聖所の外にいる人々に向かって、「6:24 『主があなたを祝福し、あなたを守られますように。 6:25 主が御顔をあなたに照らし、あなたを恵まれますように。 6:26 主が御顔をあなたに向け、あなたに平安を与えられますように。』」(民 6:23-27)という慣例の祝祷をするのでした。しかし、ザカリヤが御使いと話している内に遅れてしまい、時間通りに人々の前に出て祝祷を捧げる事ができませんでした。前回のメッセージでも語りましたが、もしかしてザカリヤが何か誤った事を聖所内でしてしまって、神によって裁きに服して出て来られないのではないか、いや既に息を引き取ってしまわれたのではないかという危惧を人々は抱いていただろうと思われます。
●しかし、神がザカリヤの命を取られたのではなく、一時的に、ザカリヤの話す能力を取られたのでした。
そして、ガブリエルが語られたように、ザカリヤが「やがて・・・出て来た」時、彼は「人々に話すことができ」ませんでした。その結果、聖所の外で待っていた人々は、ザカリヤが「神殿で幻を見たのだとわかった」のでした。
ザカリヤの表情や身振り手振りが、明らかに聴衆にとっては、何か普通でない事、何か衝撃的な事がザカリヤに起こったのだという事を物語っていたからでした。いったい何が聖所で起こったのかを伝えようと、22 節の後半で、「ザカリヤは、彼らに合図を続けるだけで、口がきけないまま」でした。この聖書箇所で、この「合図」が正式な手話であったのかどうかについては記されていませんし、またザカリヤや人々が手話を知っていたかどうも記されてはいません。彼は只、自分に何が起こったのか、ジェスチャーを通して一生懸命伝えようとしたのでした。
4)神の約束の実現(1:23-25)
―帰宅とみごもり―
●ザカリヤにとってはエルサレムの神殿に於ける驚くべき一週間ではあったのですが、23 節で、その祭司の務めの締めくくりは拍子抜けするような表現で記されています。「やがて、務めの期間が終わったので、彼は自分の家に帰った」、と。そこには、ザカリヤが妻によってどう受け入れられたのか、またこの驚くべき知らせに対して妻がどう反応したのかなどについては何も詳しく記されていません。
●ルカが最も伝えたかった事は、24 節に記されています。「その後、妻エリサベツはみごも(った)」、と!シンプルにまた簡素に、ザカリヤに対する神の約束が実現したという事を伝えたのでした!実に、その点が重要でした!神の約束は、必ず実現するという事です!そしてまた、ルカは次の点を明らかに示しています。妻エリサベツは、夫ザカリヤが帰宅するまでは「みごも(らなかった)」という事です。エリサベツは、夫の留守中に不貞があったという偽りの訴えがなされてはいけなかったからでした!
―奇蹟/イエス様と使徒の時代の特徴―
●新約聖書の贖いの歴史は、年を取った夫婦が、その高い年齢に反して子どもが生まれるという奇蹟で始まっています。何を意味しているのでしょうか?(続く)
―5―
それは、これから始まる救い主イエス・キリストとその後の使徒の時代になされる数多くの奇蹟の内の最初の奇蹟だという事を表しています!イエス様と使徒の時代の特徴の一つが奇蹟でした!これらの奇蹟は、人々がびっくりするような超自然的な力を示しているだけでなく、人々の必要をも満たすという特徴がありました!
