ルカの福音書講解説教(28)/メッセージ原稿/『ザカリヤの讃歌(パート1)』(その3/最終編)/2017.03.19

『ダビデの契約の約束と成就!』―「万軍の主の熱心がこれを成し遂げる。」―《ルカ1:67-80/今回は1:70-71》

【序 論】

●『ザカリヤの讃歌』の三回目のメッセージは、ダビデの契約の全貌に迫ります。ダビデの契約がどのような約束であるのか、またその契約がどのように成就するのかという点に焦点を当てて御言葉を学びます。改めて、神がお与えになる契約や約束の確かさや、それを果たされる「万軍の主の熱心」の迫りを感じざるを得ません!


●今回のメッセージの主題は、『ダビデの契約の約束と成就!』です。また、副題が、「万軍の主の熱心がこれを成し遂げる」です。ご一緒に、聖書が教えて下さる主なる神の偉大さに目を留めましょう。メッセージ全体の流れを、下記のアウトラインでチェックする事にしましょう。


【全体のアウトライン】


《1》ザカリヤの讃歌(パート1)/ダビデの契約(1:67-71)/今回(2/最終)


《2》ザカリヤの讃歌(パート2)/アブラハムの契約(1:72-75)


《3》ザカリヤの讃歌(パート3)/新しい契約(1:76-80)


【パート1のアウトライン】


《1》ザカリヤの讃歌(パート1)/ダビデの契約(1:67-71)/今回(2/最終)


[1]ダビデの契約の背景(1:69b)/済


[2]ダビデの契約の約束(1:70)/今回


[3]ダビデの契約の成就(1:71)/今回


【今回のアウトライン】


[2]ダビデの契約の約束(1:70)


1)ダビデの主に対する願い/主のために家を造る(2サムエル7:1-3)


2)神のダビデへの約束/ダビデのために家を造る(2サムエル7:4-11/他)


[3]ダビデの契約の成就(1:71)


1)ダビデへの約束の身近な成就(2サムエル7:12-13a、14/他)


2)ダビデへの約束の究極の成就(2サムエル7:13b、15-16/他)


【本 論】


[2]ダビデの契約の約束(1:70)


1)ダビデの主に対する願い/主のために家を造る(2サムエル7:1-3)

―1―

前回のメッセージで学びましたルカ1:69に記されていた「ダビデの家」から永遠に偉大な王キリストが生まれるという約束は、今回学ぶ70節では、それは「古くから、その聖なる預言者たちの口を通して、主が話してくださったとおり」であったと告げています!「古くから」と言いますと、それはどれくらい「古くから」主によって語られていたのでしょうか?その答えは、旧約聖書の第二サムエル記にまでさかのぼる事になります。そして、その時の「預言者」「ナタン」という人物で、ダビデ本人に直接神からの預言を告げています。


●ダビデ王が自分の最後の10年間の支配を締めくくろうとしていた時、彼は既に自分の王宮の建設を終えていましたが、自分が「杉材の家に住んでいるのに、神の箱は天幕の中にとどまってい(る)2サム7:2という状況に心を痛め、主の宮の建設の必要性を強く感じていました。その旨を、ダビデ「王は預言者ナタンに」伝えたのでした。すると、ナタンはダビデがそのように考えているのは最もだと同意し、ダビデに向かって「さあ、あなたの心にあることをみな行いなさい。主があなたとともにおられるのですから」と答えました。ナタンは、ダビデがこれからやろうと考えている大事業に対して祝福を与えたのでした。


●しかし、ナタンもまたダビデも神に伺いを立てる事をしていませんでした!王も預言者も失敗する時があるのです。クリスチャンも失敗する時がありますし、牧師も失敗する時があります。赦しを受け続け、失敗しないよう成長し続ける事が求められます。ところで、このダビデの提案に関して、実は、神ご自身には別のお考えがあったという事が、その後の聖書箇所から理解できます!それが、次のポイントです。


2)神のダビデへの約束/ダビデのために家を造る(2サムエル7:4-11/他)


