『平凡な者を非凡な御業へ!』―12弟子選出の背景(1)― 《ルカ6:12-16/今回は6:12-13a》
【序 論】
●イエス様と当時のイスラエルの宗教指導者たちとの深刻な対立は、「安息日」をどう捉えるかという事を境に、いよいよヒートアップして行きました。そしてとうとう、彼らは自分たちの指導者としての地位を守るべく、イエス・キリストの殺害を計画して行きます。そのような不穏な流れの中、場面は12弟子の選出という重要な局面へつながって行きます。
●『平凡な人々、非凡な召命』という新しいテーマでのメッセージシリーズは、ルカ6:12-16を取り上げます。その中には12名もの弟子たちの名前が記されており、その一人ひとりを取り上げて学ぶ事になりますので、シリーズ全体としては7つという多くのパートから成り立っています。一つのパートは2回から3回のメッセージがなされますので、メッセージ回数は合計で14回から21回の範囲に及ぶであろうと推測しています。しばらくは、イエス様の12名の弟子たちにお付き合い下さい。
●今回と次回のメッセージが、このシリーズの全体の序論部分となります。今回のメッセージの主題は『平凡な者を非凡な御業へ!』で、副題が「12弟子選出の背景(1)」です。序論部分の構成は、下記のアウトラインの通りです。
【全体アウトライン】
◎ 序論/平凡な者を非凡な御業へ/今回
[1]背景(ルカ6:12)/今回
[2]選出(ルカ6:13a)/今回
[3]派遣(ルカ6:13b)/次回
[4]意義(エペソ2:20/他)/次回
【今回のアウトライン】
◎ 平凡な者を非凡な御業へ
1)数々の平凡な者たちを偉大な神の御業へ用いられる!
2)12名の平凡な者たちを使徒とされる!
[1]背景(ルカ6:12)
1)イエス様への殺害計画を背景に選ばれる12弟子
2)三位一体の神の内における夜通しの祈り
[2]選出(ルカ6:13a)
1)多くの弟子たちから選ばれた12弟子
2)四人ずつから成る三つのグループ
【序論部の本論】
◎ 平凡な者を非凡な御業へ
1)数々の平凡な者たちを偉大な神の御業へ用いられる!
●旧新約聖書の神の救いの歴史を振り返ってみて明らかな点は、神は平凡な普通の人たちを選んで、非凡で偉大な業を成し遂げさせるのです!この真理について、使徒パウロは1コリント1:26-29で、次のように記しています。
1:26 兄弟たち、自分たちの召しのことを考えてみなさい。人間的に見れば知者は多くはなく、力ある者も多くはなく、身分の高い者も多くはありません。 1:27 しかし神は、知恵ある者を恥じ入らせるために、この世の愚かな者を選び、強い者を恥じ入らせるために、この世の弱い者を選ばれました。 1:28 有るものを無いものとするために、この世の取るに足りない者や見下されている者、すなわち無に等しい者を神は選ばれたのです。1:29 肉なる者がだれも神の御前で誇ることがないようにするためです。
●神は偶像礼拝者(ヨシ24:2)であったアブラハムを選んでご自分の友とされ(イザ41:8)、イスラエルの父とされ(イザ51:2/ルカ1:73/ヨハ8:56)、そして、信じる異邦人の霊的な父とされました!(ロ-マ4:16/ガラ3:7)ヨセフは奴隷としてエジプトに入り、神の摂理によってその地で総理大臣となり(創41:39-44、45:9、26)、ご自身の民を生かし保つために神によって用いられました!人殺しの経験のあるモーセを神が選ばれ、イスラエルの民をエジプトの奴隷から解放する器として用いられました!エリコというカナン人の町の滅びを免れたラハブという名の遊女(売春婦)を神はイエス・キリストの先祖の一人とされ(マタ1:5)、且つ彼女を真実な信仰者のお手本の一人とされました!(ヘブ11:31)ダビデは身分の低い一介の羊飼いの少年でしたが、神によって勇気を奮いゴリアテを一対一の決闘で打ち破り、ペリシテ人の手からイスラエルを解放しました!(1サム16、17)そしてついには、イスラエルの最も偉大な王になりました!(2サム5:3)そして最後に、荒野に住み(ルカ1:80)、らくだの毛の着物を着(マタ3:4)、野生の「いなごと野蜜」を主食としていたバプテスマのヨハネでしたが(マタ3:4)、イエス様はその時代までに輩出された神の器の中では最も偉大な者だと称賛されました!(マタ11:11)
2)12名の平凡な者たちを使徒とされる!
