ルカの福音書講解説教(24)/メッセージ原稿/『バプテスマのヨハネの誕生における神の啓示』(その1)/2017.02.05

『主の御手が彼とともにあった!』―「主がエリサベツに大きなあわれみをおかけになった」―《ルカ1:56-66/今回は1:66、56-58》

【序 論】


●ルカの福音書の講解説教を始めてから、その内容は、バプテスマのヨハネの誕生の物語とイエス・キリストの誕生の物語が互いに交差しながら進められてきました。今回で24回目を迎えますが、わずか66節の中に、主が共におられるという事と主のあわれみという二つのテーマが流れている事にお気づきになられると思います。


●これから二回の予定で、『バプテスマのヨハネの誕生における神の啓示』という視点で御言葉を学びます。今回のメッセージの主題は『主の御手が彼とともにあった!』で、副題は「主がエリサベツに大きなあわれみをおかけになった」です。メッセージの流れは、下記のアウトラインが示す通りです。


【全体のアウトライン】


◎ 序論/バプテスマのヨハネの誕生における神の啓示(1:66)/今回


[1]神の真実な約束(1:56-58)/今回

[2]神の恵み深い目的(1:59-63)/次回

[3]神の驚くべき御力(1:64-66)/次回


【今回のアウトライン】


◎ 序論/バプテスマのヨハネの誕生における神の啓示(1:66)


1)「主の御手が彼とともにあった」(1:66b)

2)「いったいこの子は何になるのでしょう」(1:66a)


[1]神の真実な約束(1:56-58)


1)マリヤのユダの町からナザレへの帰郷(1:56)

2)ヨハネの誕生は神の真実な約束の成就(1:57)

3)エリサベツへの神の大きなあわれみと喜び(1:58)


【本 論】


◎ 序論/バプテスマのヨハネの誕生における神の啓示(1:66)


1)「主の御手が彼とともにあった」(1:66b)


―バプテスマのヨハネの物語を通してご自分を表された神―


●今回から『バプテスマのヨハネの誕生における神の啓示』という新しいテーマに移りますが、序論として、まず初めに注目したい聖句を取り上げる事にしましょう。それは、66節後半の御言葉ですが、「主の御手が彼(バプテスマのヨハネ)とともにあった」と記されています。それは何を意味しているのかと言いますと、バプテスマのヨハネの物語に現される全ての事について、神ご自身が強く関わっておられるという事を示しています!                                               ―1―

●「主の御手」は、ザカリヤが神殿にいて祭司の務めをしていた時に、御使いが現れてヨハネの誕生を告げるという中に見られました。また、御使いガブリエルの言葉を信じなかったザカリヤに対して、ものが聞こえずに(参1:62)また「ものが言え(ない)」(1:20)という戒めを受けましたが、それも「主の御手」の取り扱いでした!更に、ザカリヤとエリサベツの双方が妊娠と出産の適齢期をとっくに越しているにもかかわらず、妻がヨハネを身ごもるという取り扱いを受けましたが、その中にも「主の御手」の働きが見られます!そして、今回の聖書箇所で見受けられますように、ザカリヤが聴きそして語るという能力が取り上げられていましたが、彼が生まれた子はヨハネと命名するという意思表示をしたところ、たちどころにその能力は回復をしました。その中にも、「主の御手」による取り扱いが見られます!


―旧新約聖書の中にご自身を現された神!―


ルカ1章を学び始めてから今回の箇所を含めてわずか66節なのですが、その中に「主の御手」の働きがふんだんに見られましたように、聖書の主要な目的は、神がご自身を人類に啓示する事でした!聖書は、神を天地宇宙の主権的な支配者であるという事を示しています!そのお方は人間を創造されただけでなく、創造物の中でご自分の御力を人間に現しておられます!(ロマ1:18)そしてまた重要な事に、御言葉の中に、神はご自身がどういうお方であるのかを人間に知られるように現しておられます!詳細を言いますと、聖書は三位一体なる神のご性質を表しておられますし、そのご人格、お働き、ご目的、ご意志、御心、そして救いを提供しておられるという事を伝えています!


●このように、真の神がどういう方なのか、まさにそれが聖書の中に現されているのです!ですから、御言葉は「主のあかし」(詩19:7)そのものです!イエス様は、「聖書が、わたしについて証言している」(ヨハ5:39)のだと語られました!また、使徒ペテロは、「イエスについては、預言者たちもみな・・・あかししています」(使10:43)と伝えています!そして、御使いは使徒ヨハネに対して、「イエスのあかしは預言の霊です」(黙19:10)と語りました!神は御使いたちを通し、預言者たちを通し、使徒たちを通し、またその他の神の器たちを通して、ご自分を主権者そして救い主として聖書の中に現されました!また、幻やしるしや不思議や奇蹟を通しても、神はご自分を聖書の中に現されました!


