ルカの福音書講解説教(13)/メッセージ原稿/『マリヤへの神の受胎告知』(その 3/最終編)/2016.10.23
『その偉大さは言葉で表せない!』
―未婚マリヤへの偉大な御子の受胎告知―
《ルカ 1:26-33/今回は 1:31-33》

【序 論】
●クリスマスメッセージは、三回シリーズの『マリヤへの神の受胎告知』から始まっています。御使いガブリエルが神の恵みによって選ばれたマリヤに遣わされた事について、過去二回のメッセージで取り扱いました。そして、三回目で締めくくりの今回は、神に送られし御子イエス・キリストについて御言葉を学びます。
●今回のメッセージの前半では、未婚のマリヤにとっては、矛盾に満ちた想像しがたい告知を御使いガ
ブリエルから受けます。マリヤの直面した矛盾に満ちた告知、それによる葛藤やとまどい、そして試さ
れる神への従順について取り上げます。また、後半では、イエス・キリストの表現しがたい偉大さにつ
いて学びます。神は、イザヤ書で、「わたしの栄光を他の者に・・・与えはしない」(42:8)と語っておられ
ますが、マリヤの受胎を通してこの世に誕生される御子イエス・キリストについての偉大さについて理
解を深めたいと願います。
●今回のメッセージの主題は、『その偉大さは言葉で表せない!』です。また、副題は、「未婚マリヤへ
の偉大な御子の受胎告知」です。メッセージの大きな流れは、下記の[今回のアウトライン]に記された通り
です。
【全体のアウトライン】
[1]神に遣わされし御使いガブリエル(1:26a)/済
[2]神に選ばれしマリヤ(1:26b-27)/済
[3]神に恵まれしマリヤ(1:28-30)/済
[4]神に送られし御子イエス・キリスト(1:31-33)/今回
【今回のアウトライン】
[4]神に送られし御子イエス・キリスト(1:31-33)/今回
1)未婚マリヤへの受胎告知(1:31)
ア)未婚の妊娠と出産の告知(1:31a)
イ)イエスとつけるよう命じられる(1:31b)
2)イエス・キリストの表現しがたい偉大さ(1:32-33)
ア)イエス様は「すぐれた者とな(る)」(1:32a)
イ)イエス様は「いと高き神の子と呼ばれ(る)」(1:32b)
ウ)イエス様は「父ダビデの王位」につく者となる(1:32c-33)
―1―
【本 論】
[4]神に送られし御子イエス・キリスト(1:31-33)
1)未婚マリヤへの受胎告知(1:31)
ア)未婚の妊娠と出産の告知(1:31a)
●天の御使いガブリエルの現れと挨拶がもしマリヤを当惑させたのであれば、現に「ひどくとまどっ(た)」(1:29)
のですが、その次に語られる言葉は彼女の度肝を抜いたに違いありません!その言葉とは、「ご覧なさ
い。あなたはみごもって、男の子を産みます。」です。現代流に反応するなら、「はあ~」です。マリヤは
自分が子どもを「みごも(る)」としたら、方法は一つしかないという事をよく知っていたからです。その
方法とは、結婚して男性である夫との性的な関わりのみによってしか、自分が「みごも(る)」方法はな
いという事でした。
●そして、もう一つマリヤが確信している点は、34 節に記されていますように、「どうしてそのようなことになりえ
ましょう。私はまだ男の人を知りませんのに。」という事でした。聖書は、性的に露骨な表現を避けていま
す。ですから、ここでは「男の人を知りませんのに」という表現を用いています。すなわち、マリヤは、自分は妊
娠出産に関わる男性との関係は一度たりともありません、という事を語っています。マリヤにとって、いや全て
の人にとって、“妊娠している処女”という理解は持てませんし、そのような事は不可能なだと当然理解して
います。その事を別の表現でするのなら、“結婚している独身男性”とか、あるいは“丸い四角形”というよう