2サムエル7:4-7で、主なる神はナタンに対して次のように語り掛け始めます。


7:4 その夜のことである。次のような主のことばがナタンにあった。 7:5 「行って、わたしのしもべダビデに言え。主はこう仰せられる。あなたはわたしのために、わたしの住む家を建てようとしているのか。 7:6 わたしは、エジプトからイスラエル人を導き上った日以来、今日まで、家に住んだことはなく、天幕、すなわち幕屋にいて、歩んできた。 7:7 わたしがイスラエル人のすべてと歩んできたどんな所ででも、わたしが、民イスラエルを牧せよと命じたイスラエル部族の一つにでも、『なぜ、あなたがたはわたしの

ために杉材の家を建てなかったのか』と、一度でも、言ったことがあろうか。


●そして、このダビデの願いに対して、神はどのような答えを与えるのでしょうか。引き続きの第二サムエル7:8-11の御言葉に目を留めましょう。


7:8 今、わたしのしもべダビデにこう言え。万軍の主はこう仰せられる。わたしはあなたを、羊の群れを追う牧場からとり、わたしの民イスラエルの君主とした。 7:9 そして、あなたがどこに行っても、あなたとともにおり、あなたの前であなたのすべての敵を断ち滅ぼした。わたしは地上の大いなる者の名に等しい大いなる名をあなたに与える。 7:10 わたしが、わたしの民イスラエルのために一つの場所を定め、民を住みつかせ、民がその所に住むなら、もはや民は恐れおののくことはない。不正な者たちも、初めのころのように重ねて民を苦しめることはない。 7:11 それは、わたしが、わたしの民イスラエルの上にさばきつかさを任命したころのことである。わたしはあなたをすべての敵から守って、安息を与える。さらに主はあなたに告げる。「主はあなたのために一つの家を造る。」

―2―

●これらの神のお言葉は、ダビデとその家系に対する、神ご自身の取り消す事のない、無条件の契約の約束です!ここでは、契約という言葉は使われていませんが、2サムエル23:5で、この事がはっきりと「とこしえの契約」であると記されています!冒頭の70節にありましたように、このダビデの契約については、聖なる預言者たちによって語られ続けてきましたが、旧約聖書では40程の箇所にも及んでいます。それらの御言葉を通して、その契約の永遠性また「主はあなたのために一つの家を造る」という意味が具体的に何のかを学ぶ事にしましょう!


―詩篇89&132―


89:3 わたしは、わたしの選んだ者と契約を結び、わたしのしもべダビデに誓っている。 89:4 わたしは、おまえのすえを、とこしえに堅く立て、おまえの王座を代々限りなく建てる。・・・89:20 わたしは、わたしのしもべダビデを見いだし、わたしの聖なる油を彼にそそいだ。 89:21 わたしの手は彼とともに堅く立てられ、わたしの腕もまた彼を強くしよう。 89:22 敵が彼に害を与えることはなく、不正な者も彼を悩ますことはない。 89:23 わたしは彼の前で彼の仇を打ち砕き、彼を憎む者を打ち倒そう。 89:24 わたしの真実とわたしの恵みとは彼とともにあり、わたしの名によって、彼の角は高く上げられる。・・・89:28 わたしの恵みを彼のために永遠に保とう。わたしの契約は彼に対して真実である。 89:29 わたしは彼の子孫をいつまでも、彼の王座を天の日数のように、続かせよう。 89:30 もし、その子孫がわたしのおしえを捨て、わたしの定めのうちを歩かないならば、 89:31 また、もし彼らがわたしのおきてを破り、わたしの命令を守らないならば、 89:32 わたしは杖をもって、彼らのそむきの罪を、むちをもって、彼らの咎を罰しよう。 89:33 しかし、わたしは恵みを彼からもぎ取らず、わたしの真実を偽らない。 89:34 わたしは、わたしの契約を破らない。くちびるから出たことを、わたしは変えない。 89:35 わたしは、かつて、わが聖によって誓った。わたしは決してダビデに偽りを言わない。 89:36 彼の子孫はとこしえまでも続き、彼の王座は、太陽のようにわたしの前にあろう。 89:37 それは月のようにとこしえに、堅く立てられる。雲の中の

