ルカの福音書講解説教(2)/メッセージ原稿/『序文』(その 1)/2016.03.20

『福音書が記された緻密な背景!』

―確かな出来事・確かな情報・確かな調査ー 《ルカ 1:1-4/今回は 1:1-3a》

【序 論】 ●ルカの福音書の初回のメッセージの主題は、『最も偉大な生涯の物語!』でした。ルカの福音書は、 罪人に対する神の偉大な贖いの物語が、最も総合的にまとめられている書巻だという事をお伝えしま した。そして、今回と次回のメッセージでルカ 1:1 から 1:4 の序文の部分を取り扱いますが、そこに、ルカの 福音書が記された緻密な背景を知る事ができます!ルカの福音書がどのように記されて行ったのか、 その興味深い点が浮き彫りにされます!そういう意味で、今回のメッセージの主題を『福音書が記さ れた緻密な背景!』としました。

●1:1 から 1:4 までの序文の部分が終わりますと、5 節から、『最も偉大な生涯の物語!』がスタートしま す!この 4 節まである序文の部分の文体と 5 節以降のイエス様の生涯の物語の文体には、大きな違い が原語では見られます。4 節までの序文の文体はとても格調高いもので、その当時の一流の歴史家た ちが序文で用いる文体と同じで、重みのあるものとなっています。そして、5 節から始まるキリストの生涯 の物語の記述には、平易な文体が用いられています。それと、何と、1 節から 4 節までは、一文で記され ています。ですから、その一文を分かり易く解説することは、そうたやすいものではありません。説教者泣かせ の一文ですが、でも物凄く重要で、重厚な序文と言わざるを得ません!

●前回のメッセージで、ルカの福音書が福音書の中では一番長く、福音書全体の 40 パーセント近くを 占めているという事をお伝えしました!また、ルカは福音書と共に使徒の働きも記しました。その二つの書 巻を合わせると、新約聖書の四分の一も以上も占め、使徒パウロが書いた 13 書簡よりも多い量に なっているという事をお伝えしました。新約聖書の著者は 10 人いますが、その誰よりもルカが多くの量を 書いている事になります!しかし、驚くべき事に、この二つの書巻には、ルカの名前はどこにも記され ていません。何を意味していたのでしょうか?それは、ルカが自分を背後に隠す事によって、中心テ ーマであるキリストに焦点を当て、読者をキリストに近づけさせるためでした!二回目のメッセージ では 1:1 から 1:3 の前半までを取り扱いますが、3 節の冒頭に、「私」という言葉が出てきますが、これが、 ルカの福音書で唯一著者を表す言葉です。ルカがいかに自らを隠して、へりくだって主イエス様に 仕えているのかが理解できます!5 節以降からは一切著者であるルカは出てきませんので、どうぞ今のう ちにルカについて学んで下さい。

●それでは、序文の部分の構成を、下記のアウトラインで確認する事にしましょう。 【序文の全体のアウトライン】
◎序論/ルカの福音書の特徴/済

[1]医者としてのルカ(コロサイ4:14/他)/今回 [3]神学者としてのルカ(ルカ1:3b)/次回 [2]歴史家としてのルカ(ルカ1:1-3a)/今回 [4]牧師としてのルカ(ルカ1:4)/次回

―1―

【今回のアウトライン】

[1]医者としてのルカ(コロサイ4:14/他)

1)古代ローマ時代の医者

2)新約聖書に記された医者(マタ 9:12/コロ 4:14/他)

[2]歴史家としてのルカ(ルカ1:1-3a)

1)成就された確かな出来事(1:1,2) 2)目撃者の確かな情報(1:1,2) 3)骨の折れる確かな調査(1:3a)

【本 論】 それでは、今回のメッセージの本論に入りましょう。

[1]医者としてのルカ(コロサイ4:14/他)