なものと同じです。すなわち、御使いガブリエルのマリヤへの告知は矛盾以外の何ものでもありませ
ん!
●ガブリエルの驚くべき告知ではあるのですが、それは救い主の処女降誕というイザヤ書の預言の
成就を指していました!マリヤが男性との関わりを抜きにして、「みごも(り)」そして「男の子を産
(む)」という事を意味していました!このような驚くべき神の奇蹟の約束は、マリヤの理解をまた
いかなる人の理解をも遥かに超えるものでした!
イ)イエスとつけるよう命じられる(1:31b)
●そして、ガブリエルは、あっと言わせるような短い時間に、主イエス・キリストの永遠に続く栄光に
富んだ働きを簡潔に要約した啓示をマリヤに知らせるのでした!主イエス様の救いの働き、正しい
地上の生涯、神性、復活、昇天、栄光に富んだ凱旋、そして王国の支配です!ガブリエルはマリヤに対
して、生まれて来る子の「名をイエスとつけなさい」と命じる事から始めました。
●「イエス」という名前は旧約聖書に登場する「ヨシュア」のギリシャ語読みで、「主は救い」という意味があ
ります。まさしくその意味の通り、イエス様の本質がメシヤとして救いの働きをするお方だという事を示
しています!聖書の神は救いの神であり、「失われた人を捜して救うために」、イエス・キリストはこ
の世に「来(られ)たのです」!(ルカ 19:10/参 2:11、30、38/マタ 1:21/1 テモ 1:15/ヨハ 12:27/ロマ 8:
3-4/2 コリ 8:9)イエス様の救いの働きは新約聖書のテーマの中心にくるものです!(参 マタ 11:
28-30/ヨハ 14:6/使 4:12、5:31、13:23、38/ロマ 5:1-2/2 オリ 5:21/ヘブ 7:25/黙 1:5)(続く)
―2―
「名をイエスとつけなさい」という命令に対して、ルカ 2:21 では「幼子はイエスという名で呼ばれる
ことになった」と記されていますので、マリヤとヨセフがその御使いを通して与えられた命令に対し
て忠実に従った事が分かります!彼らは、人間の常識を遥かに超える御告げに対して、葛藤をおぼ
えつつも、従順に従って行った事が分かります!
2)イエス・キリストの表現しがたい偉大さ(1:32-33)
ア)イエス様は「すぐれた者とな(る)」(1:32a)
●32 節の前半で、ガブリエルはマリヤに対して、誕生する「その子はすぐれた者とな(る)」と語りました。「すぐ
れた」と訳された言葉には、「メガス」というギリシャ語が使われています。コンピューターが普及した日本人に
とってもお馴染みの言葉となりました。容量の大きさを表す単位として使われている「メガ」という言葉です。
口語訳では「大いなる」、そして新共同訳では「偉大な」と訳されている言葉です。
●これらの表現と似たものに、並外れた、立派な、壮大な、見事な、気高い、著名な、力強い、卓越し
た、抜きんでたという言葉がありますが、それら全てを付け足したにしても御子イエス・キリストを形容
するには不十分だと言わざるを得ません!主イエス・キリストという栄光と威厳に満ちたお方をそ
のままその通り適切に表すのには、人間の言葉では不十分です!御子イエス・キリストを表すに当っ
て、ここでは最上級の誉め言葉が使われていません!なぜなら、それら人の最上級の言葉をもって
しても、イエス・キリストを表すに当っては不十分で、余分な表現だと言えます!イエス・キリストの
生涯を見ると、その「偉大さ」は明らかです!それゆえ、礼拝を捧げる敬虔な信仰者たちがいつも感
じる事は、イエス様の尊厳と栄光を表すには人間の言葉では不十分なのだという事です!どんな
に思いつく最上の誉め言葉を使って主をたたえたとしても、いつも十分ではないと感じさせられま
す!しかし、誉めたたえる思いが溢れて来ますので、不十分だと思いつつも、できる限り最上の言葉を持っ