●六名の人物を見てきましたが、イエス様が12名を公式にご自分の代理者として選ばれた時もまた、この原則は一貫しており、平凡で普通な人々を選ばれました!12名は、当時、ユダヤ教のエリートたちではありませんでした。12名の内、誰もパリサイ人でも、サドカイ人でも、祭司でも、レビでも、ラビでも、律法学者でもありませんでした。金持ちは誰一人いませんでした。もし金持ちを挙げるとしたら、元取税人のマタイで、同国民のユダヤ人から巻き上げた金で私腹を肥やしている者でした。知的に優れている者たちからは誰一人選ばれていませんでした。旧約聖書の学者たちと言えば、博識で、高等教育を受けた者たちであり、神学的に聡明な者たちでした。イエス様が選ばれた12名はそうではなく、彼らは「無学な普通の人」で、特筆すべき只一つの点は、彼らが「イエスとともにいた」(使4:13)という事だけでした!
●12弟子の中で数名が漁師で、一人が取税人でユダヤ人にとっては裏切者で、もう一人が政治革命家でした。イスカリオテ・ユダを除いて、全員がガリラヤ出身でした。首都エルサレムのある南方のユダヤの教養ある人々からすると、ガリラヤと言えば田舎者で、教養がなく、洗練されていない人々だとして軽蔑されていました。しかし、イエス様を裏切ったイスカリオテ・ユダを除きまたパウロを含めたこれらの弟子たちの生涯と働きは、世界の歴史の流れを変えるものとなりました!
―導 入―
●弟子たち一人ひとりを細かく取り上げて見て行く前に、その背景となっているものにまず目を留める事は大切です!そうする事よって、この『平凡な人々、非凡な召命』という新しいテーマをより深く掘り下げる事ができるからです!メッセージの冒頭で語りましたように、12名を取り上げて語りますので、長期にわたるメッセージシリーズとなります。さて、ここからルカの福音書の御言葉を紐解いて行きましょう。
[1]背景(ルカ6:12)
1)イエス様への殺害計画を背景に選ばれる12弟子
●12節の冒頭に、「このころ」という言葉が記されています。これは時を指す言葉ではありますが、暦上のある特定の日や週や月を指すのではありません。そうではなく、時期や時代を指す言葉です!ここでは、イエス様と律法学者たちやパリサイ人たちとの間の激しい対立の時を指しています!律法学者たちやパリサイ人たちは、ルカの福音書では5:17に初めて登場するのですが、彼らのイエス様に対する敵意は4節後の5:21で早くも現れて来ます!そしてそれ以来、イエス様に対する彼らの対立は確実に激化して行きます(5:30、6:2、7、11)。
●この積み重なって行く敵意は、イエス様の十字架刑でその頂点に達するのですが、その頂点に達するまでに二年も掛かりません!という事は、ご自分の死後、ご自分の地上における宣教の働きを担って行く人々を選ばなければならない時がやって来た事を、「そのころ」という言葉で表しています!ですから、この時点から残された二年以内に、弟子たちを育てるための集中した訓練を施さなければなりません!それゆえここから、彼らがイエス様の公式の代理者たちとしての役割を担って行くための準備期間が必要になりました!ご自分の働きを担う12名を選ぶ事の重要性を認識されたイエス様は、12節の中盤にありますように、お一人で「祈るために山に行(かれ)」ました!(参/5:16)どの「山」なのかは特定されていませんが、ガリラヤ湖近郊にはそのような場所がいくつもありました。
2)三位一体の神の相互の間における夜通しの祈り
●これまで学んで来ましたように、イエス様がこの世界に来られた時、「神としてのあり方を捨てられないとは考えず、ご自分を空しくして、しもべの姿を取り、人間と同じようになられました」(ピリ2:6b-7)。ですから、人としての性質の中で、イエス様はご自分の神のご性質をご自分の思う通りに使う事はなさいませんでした!ですから、ここで、イエス様は12弟子を選ぶに当って父なる神の御旨を求めたのです!未来の神の贖いの歴史の行方を左右する重要な決断となりますので、イエス様は、12節の後半にありますように、「神に祈りながら夜を明かされた」のでした!「夜を明かされた」の「明かされた」という言葉は、新約聖書ではここだけにしか使われていない言葉です!文字通り、イエス様は夜通し祈られた事が分かります!それ程、重要な祈りですし、未来を決める重要な決断でした!