●前回の序論で既に触れましたが、ルカはパウロの異邦人への第一次伝道旅行を通してキリスト教信 仰に導かれ、その後、第二次伝道旅行からパウロの同労者となって宣教の働きに従事するようにな ったと考えられます。彼がパウロの同労者になる前はどういう人物であったのかという点につきましては、 ただ一点しか伝えられていません。それは、彼が「医者」であったという事だけです。それが聖書のどの箇所で 分かるかと言いますと、コロサイ 4:14 です。パウロは、ルカについて次のよう言葉で表現しています。「愛する 医者ルカ」と!今回のメッセージの第一のポイントは、医者としてのルカです。

1)古代ローマ時代の医者

●そこで、新約聖書の時代すなわち古代のローマ時代において、医者とはどういう職業の人たちであっ たのか、という点について見て行きましょう。その当時の医者というは、今日のように必ずしも高い尊敬 を受ける職業ではありませんでした。古代の医療に詳しいハワードという学者が、いくつかの報告をしてい ます。紀元後二世紀の著名な医者にガレンという人物がおりました。ギリシャの解剖学者で、彼の医学の 理論はルネッサンスの時代まで、ヨーロッパの薬の基礎を築いた人と言われています。彼は、金儲けに走 る医者やありきたりの医療行為しかしない偽医師を痛烈に非難しています。二世紀の古代ローマ時代にお いて、貪欲な医者たちが多くの人々を集めて、人体の造り、骨の構造や仕組み、毛穴や呼吸そして排泄 に至るまでの医療講演をし、聞き手を魅了し、患者たちを引き付けていたと記しています。そのように、当時 の多くの医者たちが公衆の脚光を浴びるのを好み、そこから金儲けに走っている事について、医療業界以 外の人々によって非難されていたと伝えています。

●「ローマの医療」という優れた調査書の中で、著者であるジョン・スキャボラフは、ローマには二種類の 階級に分かれた医者たちが存在していたと伝えています。貴族階級の人々は、高額な治療費を支払って、 自分たちに専属で仕える医者を持っていたようです。また一方では、資格を持たない医者、偽医師、いか さま医師、人をだまして食い物にする医師たちがいました。また、そのようないかさまの医師たちを求める程、 医療的な必要をおぼえている多くの人々がいるのも事実でした。

―2―

●そして、二世紀の半ばになると、医療面においてもまた神秘主義的な面においても、癒しの奇蹟を行う と言われる多くの者たちが、短編小説や劇などで風刺されていたようです。一口に医者と言っても、古代 ローマの時代の医者にまつわる状況というのはこのようなものでした。今日に見られる医者の立場と はかなり違う状況でありました。※1

2)新約聖書に記された医者(マタ 9:12/コロ 4:14/他)

―「医者」という言葉が使われた4つの例―

●それでは、医者について聖書はどう語っているのでしょうか?新約聖書には、「医者」(ヒラトゥロス)と いう言葉が 7 回だけ出てきます。その中で、肯定的な表現として用いられているのはたったの一回のみ です。まずは一番目ですが、マタイ 9:12、マルコ 2:17、そしてルカ 5:31 に記されている例ですが、「医者を 必要とするのは丈夫な者ではなく、病人です」という言葉です。医者の役目は丈夫な者ではなく病人を介 抱するためにあるのだ、という事を伝えている諺のような表現です。三つの福音書に記されているこの御言 葉は、イエス様が、病人をはじめ、ユダヤの律法的に違反して汚れた者と見なされている人々や社会からの けものにされている人々に対しても、心を配られているという事を告げるために用いられていました。

●二番目に、二つの福音書で、「医者」という言葉が次のように用いられています。「5:25・・・十二年の間 長血をわずらっている女がいた。 5:26 この女は多くの医者からひどいめに会わされて、自分の持ち物をみ な使い果たしてしまったが、何のかいもなく、かえって悪くなる一方であった。」(マコ 4:25-26/ルカ 8:43)、と。 この女性に関わった「医者」が、彼女から治療費を取れるだけ取ったものの、その病気を癒す事はできなかっ たという事の中で用いられています。