て讃えているのが私たちの現状です。
―バプテスマのヨハネの偉大さ&イエス様の偉大さ―
●ここで、バプテスマのヨハネの偉大さとイエス様の偉大さの違いに目を留めましょう。バプテスマのヨハ
ネについては、後に父親となるザカリヤに対して、御使いガブリエルは「彼は主の御前にすぐれた者となる」(ル
カ 1:15)と伝えました。しかし、イエス様の場合はバプテスマのヨハネとは違って、その偉大さには限り
がありません!イエス様は、イエス様ご自身そのものが偉大です!イエス様の偉大さは、神そのも
のとしてのご性質が元々備わっておられるがゆえです!イエス様の偉大さというのは、ご自分以外
のいかなる源からも来ていません!新約聖書の書簡において、イエス・キリストはどのように表されて
いるでしょうか?それは、イエス・キリストが、「すべての支配、権威、権力、主権の上に、また、今の世
ばかりでなく、次に来る世においてもとなえられる、すべての名の上に高く置かれ・・・た」(エペ 1:
21)お方だと宣言されています!
―イエス・キリストの偉大さを測る真の基準とは・・・?―
●神は、「わたしの栄光を他の者に・・・与えはしない」(イザ 42:8)と語っておられます!という事は、イ
エス様の偉大さを測る真の基準とは、イエス様の内から流れ出る神の栄光であり、イエス様が分か
ち合っておられる神の栄光にあると言えます!(続く) ―3―
イザヤが見た神の尊厳と栄光(イザ 6:1-10)に言及して、使徒ヨハネは次のように記しています。「イザヤ
がこう言ったのは、イザヤがイエスの栄光を見たからで、イエスをさして言ったのである」(ヨハ 12:
41)、と!どういう意味なのでしょうか?イザヤが神殿で神の栄光を見た時、イザヤはキリストの栄
光を見たのだと語っているのです!なぜなら、イエス・キリストが父なる神の栄光を共にするお方であ
るからです!
●その栄光はイエス様ご自身の肉体によって包まれてはいるのですが、それにもかかわらずその栄
光はイエス様の地上の生涯の間中ずっと表されていました!使徒ヨハネは、この事を次のように表現し
ています。「ことばは人となって、私たちの間に住まわれた。私たちはこの方の栄光を見た。父のみもとから来
られたひとり子としての栄光である。この方は恵みとまことに満ちておられた。」(ヨハ 1:14)、と!そして、
短い時間ではありましたが、変貌の山で、イエス様の荘厳な栄光のベールが取り外されて、ペテロとヤ
コブとヨハネの三人へ現されました!(マタ 17:1-8)その荘厳な栄光について、「御顔は太陽のように
輝き、御衣は光のように白くなった」(マタ 17:2)、と表現しています!マルコの福音書では、「その御衣
は、非常に白く光り、世のさらし屋では、とてもできないほどの白さであった」(8:2)と表現されていま
す!主イエス・キリストの荘厳な栄光をそのままその通り適切に表すのには、これが精いっぱいの表
現です!すなわち、人間の言葉でイエス・キリストの神の栄光を表すのには、不十分であるという事
です!
イ)イエス様は「いと高き神の子と呼ばれ(る)」(1:32b)
●イエス様は神の栄光を持っておられるという事ですが、それは、32 節の中盤に記されていますよ
うに、イエス様が「いと高き方の子」だからに他なりません!(参 1:35、76、6:35/使 7:48)「いと高
き方」という言葉は、旧約聖書では「いと高き神」と記されています(創 14:18-20/申 32:8/2 サム 22:14/
詩 7:17、9:2、21:7、46:4、47:2/イザ 14:14/哀 3:35、38/ダニ 4:17、24、5:18、21)。ですから、「いと
高き方」であるイエス様は、究極の主権者であり且つ究極の支配者である神を表しています!イエ
..


