ルカの福音書講解説教(26)/メッセージ原稿/『ザカリヤの讃歌(パート1)』(その1)/2017.02.19
『ザカリヤの讃歌に見られる重要な架け橋!』―聖書に記された数々の讃歌そして六つの契約の特徴と重要性―《ルカ1:67-80/今回は1:67-68》
【序 論】
●これまで『エリサベツの讃歌』そして次に『マリヤの讃歌』について学んで来ましたが、今回から『ザカリヤの讃歌』について学びます。そして、その後も別の神の器たちによって、少なくとも二つの讃歌が続きます。父なる神が救い主である御子イエス・キリストをこの世に送られるのですが、人間の歴史への神の介入について、絶大な喜びと感謝と讃歌が神の器たちの心からほとばしり出るのです!御子イエス・キリストご自身も、父なる神に対して次のように心からの深い讃歌を表しました。
11:25 そのとき、イエスはこう言われた。「天地の主であられる父よ。あなたをほめたたえます。これらのことを、賢い者や知恵のある者には隠して、幼子たちに現してくださいました。 11:26 そうです、父よ。これがみこころにかなったことでした」(マタ11:25-26)。
●『ザカリヤの讃歌』の柱となる三つの重要なキーワードは、「ダビデ」(1:69)、「アブラハム」(1:73)、そして「主」(1:76)です!それらのキーワードが聖書全体で何を意味しているのか、それらは互いにどのように関わっているのかを探りつつ、今回のメッセージ主題である『ザカリヤの讃歌に見られる重要な架け橋!』について語りたいと願います。副題は、「聖書に記された数々の讃歌そして六つの契約の特徴と重要性」です!『ザカリヤの讃歌』はその内容の広さと深さのゆえに、10回前後のメッセージ回数を要する事になります。解き明かされる御言葉に期待しましょう。『ザカリヤの讃歌』の全体と今回のアウトラインによって、メッセージの流れを把握する事にしましょう。
【全体のアウトライン】
《1》ザカリヤの讃歌(パート1)/ダビデの契約(1:67-71)
《2》ザカリヤの讃歌(パート2)/アブラハムの契約(1:72-75)
《3》ザカリヤの讃歌(パート3)/新しい契約(1:76-80)
【パート1のアウトライン】
《1》ザカリヤの讃歌(パート1)/ダビデの契約(1:67-71)
◎ 序論/ザカリヤの讃歌に見られる重要な架け橋!/今回
◎ 導入/「ほめたたえよ。イスラエルの神である主を。」(1:67-68)/次回
[1]ダビデの契約の背景(1:69)/次回
[2]ダビデの契約の約束(1:70)/次々回
[3]ダビデの契約の成就(1:71)/次々回
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【今回のアウトライン】
◎ 序論/ザカリヤの讃歌に見られる重要な架け橋!
1)贖われた者のしるし(エペソ5:19/詩51:11/他)
2)聖書に記された多くの讃歌(出15:1-21/他)
3)救い主の物語に記録された五つの讃歌(ルカ1:41-45/他)
4)ザカリヤの讃歌の特徴とその重要な役割(ルカ1:67-79)
【本 論】
◎ 序論/ザカリヤの讃歌に見られる重要な架け橋
1)贖われた者のしるし(エペソ5:19/詩51:11/他)
●主によって贖われた者に喜びが湧き起るのは当然な事なのですが、その喜びの表現方法の一つが、「主に向かって、心から歌い、また賛美」(エペ5:19)する事です!「ほめ歌」を持って主をたたえるというのは、礼拝の重要な要素の一つです。そして、それは聖書全体を貫いている大きなテーマの一つです。聖書は、次のように語っています。
■あなたに身を避ける者がみな喜び、とこしえまでも喜び歌いますように。(詩5:11)。
■私は主に歌を歌います。主が私を豊かにあしらわれたゆえ(詩13:6)。
■聖徒たちよ。主をほめ歌え(詩30:4)。
■主に感謝するのは、良いことです。いと高き方よ。あなたの御名にほめ歌を歌うことは。・・・私は、あなたの御手のわざを、喜び歌います(詩92:1、4b、参 7:17、9:2、11、18:49、27:6、28:7、33:1-3、40:3、47:6-7、57:7、59:16-17、61:8、63:7、66:2、68:4、69:30、71:22-23、75:9、81:1、84:2、89:1、90:14、95:1、96:1-2、98:1、104:33、105:2、108:1、3、119:54、