●三番目に、ルカ 4:23 には、「医者」に関して次のような言い回しがありました。イエス様が、ご自分の郷里 ナザレで次のように語られました。「きっとあなたがたは、『医者よ。自分を直せ』というたとえを引いて、カペナ ウムで行われたと聞いていることを、あなたの郷里のここでもしてくれ、と言うでしょう。」、と。イエス様を小さい 頃から見て来た郷里の人々は、「あれはヨセフのせがれではないか」と言って、イエス様を敬いませんでした。 このイエスが救い主だなんて郷里の多くの人々が思いませんでした。しかし一方、不思議な業には興味があ りましたので、「イエスよ、あんたの郷里であるここナザレでも癒しを見せてくれるんだよな」と言って、イエス様に 奇蹟を要求したのでした。そのような彼らの思いを読んでおられたイエス様が語られたのが、先程の言葉でし た。ですから、彼らのイエス様に対する不信仰のゆえに、イエス様はそこで奇蹟を行う事をしませんでした。

●四番目に、「医者」という言葉について最後に取り上げるのが、ルカに対してパウロが使った言葉に見られ ます。このところだけが、「医者」という言葉が肯定的に使われています。前述した言葉ですが、コロサイ 4:14 に「愛する医者ルカ」と記されています!その言葉には、ルカがパウロの同労者になる前に、彼が医療の分 野でどのような役割を果たしていたのかという事には触れていません。良い医師だったのか、それとも良く ない医師だったのか・・・?でもいかがでしょうか、ルカが、貪欲で、医術を金儲けのために使っていたと 考えられるでしょうか?もしそうであったのなら、迫害と投獄を強いられる伝道旅行に、パウロの同労 者としてついて行く事ができるでしょうか?いかさまで、いい加減な医者であったと推測できるでしょ うか?もしそうであったのなら、パウロの度重なる迫害によって傷付いた体の治療に最後まで付き添 う事ができたでしょう・・・? ―3 ―

―「医者」としてのルカの姿勢―

●2 テモテ 4:11 にルカの名前が記されており、パウロは次のように伝えています。「ルカだけは私とともに

おります」と!このテモテ手紙第二は、パウロが記した最後の手紙ですので、パウロの殉教の死が間近に

迫っているという状況で記した手紙という事になります。16 節では、パウロは「みな私を見捨ててしまいました」

と記しています。皇帝ネロによる迫害がピークに達していたからでした。多くのクリスチャンがローマを離れまし

た。只単に彼らが臆病だからというのではなく、他の地域に福音を伝えなければならなかったと彼らが考えた

のかも知れません。そんな状況下で、ルカは老練な使徒パウロに対して忠誠心を持ち、忠実で、勇敢で、

長期間にわたって友でありまた仲間であり、同労者であり、長期にわたる長旅を共に徒歩で歩きました。第

二次伝道旅行の終わりに、パウロはルカをピリピの地へ残して新しく誕生した教会を導くように指示しました。

そして 6 年後に、再びルカが第三次伝道旅行に加わり、その後ずっとパウロの殉教の死に至るまで一緒にい

て、パウロの健康を見守りました。で、いかがでしょうか、ルカは只の医者ですか?彼は、実に、使徒パウ .......

ロから「愛する医者ルカ」と呼ばれる神の器でした!ルカは決して貪欲な医者ではなく、いかさま医 師でもなく、いい加減な医者でもありませんでした!使徒から愛されるクリスチャン医師でした!

[2]歴史家としてのルカ(ルカ1:1-3a)

