ルカの福音書講解説教(12)/メッセージ原稿/『マリヤへの神の受胎告知』(その 2)/2016.10.02
『マリヤ、神の主権による恵みの選び!』
―イエス・キリストが真の救い主であり真の王であるゆえん―
《ルカ 1:26-33/今回は 1:26b-30》

【序 論】
●御子イエス・キリストの誕生に際し、神は、何十世代という長い歴史を経て、とうとう最後の役割を
果たすヨセフとマリヤという二人の器を備えられます。その二人を通して誕生されるイエス様は、ま
さに旧約聖書に預言されたその通りの王また救い主を表していました!その預言の余りにも正確
な成就に、私たちは聖書の神と聖書の御言葉の正しさに心を打たれます!
●今回のメッセージの主題は、『マリヤ、神の主権による恵みの選び!』です。救い主を自らの胎に宿
すマリヤの選びは、人知を遥かに超える神の主権によるものです!しかし一方、救い主の母となった
マリヤに関する聖書の記述が著しく歪められて理解されているのも事実です!「マリヤ崇拝」がなぜ
起こったのか、その真相にも迫ります。
●下記のアウトラインが示す通り、今回は、神に選ばれしマリヤそして神に恵まれしマリヤを取り扱います。
解き明かされる聖書の御言葉に対して、私たちの大きな期待を寄せましょう。
【全体のアウトライン】
[1]神に遣わされし御使いガブリエル(1:26a)/済
[2]神に選ばれしマリヤ(1:26b-27)/今回
[3]神に恵まれしマリヤ(1:28-30)/今回
[4]神に送られし御子イエス・キリスト(1:31-33)/次回
【今回のアウトライン】
[2]神に選ばれしマリヤ(1:26b-27)
1)当時の婚約や結婚の慣習(1:26b、27)
2)ヨセフ(1:27a)
3)マリヤ(27b)
[3]神に恵まれしマリヤ(1:28-30)
1)マリヤを安心させるあいさつ(1:28a)
2)マリヤは恵みの受け取り手(1:28b)
3)マリヤと共におられる主(1:28c)
4)マリヤのひどいとまどい(1:29)
5)マリヤに対する神の主権による恵みの選び
(1:30)
【本 論】
[2]神に選ばれしマリヤ(1:26b-27)
―ザカリヤとマリヤの対比―
●バプテスマのヨハネの誕生を告げた御使いの知らせは、首都エルサレムの神殿で務めをしていた年老
いた祭司に対してでした(1:11-13)。一方、イエス・キリストの奇蹟的な誕生が告げられたのは、重要で
はない小さな町に住んでいた少女に対してでした。 ―1―
1)当時の婚約や結婚の慣習(1:26b、27)
●まずは、26 節の後半の御言葉に注目しましょう。御使いガブリエルは、「ナザレという町のひとりの処女のと
ころに来た」と伝えています。「処女」とは、性的な関係のない女性を指していますし、この言葉が結婚した
女性に使われる事は決してありません。
●27 節で、「この処女」は「いいなずけで(あった)」と記されていますので、この少女は婚約をしていたという
事が分かります。ユダヤ人の慣習では、通常、12 歳または 13 歳の少女は、一年間の婚約期間の最後
には結婚をしました。12歳や 13歳というと、現代では小学6年生から中学1年生の子どもです。まず、
その年で婚約を誓いそして結婚するという事は、現代ではまず考えられません。
●日本の江戸時代では、女性の結婚年齢は 14 歳から 16 歳であったと言われています。また、江戸時
代の平均寿命は 50 歳だと言われていますので、当然、結婚年齢は現代より早くなるに違いありません。ま
た、当時の社会、文化、家庭環境などが子どもたちに及ぼす社会性にも大きな違いをもたらしたという事は
言うまでもありません。女性を取り巻く教育環境も、昔と今とでは相当な開きがあります。古代において、少
女たちは早くから花嫁になる準備を親元で行っていた事でしょう。そのよう要素が絡み、古代の女性の結婚
年齢が早くなるというのは理解できるものです。ちなみに、現代日本の民法第 731 条では、男は満 18 歳
に、女は満16歳にならなければ、婚姻をすることができないものとされています。しかし、それにしても、古代
のユダヤ人女性の結婚年齢は早いものでした。
●ユダヤ人の慣習に戻りますが、婚約関係は両親によって取り決められていました。それは、現代の婚
約関係よりもよりも遥かに法的に縛りの強い取り決めです。死亡か婚約解消のみが、その二人の間の
契約を破棄する事ができました。ですから、婚約関係にある二人は、夫や妻と見なされました。ゆえに、