―ルカの福音書の中にご自身を現された神!―


●神によって霊感された歴史家であるルカが福音書を記すに当って、彼は、読者が神の働き

である贖いのご計画がどう展開しそして進展して行くのかを特に見て欲しいと願いました!ルカは、文字通り驚異的な超自然の出来事に焦点を当てています!その出来事とは、贖いの歴史の最も重要な時代の始まりを告げるものでした!その始まりは、この世界に救い主の前ぶれを告げ知らせる者を送るために神がなされる奇蹟的な介入を意味していました!


●子どもの誕生というものは、いつも大きな喜びと祝福をもたらすものです。イスラエルでは、一家の血筋を男の子が継承するという点では特に意味がありました。ところが、バプテスマのヨハネは決して結婚しませんでしたし、子どもの父親となるという事もありませんでしたが、友人や隣近所や親戚が、その喜びの誕生を祝う事を望みました。(続く)

―2―

そして、実に、その母エリサベツが男の子を産んだという事が全ての人々をより一層喜ばせました。なぜなら、彼女が長年にわたって不妊の女であり、夫婦共々に年を重ねて子どもを産む事においては絶望的であったからです。そして且つまた、生まれて来る子どもが救い主の前ぶれを告げ知らせる者になるという使命を帯びていたという事もあり、人々はより大きな関心と期待とに胸を膨らませていました!


2)「いったいこの子は何になるのでしょう」(1:66a)


●バプテスマのヨハネの誕生は、身近な人々をはじめ「ユダヤの山地全体にも語り伝えられて行った」(1:65b)程に大きな喜びに満ちたものでしたが、現代の私たちにとってはもっと大きな喜びであるという事をご存じでしょうか?それは、「いったいこの子は何になるのでしょう」(1:66a)という質問に対する答えを、私たちは知っているからです。


●福音書は、ヨハネの生涯から来る影響力また特に説教から来る力強い影響力を記録しています(マタ3:1)。その記録には、エルサレムとユダヤの地からおびただしい群衆がヨハネのいる荒野に群れを成して集まって来た事を伝えています(3:5)。ヨハネはそこで救い主の到来に備えて人々の心を整えました(3:3)。人々は自分の罪を告白しそしてバプテスマを受ける事によって、自分たちの悔い改めの真実さを表しました(3:6)。ヨハネは、イエス・キリストを「世の罪を取り除く神の小羊」(ヨハ1:29)として宣べ伝えました。そして、ヨハネは霊的権威者である宗教指導者たちに対峙しても、彼らに真の悔い改めを迫りました(3:7-10)。そして更には、ヨハネは当時の権力者であるヘロデ王にも対峙してその罪を指摘し、それが結果的にはヨハネの命が絶たれる事につながりました(マタ14:6-10)。ヨハネの生涯をざっと振り返りましても、相当なインパクトを社会的にも、宗教的にも、また権力者に対しても与えていた事が分かります!


●既に学びましたが、ヨハネは「まだ母の胎内にあるときから聖霊に満たされ」(ルカ1:15)、胎児でありながら救い主の到来を「喜んでおどり」(ルカ1:44)ました!更に、ヨハネは、「あの方は盛んになり私は衰えなければなりません」(ヨハ3:30)とも語り、救い主を紹介し、救い主に仕える自分の使命をよくわきまえていました!そのようなヨハネに対して、イエス様ご自身は、「まことに、あなたがたに告げます。女から生まれた者の中で、バプテスマのヨハネよりすぐれた人は出ませんでした」と彼を称賛されました!救い主の「前ぶれ」になるという召命は他の誰よりも気高い召命であるがゆえに、イエス様はヨハネを偉大な者だと称賛されたのでした!


