「ピレモンへの手紙」講解説教(8)/メッセージ原稿/『神の赦し、人の赦し』/2016.02.28

ピレモン

『赦す者の動機!』

―赦しを促す六つの重要な動機(後半)― 《ピレモン 19-25/今回は 23-25》

【序 論】
●ピレモンへの手紙の講解説教は今回が 8 回目で、ピレモンへの手紙そのものを取り扱うのはこれが最終

回です。来週は、赦しに関する 20 世紀並びに 21 世紀の実際の出来事を取り上げる予定にしています。そ して、一連の『神の赦し、人の赦し』シリーズを終了します。

●今回のメッセージは、ピレモンへの手紙の 23 節から最終の 25 節までを取り扱います。『赦す者の動 機!』の二回目で、赦しを促す六つの重要な動機の後半の三ポイントを取り上げます。それから、ピレモ ンへの手紙を書き終わった後のパウロとオネシモの更なる歴史にも目を留めます。ピレモンへの手紙の最 終メッセージも、前回同様、実に霊的教訓に溢れた内容です。どうぞ、ご期待下さい。

●今回のメッセージの流れは、下記のアウトラインの示す通りです。 【全体のアウトライン】

[1]初めのあいさつ(1-3)/済 [2]赦す者の品性(4-7)/済

【赦の者の動機の全体アウトライン】 [4]赦す者の動機(19-25)

1)支払い不可能な負債を認識する(19)/済

2)祝福となり得る事を認識する(20)/済

3)従順の必要性を認識する(21)/済 【今回のアウトライン】 [4]赦す者の動機(19-25)/今回(2回目/最終)

[3]赦す者の行動(8-18)/済 [4]赦す者の動機(19-25)/今回(3回)

4)報告義務と責任がある事を認識する(22)/今回 5)交わりを保つ重要性を認識する(23-24)/今回 6)恵みの必要性を認識する(25)/今回

4)報告義務と責任がある事を認識する(22) 1)パウロが求める「宿の用意」の意味するもの(22a) 2)コロサイ教会の「祈り」の意味するもの(22b)

5)交わりを保つ重要性を認識する(23-24) 1)五人の神の器からの「よろしく」の意味するもの(23b) 2)五人の神の器とピレモンの関係(23a、24)

6)恵みの必要性を認識する(25) ◎「主イエス・キリストの恵み」の意味するもの(25)

―1―

【本 論】 それでは、今回のメッセージの本論に入りましょう。

[4]赦す者の動機(19-25)

4)報告義務と責任がある事を認識する(22) ア)パウロが求める「宿の用意」の意味するもの(22a) ―背景&状況―

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●22 節の前半で、ローマの牢獄にいるパウロは、コロサイ在住のピレモンに対して、「私の宿の用意もして おいてください」と伝えています。パウロはなぜそうピレモンへ伝える事ができたのでしょうか?それは、 自分が釈放される時が間近に迫っているという事を確信していたからでした。パウロに対するユダヤ人の 法的な訴えが大変乏しいものであるという事を知っていましたし、ローマ皇帝による裁判の日がとうとう決定 したゆえでした。ピリピ人への手紙では、「2:23 ですから、私のことがどうなるかがわかりしだい、彼(テモテ)を 遣わしたいと望んでいます。 2:24 しかし私自身も近いうちに行けることと、主にあって確信していま す。」(2:23-24)と記している事からも理解する事ができます。ですから、パウロは、自分や自分の同労者た ちが開拓した異邦人教会を再訪問し、その中にピレモンが属するコロサイ教会も含まれていました。

●それゆえ、パウロはピレモンに対して、コロサイの町を訪ねた時に、どこへ宿泊すべきか、「私の宿の用意 もしておいてください」と伝えたのでした。何年か前に、パウロがローマ人への手紙を書いた時に、自分が スペインへ行って宣教したいという旨を書いていました(ロマ 15:24、28)。しかし、スペインへ行くまでの間に、こ の教会再訪問を計画し、それからスペインのある西へ向かって行くという計画を立てたのだという事が理解で きます。