もし婚約中に夫が死ねば、何と、その婚約相手の少女は未亡人とみなされました。婚約期間中、その
二人は一緒に住む事はしませんでした。それゆえ、婚約中に性的な関係を持つ事はありません。婚約期
間中、少女は自分の忠実さや純真さを証明し、一方少年は花嫁になる少女のために住まいを準備し
ました。その婚約期間が満ちると、両家と近い親戚が集って 7 日間の結婚祝いを催し、その後に、二人は
夫と妻として一緒の生活を始めます。その時に初めて、結婚が完了するという事になります。
2)ヨセフ(1:27b)
―ヨセフの系図からの視点―
●この「処女」の娘は、「ヨセフという人のいいなずけ」だと伝えられています。「ヨセフ」という人は普通の大工
ですが、彼は「ダビデの家系」の血を引いていました。ダビデはイスラエルの偉大な王で、その子孫から約束
された王であり救い主が生まれると預言されていました(2 サム 7:12、16/詩 89:35-36/エレ 23:5/マタ 22:
42/マコ 10:47/使 2:30、13:23/ロマ 1:3)。マタイの福音書によるイエス・キリストの系図は、ヨセフを通し
てイエス様の先祖に辿り着きます(マタ 1:1-17)。それは、ヨセフがダビデの血を引き継いでいる事を示
しており、それゆえ、イエス様もまた「ダビデの子孫」(マタ 1:1)であるという事になります。
―2―
●ところが、ここで一つ問題点があります。イエス様の誕生に際して、イエス様は、実際はヨセフの血を
引いてはいません。それは、ヨセフとマリヤとの間の結婚によってイエス様が生まれたのではないから
です。イエス様は、ヨセフによってではなく、聖霊によってマリヤの胎の中に身ごもったからです。それ
ゆえ、ヨセフはイエス様の肉体上の父親ではありません。ヨセフが受け継いで来た「ダビデの家系」の
血はイエス様に引き継がれません。しかし、ヨセフがイエス様を自分の養子として迎える事によって、
法的にヨセフとヨセフの妻との間の子どもと見なされます。それゆえ、その養子縁組によって、イエ
ス様は法的に「ダビデの家系」を継ぐ事となります。ですから、マタイの福音書 1 章の系図は、イエ
ス・キリストがヨセフの法的な継承者としてダビデの王座に就く正当な資格の持ち主である事を宣
言しているのです!
3)マリヤ(1:28a、c)
―マリヤへの称賛の言葉がない!―
●ヨセフの次はマリヤです。著者ルカは、さりげなく、「この処女」が「マリヤ」という「名」まえである事を伝えて
います。ルカは、1:6 で、ザカリヤやエリサベツについては、「ふたりとも、神の御前に正しく、主のすべての戒め
と定めを落度なく踏み行っていた」と伝えています。しかし、「マリヤ」についてはいかがでしょうか、称賛の
言葉は見られるでしょうか?「マリヤ」が「処女」である事以外は、何も記されていません。ルカは、「マ
リヤ」が特筆すべき若い女性であるだとか、彼女を際立たせるような事は何一つ記していません!
●確かに、この後の 46 節から 55 節に記されている「マリヤの讃歌」に見られる彼女自身の証しから見て取
れる事は、マリヤが主の前に正しくそして従順に歩んで来た信仰者であるという事です!しかし、ル
カは、マリヤについてはさりげなく名前を記すだけにとどめています!ここで彼女が特別に取り上
げられていないのは、恐らく、聖霊の介入であろうと考えられます!というのも、現に、ローマカトリッ
ク教会の「マリヤ崇拝」に見られますように、女神礼拝が世界各地で横行して行く事を聖霊はご存じ
であったからです!後のキリスト教史の中で、「マリヤ崇拝」が横行しないよう、それに拍車が掛から
ないよう聖霊がとどめる働きをされたのであろうと考えられます!
―マリヤの系図―
●一方、マリヤの系図にも目を留めましょう。マリヤ自身も、ヨセフと同様に、自分の先祖をダビデに
辿っています。という事は、マリヤもヨセフ同様にダビデの血を受け継いでいます。そのマリヤの系図は、
ルカ3:23-38に記されていますので後に詳しく学ぶ事になりますが、母マリヤを通してイエス様の先祖の系
図が記録されています。マリヤの系図とは何を意味しているのでしょうか?それは、イエス様へ受け継
がれるダビデからの血がその母親であるマリヤから来ているという事を示しています。別の表現では、
肉体上の血の流れというものは、ヨセフではなくマリヤから来ているという事になります!