証人は真実である(詩89:3-4、20-24、28-37)。


132:11 主はダビデに誓われた。それは、主が取り消すことのない真理である。あなたの身から出る子をあなたの位に着かせよう。 132:12 もし、あなたの子らが、わたしの契約と、わたしの教えるさとしを守るなら、彼らの子らもまた、とこしえにあなたの位に着くであろう。・・・132:17 そこにわたしはダビデのために、一つの角を生えさせよう。わたしは、わたしに油そそがれた者のために、一つのともしびを備えている詩132:11-12、17)。


―イザヤ65章&11章/千年王国―

●特に、預言者イザヤは65章11章で、救い主によって未来のダビデの王国がどのようなものかを具体的に描写しています。主は、イスラエルの真実な残りの民を回復させてそのとこしえの王国に住まわせます。その王国とは千年王国を指しています!主は、イスラエルの全ての敵を打ち破り、ご自分の民を守られます!王国において、イスラエルはありとあらゆる領域において繁栄を極めます!その王国では、エルサレムが傑出した中心都市となります!イスラエルが全世界の注目の的となります!神の栄光をたたえる事が、イスラエルの使命となります!王国にいる異邦人たちは、この真実なイスラエルという管を通して祝福を受けます!                       ―3―

●そして、平和の君であり王である救い主イエス・キリストのご支配の下に、平和と義が千年王国の隅々にまでを貫きます!王国における道徳や倫理や霊的状態というものは、アダムの堕落以来、最高水準に達します!千年王国の各地を治める指導者たちも、公正と真実と完全な支配者である救い主と共に、その指導力や責任においても無類の水準にまで高められます!罪に対しては、王である救い主の素早い裁きをなされる事によって正義が王国を貫きます!

●そして、人間は千年という長い寿命を楽しんで生きる事ができます!百歳で死ぬのは早死にだと見なされます(よっぽど、神に反逆した結果だと考えられます)。また更に、千年王国では、「主を知ることが、海をおおう水のように、地を満たす」(イザ11:9)と約束されています!神を知る知識で世界が覆われるという事ほど素晴らし状態はありません!また、自然界でも大きな刷新がなされます!野生の動物や獣がおとなしくされます!ライオンが小羊と共にいる事ができますし、人間の子どもが毒蛇と遊ぶ事ができます!悲しみと嘆きは存在しません!自然災害もありません!雑菌もなく、感染症もなく、伝染病もありません!


―黙示録21章/新天新地―


●そして、最終的には、神が新しく創造される新天新地の中に置かれる神の永遠の王国が、この地上の千年王国に続きます!もはや死もなく、悲しみ、叫び、苦しみもない」(黙21:4罪のない全く平和な新しい世界が、すなわちキリストを信じ救われる者に約束されているのです!ダビデの契約が成就する千年王国は、新天新地へとつながって行きます!


[3]ダビデの契約の成就(1:71)


●それではここから、最後のポイントであるダビデの契約の成就について学んで行きましょう。アウトラインで既に確認しましたように、ダビデの契約(2サム7:12-14)は、身近な成就と究極の成就という二つの点から捉える事ができます。


1)ダビデへの約束の身近な成就(2サムエル7:12-13a、14)


●それでは、一番目のダビデへの約束の身近な成就です。2サムエル7に戻りますが、7:12-13aで、「7:12 あなた(ダビデ)の日数が満ち、あなたがあなたの先祖たちとともに眠るとき、わたしは、あなたの身から出る世継ぎの子を、あなたのあとに起こし、彼の王国を確立させるとあります。そして、7:13前半で、彼はわたしの名のために一つの家を建てとあります。13節後半は次のポイントで扱いますので、14節に進みましょう。わたしは彼にとって父となり、彼はわたしにとって子となる。もし彼が罪を犯すときは、わたしは人の杖、人の子のむちをもって彼を懲らしめると神は約束しておられます。この「世継ぎの子」とは、身近な成就という点ではダビデの息子であるソロモンを指しており、ソロモンによって父ダビデの王位と王国が引き継がれて行きました。そして、ソロモンは、ダビデには許されなかった神殿を建設するという特権が与えられ、父ダビデが主に準備した建設資材を用いてそれを実行に移して実現させました。