72、132:9、16、135:3、138:1、144:9、146:2、147:1、7、149:1、3、5/出15:1、21/士5:3/2サム22:50/1王4:32/1歴16:9、23/エズ3:11/イザ12:2、5、42:10/エレ20:13/ゼカ2:10/黙5:9、14:3、15:3-4)。
2)聖書に記された多くの讃歌(出15:1-21/他)
●このように、聖書では「ほめ歌を歌う」よう多くの箇所で奨励されまた命じられてもいます!そして、聖書には、神への多くの讃歌が記録されています!例えば、神がイスラエルの民を多くの奇蹟を持ってエジプトから解放されましたが、それでもイスラエルの民を連れ戻そうとその後を追って来たパロの軍勢に対して、神は紅海の海の中に沈める事によって彼らを滅ぼされました。その時、モーセはイスラエルの民と共に主の解放の御業を祝い、出エジプト記の15章1節から18節にわたって実に力強い「ほめ歌」を主に歌っています!ご一緒に聖書を開きましょう。
15:1 そこで、モーセとイスラエル人は、主に向かって、この歌を歌った。彼らは言った。「主に向かって私は歌おう。主は輝かしくも勝利を収められ、馬と乗り手とを海の中に投げ込まれたゆえに。(続く)
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15:2 主は、私の力であり、ほめ歌である。主は、私の救いとなられた。この方こそ、わが神。私はこの方をほめたたえる。私の父の神。この方を私はあがめる。 15:3 主はいくさびと。その御名は主。 15:4 主はパロの戦車も軍勢も海の中に投げ込まれた。えり抜きの補佐官たちも葦の海におぼれて死んだ。 15:5 大いなる水は彼らを包んでしまい、彼らは石のように深みに下った(15:1-5)。
15:6主よ。あなたの右の手は力に輝く。主よ。あなたの右の手は敵を打ち砕く。 15:7 あなたは大いなる威力によって、あなたに立ち向かう者どもを打ち破られる。あなたが燃える怒りを発せられると、それは彼らを刈り株のように焼き尽くす。 15:8 あなたの鼻の息で、水は積み上げられ、流れはせきのように、まっすぐ立ち、大いなる水は海の真ん中で固まった。 15:9 敵は言った。『私は追って、追いついて、略奪した物を分けよう。おのれの望みを彼らによってかなえよう。剣を抜いて、この手で彼らを滅ぼそう。』 15:10 あなたが風を吹かせられると、海は彼らを包んでしまった。彼らは大いなる水の中に鉛のように沈んだ(15:6-10)。
15:11 主よ。神々のうち、だれかあなたのような方があるでしょうか。だれがあなたのように、聖であって力強く、たたえられつつ恐れられ、奇しいわざを行うことができましょうか。 15:12 あなたが右の手を伸ばされると、地は彼らをのみこんだ。 15:13 あなたが贖われたこの民を、あなたは恵みをもって導き、御力をもって、聖なる御住まいに伴われた(15:11-13)。
15:14 国々の民は聞いて震え、もだえがペリシテの住民を捕らえた。 15:15 そのとき、エドムの首長らは、おじ惑い、モアブの有力者らは、震え上がり、カナンの住民は、みな震えおののく。 15:16 恐れとおののきが彼らを襲い、あなたの偉大な御腕により、彼らが石のように黙りますように。主よ。あなたの民が通り過ぎるまで。あなたが買い取られたこの民が通り過ぎるまで。 15:17 あなたは彼らを連れて行き、あなたご自身の山
に植えられる。主よ。御住まいのためにあなたがお造りになった場所に。主よ。あなたの御手が堅く建てた聖所に。 15:18 主はとこしえまでも統べ治められる」(15:14-18)。
また、デボラとバラクも、神がシセラに率いられたカナンの軍勢からご自分の民を解放された事を祝い、士師記の5章1節から31節に掛けて「ほめ歌」を歌っています!そしてまた、イスラエルの神殿が完成して、それを主に捧げた時の讃歌が第二歴代誌5:12節から14節にわたって記されています。
●主への讃歌はまだ続きます!ハンナは自分の不妊の恥から解放して下さった主に対して、1サムエル記2章の1節から10節にわたって主に「ほめ歌」を歌っています。旧約聖書の詩篇はイスラエル人の讃美歌です!神がご自分の民に対してなして下さった解放の御業、救いの御業、贖いの御業をほめたたえる讃美で満ちています!一方、新約聖書の黙示録は、天国におけるほめ歌が歌われ、礼拝が捧げられている事が記録されています(5:9-10、15:3-4)。ですから、聖書は、このように、神への多くの讃歌が記録されている書物です!あなた自身の信仰の歩みを振り返りましても、あなたになされた数々の御業のゆえに神へ「ほめ歌」を歌い、その足跡には、神への讃歌が刻まれている事だと思います。