[1]神の真実な約束(1:56-58)


●ルカは、このようにイエス様とバプテスマのヨハネの話を交差させながら主の物語を紐解き、この聖書箇所では、ヨハネの誕生が神に関する三つの真理を伝えているのだという事を記しています。それは、前述しましたアウトラインにありましたように、神の真実な約束(1:56-58)、神の恵み深い目的(1:59-63)、そして神の驚くべき御力(1:64-66)です。それでは今回は、その一番目の神の真実な約束(1:56-58)に注目して御言葉を学んで行きましょう。




―3―

1)マリヤのユダの町からナザレへの帰郷(1:56)


56節に記されていますように、「マリヤは三か月ほどエリサベツと暮らして、家に帰(り)ました。という事は、46節から55節に記されている『マリヤの讃歌』から、56節以降のバプテスマのヨハネの誕生の記述に移行している事が分かります。26節36節で学びましたように、マリヤがエリサベツとザカリヤの家を訪れたのはエリサベツが妊娠6か月の時で、そこで「三か月ほど」過ごしたという事は、マリヤが帰郷する頃には、エリサベツは妊娠9か月になっていました。という事は、エリサベツの出産の時が近づいているという事を示しています。マリヤはエリサベツの出産を見届けて帰郷したと考える人がいますし、そうではなくそのすぐ前に帰ったと理解する人もいます。このバプテスマのヨハネの誕生の記述の中にマリヤの事が全く記されていない事もあり、どちらかというと出産を間近に控えて帰ったのかも知れないと考えられます。どの家に帰るのかと言いますと、マリヤはまだ結婚していませんので、ナザレにある彼女の両親の家でした。100Km以上の道のりです。


2)ヨハネの誕生は神の真実な約束の成就(1:57)


―神の約束の真実性!―


57節で、ルカはさてと記して、読者を重要な点に向けさせています。その重要な点とは、「月が満ちて、エリサベツは男の子を産んだ」という事です!ルカ1:13-14で、御使いガブリエルがザカリヤに語った神からの約束は次の通りでした。「1:13 御使いは彼に言った。こわがることはない。ザカリヤ。あなたの願いが聞かれたのです。あなたの妻エリサベツは男の子を産みます。名をヨハネとつけなさい。 1:14 その子はあなたにとって喜びとなり楽しみとなり、多くの人もその誕生を喜びます』」その約束が、まさにその通りに実現しました!この57節は、神の約束は真実であるという事を示すものです!


―旧新約聖書を貫く神の約束の真実性!―


●聖書全体には、神の約束が真実であるという事が貫かれて記されています!その真実のいくつかをここに取り上げましょう。


主がイスラエルの家に約束されたすべての良いことは、一つもたがわず、みな実現した(ヨシ21:45)。


約束どおり、ご自分の民イスラエルに安住の地をお与えになった主はほむべきかな。しもべモーセを通して告げられた良い約束はみな、一つもたがわなかった(1王8:56)。


神の約束はことごとく、この方において「しかり」となりました。それで私たちは、この方によって「アーメン」と言い、神に栄光を帰するのです(2コリ1:20)


約束された方は真実な方ですから、私たちは動揺しないで、しっかりと希望を告白しようではありませんか(ヘブ10:23)。


神は人間ではなく、偽りを言うことがない。人の子ではなく、悔いることがない。神は言われたことを、なさらないだろうか。約束されたことを成し遂げられないだろうか(民23:19)


偽ることのない神が、永遠の昔から約束してくださった(テト1:2)。


―4―

6:13 神は・・・6:14 こう言われました。「わたしは必ずあなたを祝福し、あなたを大いにふやす。」 6:15 こうして、アブラハムは、忍耐の末に、約束のものを得ました。・・・6:17 そこで、神は約束の相続者たちに、ご計画の変わらないことをさらにはっきり示そうと思い、誓いをもって保証されたのです。 6:18・・・神は、これらの事がらのゆえに、偽ることができません・・・私たちが、力強い励ましを受けるためです。 6:19 この望みは、私たちのたましいのために、安全で確かな錨の役を果たし・・・(ヘブ6:13-19)。


真実の神、主よ(詩31:5/イザ65:16)。


■・・・主よ。あなたは・・・恵みとまことに富んでおられます(詩68:15)。


あなたのみことばは真理です(ヨハ17:17)。


いかがでしょうか、聖書全体は、神が真実なお方で、神の約束も決して変わる事無く真実であるという事を力強く示していないでしょうか!聖書信仰を持つという事は、私たちにとって「力強い励まし」となり、その信仰からくる「望みは・・・安全で確かな錨の役を果た(す)」のです!聖書信仰、別の表現では福音主義信仰と言いますが、非常には大切です!


―「月が満ちて」/神の贖いの歴史の頂点へ向けて動き出す!―


●この「月が満ちて」というのは、勿論、バプテスマのヨハネの誕生を指していますが、バプテスマのヨハネの誕生は、神の贖いの歴史の頂点がいよいよ具体的に見え始め、それに向かって動き始めたという事を指しています!救い主の「前ぶれ」(ルカ1:17)を告げるバプテスマのヨハネの誕生は、救い主イエス・キリストの誕生へと続きます!救い主が十字架に架けられて神への犠牲の捧げ物となる事によって贖いの御業を成し遂げ、アダム以来の全ての信仰者へ罪の赦しと永遠の命がもたらされます!アブラハムの契約やダビデの契約そして新

しい契約というのは、全てこの救い主の贖いの御業によって確かなものとされるのです!これら聖書の主要な契約は、全てキリストの十字架によって初めて成立可能となるのです!