●しかし、ソロモンの王国もまた彼が建てた神殿も永久に続く事はありませんでした。ソロモンは年を重ね、深くそしてまた深く罪の中に沈み込んで行きました。(続く)



―4―

その結果、彼の死後、王国は二つに分裂しました。北のイスラエル王国と南のユダ王国とにです。主は、14節で記されていましたように、王や民が罪を犯すときは・・・「むちをもって・・・懲らしめ(る)と約束しておられましたが、まさにその通りに主は取り扱われました。その主の「懲らしめ」は、次のような形で成されたのでした。210年間にわたる反逆と不従順の末、北のイスラエル王国はアッシリヤによって滅ぼされました(722B.C.)。一方、345年間続いた南のユダ王国は、バビロンによって制圧されて捕囚の身となり、バビロンの地へ連れて行かれました。その時、バビロンの手によってソロモンの壮大で見事な神殿が破壊されました。紀元前586年の事です。主は、選びの民であるユダヤ人をご自分のとして扱われましたので、不従順の罪に対しては「懲らしめ」を与えられる事によってその霊的成長を図られました!


●人の不従順によって、ダビデの契約は破棄されたのでしょうか?絶対にそんな事はありませんでした!神のお与えになった契約が人の罪によって無効にされる事がないからです!それが、次の最終ポイントです。


2)ダビデへの約束の究極の成就(2サムエル7:13b、15-16/他)


―ソロモンからキリストへ―


13節後半15節並びに16節に目を留めましょう。次のように記されています。


7:13b・・・わたしはその王国の王座をとこしえまでも堅く立てる。・・・7:15 しかし、わたしは、あなたの前からサウルを取り除いて、わたしの恵みをサウルから取り去ったが、わたしの恵みをそのように、彼から取り去ることはない。 7:16 あなたの家とあなたの王国とは、わたしの前にとこしえまでも続き、あなたの王座はとこしえまでも

堅く立つ。


あなたの家とあなたの王国とは、わたしの前にこしえまでも続きあなたの王座はとこしえまでも堅く立つ」というのは、どうしたらそのような事になり得るのでしょうか?と言うのも、そのような王国はそれ以降イスラエルでは決して見られないからです。所詮、人間の王国がとこしえに続く事はありません!歴史が証明しています!帝国は必ず衰退して滅びます!それでは、ここで言うとこしえに続く王国とは何を意味しているのでしょうか?


●それは、イエス様が語られたお言葉をルカが引用している中に、その答えを見る事ができます!それは、「見なさい。ここにソロモンよりもまさった者がいるのです」(ルカ11:31)というイエス様のお言葉です!ダビデの契約の約束は、主イエス・キリストへ受け継がれて行く事を示しています!この救い主なるイエス・キリストの王国こそが、神が約束された永遠に続く王国なのです!主イエス様はいつかこの地に戻って来られ、ダビデに約束された神の契約のお言葉を成就されるのです!その契約の約束の言葉を、預言者イザヤは次のようにまとめて宣言しています。「その主権は増し加わり、その平和は限りなく、ダビデの王座に着いて、その王国を治め、さばきと正義によってこれを堅く立て、これをささえる」(イザ9:7)、と!

















―5―

―ザカリヤの讃歌の動機そして想像だにしないユダヤ人の救い主に対する拒絶―


ルカ1:71に記されていますように、まさに、イスラエルの「敵から」そしてまた「すべて」イスラエルを「憎む者の手からの救い」という望みと期待を伴った救い主の王国の約束が、ザカリヤの讃歌を引き出しているのです!前回のメッセージでも触れましたが、ザカリヤは救い主の王国が訪れるは差し迫ったものだと信じていました。事実、キリストの弟子たちもそう信じていましたし、イエス様が復活して後でさえもそう信じていました(使1:6)。ザカリヤにとっては、自分の息子が救い主の前ぶれを伝えるバプテスマのヨハネになる事を知っていましたし、マリヤが救い主を宿している事も知っていました!ザカリヤにとって、同胞のユダヤ人たちが自分たちの救い主でありまた王であるお方を拒絶して十字架に架けるという、考えられない事が起こるなんて前もって知る事はありませんでした!