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3)救い主の物語に記された五つの讃歌(ルカ1:41-45/他)
●ルカの福音書の最初の二章に記されている救い主イエス・キリストの誕生物語の中には、実は、五つの讃歌が記録されているという事をご存じでしょうか?その一番目はエリサベツの讃歌です(1:41-45)。二番目はマリヤの讃歌です(1:46-55)。三番目は今回から学ぶザカリヤの讃歌です(1:67-79)。四番目が御使いの讃歌です(2:13-41)。御使いが天の軍勢と一緒になって神を賛美し、キリストの誕生を宣言しました。そして、五番目にシメオンの讃歌です(2:25-32)。ここにもう一つ六番目の讃歌を加えるとしたら、「八十四歳になっていた」(2:37a)敬虔な「女預言者のアンナ」(2:36)の讃歌であろうと考えられます。アンナの讃歌が記録されている訳ではありませんが、彼女が「宮を離れず、夜も昼も、断食と祈りをもって神に仕え・・・神に感謝をささげ、そして、エルサレムの贖いを待ち望んでいるすべての人々に、この幼子のことを語っ(ていた)」(2:38)と記されているところから、十分その可能性があったと考えられます!しかしいずれにしても、それらの讃歌が、彼ら自身の内側からほとばしり出たものであった事には間違いありません!
4)ザカリヤの讃歌の特徴とその重要な役割(ルカ1:67-79)
―『マリヤの讃歌』と『ザカリヤの讃歌』の相違点―
●私たちがこれから学ぶルカ1:67-79の聖書箇所はこの五つの讃歌の三番目で、『ザカリヤの讃歌』です。序論で述べましたように、この箇所を解説するのに、何と10回前後のメッセージを要します!この箇所を取り扱う事は、聖書全体を学ぶ事につながる広さと深さを持
っている重要な箇所だという事を物語っています!
●『マリヤの讃歌』がマリヤ個人の救いに焦点を当てていたのに対し、この『ザカリヤの讃歌』は集団的な救いに焦点を当てています!集団的な救いというのは、ザカリヤ個人やユダヤ人だけを対象にした救いではなく、全世界の全ての罪人を対象にした救いを取り扱っています!その普遍的な救いの契約の重要性ゆえに、ザカリヤは神への讃歌をここで表しているのです!そういう意味で、この讃歌の中では、いかなる神の裁きの言葉も記されていません。
―三つの契約!―
●『マリヤの讃歌』でも教えられましたが、マリヤがいかに旧約聖書に精通していた少女であったかです!『ザカリヤの讃歌』の場合でも全く同じです!いやむしろ、彼は祭司ですのでより専門的に旧約聖書を研究し、そこに記されている神の律法を教える事に生涯を捧げていた人物です。ですから、この『ザカリヤの讃歌』で何に焦点が当てられ、何が一番強調されているかを理解する事は大変重要です!序論でも触れましたが、三つの契約が記されています!一番目にダビデの契約(1:67-71)、二番目にアブラハムの契約(1:72-75)、そして三番目に新しい契約(1:76-80)です!なぜ、三つの契約が記されているのでしょうか?それは、『ザカリヤの讃歌』が、旧約聖書から新約聖書への重要な架け橋の役割を担っているという事を示しています!『ザカリヤの讃歌』に記された御言葉に注意を向けますと、キリスト教が新しい宗教ではないという事が分かります!そうではなく、むしろ旧約聖書に記された約束が、主イエス・キリストの救いの御業を通して全て成就するものであるという事を明確に物語っているのです! ―4―
―ザカリヤの溢れ出る讃歌の背景となった出来事/復習―
●ザカリヤの心から溢れ流れ出る讃美と礼拝の背景には、彼にとって実に驚くべき出来事が起こっていました。前々回と前回のメッセージで学んだ事ですが、ここで簡潔に振り返ってみましょう。九か月余り前に、御使いガブリエルが神殿で祭司の務めをしていたザカリヤに現れました。それは彼と彼の妻エリサベツへの告知で、気絶するような内容でした。それは、妻の長年の不妊症に加え、夫婦そろって老人となり、子どもを産む身体的な機能も失われていたところへ、子どもを産みしかもその子は普通の子ではなく、救い主の前触れを告げる神の器となるという告知内容であったからでした!