―まとめ/ヨセフの系図とマリヤの系図の双方から言えること!―
●となると、ヨセフとマリヤの両系図を通して何が言えるのでしょうか?それは、イエス様はご自分の養
父になったヨセフを通して、ダビデの王座に就く法的な権利を有する事になります。と同時に、イエス
様がユダ族ダビデ王から受け継いだ血は、その母マリヤから受け継ぐ事になります。(続く)
―3―
そのヨセフとマリヤの双方の系図から何が言えるかと言いますと、法的にもまた血筋においても、
すなわちありとあらゆる角度から見ても、イエス・キリストは約束された、来たるべき「ダビデの子」
に当たるのだという事が言えます!それは何を意味するのかと言いますと、イエス・キリストは、まさ
にダビデの王座に就くべきイスラエルの真の王でありまた真の救い主としてお生まれになるお方で
あるという事を示しています!
[3]神に恵まれしマリヤ(1:28-30)
1)マリヤを安心させるあいさつ(1:28a)
●28 節の前半に進みましょう。「入って来ると」という表現に見られますように、マリヤは明らかに自分の家
で一人いた時に御使いが訪れた事が分かります。彼女は、十二、三歳のユダヤ人の女の子の日課で
ある家庭内の雑事をこなしていたに違いありません。御使いが最初にマリヤに対して語り掛けた言葉は、
日常で普通に交わす挨拶の言葉でした。ここでは「おめでとう」というふうに訳されていますが、日常の様々
な場面で話される言葉が記されています。例えば、「ようこそ」、「おはよう」、「こんにちは」、「こんばん
は」、「ごきげんよう」、「さようなら」、また「万歳」にも広く訳される言葉です。既に取り扱いましたザカリヤ
の場合は、御使いガブリエルが現れた時には「不安を覚え、恐怖に襲われ(て)」パニックしたのですが、マリ
ヤの場合は、控え目な普段の挨拶とその後にすぐ祝福の言葉を御使いが語り掛ける事によって、少
女マリヤの心を落ち着かせ、安心させるという配慮が感じられます。
2)マリヤは恵みの受け取り手(1:28b)
●「恵まれた方」と御使いが呼び掛ける事によって、マリヤが単に何の恐れも持つ必要がないという事だけで
なく、むしろ、マリヤが神の恵みの受け取り手であるという事を伝えたのでした。さて、ここで、マリヤにつ
いて考えてみたいのですが、本来、マリヤは完全に聖なる者で、他の信仰者たちよりも優れて価値ある
者だという事では決してありません!他の全ての人々と同じように、マリヤは罪人です!(ヨブ 25:
4/詩14:1-3/伝7:20/イザ 53:6/ロマ3:12、23)マリヤも、神の恵みを必要としている一人の若い女性
です!(使 15:11、18:27/ロマ 3:24、5:15、17/エペ 1:7、2:5、8/2 テモ 1:9/テト 3:7)
●マリヤに対する御使いのこの挨拶が、「アヴェ・マリヤ」というローマカトリックの祈りを形作る元にな
る御言葉として取り上げられているのをご存じでしょうか?!「アヴェ・マリヤ」を日本語では「聖母マリ
ヤの祈り」と訳しています。また、「マリヤ万歳」とも訳せる言葉でもあります。ここで、「アヴェ・マリヤ」の祈り
の中身を紹介しましょう。
アヴェ、マリア、恵みに満ちた方、主はあなたとともにおられます。
あなたは女のうちで祝福され、ご胎内の御子イエスも祝福されています。
神の母聖マリア、わたしたち罪びとのために、今も、死を迎える時も、お祈りください。アーメン。
この「アヴェ・マリヤ」、「聖母マリヤの祈り」の誤りの根拠は、ラテン語(ローマの言葉)のウルガタ聖書が
「恵まれた方」という言葉を「恵みに満ちている」と翻訳しているところに起因しています!ですから、マ
リヤには満ち満ちた恵みが与えられて恵みに満ちている方なので、彼女は他の人々にその恵みを授
ける事ができる方なのだと理解するのです! ―4―
―ローマ教皇たちの書簡に記されたマリヤ崇拝―
●ローマ教皇ピウス五世が、1904 年 2 月 2 日、教皇通達書簡の中で信じられない真理の曲解をして、
次のようにその旨を記しています。それは、マリヤが恵みの受け取り手となるだけでなく、救い主がご自
身の死と血潮によって私たちのために買い取って下さった全ての賜物の分配者ともなったのです。マ
