「ピレモンへの手紙」講解説教(6)/メッセージ原稿/『神の赦し、人の赦し』/2016.02.07

ピレモン

『赦す者の行動!』

―受容、回復、賠償―

《ピレモン8-18/今回は10-18》

【序 論】

●『神の赦し、人の赦し』シリーズは、今回で6回目となります。そして、『赦す者の行動!』という主題における三回目のメッセージの締めくくりとなります。メッセージを一通り仕上げてみて強く感じた事は、物凄く豊かな内容であるという事です。罪を認めて赦しを求める者、赦しを求める側と赦す側との間に入って和解の務めをする者、そして赦しを求められて赦す者という三つの立場に置かれた人々を取り上げます。また、赦しを求める側、和解の務めをする側、そして赦す側の三者に豊かに働かれる神の摂理の御業も見る事ができます。様々な示唆と教訓に満ちたこの箇所から今回のメッセージが取り次がれますので、どうぞ御言葉の内容の豊かさに期待を寄せて下さい。全体並びに今回のアウトラインは、下記に示されている通りです。

【全体のアウトライン】

[1]初めのあいさつ(1-3)/済

[2]赦す者の品性(4-7)/済

[3]赦す者の行動(8-18)/今回(3回目)

[4]赦す者の動機(19-25)/次回

【今回のアウトライン】

[3]赦す者の行動(8-18)

1)受 容(10-14)

ア)オネシモが赦しを求めた根拠(10-13)

ⅰ)オネシモが悔い改めたこと(10)

ⅱ)オネシモが変えられたこと(11)

ⅲ)オネシモが信頼されたこと(12)

イ)パウロの赦しと和解の導き(13-14)

ⅰ)赦しと和解の重要点(13)

ⅱ)赦しと和解の心得(14)

2)回 復(15-16)

ア)神は悪から善を生み出される(15)

イ)神は奴隷を主にある兄弟に変えられる(16)

3)弁 償(17-18)

ア)パウロがオネシモを迎えるよう勧める(17)

イ)パウロがオネシモの弁償を買って出る(18)

―1―

【本 論】 それでは、今回のメッセージの本論に入りましょう。

[3]赦す者の行動(8-18)

1)受 容(10-14)

●赦しのプロセスの最初のステップは受容です!受け入れる事です!かつて自分に害を与えた人物に対して、自分の心を開いてその人を取り戻すという意味の受容です!ピレモンは自分の奴隷であったオネシモを受け入れ、そして取戻す必要がありました!受容における一番目のポイントでは、奴隷オネシモが主人であるピレモンへ赦しを求めるのですが、オネシモのどういう変化によって彼が赦しを求めている事が分かるのかを探って行きます。オネシモが赦しを求めている根拠を取り上げる事から、今回のメッセージを始めます。そして次に、ピレモンがオネシモを受容するに当って、パウロが赦しと和解に向けた導きをします。

ア)オネシモが赦しを求めた根拠(10-13)

●オネシモが赦しを求めた根拠の一番目が、オネシモが悔い改めたという事です。二番目が、オネシモが信頼されて変えられたという事です。そして三番目が、オネシモが有益な器になったという事です。それでは、一番目から順を追って見て行きましょう。

ⅰ)オネシモが悔い改めたこと(10)

●それではまず、オネシモが悔い改めたという点です。その悔い改めが顕著でしたので、オネシモがピレモンから赦しを求めていたと判断する事ができます!前回のメッセージでも語りましたが、ピレモンがパウロからの手紙を読んだ時、逃亡奴隷であったオネシモはその場に立っていました。オネシモは、自分がかつて害を与えた主人ピレモンの前に、しかも逃亡奴隷を厳しく罰する権力を持っている主人の前に出るために戻って来ました!真の悔い改めがなければ、厳罰を課す事のできる奴隷主人の前に姿を見せる事は決してできません!オネシモは言葉で悔い改めを表明する前に、自分の悔い改めが正真正銘なものであるという事を、身を持って証明する必要がありました!