●「神に祈り」と訳されたこの言葉は、とても興味深い事に、ギリシャ原語では「神に祈り」とは記されていません!どう記されているかと言いますと、「神の祈りの中で」と記されています!「神に祈りながら夜を明かされた」のではなくて、「神の祈りの中で夜を明かされた」のです!何を意味しているのでしょうか?それは、この祈りが三位一体の神の相互間でなされた祈りだという事を示しています!神であられるイエス様ですが人でもあられるイエス様が、父なる神に祈っておられるのです!そして、勿論、そこに聖霊なる神も関わっておられます!イエス様は夜暗く長い時間を過ごして、途切れる事なく、熱い心で、辛抱強く、三位一体の神の相互間の関わりの中で、父なる神に祈りを捧げたのです!
[2]選出(ルカ6:13a)
1)多くの弟子たちから選ばれた12弟子
●イエス様の熱意に溢れる夜通しの祈りに対して、父なる神はご自分の御心を表され、どの弟子たちが主の特別な訓練のために選ばれそして使徒として遣わされるのかを示されたのでした!それゆえ、13節前半に記されていますように、「夜が明けると」イエス様は「弟子たちを呼び寄せ」ました!「弟子」という言葉は、「生徒」、「学ぶ者」、「付き従う者」という意味があります。ギリシャやユダヤ文化では、卓越したラビたち、演説者たち、哲学者たち、また教師たちは人々を引き付け、師と共に付き従う者たちがあちらこちらに旅をして教えを広めました。その点、イエス様の教えには権威があり、並ぶ者がありませんでした!(ヨハ7:46/マタ7:28-29)いかなる病をも癒し、悪霊をも追い出し、死人をも生き返らせ、奇蹟を行われましたので(参 ルカ5:4-9/マタ14:14-21、25-32、15:32-38/ヨハ21:5-11)、それこそ、おびただしい数の弟子たちを引き付ける事になりました!
●6:1で既に取り上げましたが、麦畑にいた弟子たちは、12弟子に選ばれる前の者たちだけでなく、それ以上の弟子たちがイエス様と共にいました。わずかなパンと魚で5千人の男性たちを、またある時は4千人の成人男性たちの食事を提供しました。また、その数にはそれ以上の女性や子どもたちも含まれていましたので、文字通りおびただしい数の人々がイエス様に付き従っていました(参 ルカ12:1)。勿論、その全てが本物の信者でない事も事実でした。ヨハネ6:53-65によりますと、イエス様がご自分に従うよう命じられた時、「弟子たちのうちの多くの者が離れ去り、もはやイエスとともに歩もうとはしなくなった」(6:66)と記されている通りです。
●大勢の群れの弟子たちの中で、ある人々は自分たちでイエス様の元に来た人々と、他方、イエス様からご自分に従うように招かれた人々がいました(ルカ5:8-11、27-28)。その中から、イエス様は「十二人を選(ばれ)」ました。そして、後に、イエス様は、「あなたがたがわたしを選んだのではなく、わたしがあなたがたを選び、あなたがたを任命しました」(ヨハ15:16/参 6:70、13:18)と語られました!この時点でイエス様は12名を選ばれてはいますが、彼らを公に遣わして病人を癒しまた悪霊を追い出す権威をまだ授けた訳ではありませんでした。それは、三章後の9:1でなされます。
●イエス様が12名という数の弟子を選ばれたのは、ふさわしい人たちを手当たり次第に身近に置かれたと言う意味ではありません。なぜなら、この12という数は、イスラエルの12部族を象徴している数字であったからです!この数の重要性というのは、自害して失脚したイスカリオテ・ユダの代わりに、マッテヤという弟子を補充した事によっても示されていました!(使1:23-26)当時のイスラエル並びにその指導者たちは背教の中にありましたので、この12使徒が、神の本当のイスラエルの新しい指導者たちとなり、当時の宗教指導者たちに取って代わり、その役割を果たすようになります!神の本当のイスラエルとは、残された者、信じ贖われた民を指しています!イエス様はルカ22:29-30で、12使徒が千年王国においてイスラエルを治める者となる事を告げる事によって、12使徒と神の本当のイスラエルとの関係を明らかにしています!その御言葉とはこうです。「22:29 わたしの父がわたしに王権を委ねてくださったように、わたしもあなたがたに王権を委ねます。 22:30 そうしてあなたがたは、わたしの国でわたしの食卓に着いて食べたり飲んだりし、王座に着いて、イスラエルの十二の部族を治めるのです。」
2)四人ずつから成る三つのグループ