―コロサイ訪問の意図―

●いかがでしょうか、この「私の宿の用意もしておいてください」という要請は、パウロがピレモンに対し てプレッシャーを与えているという事でしょうか?「いずれあなたのところを訪ねるので、あなたが何を すべきかは分かっているよね」と伝えて、圧力を掛けているのでしょうか?そういう事では全くありま せん!パウロがピレモンのもとを訪れる計画を伝えて、ピレモンへ圧力を掛けて従わせようとして いるのでは決してありません!確かに、過去、パウロが第一コリント人への手紙を書いた時に、彼らに強く 迫ったという例はあります。「あなたがたはどちらを望むのですか。私はあなたがたのところへむちを持って行き ましょうか。それとも、愛と優しい心で行きましょうか。」(4:21)、と尋ねました。パウロがなぜそのように記した のかといいますと、コリント教会の信徒たちが余りにも傲慢な態度でいたからです。霊の父親であるパウロさえ も認めようとしない有様でした。その傲慢さを取り扱うために、「むちを持って行きましょうか」と言わざるを得 ませんでした。しかし、ピレモンの場合はそうではありませんでした。

●「私の宿の用意もしておいてください」というパウロの言葉について、ライトフットという聖書注解者は、次のように説明しています。「コロサイを個人的に訪問するという事を述べているのは、パウロの優しい迫りを示しています。そうする事によって、ピレモンがパウロの期待を裏切らないという事を、パウロ 自身が自分の目で確かめる事ができるからです。」※1、と!

―2―

イ)コロサイ教会の「祈り」の意味するもの(22b)

●そして、22 節の後半では、「あなたがたの祈りによって、私もあなたがたのところに行けることと思っています」 と記されています。パウロは自分の釈放が確かなものであったという事が、この言葉によっても分かります。ピ レモンやピレモンが属しているコロサイ教会の牧師や信徒たちの祈りを通して、主が、パウロの釈放 を導き、パウロやパウロの同労者たちを通して開拓された教会を再訪問できる道が開かれるため でした!

●「祈り」についてマッカーサー師は、次のように説明しています。「祈り」は、全能者の筋肉を動かす神経 です!また、「祈り」が無駄に終わる事は決してありません!なぜなら、どんな場合においても神の御 心はなされるのですから!「祈り」は、神の御心が実行に移されるための重要な手段として用いられ ます!ヤコブは、次のように記しました。「義人の祈りは働くと、大きな力があります」(ヤコ 5:16)、と! 「祈り」を通して、神の主権はその目的を達成させるのだという事をパウロは理解していました!※2

―霊的報告義務や霊的責任―

●パウロのこの要請は、ピレモンのオネシモに対する取り扱いにおいて確かに影響を与えたに違いありません!もしピレモンがオネシモを赦さないのなら、ピレモンは、パウロをコロサイに来れるように祈る事ができるでしょうか?更に、もしピレモンがパウロの釈放を祈らないのなら、パウロはローマの牢獄に留まり続ける事になるのではないでしょうか?このようにして、使徒パウロは、ピレモンが今置かれている霊的に困難なところから解放されるよう働き掛けるのですが、それには、ピレモンがオネシモを赦す以外には自分自身を救う手立てはないのだという事を示しています!このように働き掛けているのは、ピレモンがパウロに対して、霊的報告義務や霊的責任があるのだという事を物語 っています!

●実に、全てのクリスチャンは、主にあって、自分たちの霊的指導者に対してこのような責任を持っ ています!ヘブル 13:17 は、この点について次のように明確に語っています。あなたがたの指導者たちの言うことを聞き、また服従しなさい。この人々は神に弁明する者であって、あなたがたのたましいのために見張りをしているのです。ですから、この人たちが喜んで そのことをし、嘆いてすることにならないようにしなさい。そうでないと、あなたがたの益になら ないからです。霊的指導者は、自分たちに委ねられた人々を見張るという責任を主の御前に持っていますので、そ の指導者は委ねられた人々が自分たちの霊的報告義務や霊的責任を果たす事を求める権利を有 しています!霊的指導者に対して報告義務や責任があるという事を認識することは、赦しにおい て大変力強い動機付けになります!勿論、赦し以外の理由でも重要である事は言うまでもありま せん!