リヤは恵みを分配する究極の神の器です。マリヤは、神の美徳の宝の分配人です。※1
●教皇レオ八世は 1892 年 9 月 22 日の教皇通達書簡の中で、マリヤは仲介者で、彼女を通して神
による限りないあわれみの宝が私たちへ分配されるのだという事に同意して、それを宣言をしていま
す。また一方、教皇ピウス四世は、1854 年 12 月 8 日の教皇通達書簡で、マリヤは「神の恵みの源で
あり・・・聖霊の全ての賜物で飾られており・・・まさに無限の宝であり、無尽蔵の賜物の宝庫です」
※2 と
いうカトリック教会の信条について言及しています。
●また、マリヤは全ての恵みの仲介者であるというローマカトリックの見識について、ルッドゥ・オートゥは次
のように記しています。「マリヤが天に就任して以来、彼女の実際の執り成しの協力なしには、恵みは
人には授けられません」。※3
●この非聖書的で誤ったマリヤに関する見識は、マリヤ崇拝を実践するローマカトリック教会にとっ
ては無くてはならない重要な要素となっています。マリヤを崇拝するという事は、真の神でないもの
を礼拝するのですから、イエス・キリストに対する冒涜である事は言うまでもありません!
―ローマカトリック教義に対する反論―
●しかし、聖書に表されているマリヤはどのような人物なのでしょうか?皆さんは、聖書読んで、マリヤ
に対してどのような印象を持っていますか?マリヤは、実際はへりくだった人物であり、また贖われた
罪人の一人です。マリヤはイエス・キリストを胎に宿した時点から、肉体のまま天に挙げられた時に
至るまで罪のない者であったという教理をカトリックは保っていますが、それは聖書的ではあません。
マリヤはその人生の終わりに肉体と霊魂を伴って天国にあげられたという教えを、カトリックは「聖母
の被昇天」(プロジェクター参照)と呼んでいます。それは、1950 年、11月 1 日、ローマ教皇ピオ 12 世
の宣言によって正式に教義とされました。そして、毎年 8 月 15 日を「聖母の被昇天」の日として祝っ
ています。画像を用意しましたので、見てみましょう(文字&プロジェクター/計 6 枚)。
●これが、カトリックの現実です。どう思いますか?かなり聖書の真理から離れていると思いません
か?カトリックの信仰においては、マリヤは神に準ずる存在です。しかし、聖書は何と言っているでしょ
うか?イエス様ご自身が次のようにはっきりと語っておられるからです。「なぜ、わたしを『尊い』と言うので
すか。尊い方は、神おひとりのほかにはだれもありません。」(ルカ 18:19/参ロマ 3:10)、と!
●マリヤは、イエス・キリストと共に人類の共同の贖い主ではありません!なぜなら、人は、「ただ、神
の恵みにより、キリスト・イエスによる贖いのゆえに、価なしに義と認められる」(ロマ 3:24/参 1 コリ 1:
30/エペ 1:7/コロ 1:13-14/ヘブ 9:12)からだと聖書がはっきり語っているからです!(続く)
―5―
マリヤは自分の罪を贖って頂く側で、マリヤ自身が祈りを聞く事ができません、祈りに答える事もで
きません、また誰のためにも執り成す事もできません。なぜなら、「神は唯一」だからです!「また、神
と人との間の仲介者も唯一であって、それは人としてのキリスト・イエス」(1 テモ 2:5)だけだからで
す!聖書がそう宣言しているからです!マリヤが、三位一体の神の間に割り入る余地はありませ
ん!
―マリヤの神格化 VS マリヤに関する御言葉―
●ローマカトリック主義は、ピウス 10 世の教皇通達書簡では次のようにも教えられています。「キリストに
あって全人類が結び合されそして完全に神の子とされるために、マリヤによるより確かでまたより直
接的な道は他にありません。このマリヤによって備えられた道によって、私たちは神の目に聖くまた完
全な者たちと映るのです。」、
※4 と。いかがでしょうか、この教理は?全く誤っており、真の神への冒涜
に値します!マリヤを位の高い者また神に準ずる者として神格化しているローマカトリックの教義は、
御言葉に表されている真のマリヤとは全く掛け離れている事に気づかされます!