・キリスト
....


「いと高き方の子
.......
と呼ばれ
....
(る

)」のは
..
、イエス様が神と同じ
.........
本質
..
を持っておられる
........
お方
..


という事を示しています
...........
!その真理を、ヘブル人の手紙では次のよう記されています。「御子は神の栄
......
光の輝き
....
、また神の本質の完全な現れであ
..............
(る

)」(1:3)と!(マタ 1:23/ヨハ 10:30/ピリ 2:6-9/コロ 2:9)
ウ)イエス様は「父ダビデの王位」につく者となる(1:32c-33)
―主イエス様は、父ダビデの王位を継がれる!―
●マリヤに宿るこの驚くべき御子は神が受肉されたお方であり、そのお考えにおいて、その言葉に
おいて、その行動において、全てに完全です!罪のない犠牲の捧げものとして死なれるため、罪人
の身代わりとなるために自分を捧げ、その贖いの死は人々を罪から救います!しかし、それで救い
主の物語の終わりではありません!救い主が死の中に留まっておく事はありません!死から甦りま
す!そして、救い主イエス・キリストの働きの絶頂
..
は、32 節の後半から 33 節に掛けて記されていま
すように、「神である主
.....
」が

御子イエス・キリスト
..........


「その父ダビデの王位をお与えになり
................
(る

)」時に訪
...
れます
...
!その時から、救い主
...
イエス・キリスト
........


、「とこしえにヤコブの家を治め
.............
、その国は終わること
.........


」ありません
.....
! ―4―
―主イエス様は、千年王国と新天新地を治められる!―
●前回のメッセージで語りましたが、主イエス様はこの世の法的な父親であるヨセフを通して、「その
父ダビデの王位」を受け継ぐにふさわしいお方でした。まず、「とこしえにヤコブの家を治め」ます。そ
れは、千年王国のユダヤ人の神殿の王座に座されてイスラエルを治める事を示しています!(イザ
65:17-19/ゼパ 3:11-13/ゼカ 14:16-21)また、それと同時に千年王国に於いて、主イエス様はその
他の人類をクリスチャンと共に治められます!(ダニ 7:14、27)そして更に、その地上の千年王国は新
天新地に受け継がれ、文字通り、「その国は終わることが」ないのです!永遠の天国を意味しま
す!
―主イエス様の初臨の時には王国を打ち建てるのではない―
●主イエス様は、マリヤの胎を通して最初に来られた初臨の時に、御自身の王国を打ち建てるため
来られたのではありません。使徒ヨハネが福音書の初めの方で、「この方はご自分のくにに来られたのに、
ご自分の民は受け入れなかった。」(1:11)と記されている通りです(参 11:53/マタ 9:34、12:14、21:
37-43/マコ 6:3、16:14/1 テサ 2:14-16)。ルカが、使徒の働きで、「13:27 エルサレムに住む人々とその指
導者たちは、このイエスを認めず、また安息日ごとに読まれる預言者のことばを理解せず、イエスを罪に定め
て、その預言を成就させてしまいました。 13:28 そして、死罪に当たる何の理由も見いだせなかったのに、
イエスを殺すことをピラトに強要したのです。」(13:27-28)と記している通りです(参 2:23、7:52/マタ 27:
22-23/ルカ 23:13-24/ヨハ 19:12-16)。
―主イエス様の初臨の時には信仰者の心を霊的に支配する!―
●イエス・キリストが初臨の時になさった事は、全てのクリスチャンの心を霊的に支配される事でし
た!コロサイ書に記されている次の御言葉の通りです。「神は、私たちを暗やみの圧制から救い出して、愛
する御子のご支配の中に移してくださいました。」(1:13)、と!そして、その霊的支配は永遠に続き
............
ます
..
!なぜなら、救いが永遠だからです
..........

―主イエス様の降誕から未来に向かった時系列による出来事―
●主イエス様がこの世に降誕されてから未来に向かって時系列でまとめますと、まずはマリヤへの受胎告
知から始まり、救い主イエス様の誕生、33 年余りの地上生涯、十字架刑での救いの御業の達成、復
活、昇天、高挙(御父の右の座に着かれること)、天での執り成しの祈り、携挙、再臨、ハルマゲドンの
戦いによるサタンの千年間の縛り、そして千年王国の支配に進みます。この時、初めてこの地球に、
罪のなかったエデンの園以来の平和と祝福の時が訪れます!イエス・キリストが「ダビデの根、また
子孫」(黙 22:16)として(参 イザ 11:1、10/マタ 1:1/ロマ 15:12)、「ユダ族から出た獅子」(黙 5:5)
として千年王国のイスラエルのエルサレムの神殿の栄光の御座に着かれ、「鉄の杖」(詩 2:9/黙
12:5、19:15)を持って千年間にわたって国々を裁かれます(黙 20:4-5)。それゆえ、悪がはびこる
事がなく、平和で祝福に満ちた千年王国が築かれます!
―5―
●使徒パウロはコリント人への手紙で、主イエス・キリストの究極的な支配に関する物凄く力強い御言葉が
次のように記されています。「15:24 それから終わりが来ます。そのとき、キリストはあらゆる支配と、
あらゆる権威、権力を滅ぼし、国を父なる神にお渡しになります。 15:25 キリストの支配は、すべ
ての敵をその足の下に置くまで、と定められているからです」(15:24-25)と!それから千年王国の
最後を迎え、ゴグマゴクの戦いの後のサタンの地獄行き、この天地宇宙の消滅(1 ペテ 3:10)、最後の
審判、そして最後の新天新地という永遠の天国に至ります。
―重要な勧め/御子イエス・キリストにどう応答するのかが永遠の運命を決定する!―
●ガブリエルのマリヤへの御告げ(メッセージ)は、贖いの歴史の要の部分に当ります!ガブリエルが
......
告げた
...
この御子
....
、御子イエス
.....
・キリストに人々がどう
..........
応答するのか
......
、それが人々の永遠の運命を決
.............
定し
..
ます
..
!この大切な点が、シメオンが後にマリヤに対して語る言葉によって裏付けられます。「ご覧なさ
い。この子は
....
、イスラエルの多くの人が倒れ
.............
、また
..
、立ち上がるために定められ
............
、また
..
、反対を受け
.....
るしるしとして定められています
...............
。」(ルカ 2:34)、と!勿論、「イスラエルの多くの人」のみならず、イ
スラエル以外の全世界の人々にとっても同様に、御子イエス
.....
・キリストに人々がどう応答するかが永
.................
遠の運命を決めます
.........
!そして、御子自身が次のように警告しています!「もしあなたがたが
........
、わたし
...
のことを信じなければ
..........
、あなたがたは自分の罪の中で死ぬのです
..................
」(ヨハ 8:24)、と!なぜなら、イエ
..
ス・キリスト
......
「以外にはだれによっても救い
.............
」(使 4:12a)がないからです
.......
!「天の下でこの御名のほか
...........