5)交わりを保つ重要性を認識する(23-24) 1)五人の神の器からの「よろしく」の意味するもの(23b)

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―交わりを保つ重要性&戒めの下に置かれる事への警告!―

●五番目のポイントである、交わりを保つ重要性を認識するに移りましょう。23 節と 24 節には、ピレモン が良く知っているエパフラス、マルコ、アリスタルコ、デマス、ルカという五人の神の器たちが列記され ています。これは当時の普通の挨拶なのでしょうか?恐らく多くのクリスチャンが、「ああ、これはパウロの手 紙でよく見られるものよね。パウロの最後の挨拶の仕方だもんね。いつものパターンだよね。」と思いがちです。 がしかし、実はそうではないという事をこの文脈から読み取って行きたいと思います。

●クリスチャンの生涯は、孤立の中に生きるものではありません!信仰者は一人で歩むのではなく、 交わりの中に属して歩んで行く者です!パウロは、ここで、五人の神の器たちからの挨拶をピレモ ンへ届ける事によって、この器たち全てに対しても、ピレモンは霊的報告義務と霊的責任を持って いるのだという事に気づかせようとしているのです!オネシモを赦さないという事は、彼らのピレモ ンに対する高い期待を裏切りますし、神の器たちを気落ちさせてしまいます。ピレモンが赦さないと いう事はどういう事になるでしょうか?それは、彼らの忠告や戒めの下に置かれる事になるということ を意味しています!これが、教会の健全な交わりです!指導者の前にだけでなく、関わりのある複 数の人々の前に自分の霊的責任を取るべきです!

2)五人の神の器とピレモンの関係(23a、24)

●この五人の神の器とはどういう人物たちなのでしょうか?それら五人の神の器たちとピレモンとの 関わりを考えながら、一人ひとりを取り上げて行きましょう。一人目は、「エパフラス」です。エパフラスは、 パウロの宣教の働きの下で回心した人物だと推測できます。そしてその後、コロサイの地に教会を開拓し た人物だと考えられます。コロサイ 4:12 によりますと、彼がコロサイ出身である事が分かります。それゆえ、 彼はピレモンをよく知る人物でした!コロサイ 1:7 で、パウロは、彼を「私たちと同じしもべである愛す るエパフラス」と記し、また「彼は私たちに代わって仕えている忠実な、キリストの仕え人で(す)」とも伝 えています!

●また、コロサイ 4:12-13 によると、彼が「祈りに励(み)」、コロサイの群れをはじめ、コロサイの近隣に位置 する「ラオデキヤとヒエラポリスにいる人々」を牧会するために「非常に苦労しています」と伝えています!パ ウロは 23 節で、「エパフラス」を「キリスト・イエスにあって私とともに囚人となっている」者であるとも伝えてい ます!エパフラスが実際にローマでパウロと共に囚人となっているのか、それともパウロととても近くいるのでその ように呼ばれているのかは定かではありませんが、いずれにせよ彼が牧師として実に忠実な神の器である かという事を示しています!いかがでしょう、ピレモンはエパフラスの前でも、自分の信仰が問われて いるという事を示してはいないでしょうか!?それは、ピレモンがオネシモを赦すという強い動機に つながるはずです!