●マリヤは、御使いガブリエルへの応答として、ルカ 1:38 で次のように語っています。「ほんとうに、私は主
のはしためです。どうぞ、あなたのおことばどおりこの身になりますように。」(ルカ 1:38)、と!どうでしょう
か?ローマカトリックが作り上げて奉っているマリヤのイメージとは相当な食い違いがあるとは思いま
せんか?!カトリックの聖書そのものからの逸脱は、実にはなはだしいものがあります!カトリックの
深刻な問題は、聖書とそのような教皇たちの書簡を同等の位置において教理を作り上げていると
ころにあります!ですから、キリスト教であれば何でもいいというものでは決してありません!
3)マリヤと共におられる主(1:28c)
●「御使い」が「入って来(て)・・・おめでとう、恵まれた方」とマリヤに言って後、「主があなたとともにおられま
す」(1:28c)と続けて語りました。もし、主がマリヤと共におられないのでしたら、マリヤはどうなります
か?マリヤは救い主を産む事ができるでしょうか?神が共におられるのでなければ、マリヤは何もで
きません!という事は、マリヤは神の恵みの受け取り手でなければならないというのは自ずとはっきり
しています!主が共にいて、主の恵みを受け、主の恵みに支えられて、これからの信仰生涯を歩ん
で行かなければ、マリヤの信仰生涯は立ち行きません!マリヤは決して恵みを分け与えて施す立場
ではないという事が理解できます!罪人に恵みを施す事のできるお方は、神以外にあり得ませ
ん!そういう訳で、聖書では、「神の恵み」という言葉が繰り返しくりかえし使われているのです!
(ロマ 3:24/1 コリ 1:4/エペ 2:8)
4)マリヤのひどいとまどい(1:29)
●「恵まれた方。主があなたとともにおられます。」という御使いの語り掛けに対して、29 節で、「マリヤはこの
ことばに、ひどくとまどって、これはいったい何のあいさつかと考え込(み)」ました。マリヤは御使いの現れ
によって「ひどくとまどっ(た)」のではなくて、御使いが自分に言われた言葉によって「ひどくとまどっ
(た)」のでした!(続く)
―6―
なぜなら、47節に記されていますように、彼女は神を自分の「救い主」と呼び、自分が救い主を必要とし
ている罪人であるという自覚を持っていたところに、「恵まれた方。主があなたとともにおられま
す。」という言葉を受けて、ふさわしくない自分がこの言葉をどう受け取っていいのか、「ひどくとま
どっ(た)」のでした!この「ひどくとまどって」という言葉は、他には「ひどく困る」とか「動揺する」とか「途方に
くれる」という意味があります。1:12 では「不安におぼえ」という言葉がありますが、それは、御使いガブリエル
の現れに対する祭司ザカリヤの反応を表したものです。その言葉の意味を更に強めた形が、この「ひどくとま
どって」という言葉です。
●繰り返しますが、マリヤが「ひどくとまどっ(た)」理由は、自分が罪人であるという事を知っており、
そのような自分に対してなぜ神が恵みを施されるのかを理解できなかったからです!しかし、マリヤ
の本物のへりくだりは、彼女の真の正しさに表れています!(詩 34:2、138:6/箴 3:34/イザ 66:2/マタ
18:4、20:26-28/ルカ 14:11/ヤコ 4:6)どういう意味でしょうか?全て本当に正しい人々というのは、神
の臨在の中で悩まされまた恐れるのです!なぜなら、その人々は、実際に自分自身の罪に気づかさ
れている者たちだからです!