●御使いを通して語られた神の預言の約束に対するザカリヤの疑いは、彼の信仰の浅さを露呈していました。それゆえ、御使いの告知通りに、ザカリヤは耳が聞こえなくなりまた口で話す事ができなくなりました。しかし、エリサベツは、御使いを通して告げられた神の約束通りに子どもを身ごもりそして出産しました。誕生から八日が経過した時に、ザカリヤは生まれた子に何と言う名前を付けるのかと人々から尋ねられました。それで、ザカリヤは、「彼の名はヨハネ」(ルカ1:63、参 1:13)と確信を込めて書きました。「すると、たちどころに、彼の口が開け、舌は解け、ものが言えるようになって神をほめたたえた」(ルカ1:64)のでした!その直後に記された68節から79節の『ザカリヤの讃歌』は、そのほめたたえた神への讃歌がどういう内容のものであったのかを記しているのです。
―『ザカリヤの讃歌』の真意―
●『ザカリヤの讃歌』は、これまで長年にわたって抱いて来た望みが叶えられなかったという時に、ザカリヤが父親になれたという喜びを只単に表したものではありません。そうではなくて、『ザカリヤの讃歌』は、神が旧約聖書で約束しておられた贖い、罪の代価を支払う救い主の十字架の御業がやがて達成される時が来たという遥かに重要な真理を含んでいる内容です!ザカリヤの息子であるヨハネは、救い主の到来の前ぶれを告げる者となりますが、その救い主を通して、神はイスラエルを解放しそしてご自分の契約を成就しようとされるのです!
●これらの神の約束や契約というものは、ザカリヤが祭司として、何十年にもわたって人々へ教えて来た内容です!という事は、これらの約束や契約が記されている旧約聖書の箇所については、ザカリヤ自身がとてもよく把握していた御言葉でした!それらの重要な真理の内容が、彼の讃歌の中に明らかに示されているのです!そしてその中で、特に三つ契約が、『ザカリヤの讃歌』の中で重要視されて取り上げられています!
―六つの契約とその特徴―
●旧約聖書には六つの契約が記されています。それぞれに全て「契約」という言葉が使われています。大きく二つのグループに分けられるのですが、最初の三つのグループの一番目に「ノアの契約」があります(創9:9-17)。人間の罪深さのために、人間をはじめとした全ての生き物を決して洪水で滅ぼす事はしないという契約内容です。二番目が「モーセの契約」です(出19:5、24:7-8、34:27-28/申4:13)。モーセの十戒をはじめとする神とイスラエルの契約です。その契約を守れば、イスラエルは神の「宝」となり、「祭司の王国」となり、また「聖なる国民」となるという契約内容です。(続く)
―5―
三番目が「祭司の契約」です(民25:10-13)。祭司アロンの家系に属するピネハスという人物の信仰から出た行為によって、祭司職が彼の子孫に与えられるという契約です。これら三つの契約は、罪の贖いや救い関するものものではなく、また永遠に続くものでもありません。
●後半の三つ目のグループの一番目で、全体からすると四番目の契約ですが、それは「ダビデの契約」です。五番目が「アブラハムの契約」で、そして六番目が「新しい契約」です。これらの契約は、全て罪の贖いや救いに関連しています!「ダビデの契約」は普遍的なもので、それは全てに対するキリストの永遠の支配を示しています!「アブラハムの契約」は国家的なもので、それはイスラエルへの神の祝福と約束を指しています!「新しい契約」は個人的なものです!それは、個人の罪の赦しに関係する契約です!「新しい契約」は、救い主イエス・キリストの犠牲の死を通して成就します!大切な点は、この「新しい契約」によって与えられる救いから離れては、誰一人、ダビデの契約にしてもまたアブラハムの契約にしても、その祝福全てにあずかる事はできません!「新しい契約」が、他の二つの契約を確定させるのです!ですから、救い主イエス・キリストの到来が贖いの歴史の頂点に来るのです!