●二人目は、「マルコ」です。この人物は「マルコとも呼ばれるヨハネ」で(使 15:37)、バルナバのいとこに当 り、マルコの福音書を書いた人物です!使徒 13:13 で、マルコが第一次伝道旅行から離脱した事が記 されておりますが、これがパウロとバルナバ間の不一致をもたらす原因となりました(使 15:36-39)。しかし、

素晴らしい事に、マルコは、数年後のこの時点では変えられた神の器になっていました!(続く) ―4―

マルコが取った行動に対して、まずは使徒パウロによって訓戒がなされました。そして、ペテロ(1 ペテ 5:13)と バルナバの指導によって、マルコは霊的に成長しまた成熟して行きました。信仰者は、複数の神の器たち によって見守られ成長する事を物語っています!

●マルコの成長はパウロにとってはとても有益なものとなり、パウロが自分の死を間近に控えた時 に自分の元に来てくれるようと、マルコを呼んだ程にその関係は近いものとなっていました(2 テモ 4: 11)。パウロとそれ程までに強い信頼関係を持っているマルコにとっても、ピレモンがオネシモを赦 すか赦さないかは重要で、今後のマルコとピレモンの関係に大きな影響を与えるものとなります! もしもピレモンが赦さないなら、マルコも先のエパフラスと共に、ピレモンに忠告を与え、また戒め の言葉を告げなければなりません!

●三人目は「アリスタルコ」で、コロサイ 4:11 によりますとユダヤ人クリスチャンでした。また使徒 20:4 並び に 27:2 によりますと、彼はテサロニケ出身でした。彼は、長期間にわたってパウロを支えて来た神の 器で、数々の困難の中をパウロと共に通りそして耐えて来ました!アリスタルコは、エペソでの「た だならぬ騒動」(使 19:29)が勃発した時にもパウロ共にいました!また、エルサレムからローマへ の船旅にも同行し、あの過酷な海の嵐の中も共に耐えた来た器でした(使 27:4)。アリスタルコはパ ウロにとって文字通り愛する同労者であり戦友でした!そして、ローマの牢獄にも共にしました(コロ 4:10)。伝統によりますと、アリスタルコはローマ皇帝ネロの下で殉教の死を遂げたと言われています。パウロ と長期間にわたって労苦したアリスタルコも、ピレモンがオネシモを赦す事を確信し、その動向を見 守っている神の器でした!ピレモンは、アリスタルコの前においても、信仰者として責任を果たさな ければなりませんでした!

●四人目は、「デマス」です。デマスついては余り知られていないのですが、私たちに知らされている内容は とても悲しい内容です。2 テモテ 4:10 で、パウロは彼について次のように記しています。「デマスは今の世を 愛し、私を捨ててテサロニケに行ってしまい(ました)」、と。「今の世を愛し(て)」福音の働きを捨てる人を、 聖書は何と言っているのでしょうか?使徒ヨハネは次のように述べています。「もしだれでも世を愛している なら、その人のうちに御父を愛する愛はありません」(1 ヨハ 2:15)、と。という事は、デマスが背教者であった という事を示しています。

●「背教者」とはどういう人物を指すのでしょうか?それは、その心の状態が「土の薄い岩地」(マタ 13:5) か「いばらの中」(マタ 13:7)にある人を指しています。その人は一時的に福音に魅了され、福音を信じて いるように見えるのですが、「みことばのために困難や迫害が起こると、すぐにつまずいてしま(う)」(マタ 13: 21)人です。あるいは「この世の心づかいと富の惑わしとがみことばをふさぐため」、クリスチャンとしての「実を 結ばない人のこと」(マタ 13:22)を指して言っています。デマスがそれでした。使徒パウロと共に働いている 中で、迫害が次第に強くなり、彼はそれに耐えられずにパウロを捨ててこの世に戻ったのだと考えら れます。デマスはこの時点では本物の信仰を持ってはいませんでしたが、まだパウロの同労者として働いてい ましたので、パウロはピレモンに対してデマスからも「よろしく」という挨拶を送っています。偽物の信仰はいずれ 表面に出てきます。特に、困難が押し寄せて来た時にです。使徒パウロでさえ、それを見抜く事ができなかっ たのですから、私たちは、尚更注意しておく必要があります。 ―5 ―