3)エリサベツへの神の大きなあわれみと喜び(1:58)


58節に移りましょう。今回のメッセージの最後のポイントです。長い間待っていた我が子の誕生は、これまで不妊で子どもを産む事のできなかったエリサベツの恥を取り除きました!我が子の誕生は、エリサベツに喜びを与え、また彼女の友人や親戚も「彼女とともに喜(び)」ました!


―サラとアブラハムの場合―


●もしかしたら、同じく不妊の女で長い間子どもを産む事のできなかったサラのように、エリサベツもその喜びのゆえに笑ったのかも知れません。夫のアブラハムが百歳で妻のサラが90歳の時に、神よって奇蹟的に約束の子イサクが誕生しました。高齢になった二人に対して御使いから後継ぎが生まれる事を約束された時、二人とも「笑(い)」(創17:17、18:12)ました。いざ、出産した時、サラは次のように言いました。「聞く者はみな、私に向かって笑うでしょう」(21:6、と。そして、続けてサラは、「だれがアブラハムに、『サラが子どもに乳を飲ませる』と告げたでしょう。ところが私は、あの年寄りに子を産みました」(創21:7、と。

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●アブラハムとサラは神の約束を疑って笑ってしまいましたが、聖書は次のように告げています。「21:1 主は、約束されたとおり、サラを顧みて、仰せられたとおりに主はサラになさった。 21:2 サラはみごもり、そして神がアブラハムに言われたその時期に、年老いたアブラハムに男の子を産んだ」(創21:1)、と!イスラエルの祖先となるこの夫婦は、その不信仰を悔い改めたに違いありませんし、出産を喜んで「笑(った)」人々と共に「笑っ(た)」事でしょう。


―エリサベツの場合―


●エリサベツ自身とその出産のニュースを聞いて駆け付けた人々とは、「主がエリサベツに大きなあわれみをおかけになった」のを目の当たりにして、神を高らかにほめたたえたに違いありません!神の「あわれみ」とは、受けるに値しない苦しむ者に対してなされる神の愛の行為を指しています!それが、エリサベツとザカリヤに対する神のお取り計らいの中に見られます!特にユダヤ人社会にあって、不妊によって長年恥ずかしい境遇に置かれたエリサベツに対して、まさに神は「あわれみ」を注がれたのでした!ルカ1:50547278の四か所に神の「あわれみ」という言葉が記されていますが、この一連の主の物語の一つの大きなテーマでもあるのです!


【まとめ】 それでは、今回のメッセージのまとめをしましょう。


●今回のメッセージの前半のポイントは、「主の御手が彼とともにあった」(1:66b)という御言葉に集約されます!バプテスマのヨハネの誕生もそうでしたが、聖書全体に「主の御手」が見られます!聖書全体は、神が真実なお方で、それゆえ神の約束も決して変わる

事無く真実であるという事を力強く示しています!そして、後半のポイントは、「主がエリサベツに大きなあわれみをおかけになった」という御言葉に表れていました!一連の主の物語の大きなテーマの一つは、神の「あわれみ」でした!


【適 用】 それでは、今回のメッセージを私たち自身に対して適用しましょう。


●「主の御手」はバプテスマのヨハネと共にありました!それは、ヨハネの生涯の歩みを見ればまさにそれは証明されています!あなたにとってはいかがでしょうか?「主の御手」があなたと共にあるという事を実感しているでしょうか?また、あなたは「主」の「大きなあわれみ」を実感しているでしょうか?あなたは、主があなたと共にあり、またあなたにあわれみを掛けてあなたの生涯を導いておられる事に対して、あなたは主に対してどう応答するでしょうか? それでは、祈りましょう。


【締めの御言葉】


■主の御手が彼とともにあったからである(ルカ1:66b)。


■主がエリサベツに大きなあわれみをおかけになった(ルカ1:58)。













[参考文献]


・ジョン・マッカーサー、『マッカーサー新約注解書/ルカの福音書1-5』(ムーディー出版、2009)(John MacArthur, The MacArthur New Testament Commentary, Luke 1-5, The Moody Bible Institute of Chicago, 2009, p.86-88)

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