ルカの福音書講解説教(88)/『平凡な人々、非凡な召命』/パート 1(その 2/最終編)/2018.07.08『土の器を神の栄光の御業へ!』―12 弟子選出の背景(2)―《ルカ 6:12-16/今回は 6:13a、他》
【序 論】
●『平凡な人々、非凡な召命』という新しいシリーズが、前回からスタートしました。イエス・キリストの 12 使
徒に関する長期にわたるメッセージシリーズです。今回はその序論の二回目で、メッセージの主題が『土の
器を神の栄光の御業へ!』で、副題が「12 弟子選出の背景(2)」です。旧新約聖書を通して、もろい
「土の器」を育てて用いられる神の愛と忍耐とご計画に感動をおぼえる事でしょう!今回のメッセー
ジの流れは、下記のアウトラインの通りです。解き明かされる御言葉に期待を寄せましょう。
【全体アウトライン】
◎ 序論/平凡な者を非凡な御業へ/今回
[1]背景(ルカ 6:12)/済
[2]選出(ルカ 6:13a)/済
[3]派遣(ルカ 6:13b)/今回
[4]意義(エペソ 2:20/他)/今回
【今回のアウトライン】
[3]派遣(ルカ 6:13b)
1)使徒とは
2)使徒に召されるとは
[4]意義(エペソ 2:20/他)
1)使徒とその栄誉(黙 22:14)
2)使徒の重要性(エペソ 2:20/他)
3)使徒であっても土の器たち(マタイ 15:16/他)
4)不十分な器たちを用いられる神(イザヤ 6:5/他)
【序論部の本論】
[3]派遣(ルカ 6:13b)
1)使徒とは
●12 名を選ばれてから、イエス様は 13 節の後半で、「彼らに使徒という名をお与えにな(り)」ました。「使徒」
(アポストロス)とは、「派遣された者」、「使者」、「メッセンジャー」、「代理人」を表す言葉で、遣わしたお
方の全権が賦与された者を指しています!この「使徒」という概念は、ユダヤ人の「シャリアック」という
概念にさかのぼります。それは、自分を遣わした者から全権を委ねられて送り出された「派遣された者」、
「使者」、「メッセンジャー」、また「代理人」を指していました。
―1―
●例として、ユダヤの最高法院(ユダヤ最高議会)から権限を賦与されたユダヤ教のラビが、最高法院に
代わってイスラエルから離散して外国に居住しているユダヤ人たちの諸問題に対応しました。この代理人は
個人に代わっても行動を取る事ができ、今日でいう法定代理人や弁護士などに賦与された権限と似てい
ます。イエス様が、「わたしが遣わす者を受け入れる者は、わたしを受け入れるのです。そして、わたしを受け
入れる者は、わたしを遣わされた方を受け入れるのです」(ヨハ 13:20)と語られました。「遣わす者」とか「遣
わした方」という言葉が示唆している事は、遣わされる者が遣わす者から権限を託されているという事です。
旧約聖書から具体例を挙げますと、第一サムエル記で、ダビデがアビガイルという女性に結婚を申し込む
際に、遣いの者たちを通してその意志を伝達しました。その時、アビガエルは、ダビデの「しもべたちの足を洗
う女奴隷となりましょう」(25:41)と言って、その申し込みを受け入れる旨を表明しました。ですから、イエス
様がご自分の働きを代わりに担う 12 弟子を任命された時、そのような文化の中にいるユダヤ人にとってはた
易く理解できるものでした!
2)使徒に召されるとは
●イエス様によって派遣される前に、12 弟子は直接イエス様から指導を受ける必要がありまし
た!それゆえ、並行箇所のマルコ 3:14 に記されていますように、主は彼らを「ご自分のそばに置くため」
に選ばれ、「任命し(た)」のでした!そして、その準備の期間を経て初めて、主は「彼らを遣わして宣
教させ(た)」のです!彼らは「使徒」として召されましたが、その召し自体が彼らの目的ではありま
せん!イエス様の昇天後、彼らがイエス様の福音宣教の働きを継続して行く事ができるよう、すぐ
にその準備過程をスタートさせる必要がありました!