●五人目は、「ルカ」です。ルカは、皆さんにとってもなじみ深い人物です。ルカの福音書や使徒の働きを 書いた人物です!彼は、コロサイ 4:14 では、「愛する医者ルカ」と記されています。彼は、異邦人のクリス チャン医師です。ルカは、よくパウロの宣教旅行に同伴し、パウロの度重なる肉体の病気の治療に当 りました。ルカは、文字通り、パウロに対して忠実且つ忠誠心を尽くした神の器でした!そして、「ル カだけが」(2 テモ 4:11)、パウロの最後の日が近づいた時に彼と共にいました!ピレモンは、ルカ の心を裏切る事もできません。ピレモンは、彼の前にもオネシモを赦すという霊的責任を取らなけ ればなりませんでした!

―五人の神の器のまとめ―

●この五人の神の器についてまとめましょう。これらの神の器たちとピレモンは、互いによく知り合った仲でし た。ピレモンがオネシモを赦す事によって、これら神の器たちの前で、神に従う自分の信仰を証しす る良い機会となります!逆に、もし赦さないなら、ピレモンがこれまで培ってきた彼らとの交わりの 絆を断ち切ってしまう事にもなり兼ねません!パウロのみならず、この五名の証人となる神の器た ちの存在は、ピレモンにとっては大きいものがあります!キリスト教信仰は、このように神の家族と して見守り合う関係にあるという事を決して忘れてはなりません!クリスチャンが教会という神の群 れから離れては、本当の意味で生きてはいけないのです!

6)恵みの必要性を認識する(25)

◎「主イエス・キリストの恵み」の意味するもの(25)

●さて、ピレモンへの手紙の最後の節である 25 節に来ました。この段階に来ますと、ピレモンは間違い なくオネシモを赦す必要があるという事について納得し、赦す事を実行に移すという決心をしてい るに違いありません!それゆえ、ピレモンが次に考える最後の大切な点は、赦しを実行に移す力は どうして得られるか、という事です!それを前もって熟知しているパウロは、25 節の最後の勧めをピレモン へ伝えるのです!「主イエス・キリストの恵みが、あなたがたの霊とともにありますように」、と!この言葉は、 クリスチャンの手紙の最後に書く単なる形式的なものではありません!これは、文字通りパウロの真 実な祈りを表している言葉なのです!どういう祈りでしょうか・・・?それは、ピレモンがまたピレモンの 家族が、そしてコロサイ教会の会衆が、オネシモを赦すために必要な神の恵みを受ける事ができる ようにという祈りなのです!

●パウロ自身もよく知っている事ですが、パウロがピレモンに願っているオネシモへの赦しは、肉に おいては不可能な事であるということです!肉は何を求めるのでしょうか?それは、当然、復讐を 求めます!律法を通しても無理です。なぜなら、律法は義を要求するからです。ピレモンは自分の 肉の力ではオネシモを赦す事はできません!けれども、「主イエス・キリストの恵が」ピレモンの「霊と ともにあ(る)」事によって、ピレモンが初めてオネシモを赦す事ができます!パウロの祈りは、ピレ モンに与えられる「キリストの恵み」は、何とキリストご自身が罪人を赦された時に注がれた恵みと 同じものであるという事を物語っています!であるなら、尚更私たちも、赦しにおいて神の絶大な 恵みを必要としている者ではないでしょうか! ―6 ―

【結 論】 それでは、今回のメッセージの結論です。

―ピレモンへの手紙が新約聖書の聖典に加えられる!―

●ピレモンへの手紙はここで終わりなのですが、その後の物語はまだ終わっていません。ピレモンが オネシモを赦した事は間違いありません!もしピレモンがオネシモを赦さなかったのなら、ピレモン への手紙が新約聖書の聖典の中に取り入れられる事はないからです!もしピレモンがオネシモを 赦さず且つピレモンへの手紙が新約聖書の聖典の中に組み込まれるとしたなら、ピレモンへの手 紙を通して、この歴史でずっと誤った聖書の印象を残したに違いありません!もしピレモンが敬虔 な信仰者でなく、徳の高いパウロがこの手紙を書いたとしたら、聖霊がそれを新約聖書に加えられ たという事に何の目的も見いだす事ができません!