●そのような人物を、聖書から二人取り上げましょう。一人目は預言者イザヤです。彼が神殿で主の臨在
に触れた時に、「ああ。私は、もうだめだ。私はくちびるの汚れた者で、くちびるの汚れた民の間に住ん
でいる。しかも万軍の主である王を、この目で見たのだから。」(イザ 6:5)と告白しました。二人目はペテロ
です。彼は、ガリラヤ湖でイエス様の指示に従った時に大量の魚が獲れました。神がしか成し得ない御業を
目の当たりにして彼は主の臨在に触れ、「主よ。私のような者から離れてください。私は、罪深い人間です
から」(ルカ 5:8)と告白するのが精いっぱいでした。二人とも、神の聖い臨在のもとで、自分の罪深さに
重々気づかされての告白でした!そのように、マリヤも同じ罪の自覚を持った器でした!聖なる御
使いガブリエルの現れと挨拶とそれに続く言葉は、マリヤを狼狽させました。彼女のそれまでの短い人生で、
この驚くべき出来事に備える術は何一つありませんでした。
5)マリヤに対する神の主権の恵みの選び(1:30)
●「ひどくとまど(い)・・・考え込(み)」そして脅えている少女マリヤに対して、御使いガブリエルは、30節で、
彼女が落ち着きを取り戻せるよう次のように語り掛けました。「こわがることはない。マリヤ。」、と。そしてす
ぐさま、「あなたは神から恵みを受けたのです」と説明する事によって、マリヤが恐れるものは何一つないの
だという事を伝えて安心させました。御使いガブリエルは、マリヤに裁きのメッセージを持って来た
のではなく、祝福のメッセージを持って来たのでした!
●聖書はノアについて、次のように語っています。「ノアは、主の心にかなっていた」(創 6:8)、と!同様に、
マリヤも「主の心にかなっていた」(創 6:8)のです。どういう意味で「主の心」にかなったのでしょうか?そ
れは、神が人を罪から救うという贖いのご計画を達成するに当って、マリヤがふさわしいと器だと判
断し、彼女をご自分の主権によって選ばれ、用いられるという意味で「主の心」にかなっていまし
た!
―7―
●ここで理解しておくべき大切な点は、それは、マリヤの取り柄だとかマリヤの立派さだとかによっ
て神が判断されたのではないという事です!マリヤを選ばれたのは、神の主権的な恵みによる事で
す!主が取られる方法はいつもそうなのですが、主権による恵みというのは、究極的には、人知を
いつも遥かに越えるものです!神はご自分のなさる事を、いつもご自分の栄光のためになされま
す!それが、主権者なる真の神です!
【まとめ】
●この度のメッセージは、神に選ばれしマリヤ並びに神に恵まれしマリヤという二つのポイントでメッセー
ジを取り次ぎました。前半の神に選ばれしマリヤでは、ヨセフとマリヤの双方の系図から、法的にもま
た血筋的にも、主イエス・キリストは約束された来たるべき「ダビデの子」で、イスラエルの真の王で
ありまた真の救い主としてお生まれになるお方であるという事でした!そして、そのお方は全世界の
救い主であり、やがて再臨されて全世界の王となられます!
●後半の神に恵まれしマリヤでは、マリヤに取り柄がありまたマリヤが立派だったのでキリストの生み
の母として選ばれたのではなく、それは神の主権的な恵みによる事でした!マリヤは自分が救い主を
必要としている罪人であるという自覚を持ち、神の恵みよって義とされるという健全な信仰の持ち主でしたが、
救い主を宿す神の器としての選びは、人知を遥かに超える神の主権によるものでした!
【適 用】
●あなたにとっても救い主でありまた王である主イエス・キリストの誕生に際し、キリストが「ダビデの
子」の座に着くという旧約聖書の預言を法的にもまた血筋的にも成就するために、緻密に働いて来ら
れたという事を理解する事ができましたか?そして、そのように来られた救い主が、神の主権によって
選ばれたあなたにも臨まれて救いに導かれた事を理解する事ができましたか?
●クリスチャンの皆さんへお尋ねしましょう。あなたには、マリヤのように私は罪人であり、「救い主」を
必要としている者だという自覚を聖霊によって与えられて、信仰に導かれ、そして救われたという事
を理解していますか?次に、まだバプテスマを受けていない皆さんへお尋ねしましょう。あなたは自分
に救い主が必要であるという自覚が与えられていますか?そのために、自分は、マリヤと同様に私も
罪人であるという理解と自覚が持てていますか?その理解と自覚が持てるよう祈りましょう。
【締めの御言葉】
1:28・・・おめでとう、恵まれた方。主があなたとともにおられます。・・・1:29・・・こわがることはな
い。マリヤ。あなたは神から恵みを受けたのです(1:28、30)。
[引用文献]
※1 ジョン・マッカーサー、『マッカーサー新約注解書/ルカの福音書 1-5』(ムーディー出版、2009)(John MacArthur,
The MacArthur New Testament Commentary, Luke 1-5, The Moody Bible Institute of Chicago, 2009,
p.46)
※2 同上。
※3 同上。
※4 同上。
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