●12 弟子たちのこれまでとこれからのステップをざっと説明しますと、第一に、彼らはまずイエス様を救い
主として信じました(参/ヨハ 1:35-51)。第二に、イエス様は彼らに自分たちの仕事を辞めてご自分
に従うよう召されました(ルカ 5:6-11、27-28)。第三に、イエス様は彼らを使徒として選ばれました。
第四に、同国民であるイスラエルの人々にまずは福音を伝えるよう遣わされます(マタ 10:1-6)。そし
て、最後に、イエス様は彼らを世界宣教へと遣わされます(使 1:8)。彼らの福音宣教の中心はまず
イスラエルの人々に対してであり、ルカはその点について 6 回にわたって福音書に記しています。そしてまた、
使徒たちが教会の土台的な役割を担っている事を強調するために、二番目の書である使徒の働きには
約 30 回にわたってその旨を記しています。
[4]意義(エペソ 2:20/他)
1)使徒とその栄誉(黙 22:14)
●使徒たちの教会における重要な役割やまた彼らの新しい契約の救いのメッセージを宣べ伝える重
要な役割にもかかわらず、彼らについて記されている事があまりにも少なく、何の栄誉も与えられて
いないように思われます。ペテロとヤコブとヨハネはイエス様に最も近い者たちで、最も知られている弟子
たちですが、一方、マタイとアンデレ(ペテロの兄弟)とピリポは余り知られてはいません(マタイはマタイの福
音書を記したという事で知られてはいますが)。トマスはキリストの復活を疑った者として、多くの人々の記憶
に残っています(トマスについては後に取り上げますが、それ以上のストーリーがあります)。(続く) ―2―
更に、イスカリオテ・ユダは多くの方々が知っているように、イエス様を裏切った者として悪名高いです。そし
て、その他の使徒たちは殆ど知られてはいません。事実、多くのクリスチャンが、バルトロマイと熱心党員シ
モンとヤコブの子ユダの名前を挙げる事ができません。しかし、使徒たちがなした極めて重要な働きの
ゆえに、彼らは栄誉を受けるにふさわしい者たちです!実に、彼らは永遠にわたって栄誉を受ける
事が聖書に約束されています!というのも、彼らの名前が新天新地の輝かしい首都である新しいエ
ルサレムの門に刻まれる事になるからです!(黙 21:14)
2)使徒の重要性(エペソ 2:20/他)
●使徒たちは、少なくても 6 つの点で重要です!その一番目に、前述しましたが、彼らは教会の土台
だという事で重要です!エペソ 2:20 で、パウロ次のように教会に書き送りました。教会は「使徒たちと預
言者たちという土台の上に建てられていて、キリスト・イエスご自身がその要の石です」、と!二番目に、同じ
くエペソへの手紙ですが、3:5 において、「この奥義」が「御霊によって、キリストの聖なる使徒たちと預言者た
ちに啓示され(た)」と記されています!使徒たちは神からの啓示を受け取った者たちであるがゆえに、
彼らと彼らの側近の者たちが全ての新約聖書を書き記したという事はとても重要です!新約聖書
が書き記される以前も、信者たちは「使徒たちの教えを堅く守(って)」(使 2:42)いました!新約聖書に記
されたその「使徒たちの教え」が、今でも、キリスト教の教理や神学の唯一の権威の源です!
●三番目に、引き続きエペソ人への手紙ですが、4:11-12 において、「4:11・・・キリストご自身が、ある人を
使徒、ある人たちを預言者、ある人たちを伝道者、ある人たちを牧師また教師としてお立てになりました。
4:12 それは、聖徒たちを整えて奉仕の働きをさせ、キリストのからだを建て上げるためです」と記さ
れています!このように、使徒たちは教会を教え建て上げるという意味でとても重要でした!四番目
に、使徒たちの教えに権威があっただけでなく、彼らの
...
生活そのもの
......
