「ピレモンへの手紙」講解説教(2)/メッセージ原稿/『神の赦し、人の赦し』/2015.12.06
『赦す者の霊的な品性!』
―赦さないことの意味&赦すことの意味― 《ピレモン 1-7/今回は 5b-7》
【序 論】 ―“リベンジ”という流行語大賞―
●ここ数年前から、スポーツ界で、アスリートがよく口にする言葉で、私の心に引っ掛っているものがあります。 それは、1999 年の新語・流行語大賞のカタカナ語の部門で選ばれた言葉です。その言葉とは、「リベ ンジ」です。1994 年に K-1 という格闘技で初めて使われたようです。それから日本のスポーツ界では、「リベ ンジ」という言葉が、「雪辱を果たす」、「再挑戦」、「借りを返す」という意味で使われるようになりました。し かし、この言葉の語源は英語の“Revenge”に由来します。その元々の意味とは、「復讐」、「報復」、「仕 返し」というものです。ですから、その元々の意味を知っていた私は、最初この言葉を日本のスポーツ選手の 口からきいた時に、何か違和感といいますか、「これでいいのだろうか」と思ったものでした。
●私たちの社会は、自己中心という生き方で溢れています。赦しなんて知らない、赦す事なんか考 えない、赦しは弱い者のしるしであり、赦さない事こそ強い者のしるしだと考える社会です。スポーツ界 で見られましたように、テレビや映画のヒーローたちが他者への復讐に燃える姿を称賛し喝さいを送っていま す。自分たちに害を与えた者にはそのツケを払わせるという風潮が当たり前です。その結果、社会は 苦々しさと復讐心と怒りと憎しみという敵意で溢れています。恐らく、赦さない事が家族関係を崩 壊に至らせる大きな原因であろうと考えられます。
―赦さないことの意味―
●クリスチャンにとって赦したくないというのは、聖書の示す救われた人の姿から言いますと考えら れない事です!クリスチャンが赦さないという事は、神に対する明らかな反抗であり、開き直った態 度であり、また神に対するあからさまな不従順を示しています!前回のメッセージでも触れましたが、 神が私たちを赦して下さったように、私たちも他の人々を赦すべきです!(エペ 4:32/コロ 3:13)クリ スチャンが赦さないという事は、少なくても四つの好ましくない結果がもたらされるという事を、ジョ ン・マッカーサー師は次のように述べています。※1
●一番目です。赦さない事は、信仰者を自らの過去に閉じ込めます!赦さない事は、痛みを継続 させます!赦さない事は、傷口を開いたままにする事と同じですので、決してその傷がいやされる 事はありません!過去にされた悪事に留まる事は怒りと憤りをあおる事となり、生きる喜びを奪い ます!一方、赦すという事は、牢獄の扉を開き、信仰者を過去から解放します!
●二番目です。赦さない事は、苦々しさを生み出します!信仰者が自分たちに対してなされた悪し き事に留まるのなら、その苦々しさはより増幅します!苦々しさは罪であるばかりではありません、 それは伝染します!(続く) ―1 ―
なぜなら、ヘブル書の著者が次のように警告しているからです。「あなたがたはよく監督して、だれも神の恵 みから落ちる者がないように、また、苦い根が芽を出して悩ましたり、これによって多くの人が汚され たりすることのないように」(12:15)、と!苦々しさを持った人の話にはとげがありますし、いやみがあ りますし、辛辣ですし、毒舌です。苦々しさは人生の全ての見方を歪め、激情させ、不寛容にならせ、 復讐の思いを生み出します!苦々しさは、特に、結婚関係を徹底的に破壊します!苦々しさは、夫 婦間にあるべき愛情や親切を断ち切ります!苦々しさの根と赦さない心とは、しばしば離婚につなが る雑草を生み出します!それに比べて、赦しは、苦々しさを愛と喜びと平安へ取って代え、更にその 他の御霊の実である寛容、親切、善意、誠実、柔和、自制に取って代えます!(ガラ 5:22-23)
●三番目です。赦さない事は、サタンに対して足場を築かせてしまいます!エペソ 4:26-27 で、パウ ロは次のように警告しています。「4:26 怒っても、罪を犯してはなりません。日が暮れるまで憤ったままでいて はいけません。 4:27 悪魔に機会を与えないようにしなさい。」、と!また、2 コリント 2:10-11 では、次 のように警告しています。2:10 もしあなたがたが人を赦すなら、私もその人を赦します。私が何かを赦したのなら、私の赦したことは、あなたがたのために、キリストの御前で赦したのです。 2:11 これは、私たちがサタンに欺かれないためです。私たちはサタンの策略を知らないわけではありません。サタンが私たちの人生に足場を築くのは、殆どの場合、赦さない事によります!それは、決して大 げさな表現ではありません!しかし逆に、赦しは、サタンの攻撃手段をはばみます!