10で、パウロは、オネシモを「獄中で生んだわが子」と表現しています!ご存じのように、男性のパウロがオネシモという人間を出産する事は不可能です。パウロがローマの「獄中」で鎖につながれながらも宣教していた時に、オネシモに出会うチャンスが与えられ、彼に対して福音を語って救いに導き、信仰の「子」として「獄中で生んだ」という事です!逃亡奴隷が、今やパウロの霊的な子孫になったと語っているのです!という事は、オネシモがキリスト者になったという事であり、回心してからのオネシモが、かつて自分が悪事を働いた相手である主人のピレモンに、その悪事を謝罪し赦しを求め、主人との関係回復を願っているという事なのです!オネシモ以外にも、テモテやテトスに対しても、パウロは「信仰による真実のわが子」1テモ12/テト14と呼んでいます。霊的な子であるという意味です。そういう意味で、オネシモの悔い改めが彼自身の信仰の真実さを表し、それが過去の罪を清算して、新しく信仰者としてスタートしたいという願いを表しています!主人ピレモンへ赦しを求める第一の根拠です!

―2―

ⅱ)オネシモが変えられたこと(11)

●オネシモが自分の主人であるピレモンからの赦しを求めていた事がどうして分かるのかという二番目の根拠は、オネシモが変えられていたという事からでした!主人であるピレモンは、彼の元から去った時と同じ人物を取り戻すのではないという事を示唆しています!オネシモについては、11前半では、「前にはあなたにとって役に立たない者でした」と記されています。しかし、そのオネシモが神の恵みによって根本的に変えられたのです!そして引き続き11後半で、それゆえ、「今は、あなた(ピレモン)にとっても私(パウロ)にとっても、役に立つ者となってい(る)」と記しています!パウロは、その当時の奴隷制度の中で、奴隷でクリスチャンとなった者に対して次のように語り掛けています。「何をするにも、人に対してではなく、主に対してするように、心からしなさい」(コロ322、と!オネシモは、これから、そういう信仰姿勢を持ってピレモンに仕えて行く事ができるのだ、という事をパウロは告げています!

●パウロは、「役に立つ」という言葉を語呂合わせで用いています。実は、オネシモという名前には「役に立つ」という意味がありました。要するに、「前は役に立たたない者でしたが、今は役に立ちます」と!オネシモはもう別人になったという事を、パウロはピレモンに伝えています!その変化にパウロは気づいたのですが、やがてピレモンも気づく事になるに違いないとパウロは確信していました!

ⅲ)オネシモが信頼されたこと(12)

●三番目ですが、オネシモが主人であるピレモンからの赦しを求めていたという事がなぜ分かるのかと言いますと、オネシモが信頼され得る人物となっていたという事から明らかでした!それがどこで分かるのかと言いますと12です。「役に立つ者となっ(た)」オネシモは、パウロ自身の「心そのもの」だと語っているところでからです!「そのオネシモを、あなた(ピレモン)のもとに送り返します」と語っています!

●この「心そのもの」の「心」という言葉は、7でメッセージした時に既に解説済みですが、再確認しましょう。それは、原語では「はらわた」「腸」全体を表す言葉が使われているという事でした。それは、人の心の中でも特に感情や情を表すところだという事でした。パウロのこの逃亡奴隷オネシモに対する情は、物凄く深いものがあったのだという事が分かります!パウロはオネシモと関わるようになり、彼がキリストにあって変えられて素晴らしい人物となり、彼に対するパウロの信頼と愛情が湧き上がるようになりました!それゆえ、パウロは、ピレモンがオネシモに再会するなら、彼の変化に気づき、自分と同じような見方になるに違いないという事を確信していました!