が
.
模範
..
であった
....
という点でも重要
でした!先程読みましたエペソ 3:5 では、使徒たちを「聖なる
...
使たち」と呼んでいます!使徒パウロはコリ
ントの教会の信徒たちに何と語ったでしょうか?それは、「私に倣う者となってください」(1 コリ 4:16、
11:1/1 テサ 1:6)でした!使徒たちは信徒の模範でした!
●五番目に、使徒たちには奇蹟を行う力が与えられており、それによって彼らの教えが神からのも
ので、誤りのないものであるという事を証明したという意味で重要でした!本物の使徒としてのし
るしは、使徒パウロが第二コリント人への手紙で書き記しましたように、「しるしと不思議と力あるわざ」
(12:12)がその働きに伴う事でした!パウロはまたローマのクリスチャンへ、自分が使徒して「しるしと
不思議を行う力」(15:19)によって主の働きを進めたという事に言及しています!ヘブル人への手紙の著
者は、「この救いは初め主によって語られ、それを聞いた人たち」すなわち使徒たちが「確かなものとして私た
ちに示したものです」(2:3)と記しています。そして、「そのうえ神も」使徒と共に「しるしと不思議と様々な
力あるわざにより・・・救いをあかししてくださいました」(2:4)と伝えています!
●そして、最後の六番目に、全てを犠牲にしてイエス・キリストに従った弟子たちに対して、イエス様は、「必
ずこの世で」霊的祝福を「その何倍も受け、来たるべき世で永遠のいのちを受け(る)」と、お約束されまし
た!(ルカ 18:28-30/黙 21:12-14)(続く)
―3―
並行箇所のマタイの福音書では、「この世」と「来たるべき世」である新天新地に加えて、千年王国で使徒
たちが「十二の座に着いて、イスラエルの十二の部族を治める」(マタ 19:28)事も約束していま
す!
3)使徒であっても土の器たち(マタイ 15:16/他)
●しかし、その約束された特権やその重要性にもかかわらず、使徒たちは決して完全な者たちでは
ありませんでした!彼らはごく普通の人々であり、ステンドグラスに描かれるような聖徒たちではあ
りませんでした!彼らには、主が正して行かなければならない
....................
数々の
...
弱点がありました
........
!一番目に
取り上げる彼らの弱点は霊的な鈍さ
.....
です!霊的な理解に余りにも欠けるところがあり、そのため主
は忍耐されて繰り返し彼らを叱責しながら育てられました!二つの例を挙げましょう。
8:14 弟子たちは、パンを持って来るのを忘れ、一つのパンのほかは、舟の中に持ち合せがなかった。
8:15 そのとき、イエスは彼らに命じられた。「パリサイ人のパン種とヘロデのパン種には、くれぐれも気をつ
けなさい。」 8:16 すると弟子たちは、自分たちがパンを持っていないことについて、互いに議論し始めた。
8:17 イエスはそれに気づいて言われた。「なぜ、パンを持っていないことについて議論しているのですか。
まだ分らないのですか、悟らないのですか。心を頑なにしているのですか(心を鈍くしているので
すか/欄外)。 8:18 目があっても見えないのですか。耳があっても聞かないのですか。あなたが
たは、覚えていないのですか。 8:19 わたしが五千人のために五つのパンを裂いたとき、パン切れを集
めて、いくつのかごがいっぱいになりましたか。」彼らは答えた。「十二です。」 8:20 「四千人のために七
つのパンを裂いたときは、パン切れを集めて、いくつのかごがいっぱいになりましたか。」彼らは答えた。「七
つです。」 8:21 イエスは言われた。「まだ悟らないのですか」(マコ 8:14-21)。
●また、四つの土壌のたとえについて語られた後に、イエス様は「・・・彼らにこう言われた。『このたとえが分
らないのですか。そんなことで、どうしてすべてのたとえが理解できるでしょうか』」(マコ 4:13/マコ 9:
32/ルカ 9:45、18:34/ヨハ 12:16、20:9)と語られました。主は、霊的な鈍感さや余りにも知らない使徒
たちを導こうと、根気強く御言葉の真理を教え続けました!イエス様はご自分の復活後でさえも、
「四十日にわたって彼らに現れ、神の国のことを語られ(て)」(使 1:3)教え続けられました!