―前置き/「多くの人が記事にまとめて書き上げようと、すでに試みております」―

●今回のメッセージの第二のポイントに進みましょう。それは、歴史家としてのルカです。ルカは、新改訳 聖書の 1、2 節の四行目の後半に記していますように、イエス・キリストの地上生涯について「多くの人が記 事にまとめて書き上げようと、すでに試みて(いる)」という事を認識していました。ルカはここで、これらの記事 がどのようなものなのかについては特定していていませんが、それらはすべて現存していません。しかし、ルカ が自分の福音書を記す前に既に書き上げられていた福音書はマタイとマルコだけで、その二つの福 音書は霊感されていて写本という形で現存しおり、ルカはそれらを参照したと考えられます。でも、マ ルコ 6:45-8:26 に記された重要な箇所がルカでは記されてはいませんので、もしかしたらマルコの福音書を 参照していなかったのかも知れません。しかし、ルカがその二つの福音書を読んでいてもいないにしても、ルカ はマタイとマルコという人物と個人的に交わりを持っていた事は確かです。なぜなら、マルコとルカは使 徒パウロと共に旅行をしていますし(ピレ 24)、またルカはパウロと共にエルサレム教会を訪ねた後、パウロが二 年間にわたってカエザリヤで投獄されていた間に(使 24:27)、エルサレムにいるマタイを訪ねる事もできたから です。

―エルサレム教会のキリストの目撃者へのインタビュー―

●パウロのカイザリヤに於ける二年間の投獄は、決して無駄ではありませんでした!神は、その期 間をも益にしておられます!というのも、ルカはカイザリヤにいるパウロの健康管理をしながら、そこから 100Km離れたエルサレム教会を訪ねては、イエス・キリストをその目でじかに見た人々、直に話した 人々、直に共に過ごした人々に直接出会い、彼らにインタビューし、イエス様の地上生涯に関する 生きた生の情報を集めたに違いありません!使徒たちに会ってイエス様の弟子訓練の様子を聞い たり、イエス様を産んだマリヤに直接会って処女降誕について聞いたに違いないのです! ―4 ―

●そしてまた、イエス様によって遣わされた 70 名にも直接会ってインタビューした事でしょう(ルカ 10: 1-12)。それから、イエス様に仕えられた女性たちにも会ってインタビューもした事でしょう(マタ 27: 55/マコ 15:40-41/ルカ 8:1-3、23:49,55)。それから、イエス様の昇天後、「屋上の間」(使 1:13/アッパ ルーム)に集まって聖霊を待ち望んで聖霊のバプテスマを受けた 120 名の信者たちにもインタビュー した事でしょう。更には、ガリラヤで復活の主に出会った五百人の信者たちにも会ってインタビューし た事でしょう(1 コリ 15:6)。ルカが出会ったこれらの人々は、イエス様が行われた事、イエス様が言わ れた事をありありとおぼえていたに違いありません!ルカはインタビューだけでなく、恐らく、彼らが 記録として残していた文書にも目を通した事でしょう。

1)成就された確かな出来事(1:1,2)

―「確信されている出来事」(本文)=「すでに成就された出来事」(欄外)―

●歴史家としてのルカの一番目のポイントは、1、2 節の前半に記されていますように、成就された確かな 出来事について言及しているところです。ルカの目標は、イエス・キリストのもう一つの伝記を書き残す という事ではありませんでした。勿論、イエス様の伝記そのものを書き残すだけでも十分に気高い事なの ですが、ルカが書こうとしたのは只単に伝記以上のものでした。それは、父なる神がイエス・キリスト を通して罪人の間で成し遂げられた福音の物語を後世に書き残す事でした!1:1、2 節の前半に、 「確信されている」と訳された言葉があります。これは、何かが完全に成就したという意味が込められ 強調された言葉です。新改訳の 1、2 節の欄外には、今語った説明が込められた言葉で訳された表現が 出ています。何と記されていますか?「すでに成就された出来事」とあります。ここで、何が「すでに成 就された出来事」かと言いますと、それは神の贖いの計画が確かに成就されたのです!それゆえ、 それは確信されている出来事だというのです!

●新約聖書に正典としてに加えられた他の三つの福音書と同様に、ルカの福音書も、神が成し遂げて 下さったテーマを強調しているのです!御子である主イエス・キリストの贖いを通して、神がどのよ うにご自分の選びの民のために救いを成し遂げて下さったのかを順序立てて記録しているので す!この世やこの世の歴史家は、イエス・キリストを皆から正しく理解してもらえなかった道徳の先生だ とか、社会改革に失敗した者だとか、無欲でへりくだった模範者だとか、あるいは殉教者の鏡で英雄など という見方をしています。しかし、イエス様の偉大な生涯を記録している福音書は、そのような見解と は全く異なる内容です!福音書は、神が人となられた救い主を伝えています!そのお方は、「世の 罪を取り除く神の小羊」(ヨハ 1:29)なのです!