―人間の不真実しかし神の真実!(ロマ3:1-3)―


●しかしながら、イスラエルの不従順は神の約束を無効にするものではありません!使徒パウロは、ユダヤ人について次のように確信を持って語っています。ユダヤ人のすぐれたところは、いったい何ですか(ロマ3:1aと読者に問い掛けています。その答えとして、それは、あらゆる点から見て、大いにあります。第一に、彼らは神のいろいろなおことばをゆだねられていますと語っています。そして引き続き、「では、いったいどうなのですか。彼らのうちに不真実な者があったら、その不真実によって、神の真実が無に帰することになるでしょうか」(3:3)と問うています。その答えは、「絶対にそんなことはありません。たとい、すべての人を偽り者としても、神は真実な方であるとすべきです」(3:4)、と!それはどういう意味なのでしょうか?神の契約とは、その契約相手の人間がどんなにその契約を破っても、神がその契約を破る事はないのです!この点が人間と人間の契約との大きな違いです!神は人間の「不真実」を越えて「真実」をなさるのです!これが、聖書の神の偉大であると呼ばれるゆえんです!ですから、神がダビデ王になされた契約は、ダビデを継ぐ王たちがどうであろうが、変わる事がなかったのです!勿論、その契約を人間が実現できるものではないですので、神ご自身が人となられてこの世に来られ、救い主として人の罪の赦しの贖いの御業をなされ、その上で、このダビデの契約を実現へと導かれて行くのです!


―イスラエルの最終的悔い改め!(ゼカ12:10)―


●キリストは王として再びこの世に戻って来られ、神が約束された通りに、この地上にご自分の王国を築かれます!その日、神が「恵みと哀願の霊を」(ゼカ12:10a)イスラエルの人々に「注(がれます)」ので、彼らはそれゆえ悔い改めと信仰に至るようになります!そして、「彼らは、自分たちが突き刺した者、わたし」すなわちキリスト「を仰ぎ見、ひとり子を失って嘆くように、その者のために嘆き、初子を失って激しく泣くように、その者のために激しく泣く」(ゼカ12:10b)と預言されているのです!イスラエルの人々は、そこで初めてイエス・キリストが救い主であり、神ご自身であられるという事に初めて目が開かれるのです!


















―6―

●「その日、主の足は、エルサレムの東に面するオリーブ山の上に立(ち)」(ゼカ14:4)ます!そして、エルサレムにいるユダヤ人たちは喜び勇んで、「祝福あれ。主の御名によって

来られる方に」(マタ23:39)と叫びんでエルサレムへ迎え入れます!これら全ては、これまで神に対して不真実であったイスラエル人へなされる神の真実な御業です!


―キリストの再臨、敵への勝利、地上の千年王国建設の詳細!(黙19:11-21)―


●イエス・キリストがご自分に反逆する者たち(悪魔・反キリスト・偽預言者・不信仰者)を裁き、地上の千年王国打ち建てられるために、栄化されたクリスチャンと共にこの地に凱旋されますが、その詳細について黙示録19:11-21で次のように記されています。


19:11 また、私は開かれた天を見た。見よ。白い馬がいる。それに乗ったは、「忠実また真実」と呼ばれる方であり、義をもってさばきをし、戦いをされる。 19:12 その目は燃える炎であり、その頭には多くの王冠があって、ご自身のほかだれも知らない名が書かれていた。 19:13 その方は血に染まった衣を着ていて、その名は「神のことば」と呼ばれた。 19:14 天にある軍勢はまっ白な、きよい麻布を着て、白い馬に乗って彼につき従った。 19:15 この方の口からは諸国の民を打つために、鋭い剣が出ていた。この方は、鉄の杖をもって彼らを牧される。この方はまた、万物の支配者である神の激しい怒りの酒ぶねを踏まれる。 19:16 その着物にも、ももにも、「王の王、主の主」という名が書かれていた。 19:17 また私は、太陽の中にひとりの御使いが立っているのを見た。彼は大声で叫び、中天を飛ぶすべての鳥に言った。「さあ、神の大宴会に集まり、 19:18 王の肉、千人隊長の肉、勇者の肉、馬とそれに乗る者の肉、すべての自由人と奴隷、小さい者と大きい者の肉を食べよ。」 19:19 また私は、獣(反キリスト)と地上の王たちその軍勢が集まり、馬に乗った方とその軍勢と戦いを交えるのを見た。 19:20 すると、は捕らえられた。また、獣の前でしるしを行い、それによって獣の刻印を受けた人々と獣の像を拝む人々とを惑わしたあのにせ預言者も、彼といっしょに捕らえられた。そして、このふたりは、硫黄の燃えている火の池に、生きたままで投げ込まれた。 19:21 残りの者たちも、馬に乗った方の口から出る剣によって殺され、すべての鳥が、彼らの肉を飽きるほどに食べた。[( )内は筆者挿入]