●使徒たちの弱点の二番目に、彼らはへりくだり
.....
に欠けていました
........
!率直に言いまして、彼らは利己
的で、自己中心的で、傲慢で、自分たちの中で誰が一番偉いのかという事に心を奪われていまし
た!ある時、イエス様が、「9:33・・・弟子たちにお尋ねになった。「来る途中、何を論じ合っていたのですか。」
9:34 彼らは黙っていた。来る途中、だれが一番偉いか論じ合っていたからである」(マコ 9:33-34)と聖書
は伝えています。それで、「イエスは腰を下ろすと、十二人を呼んで言われた。『だれでも先頭に立ちたい
と思う者は、皆の後になり、皆に仕える者になりなさい』」(マコ 9:35)と教えられました!並行箇所
のルカの福音書では、「彼らの心の中にある考えを知(られた)」イエス様は、「一人の子どもの手を取って、
自分のそばに立たせ、 9:48 彼らに言われた。「だれでも、このような子どもを、わたしの名のゆえに受け入
れる人は、わたしを受け入れるのです。また、だれでもわたしを受け入れる人は、わたしを遣わされた方を受
け入れるのです。あなたがた皆の中で一番小さい者が、一番偉いのです」(ルカ 9:47-48)と語られ、へ
りくだる事の大切さを教えられました! ―4―
●また更に、イエス様が最後の晩餐でご自分が裏切られる事になるというショッキングな事を弟子たちに伝
えられた時に、彼らは「自分たちのうちのだれが、そんなことをしようとしているのかと、互いに議論をし始め」
(ルカ 22:23)ました。しかしその後、そんな状況下で、「彼らの間で、自分たちのうちでだれが一番偉
いのだろうか、という論議」が再び「起こ(り)」(ルカ 22:24)ました!最後の晩餐以前にも、ヤコブと
ヨハネは、自分たちが千年王国において、キリストの左右の座に就けるよう、母親からイエス様に取り
入ってもらうようお願いしました(マタ 20:21)。物凄い自己中心で浅ましいお願いでした!イエス様
はこれら弟子たちの態度に対して、最後の晩餐の時に、実際に弟子たちの足を洗う事によってへり
くだって仕える事の重要性を教えられました!(ヨハ 13:1-15)
●使徒たちの弱点の三番目は、彼らの薄い
..
信仰
..
です!ガリラヤ湖において暴風に見舞われて水没しそう
になった時、弟子たちは「主よ、助けてください。私たちは死んでしまいます」(マタ 8:25)と叫びました。その叫
びに対するイエス様の反応は、「どうして怖がるのか、信仰の薄い者たち
........
」(マタ 8:26)と語られました!
自然を創造された第二格の神である御子イエス・キリストが同船しておられたにもかかわらず、そ
のお方を信頼しない事に対する叱責のお言葉でした!また、「夜明けが近づいたころ」(マタ 14:25)、湖
の上を歩いて弟子たちの舟に近づかれたイエス様に対して、ペテロが、「主よ。あなたでしたら、私に命じて、
水の上を歩いてあなたのところに行かせてください」(マタ 14:28)と望みました。そして、「湖の上を歩いてイエ
スの方に行(き)」(14:29)ました。「ところが、強風を見て怖くなり、沈みかけたので、『主よ。助けてください』
と叫(び)」ました。すると「イエスはすぐに手を伸ばし、彼をつかんで言われた。『信仰の薄い者よ。なぜ疑っ
たのか』」(14:30)と言って彼を叱責されました!マタイ 16:8 で、パンを大勢の人々に供給した後の事
ですが、先程見ましたように使徒たちの霊的鈍さに加え、イエス様は使徒たちに対して、「信仰の薄い人た
.......
ち
.