イ)パウロの赦しと和解の導き(13-14)

●オネシモが、自分の主人であったピレモンから赦しを求めているという事が明らかですので、パウロは具体的に赦しや和解に向けた導きをしなければなりませんでした。そこで、パウロは、1314で、その赦しと和解を導くに当っての重要点と心得を記しています。

―3―

ⅰ)赦しと和解の重要点(13)

●オネシモは、使徒パウロにとってとても大きな助けとなりましたので、パウロは彼を自分の「ところにとどめておき」たいと願ったくらいした。しかしここで、ローマの牢獄の状況について、パウロがピレモンの気持ちをどのように捉えているのかを考えてみましょう。ピレモンとしては、オネシモではなく、ピレモン自身がじかにパウロの元に行って「福音のために獄中にいる」パウロに「仕え」たいと願っているに違いない、とパウロは推測しています。となると、ピレモンからしますと、自分ではなくて彼の奴隷であるオネシモがパウロの元にいて仕えるという事は、次に取り得る最善策だとピレモンが考えているに違いないとパウロは推測していたと思われます。しかし、だからOKではありません。パウロはいくら福音のためだとは言え、自分に仕えてもらうためにピレモンまたはオネシモを自分の元に置く事を最優先させませんでした!また更に、自分に仕えてもらうためにピレモンとオネシモとの間にある解決されていない関係を放置すべきではないとも考えました!

ⅱ)赦しと和解の心得(14)

●そこで、パウロは神が願われる最も大切な事を実行に移すに当たり、14節で大切な心得を記しています。ピレモンの「同意なしには何一つすまい」という事でした!パウロは、ピレモンと自分との友情関係を先行させるのではなく、オネシモとピレモンとが再会させる事が最優先事項だと捉えていました!そして更に、ピレモンが行う「親切は強制され(る)」ものではないと考えました!更に、その「親切は・・・自発的でなければいけない」と考えたのでした!赦しと和解を背景にした人間関係においも、これらの原則や心得は特に大切です!

●パウロはピレモンに対して、力ずくで何かをさせようとはしませんでした!パウロは、ピレモンが善を行うに当って、彼自身が意志を持って選び行う事を望みました!そして、パウロが何よりも望んだ事は、ピレモンがじかにオネシモと再会して、彼自身の目でオネシモの劇的な変化とその真価とに注目して欲しいという事でした!

2)回 復(15-16)

●赦しのプロセスの第二ステップは回復です!パウロはピレモンに対して、オネシモを迎え入れるだけでなく、彼を務めに回復させるよう求めます。その中で、15では神は悪から善を生み出されるお方であるという事を語り、また16では神は奴隷を主にある兄弟に変えられるお方であるという事について語ります。

ア)神は悪から善を生み出される(15)

●パウロは、オネシモの罪の意識を和らげようとピレモンへ働き掛けてはいません!そうではなく、神の摂理が豊かに働いている事を告げます!15に注目して下さい。パウロはピレモンに対して次のように告げています。「彼がしばらくの間あなたから離されたのは、たぶん、あなたが彼を永久に取り戻すためであったのでしょう」、と!「永久に」という言葉から伺えますように、信仰者同士が永遠の命を分かち合っているように、ピレモンは「永久に」オネシモを「取り戻す」事になるであろうとパウロは言うのです!(続く)

―4―

パウロが「たぶん」という言葉を使っているのは、誰も、神の摂理の密かな働きを捉える事ができないという事を示唆しています!でも、このオネシモの場合、彼がピレモンの元から去った時、神はその事を確かに覚えておられて、摂理を豊かに働かせて益に変えられるという事を見越しての言葉でした!

●パウロはピレモンに対して、神がこの悪から善を生み出すお方であるという事を伝えます!それは丁度、ヨセフの兄弟たちがヨセフに対して行った悪を、全知全能の神が、「良いことのための計らい」(創5020とされたようにです!「神を愛する人々、すなわち、神のご計画に従って召された人々のためには、神がすべてのことを働かせて益としてくださることを、私たちは知っています」(ロマ828、という御言葉のごとくです!

●神は、ご自身の力と恵みによる摂理を通して人の邪悪な業に勝利されます!神は、人間が起こす無数の出来事を用いてご自身の目的を達成されるのです!オネシモがピレモンの元から「しばらくの間・・・離されたのは」、結果的には、ピレモンがオネシモを「永久に取り戻すためであった」という神の摂理の中にある御業でした!