●四番目です。赦さない事は、神との交わりを妨げます!前回も触れましたが、今回、少し説明を加 えましょう。イエス様は、マタイの福音書で次のように警告されています。「6:14 もし人の罪を赦すなら、あ なたがたの天の父もあなたがたを赦してくださいます。 6:15 しかし、人を赦さないなら、あなたが たの父もあなたがたの罪をお赦しになりません。」(6:14-15)、と!この聖書箇所は、信仰者がキリス トを救い主として信じた時になされた神の救いによる罪の赦しを指しているのではありません。クリスチャンの 過去の罪が再び問われる事がないということを、ローマ 8:1 が明確に示していました。
●このマタイの箇所が言わんとしている事は、信仰者と父なる神との間の継続した関わりにおける 赦しです!それは、もしクリスチャンが他の人を赦していないのなら、その人は神との正しい関係に はないという事を示しています!ですから、クリスチャンが他者を赦さないという事を軽く見てはい けませんし、それは神との関係をも悪くしているという事を知らなければなりません!しかし一方、 赦しは、神からの最大の祝福にあずかるまでに信仰者を回復させます!赦しは、神との純粋で喜 び溢れる交わりへと回復させるのです!
―赦すことの 10 の言葉の描写―
●赦しの重要性は、聖書全体の変わらないテーマです!聖書には、少なくとも 75 に及ぶ赦しについ ての言葉の描写が記されています!それらの言葉の描写は、赦しの重要性、その本質、そしてその効 力を理解する事を助けてくれます!ジョン・ニダーとトーマス・トンプソンという方々が、「赦しそして再 び愛する」という著書の中で、次の 10 項目に及ぶ赦しの要点を記しています。※2 ―2 ―
1.赦す事は、鍵を回す事によって牢獄の扉を開け、囚人を自由に歩けるようにする事である!
2.赦す事は、負債に向かって、大きな文字で「何の借りもない」と書く事である!
3.赦す事は、裁判官が小槌をたたいて、「無罪」と宣言する事である!
4.赦す事は、矢をものすごく高くまたどこまでも射る事であり、それが再び見つけ出される事は決 してない!
5.赦す事は、すべてのゴミや塵を集めて始末する事であり、家を清潔にして新鮮にする事である!
6.赦す事は、停泊している船のロープをほどき、大海原へ解き放つ事である!
7.赦す事は、死刑囚の刑を全く免除する事である!
8.赦す事は、挌闘相手に仕掛けている締め技を緩める事である!
9.赦す事は、落書きされた壁を磨く事であり、まるで新しい壁のようにしておく事である!
10.赦す事は、土器を粉々に粉砕する事であり、それは決して元には戻らない!
●聖霊なる神は、聖書全体を通して、赦しの重要性に私たちの目を向けさせています!ピレモン書 では、赦しが霊的な義務であると強調されていますが、教理という形でもなく、たとえ話という形でもなく、 言葉による描写という形でもなく、実際に、パウロにとって大切な二人の間に起こっている実際の状況 下で取り扱われている事柄が記されています!その手紙を通して、パウロは他者を赦す事の重要性 について教えています!
―導 入―
●さて、シリーズ『神の赦し、人の赦し』の二回目のピレモンへの手紙の講解説教の流れは、下記の[全 体のアウトライン]と[今回のアウトライン]に記されている通りです。初回に続き、再度、アウトラインによっ てメッセージの流れを捉える事にしましょう。
【全体のアウトライン】
[1]初めのあいさつ(1-3)/済
[2]赦す者の品性(4-7)/今回[2)-6)] 【今回のアウトライン】 [1]初めのあいさつ(1-3)/済
[2]赦す者の品性(4-7)
1)主への関心(4-5a)/済 2)聖徒への関心(5b)/今回 3)栄光への関心(6a)/今回
[3]赦す者の行動(8-18) [4]赦す者の動機(19-25)
4)よく知る事への関心(6b)/今回 5)交わりへの関心(6c)/今回 6)祝福する事への関心(7)/今回
―3―
【本 論】 それでは、今回のメッセージの本論に入りましょう。
[2]赦す者の品性(1-7)
1)主への関心(4-5a)/済/復習 ―ピレモンの霊的品性の高さ!―
●人を赦す者の品性の第一番目は主への関心でした。この最初のポイントは前回のメッセージで終えた のですが、その要点を振り返る事から始めましょう。4 節で、パウロは、「私は、祈りのうちにあなたのことを覚 え、いつも私の神に感謝しています」と記していました。パウロがピレモンの事で神に祈る時には、いつも 神に感謝を捧げる事ができました。何と、パウロはピレモンについての否定的な面を一切知りませ んでした!このピレモンへの手紙がそれを裏付けています!
●パウロがピレモンを正しているところは一ヶ所も見られませんし、ピレモンの過ちやピレモンに関 する不都合な点についてのパウロの提案や勧め等も一切見られません!ピレモンにとってオネシモ を赦すという事が難しいと感じさせるような言葉が一切見られません!むしろ、ピレモンはオネシ モをきっと赦してくれると期待させる彼の霊的な品性を感じさせる手紙の内容です!