。パンがないからだなどと、なぜ論じ合っているのですか」と叱責されました!復活後に、あわれ
み深いイエス様は、使徒たちの疑いに対して、奇蹟を行い続ける事によって彼らの信仰を強めて行
かれました!(参/ヨハ 20:30-31)
●使徒たちの弱点の四番目です。イエス様が捕らえられた時、使徒たちは皆イエス様を「見捨てて逃げて
しま(い)」(マコ 14:50)ましたが、それは彼らの信仰の
...
無さ
..
を明らかに示していました!使徒たちのそ
の罪深い弱さに対するイエス様の対応は、彼らが信仰の留まり続けるよう背後で執り成して祈る事
でした!(ルカ 22:31-32/ヨハ 17:11-26)
●最後の五番目に、使徒たちの弱点は、彼らの力の
..
無さ
..
にも見られました!彼らは自分たちが悪霊
を追い出せない事に当惑していた時に、「なぜ私たちには悪霊を追い出せなかったのですか」(マタ 17:19)と
イエス様に質問しました。そこでもイエス様は、「あなたがたの信仰が薄いからです」(17:20)と語られました
が、イエス様は使徒たちの力の無さを、やがて送られる聖霊によって補われました!
4)不十分な器たちを用いられる神(イザヤ 6:5/他)
●12弟子たちの弱点を取り上げて来ましたが、これらの事からどういう事が言えるのでしょうか?(続く)
イエス様は彼らを重大な働きに召されましたが、人間的な側面から言いますと、12 弟子たちは全
く持ってふさわしい者たちではありませんでした!しかし、神は不十分な人々を用いられるのです!
それが、神が彼らと共に働かれるゆえんです! ―5―
―弱点を持っていた神の器たち―
●聖書の歴史を振り返ってみますと、空前の世界規模の洪水という大参事から救われて後、ノアは自分で
作った葡萄酒を飲んで酔って醜態をさらしてしまいました(創 9:20-21)。イスラエルの祖先でありまた異邦
人クリスチャンの霊的祖先であるアブラハムは、自分の妻サラについて嘘をつきました。それは、もしサラ
が自分の妻だと言うと、エジプト人たちが自分を殺してサラを奪ってしまうとアブラハムが恐れたからでした。そ
れで、彼はサラを自分の妹だと偽りました(創 12:12-13)。後に、アブラハムの一人息子であるイサクが、
自分の妻であるリベカを妹だと偽りました(創 26:7)。イサクの長男のヤコブは、双子の兄弟エサウの長
子の権利を彼から奪い取りました(創 25:30-33)。
●モーセは自分の高慢のゆえ、神の命令に対して不従順な態度を取りました。それが、彼を約束の地カ
ナンに入る事を留めました(民 20:10-12)。イスラエルの最初の大祭司であるアロンは、自分の同胞を偶
像礼拝と不道徳の罪へ導き入れました(出 32:1-24)。モーセの後を継いだヨシュアは、主がカナンの住
民とは条約を結ぶ事を禁じておられましたが、カナンのいくつかの町の住民と契約を結んでその命令に
反しました(ヨシ 9:3-27)。ダビデはイスラエルの偉大な王であり、神の「心にかなう人」(1 サム 13:14)であり、
また「イスラエルの歌の歌い手」(2 サム 23:1)でしたが、バテ・シェバとの姦淫の罪を犯しました(2 サム 11:
1-4)。それだけでなく、彼女が自分の子を身ごもった事実を隠そうとして彼女の夫を激戦地に放り出して
殺されるように仕向け、彼の命が奪われてしまいました(2 サム 11:14-15)。姦淫と殺人の罪です。
●カルメル山におけるバアルの預言者たちへの勝利の後に、預言者エリヤは一人の女性恐れおののいて
逃げました。その女性とは、北イスラエルのアハブ王と政略結婚をしたツロとシドンの祭司である王エテバアル
の娘であり、バアルとアシェラの預言者850人を抱えた王妃イゼベルでした(1王19:1-3)。預言者イザヤは、
自分自身を「唇の汚れた者」(イザ 6:5)だと告白しました。預言者ヨナは、アッシリヤの首都ニネベへ行き
神の裁きが来る事を宣言するよう命じられたにもかかわらずその命令に反して、反対方角のタルシシュへ逃