イ)神は奴隷を主にある兄弟に変えられる(16)

●そして更に、16に注目しましょう。オネシモは奴隷のままでしたが、彼は「もはや奴隷としてではなく、奴隷以上の者、すなわち、愛する兄弟として」戻って来ました!ここで誤解してはならない点がありますが、パウロは、ここで、オネシモがもうこれ以上奴隷でないようにしなさいとピレモンに呼び掛けているのではありません。その点に関して、パウロは第二コリント人への手紙で次のように記しています。

7:20 おのおの自分が召されたときの状態にとどまっていなさい。 7:21 奴隷の状態で召されたのなら、それを気にしてはいけません。しかし、もし自由の身になれるなら、むしろ自由になりなさい。 7:22 奴隷も、主にあって召された者は、主に属する自由人であり、同じように、自由人も、召された者はキリストに属する奴隷だからです(720-22)。

●パウロはピレモンに対して、オネシモを只単に「奴隷としてではなく・・・愛する兄弟として受け入れるよう勧めています!オネシモは、パウロにとっては既に主にあって「愛する兄弟」になっています。「なおさらのこと」、今、ピレモンは、「肉において」オネシモと共に働きまた「主にあっても」オネシモと共に礼拝して仕える事ができるようになります!パウロは、オネシモをキリストにある仲間として、彼との交わりを喜んでいました。ピレモンも、オネシモと「主にあって」クリスチャン同士の交わりを楽しむ事ができますし、また「肉において」は主人と奴隷という関係で共に働く事ができます。そういう意味で、ピレモンは二重に祝福を受ける事ができるのです!ピレモンは、日常の仕事においてはオネシモを奴隷として受け入れ、また「主にあって」は信徒同士で霊的に仕える者として受け入れる事ができるのです!

3)弁 償(17-18)

●赦しのプロセスの第三ステップは弁償です!本日のメッセージの最後のポイントです。ピレモンは、オネシモの逃亡によって実際に害を受けました。オネシモが戻るかどうかは分かりませんでしたので、もしかしたら、ピレモンはオネシモの代わりとなる奴隷を買い入していたのかも知れません。(続く)           ―5―

また、更に、オネシモが主人ピレモンのお金や高く売れそうな物を盗んでそれらを売り、それを逃亡費用にしたのであろうと思われます。聖書は、そのような場合には、明確に賠償する事を民数記で定めています。

5:6 イスラエル人に告げよ。男にせよ、女にせよ、主に対して不信の罪を犯し、他人に何か一つでも罪を犯し、自分でその罪を認めたときは、 5:7 自分の犯した罪を告白しなければならない。その者は罪過のために総額を弁償する。また、それにその五分の一を加えて、当の被害者に支払わなければならない。 5:8 もしその人に、罪過のための弁償を受け取る権利のある親類がいなければ、その弁償された罪過のためのものは主のものであり祭司のものとなる。そのほか、その者の罪の贖いをするための贖いの雄羊もそうなる(56-8)。

ア)パウロはオネシモを迎えるよう勧める(17)

●オネシモは、自分の主人であるピレモンに対する負債を支払う事は恐らくできないでしょう。彼はローマで仕事を探す事は恐らくできなかったと思われます。なぜなら、コロサイ人への手紙を読む限り、彼は殆どの時間をパウロの牢獄での福音宣教の働きに仕えていた事が分かるからです。そこで、パウロが弁償に関して取り上げる時に、彼がピレモンに対してまずお願いした事は、17で、「私を迎えるように彼を迎えてやってください」という事でした!ピレモンは間違いなくパウロを「親しい友」として尊敬していましたので、パウロはピレモンに対して、自分を使徒として迎え入れたように、オネシモを迎え入れてやってくれるよう勧めました!そして次に、弁償や賠償問題に触れます。

イ)パウロはオネシモの賠償を買って出る(18)

●弁証するという事は、赦しにおいて欠く事のできない要素です!それゆえ、主人ピレモンが奴隷オネシモに対してそれを命じる事ができますし、またそれは正しい事です。しかし、また一方、恵み深くある事も間違っていることではありません!もし、ピレモンが負債も一緒にしてオネシモを赦す事をするなら、それは素晴らしい事であり、愛のある恵み深い取り扱いだと言えます!