―神がルカに福音書を書くよう働き掛けられた!―

●ルカは、「多くの人が」努力してキリストの地上生涯とその働きを歴史的な「記事にまとめて書き上げようと」 しているという事を伝えていますが、彼はそれらの「記事」を批判したり、それらの「記事」に修正を加えようと しているのではありません。そうでなくて、ルカは、神が彼に対してキリストの生涯の物語を総合的に書き 上げ、それによって主の救いの福音を広めるよう彼に働き掛けられたので、彼は福音書を書く事に 着手したのです! ―5 ―

―これらの情報源に言及している理由―

●ここで、ルカが福音書を書くに当って、その情報源に言及しているのは、どういう理由からなのでし ょうか?それには二つの理由があります。一番目の理由は、ルカの記す歴史が正当且つ信頼のおける 記述であるという事をはっきりさせるためです!ルカは、信頼できる調査に基づく記述方法を採用 する注意深い歴史家です!そして、その調査をするに当って、使徒をはじめとする目撃者の生の目 撃情報を直接入手し、それを土台にして福音書を記して行ったのでした!二番目の理由は、ルカが このような目撃者の直接情報を用いるのは、彼の福音書の記述が正統的な手法によってなされて いるという事を示していました!また、ルカの記述は、使徒たちの教えと異ならないものであり(参/ 使 2:42)、他の目撃者たちとも異ならないものであり、特に霊感されて記された他の二つの福音書 とも異ならないものであるという事を示していました!(ヨハ 20:30-31、21:24-25)このような手法 を用いるのが、ルカが正当な歴史家であるという証明です!

2)目撃者の確かな情報(1:1,2)

........ ...............

-初めからの目撃者で、みことばに仕える者となった人々が、私たちに伝えたそのとおりを・・・まとめ-

●歴史家としてのルカの二番目のポイントは、目撃者の確かな情報です。1、2 節の二行目の下の部分 ですが、ルカは福音書を記述するに当って、「初めからの目撃者」から彼に「伝え」られた生の情報を 活用したと記しています!「初めからの目撃者」と「みことばに仕える者となった人々」とは同じ 人々です。その人々は、イエス様の働きをその目でじかに見、その働きにじかに関わり、そしてイエ ス様からじかに学んだ教えをもって忠実に福音を宣べ伝えた人々を指しています!

●四名の福音書記者たちを霊感して新約聖書の中にキリストの生涯についての真理を残されるま では、神は、その「目撃者」たちを通して真理を保つようにされ、そしてその真理を宣べ伝えさせる ようにしたのです!この「初めからの目撃者」たちが最も重要な権威ある真理の情報源で、彼らが もたらした本物の情報を基にしてルカの福音書が記述されたのです!言うまでもなく、この「初め からの目撃者」たちとは使徒たちを指しています!ルカ自身は「初めからの目撃者」ではありませんでし たので、彼が使徒ではない事は明らかです。使徒の一つの条件は、甦りのキリストの証人でなければなりま せんでした(使 1:21-22/ルカ 24:45-48/ヨハ 20:19-29/1 コリ 9:1/1 ヨハ 1:1-3)。マルコの福音書を書いた マルコも同様に彼自身は使徒ではありませんでしたが、使徒ペテロの覆いの下でその福音書を書いたと考え られますし、また使徒パウロの同労者の一人でした。

3)骨の折れる確かな調査(1:3a)

―「私も、すべてのことを初めから綿密に調べております」―

●歴史家としてのルカの三番目のポイントは、骨の折れる確かな調査です。ルカは「初めからの目撃 者」たちの真実に溢れる豊かな証言にじかに触れ、それに基づいて福音書を書いたのですが、それ は歴史家ルカにとって文字通り「よいと思います」という一言に尽きる調査方法でした!(続く)