れました(ヨナ 1:1-2)。その不従順のゆえに、ヨナの乗った舟が荒れ狂う嵐の中に巻き込まれ、嵐の原因が
誰にあるのかをくじで調べた結果ヨナだという事が判明し、彼は荒れ狂う海中へ放り出されました。その後、
神はヨナを大きな魚の腹に呑み込ませ、その中で三日三晩を過ごさせました(1:15-17)。恐れおののいた
預言者ヨナは、神の元々の命令に従いました(3:1-3)。ヨナが悔い改めのメッセージをニネベの人々に語っ
た時、彼らは家畜を含めて断食をして悪行を悔い改めました。しかし、ヨナはその民の反応を見て喜ぶので
はなく、怒って死ぬ事を望みました(4:1-3)。なぜなら、彼は異邦人であるニネベの人々の救いを望んでい
なかったからです。神が「情け深くあわれみ深い神であり、怒るのに遅く、恵み豊かで、わざわいを思い直さ
れる方であることを」ヨナは「知ってい(ました)」(4:2)ので、悔い改めるニネベの人々を神が受け入れる事を
妨げるべく、ヨナは全く反対の方向ヘ逃れたのでした。
●使徒パウロでさえも、自分自身は「罪人のかしら」(1 テモ 1:15)だと公言しました。なぜなら、自分は「使
徒の中では最も小さい者であり、神の教会を迫害したのですから、使徒と呼ばれるに値しない者です」(1 コ
リント 15:9)と語りました!
―6―
―結論!―
●イエス様は、使徒たちの弱点や欠点や短所をよくご存じでした!しかしまた、イエス様はご自分
の力の下で、彼らが世界を変える可能性を秘めている事も見通しておられました!これら普通で
平凡な 12 名の弟子たちは、主イエス・キリストにある救いの輝かしい真理を宣べ伝える新しい契約
の働きにあずかりました!彼らは、全ての召しの中でも最も気高い召しを受けたのです!新しい契
約における全ての働き人と同じように、使徒たちは「この宝を土の器
...
の中に入れていま(した)」。「それは、
この測り知れない力が神のものであって」、人間から「
.........................
出たものでな
......
いことが明らかにされるため
.............
」
(2 コリ 4:7)でした!
【まとめ】 それでは、今回のメッセージのまとめをしましょう。
●今回は 12 使徒シリーズの序論の二回目で、『土の器を神の栄光の御業へ!』と題してメッセージを
取り次がせていただきました。その中で、特に、使徒として選ばれた人々が皆「土の器」すなわちもろい
器たちだという事を学びました!弱点があり、短所があって実に不十分な者たちでしたが、聖書の
神はそのような不十分な器たちを用いられるお方であるという事を学びました!
【適 用】 それでは、今回のメッセージの適用をしましょう。
●愛する皆さん、いかがでしょうか、使徒たちに対する理解そして彼らを選び用いられた神に対する理
解は変わりましたか?いかがでしょうか、あなたには弱点がありますか?あなたは短所がありますか?
いかがでしょう、神はそのようなあなたを用いられる神ですか、それとも用いられない神ですか?本日
語られたメッセージを思い出しながら、あなたと神との関係を聖書的に正しく捉える時を持ちましょう。
【締めの御言葉】
私たちは、この宝を土の器の中に入れています。それは、この測り知れない力が神のものであって、
私たちから出たものでないことが明らかにされるためです(2コリント4:7)。
[参考文献]
・ ジョン・マッカーサー、『マッカーサー新約注解書/ルカの福音書6-10』(ムーディー出版、2011)(John MacArthur、
The MacArthur New Testament Commentary、 Luke 6-10、 The Moody Bible Institute of Chicago、
2011、 pp.17-21.)
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