●更に、ピレモンへの手紙は新約聖書の聖典の一つとして、初代教会時代に多くの教会へ回され て読まれていました。それゆえ、もしピレモンがオネシモを赦さなかったのなら、この手紙が聖典に 加えられた事に対して誰もが異議を唱えなかったという事は信じ難い事です!現に、ピレモンへの 手紙は多くの教会に回されて読まれたのですから、この手紙が霊感された真実な内容である事を 裏付けるものとなります!であるなら、ピレモンはオネシモを赦した事になるのです!そこに、ピレ モンオがネシモを赦さなかったという疑問はありません!

―パウロとオネシモのその後の更なる歴史―

●パウロとオネシモのその後の更なる歴史に目を留めましょう。パウロはローマの牢獄から釈放され、22 節 に記されていましたように、パウロが切望していた通り、広範囲に渡った教会訪問の旅に出る事ができました。 その一つの目的地がコロサイの地でした。それで、パウロが直接コロサイの地を訪れ、ピレモンがど のようにオネシモを取り扱っているのかを、自分自身の目で確かめる事ができました!

―ピレモンへの手紙の結論!―

●それから半世紀後の出来事ですが、ペテロから数えて二代後の教父でアンテオケのイグナチオという人 物がいました。彼がスミルナの地からローマへ護送されて殉教の死を遂げる道中で、7 つの教会に手紙を書 き送っています。その中で、エペソ教会へ次のような手紙を書きました。「私は、この世界のあなたがたの 司教(牧師)で、言葉では言い表せない程の愛の持ち主であるオネシモの名の下に、大きな会衆と なったあなたがたを受け入れます」、と!これは、ピレモンへの手紙に記されたオネシモと同じ人物で しょうか?もしかしたら、違うのかも知れません。と言うのは、もしそうであれば、オネシモはかなり年を取ってい なければならないからです。しかし、もしそうなら、これが、使徒の時代における偉大な物語の一つにな る事は間違いありません!そして、それは、ピレモンへの手紙の結論には最もふさわしいものとなる でしょう!あの逃亡奴隷オネシモが、愛の牧者に変わったのですから!

―7―

【適 用】 それでは、今回のメッセージを適用しましょう。

●ピレモンへの手紙の最終回を終えました。この手紙の結論に到達しました!クリスチャンであるあ なたには、霊的報告義務と霊的責任がある事を理解できましたか?霊的指導者のみならず、キリス ト教会に属する信仰者に対しても報告義務や責任、つまり互いに見守るという交わりの重要性がある 事を理解できましたか?そして最後に、あなたが人を赦すには神の恵みが必要であり、肉は何の力 にもならない事を悟る事ができましたか?

●ピレモンへの手紙の結論は、オネシモが偉大な信仰者へと成長して、神と人とを愛しまた神と人 に仕える器となったという事でした!かつて大きな罪を犯した者がキリストの恵みによって回心し、 悔い改めて神と人とに謝罪し、そして神と人とに仕える者になるというところに、神の救いの御業 の素晴らしさがほめたたえられます!あなたも、そのような歩みをしていますか?それでは祈りの時を 持ちましょう。

【まとめの御言葉】

お互いに親切にし、心の優しい人となり、神がキリストにおいてあなたがたを赦してくださったよう に、互いに赦し合いなさい(エペソ4:32)。

[参考文献]

※1 ジョン・マッカーサー、『マッカーサー新約注解書/コロサイ人への手紙&ピレモンへの手紙』(ムーディー出版、 1992)(John MacArthur, The MacArthur New Testament Commentary, Colossians & Philemon, The Moody Bible Institute of Chicago, 1992, p.229)

※2 同上。

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