―6―

彼は3節の前半で、「テオピロ殿」に対して、「すべてのことを初めから綿密に調べております」と伝えて おりますが、この言い回しも、ルカ自身がいかに熟練した正確な歴史家であるのかという事を物語 っています!彼の入念且つ注意深い「綿密」な調査は、まず彼自身へイエス・キリストの生涯と働き に関する誤りのない理解を与えてくれました!それは、ルカが聖霊の霊感の下で福音書を書き上げ るに当って、彼はまさに適任者であったという事を示していました!

―霊感によって記されるという事の意味とは・・・?―

●ここで、霊感されて聖書として書き残されるという事がどういう事なのかを理解しておく必要が あります。ルカがこのように目撃者の証言や文献を使って福音書を書き上げるという事に対して、あ る人々は、ルカの福音書が霊感されていないと判断しています。ですから、霊感のプロセスはどういう ものかを理解しておく必要があります。「聖書はすべて、神の霊感によるもので」(2 テモ 3:16)と記されて いますが、この「霊感」の過程、プロセスというものは、聖書の書巻を書いている人の特徴、その人の 人生経験、その人の語彙(その人の使っている言葉)、そしてその人の文体を無視して働くものでは ありません!聖書記者たちのそれぞれの特質は、聖書の全ての書巻に永久に深く刻まれていま す!聖霊は、ルカの知識を用いられましたし、また彼に追加情報を与えていますし、どの情報や文 献を選ぶべきかを導き、そして全ての言葉をコントロールして記させています!それゆえに、聖書記 者は、神が願った通りに書く事ができたのです!(1 コリ 2:12-13/2 テモ 3:16/2 ペテ 1:20-21)それによ って、誤りのない福音書に記されたイエス・キリストの生涯について後世の人々が学び、救いを得る 事ができたのです!

【まとめ】 それでは、今回のメッセージのまとめをしましょう。

●この一文でつながった重要で重厚な序文を解説する事は、優しい事ではありませんでしたが、い かがでしょう、理解できましたでしょうか?最後に、簡単にまとめる事にしましょう。今回は、医者としての ルカと歴史家としてのルカの二点について学びました。ルカは、使徒パウロから「愛する医者ルカ」と呼 ばれ、厚い信頼を寄せられていました。また、歴史家としてのルカは、既に成就している確かなキリス トの生涯の出来事、次にそれを直接目撃した使徒たちをはじめとする信仰者たちからの確かな情報に基 づき、骨の折れる綿密で確かな調査を行うことによって、初めてルカの福音書を書く事が可能となりました。 そのプロセスの全てに、聖霊なる神の導きと守りとが与えられていました!それによって、後世の 人々が、絶対的な信頼を持って聖書を読む事を可能にしたのでした!

【適 用】 それでは、今回のメッセージを適用しましょう。

●あなたは、聖書が確かな出来事を目撃した確かな情報に基づいて、綿密な骨の折れる確かな調 査によって書き上げられ、その全ての過程が全て聖霊によって守られて出来上がった信頼のおける 書物であるという事を確信しましたか?その聖書に、自分の全ての人生を永遠にかけていい程のも のだという事を確信しましたか?そして、この聖書の真理によって救われたあなたが、他の人の救い のためにその真理を提供する側に立ちたいと心から願いますか?それでは祈りましょう。

―7―

【結論の御言葉】

3:16 聖書はすべて、神の霊感によるもので、教えと戒めと矯正と義の訓練とのために有益です。 3:17 それは、神の人が、すべての良い働きのためにふさわしい十分に整えられた者となるため です(2テモテ3:16-17)。

[参考文献]

※1 ジョン・マッカーサー、『マッカーサー新約注解書/ルカの福音書 1-5』(ムーディー出版、2009)(John MacArthur, The MacArthur New Testament Commentary, Luke 1-5, The Moody Bible Institute of Chicago, 2009, p p.12-13)

―8―