●でも再度確認したい事は、14で見ましたように、「親切は強制されて」なされるべきではありませんでした!それで、パウロは、18「もし彼があなたに対して損害をかけたか、負債を負っているのでしたら、その請求は私にしてくださいと伝えました!オネシモの負債をパウロが補填する事によって、ピレモンが抱いているいかなる金銭的な負担やプレッシャーを取り除こうとしたのです!何というパウロの和解の使者としての姿でしょうか!

【描 写】 ピレモン、オネシモ、そしてパウロという三人の人物は何を描写しているのでしょうか?

●オネシモの負債を肩代わりする事によって、オネシモとピレモンとの関係を何とか回復に至らせようと執り成すパウロの姿は、キリストの贖いを示すとても素晴らしい描写です!ピレモンは、悪事を働かれた神、実害を受けた神を描写しています。オネシモは、和解を必要としている罪人を描写しています。そして、パウロは、その和解をもたらすために代価を払った救い主キリストを表しています!イエス様は、罪人と父なる神との関係修復のためにその役割を果たしておられる救い主です!パウロはキリストのように、和解のために進んでその代価を払おうとしていました!

―6―

【締めくくり】 今回のメッセージの締めくくりをしましょう。

●私たちが赦す時こそ、私たちが最も神に似る時は他にありません!私たちが誰かの負債を肩代わりする事によってそこに和解がもたらされるのであれば、その時こそ、私たちが最もキリストに似る時は他にありません!オネシモの一時的な罪の結果に対して進んで苦しもうとするパウロの姿は、キリストが私たちの罪の永遠の結果に対して進んで苦しまれた姿を描写しています!

●ピレモンがオネシモの負債に対してどう対応したのかについて、聖書には記録がありません。しかし、疑う余地はないと思います。ピレモンはオネシモを惜しみなく赦し、そしてオネシモの弁償をパウロに求める事は決してなかったことでしょう!ピレモンは自分自身に注がれたキリストの赦しの恵みを踏まえ、またパウロの願いを受け入れ、それ以下の事をするようなピレモンではなかったことでしょう!

【まとめ】 それでは、今回のメッセージのまとめをしましょう。

●今回は、『赦す者の行動!』と題してメッセージを取り次ぎました。赦しと和解には、受容、回復、そして弁償という踏むべきステップがありました!裏切者であり逃亡奴隷であったオネシモは福音によって新しく変えられました!それゆえ、彼は自ら行った悪を悔い改め、そして赦しを求める顕著な態度がそこには見られました!パウロは赦しと和解の重要点と心得を持って、オネシモとピレモンとの間に入って和解の務めをしました!特に、もし必要なら弁償という犠牲も支払う覚悟で、二人の和解に努めました!ピレモンは、自分がキリストにあって赦された者としてオネシモを受け入れ、その罪を赦す準備が備えられて行きました!そして、その全体を、神の摂理が覆っていました!神は悪から善を生み出されるお方で、和解の方向に進ませるお方でした!

【適 用】 それでは、今回のメッセージを適用しましょう。

●あなたはオネシモの立場、ピレモンの立場、そしてパウロの立場をそれぞれ理解しましたか?被害者で赦す神の立場なのか、犯した罪を悔い改めて赦しを求める立場なのか、あるいは関係修復を必要とする人々の間に入って犠牲を伴った和解の務めをするキリストの立場なのか、あなたはどの立場に置かれていますか?それぞれで、ふさわしい行動が取れるよう主に祈る機会を持ちましょう。

【結論の御言葉】

■「私たちの罪をお赦しください」(ルカ11:4)

■「赦しの神」(ネヘミヤ9:17/詩篇99:8)&「互いに赦し合いなさい」(コロサイ3:13)

■「和解の務め」(2コリント5:18)。

―7―