●ザカリヤそして未来のユダヤ人の残りの民(選びの民)そして全ての真の信仰者たちにとっての希望は確かなものであり、それは必ず実現します!神は、ダビデにお与えになった契約を決して忘れる事はありません!主に贖われた者たちは、千年王国並びにその後に続く新天新地の永遠の王国において、王であるキリストに仕えそして礼拝するという祝福された喜びを経験する事になります!イエス様が凱旋されてこの地に王国を築かれる時に初めて、イスラエルは彼らの「敵から」そしてまた「すべて」イスラエルを「憎む者の手からの救(われる)」(ルカ1:71)という長年にわたる切実な願いが実現されるのです!これがダビデの契約の全貌です!























―7―

【まとめ】 それでは、今回のメッセージのまとめをしましょう。


●今回は、ダビデの契約の全貌を見ました。その契約がどのような約束で、またその契約がどのように成就するのかという事を学びました。ダビデの契約は、ダビデの家系からお生まれになる救い主であり永遠の王である主イエス・キリストによって初めて成就するものだという事でした!再臨されるキリストによって、イスラエルは、初めて「敵から」そして「憎む者の手からの救い」(ルカ1:71)という長年にわたる切実な願いが叶えられるという事でした!ユダヤ人そして異邦人を問わず、その選ばれた者にとってのダビデの契約は必ず実現します!そして見逃してはならない点が、その前に、キリストが十字架に架かられて新しい契約が成立する事によって、ダビデの契約も確証するという事でした!特に、クリスチャンは、永遠の王であるキリストと共に千年王国を支配する者となるという特権が与えられています!神がその民にお与えになった契約は、人がどう変わろうが全く変わらず、その時が来ると必ず実現するものであるという事を信仰者は決して忘れてはならないという事を学びました!


【適 用】 それでは、今回のメッセージを私たち自身に対して適用しましょう。


●私たちがダビデの契約を学んで教えられる点は、神が約束された事は、「万軍の主の熱心がこれを成し遂げる」という事にその確かさがあるという事でした!聖書に記された神の約束は、あなたに全て実現します!あなたは神の契約の約束に対して、不動の確信と信頼を持っていますか?何が起ころうが、あなたは神の約束の御言葉の中に平安を握っていますか?あなたは神の偉大さに、霊の目が開かれ続けていますか?あなたは神の偉大さに感動し続けていますか? それでは祈りましょう。


【締めの御言葉】


9:6 ひとりのみどりごが、私たちのために生まれる。ひとりの男の子が、私たちに与えられる。主権はその肩にあり、その名は「不思議な助言者、力ある神、永遠の父、平和の君」と呼ばれる。 9:7 その主権は増し加わり、その平和は限りなく、ダビデの王座に着いて、その王国を治め、さばきと正義によってこれを堅く立て、これをささえる。今より、とこしえまで。万軍の主の熱心がこれを成し遂げる(イザヤ9:6-7)。







































[参考文献]


・ジョン・マッカーサー、『マッカーサー新約注解書/ルカの福音書1-5』(ムーディー出版、2009)(John MacArthur, The MacArthur New Testament Commentary, Luke 1-5, The Moody Bible Institute of Chicago, 2009, p.98-101)


―8―