、私たちが救われるべき名は人に与えられていないからです
..........................
」!(使 4:12b)
【まとめ】 それでは、今回のメッセージのまとめをしましょう。
●クリスマスメッセージは、三回シリーズの『マリヤへの神の受胎告知』から始まりました。第一に神に
遣わされし御使いガブリエル(1:26a)、第二に神に選ばれしマリヤ(1:26b-27)、第三に神に恵ま
れしマリヤ(1:28-30)、そして今回が最終回の第四の神に送られし御子イエス・キリスト(1:31-33)
でした。
●前半では、未婚のマリヤは、人間の理解と想像を遥かに超えた御使いの告知を受けました。男の
人を知らない自分が神の御子をみごもり且つ出産するという前代未聞の告知でした!結果的に、マ
リヤはその告知を信じ受け入れ、またマリヤとヨセフは「イエスとつけなさい」という命令にも従いま
した!
●そして、後半では、イエス・キリストの表現しがたい偉大さについて学びました!救い主は神ご自
身であるがゆえに、その荘厳な栄光は人のどんな最上級の言葉を持ってしても表す事のできないも
のだという事を学びました!そして、救い主のご支配は信じる者の心から始まり、千年王国へと進
み、そして新天新地の永遠の天国にまで続くものだという事も学びました!人に与えられた救い
が永遠であるので、神のご支配も永遠に続くものであるという事を学びました!そして、御子イエ
ス・キリストに人々がどう応答するのか、それが人々の永遠の運命を決定するという事になるのでし
た!
―6―
【適 用】 それでは、今回のメッセージを私たち自身に対して適用しましょう。
●あなたは、処女マリヤが御使いによる短時間の受胎告知によって直面した矛盾、葛藤、とまどいに
ついて理解しましたか?そして、最終的には、その理解を超える告知を受け入れ、これから生まれて
来る幼子に「イエスとつけなさい」という命令に従った従順な信仰を理解しましたか?あなた自身も、
神とその御言葉に従うという重要性を理解しましたか?
●あなたが神を礼拝する時に、あなたは自分の神への礼拝の言葉がいかに不十分なものであるの
かを痛感していますか?人の最上級の言葉をもってしても、神の栄光をほめたたえるには足りないも
のであるという事を実感していますか?あなたは主の前でへりくだって、自分の救われた事への感
謝と、自分に対する神の支配が永遠に続くものであるという事への感謝で溢れていますか?そして、
最後に、この御子イエス・キリストに人々がどう応答するのか、それが人々の永遠の運命を決定する
という重大な点を確認できましたか?そのために、あなたの周りの人々へ福音を伝えるという使命の
重要性を新たにしましたか?
【締めの御言葉】
■わたしの栄光を他の者に・・・与えはしない(イザ42:8)。
■御子は神の栄光の輝き、また神の本質の完全な現れであ(る)(1:3)。
―7―