≪本論への導入≫
●ルカが、この『ザカリヤの讃歌』を自分が記している福音書の初めに記す事は重要な事でした!なぜなら、前述しましたように、ルカがこれから伝えるキリスト教が、旧約聖書の救いの契約と密接な関係にあるからでした!そして、より具体的に、救い主の前ぶれを告げる使命を負ってこの世に出現するバプテスマのヨハネによって、イエス・キリストを通して神の贖いの契約の約束が初めて成就するという事が宣言される事になります!
【まとめ】 それでは、今回のメッセージのまとめをしましょう。
●主によって罪が贖われその罪が赦された者に表れる当然のしるしは、「ほめ歌」を主に向かって歌う、すなわち主への讃歌がその人の内から溢れ出て来るというものでした!神のなされた御業のゆえに、モーセをはじめ、多くの神の器たちの讃歌が聖書に記録されています!それら多くの讃歌がまとめられて記録されている書物が詩篇です!詩篇は、イスラエルの民にとっては讃美歌です。そして、イエス様ご自身の父なる神への讃歌も、聖書は記録しています!
●そして、ルカの福音書の最初の二章の救い主誕生の記述の中には、何と五つの讃歌が記録されていました!その三番目の讃歌が『ザカリヤの讃歌』で、その中に記されている三つの重要な契約(ダビデの契約/アブラハムの契約/新しい契約)は全て救いに関係するものであり、普遍的で、永遠に続くものでした!そして最後に、その結論として、救い主イエス・キリストの十字架による贖いを通して「新しい契約」が成就し、それによって初めて「ダビデの契約」も「アブラハムの契約」も完全に確定するという事を学びました!旧約聖書と新約聖書は、切っても切り離す事のできない関係にある事を示唆していました!
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【適 用】 それでは、今回のメッセージを私たち自身に対して適用しましょう。
●今回のメッセージを聞いて、最初の適用は「ほめ歌」や讃歌についてです。あなたは、あなたに主が注がれた数々の恵みや数々の御業について、「ほめ歌」をもって主に応答していますか?日常生活の中で、あなたの讃美は主に届けられているでしょうか?
●救い主の十字架の死無しに、普遍的且つ天国に続く永遠の契約はどれも確定しません!いかがでしょうか、救い主イエス・キリストがこの世に来られた意味の深さと重みとを感じたでしょうか?クリスチャンの皆さん、あなたの祝福は、あなたがこの「新しい契約」へと神の恵みによって一方的に招き入れられたからです!あなたの心から、神ご自身の大きな犠牲に対する感謝と讃美が湧き上がって来るでしょうか?また一方、クリスチャンでない皆さん、いかがでしょうか、あなたの罪を赦すためにこの世に来られた救い主の十字架の犠牲を
受け入れ、この世では神と人とに仕え、そして天国では神と永遠に平和に過ごすという恵みと祝福を求めてみませんか? それでは祈りましょう。
【締めの御言葉】
■私は、あなたの御手のわざを、喜び歌います(詩92:4b)。
■私たちが神を愛したのではなく、神が私たちを愛し、私たちの罪のために、なだめの供え物としての御子を遣わされました。ここに愛があるのです(1ヨハネ4:10)。
[参考文献]
・ジョン・マッカーサー、『マッカーサー新約注解書/ルカの福音書1-5』(ムーディー出版、2009)(John MacArthur, The MacArthur New Testament Commentary, Luke 1-5, The Moody Bible Institute of Chicago, 2009, p.93-96)
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