―「五か月の間引きこも(り)」―
●エリサベツは自分が妊娠している事に気づいてから、24 節の後半に記されていますように、彼女は「五か月の間引きこも(り)」ました。なぜ、「五か月の間」も「引きこも(った)」のでしょうか?それは、彼女が高齢での不妊でしたので、自分が妊娠したと言っても誰も信じてはくれないという事を知っていたからです。それで、「五か月の間引きこも(る)」事によって、妊娠している事が目に見える形で明らかになるという段階で、
彼女はそれを話す事をしたからでした。
―汚名を取って下さった主に対する感謝と感嘆の思い!―
●それゆえ、25節には、神をほめたたえる彼女の感嘆の思いが記されています!「主は、人中で私の恥を取り除こうと心にかけられ、今、私をこのようにしてくださいました」、と!旧約聖書のハンナという不妊の女が身ごもり、後にイスラエルの預言者サムエルを産み、乳離れするまで自分の手元に置き、そして主にサムエルを託して後に次のように祈りました。
2:1 私の心は主を誇り、私の角は主によって高く上がります。私の口は敵に向かって大きく開きます。
私はあなたの救いを喜ぶからです。 2:2 主のように聖なる方はありません。あなたに並ぶ者は
ないからです。私たちの神のような岩はありません。 2:3まことに主は、すべてを知る神。そのみわざは確かです。2:7 主は、貧しくし、また富ませ、低くし、また高くするのです。 2:8
主は、弱い者をちりから起こし、貧しい人を、あくたから引き上げ、高貴な者とともに、すわらせ、彼らに栄光の位を継がせます。2:9 主は聖徒たちの足を守られます。悪者どもは、やみの中に滅びうせます。まことに人は、おのれの力によっては勝てません。 2:10 主は、はむかう者を打ち砕き、その者に、天から雷鳴を響かせられます。主は地の果て果てまでさばき、ご自分の王に力を授け、主に油そそがれた者の角を高く上げられます(1 サム 2:1-10)。
ハンナと同じように、エリサベツも、子どもがいないという汚名を奇蹟的に取り去って下さった主に対して、心の底から感謝を表したのでした!
【まとめ】 それでは、今回のメッセージのまとめをしましょう。
●ルカは、ザカリヤとエリサベツを欠点のある者の一人として描いて私たちに示しています。でも、彼らは真実な信仰者です。二人は謙遜で、正しくて、従順で、祈り深くて、心から主に仕えていました。と同時にまた、彼らは疑い深く、恐れを抱き、しかも主から懲らしめを受ける者たちでもありました。
●神は謙遜に始められるお方です!また、謙遜な人々の神です!彼らは欠点のある者たちであるにもかかわらず、その忠実さのゆえに、神は彼らを用いられました。神は彼らに息子をお与えになりましたが、その息子は最上位の特権にあずかる者となりました!それは、救い主の到来の道備えをした先駆者、最も偉大な預言者になりました! ―6―
●今の時代は、イエス様や使徒たちのような奇蹟の時代ではありません。しかし、神はごく普通の人々を用いて、主イエス・キリストの救いの良い知らせを忠実に宣べ伝えさせるのです!(マタ 28:19-20/1 ペテ 2:9、3:15)イエス・キリストの『最も偉大な生涯の物語』は、謙遜でまた義とされた二人の人生の歩みに神が奇蹟的に介入されて始まったのでした!
【適 用】 それでは、今回のメッセージを私たち自身に対して適用しましょう。
●いかがでしょうか、あなたは自分なんて神によって用いられないと思っていませんか?自分には賜物もないし、能力もないし、力もないし、と思っている方はいませんか?もう一度、ここでザカリヤとエリサベツとを思い出してみましょう。首都エルサレムからは遠く離れた田舎の村に住んでいる素朴な人たちです。疑い深くまた恐れを抱いている者でした。神がキリストの偉大な物語を始めるに当って用いられたのは、ごく普通の人々でした!神はごく普通な人々を用いられて、ご自分の御業を行われるのでした!神から戒めを受ける信仰者を神は用いられるのです!用いられる条件は、まず本物の信仰を持っている事、そしてへりくだっている事です!何か、能力を問われているのでは全くありません!神は、ごく普通のあなたを、福音を伝える者として用いて下さるのです!
●その神に対して、「主よ。この小さな私を用いて下さい。」と祈ろうではありませんか!神は、あなたの素直で真実な祈りに答えて下さいます!
【締めの御言葉】
■土の器(2コリント4:7a)。
■愚かな者・・・弱い者・・・取るに足りない者(1コリント1:27-28)。
■それは、この測り知れない力が神のものであって、私たちから出たものでないことが明らかにされるためです(2コリント4:7b)。
―7―