●新約聖書には、4回にわたって12使徒の名前のリストが記されています(マタ10:2-4/マコ3:16-19/使1:13)。この四つのリスト全てにおける名前は、四人ずつから成る三つのグループによって構成されています。そのグループ内の名前の順序に多少の違いはありますが、そのグループの並びは全て同じです。只、使徒の働きのリストだけは、自害したイスカリオテ・ユダの名前が省かれています。これら三つのグループは、イエス様との近い関わりの順に配列されています。第一グループは、二組の兄弟同士から成り立っています。ペテロとヤコブそしてヨハネとアンデレです。第二グループがピリポ、バルトロマイ(ナタナエル)、マタイ、そしてトマスです。最後の第三グループが、アルパヨの子ヤコブ、熱心党員と呼ばれていたシモン、ヤコブの子ユダ、そしてイスカリオテ・ユダ(使徒の働き以外)です。
●前述しましたように、それぞれのグループ内の名前の順序は時に変わりますが、ペテロの名前は常に第一グループの先頭に来ます。ピリポはいつも第二グループの一番目に来ます。そして、アルパヨの子ヤコブはいつも第三グループの先頭に来ています。第一グループのペテロ、ヤコブ、ヨハネ、アンデレは、弟子となるよう最初にイエス様によって招きを受けた四名で(ヨハ1:35-42)、またイエス様と最も近い関係にあった者たちで、且つ最も知られている弟子たちです。一方、第二グループの弟子たちの情報は少なく、第三グループの弟子たちになるとその情報は殆どありません。
●この12弟子はそれぞれ異なる人々のグループであり、前述しましたが、その職業だけでなく、政治的な見解も異なっていました。その一つの例として、マタイとシモンですが、彼らはこれ以上離れる事ができない程に掛け離れた関係にありました。マタイは取税人であり、同胞のユダヤ人を食い物にしてローマの植民地支配に貢献している者でした。他方、シモンは熱心党員であり、支配者ローマに対して徹底抗戦する政治団体の一員でした。その団体の何名かは、常に短剣(ダガーナイフ)を懐に忍ばせているテロリストたちです。彼らは人々を誘拐したり、ローマ人やローマに忠誠を尽くしているユダヤ人を殺害する事さえ実行していました。ですから、もし、マタイとシモンの二人が共通してイエス様に献身していなかったのなら、国粋主義者シモンは売国奴マタイを殺害していたのかも知れません!12名はそれぞれ職業において、気質において、政治的見解において皆異なる者たちでしたが、イエス様に対するこの同じ献身の思いが彼らを一つにし、やがて世界を変えるグループを作り上げて行くのでした!神の人選なしに、誰がこのようなグループの形作る事ができるでしょうか!
【まとめ】 それでは、今回のメッセージのまとめをしましょう。
●『平凡な人々、非凡な召命』という長いメッセージシリーズの一回目を終えました。今回はシリーズ全体の序論部分で、旧新約聖書で記されている通り、神は数々の平凡な者たちをご自分の偉大な御業へ用いられるお方でした!アブラハムを、遊女ラハブを、ヨセフを、モーセを、羊飼いの少年ダビデを、バプテスマのヨハネを、そしてイエス様の12弟子たちを選ばれました!神は平凡な普通の人を選ばれ、世界の歴史の流れを変えられるのです!
【適 用】 それでは、今回のメッセージの適用をしましょう。
●いかがでしょうか、あなたは平凡で普通の人ですか?あなたはお金持ちですか?あなたは知的に優れたエリートですか?あなたは社会的に高い地位にありますか?あなたには権力がありますか?もしあなたにないこれらのものは、神があなたを用いられるに当って何か妨げとなりますか?あなたは、旧新約聖書に記された何もない普通で平凡な人たちを用いられる神をどう理解されていますか?あなたは自分を見て何を思いますか?また、あなたはあなたの信じる聖書の神を見て何を思いますか? それでは祈りましょう。そして、それぞれが、メッセージを自分の人生に当てはめて適用しましょう。
【締めの御言葉】
神は、知恵ある者を恥じ入らせるために、この世の愚かな者を選び、強い者を恥じ入らせるために、この世の弱い者を選ばれました。有るものを無いものとするために、この世の取るに足りない者や見下されている者、すなわち無に等しい者を神は選ばれたのです(1コリント1:27-28)。
[参考文献]
・ ジョン・マッカーサー、『マッカーサー新約注解書/ルカの福音書6-10』(ムーディー出版、2011)(John MacArthur、 The MacArthur New Testament Commentary、 Luke 6-10、 The Moody Bible Institute of Chicago、 2011、 pp.13-17.)