―ピレモンの高い霊的品性はどこからスタートしているか?―
●ピレモンの高い霊的品性の源はどこから生まれていたでしょうか?それが、5節の前半に記されてい ました。「それは、主イエスに対して」ピレモンが「抱いている信仰」でした!赦す者の第一にくる霊的な 品性は、主に対して第一の関心を払っているという事でした!
●ピレモンは本物の信仰者として、主を一番の関心としていますし、それゆえ主をお喜ばせする事 を一番の願いとしていました!主はピレモンの全ての罪を赦しましたので、彼もまた他の人々の全 ての罪を赦す事ができました!本物の信仰を持っているピレモンには、御霊と御言葉が彼の内に豊 かに住んでいましたので、その双方が、ピレモンがなすべき正しい事を成し遂げさせて来たのでし た!また、この「抱いている」という言葉がありますが、この言葉は動詞で現在形ですので、ピレモンの主 に対する関心がずっと継続しているという事を示しています!ピレモンの揺るがない主への信仰は、 彼が進んで赦すという確信をパウロに与えていました!
2)聖徒への関心(5b)
●5 節の後半に進みましょう。ここから、新しいメッセージの内容となります。赦す者の二番目の霊的品性は聖徒への関心です。それは、「すべての聖徒に対するあなたの愛とについて聞いているからです」という言葉の中に表されています!ここに記されている「愛」とは、原文のギリシャ語では“アガぺ”です!意志を持って選ぶという強く深い愛です!自己犠牲愛とへりくだりの愛を表しています!ガラテヤ 5:22 では、愛は御霊の賜物の一つで、御霊が結ばせて下さる一つの実です!それは、真実な信仰、本当に救われた信仰者に表れる霊的な品性です!どういう意味なのでしょうか?1 テサロニケ 4:9 がその答えを提供しています。それは、「あなたがたこそ、互いに愛し合うことを神から教えられた人たちだからです」と記 されています!(続く)
―4―
真に救われた者というのは、基本的に、この愛を教えられるべき必要はないのです!なぜなら、その信仰者には既に内住の御霊がおられ、その御霊が愛の源となって愛する事を教えられるからだというのです!その真理について、ローマ 5:5 は次のように語っています。「私たちに与えられた聖霊によって、神の愛が私たちの心に注がれているからです」、と!本物の信仰者には、神の愛が豊かにその「心に注がれている」のです!それが、他者を愛する愛の源となっているのです!そして、逆に兄弟愛に関する実に極めつけの御言葉が 1 ヨハネ 3:10 に記されています。「義を行わない者はだれも、神から出た者ではありません。兄弟を愛さない者もそうです。」、と!
●ピレモンの信仰は本物でしたので、それは自ずと聖書的な愛として表に現れていました!これは、 「すべての聖徒に対する」ピレモンの「愛」として表されていたのです!ピレモンの人々に対する関心 は、実に、彼に人々を赦す力を与えていました!
3)栄光への関心(6a)
●6 節に進みましょう。赦す者の三番目の霊的品性は、栄光への関心です。6 節の前半で、「キリストの ためになされているすべての良い行い」と記されていますが、この「キリストのために」という言葉に注目しま しょう。全ての信仰者が行うあらゆる事の目標は、神の栄光のためです!1 コリント 10:31 では、「あな たがたは、食べるにも、飲むにも、何をするにも、ただ神の栄光を現すためにしなさい。」と記されています!
●皆さん、いかがでしょうか、人を赦さないという事はキリストの栄光になるでしょうか?勿論、なりません。 キリストの栄光を願いそしてそれを求める人は、他の人を赦します!神の栄光を願っていながら、人 を赦さないというのは成り立ちません!そうですね・・・?!パウロは、ピレモンがオネシモを赦す事 に関して絶大な確信がありました。なぜなら、パウロは、ピレモンがキリストに栄光をお返しする事が 彼の関心であるという事をよく知っていたからでした!
4)よく知る事への関心(6b)
●赦す者の四番目の霊的品性は、よく知る事への関心です。6 節の中盤ですが、「私たちの間でキリストのためになされているすべての良い行いをよく知ることによって」と記されています。ここでは、単に「知ることによって」ではなく「よく知ることによって」と記されています。それでは、「知ること」と「よく知ること」とではどう違うのでしょうか?ギリシャ原語で使われている「よく知ること」という言葉は、深く、豊富に、十分に、 体験的に知るという事を意味している言葉です。信仰者の「間でキリストのためになされているすべての 良い行い(「すべての良いこと」とも訳される)を」、ピレモンが深く、豊富に、十分に、体験的に知る事ができ るようにというパウロの願いが記されています。
●何にたとえたらいでしょうか?私が牧師になりたいという願いが起こされ、実際に聖書大学で学び、牧 師について教科書で学びました。しかし、実際、牧会の現場に出てみて体験する事によって、その学んだ知 識を本当の意味で把握する事ができるようになります。学んだ事を実際に試して経験する事によって、その 知識は深まり、実用化する事ができ、その結果、より良い牧会者へと成長して行きます。(続く)
―5―
御言葉の真理についても全く同じです。聖書やメッセージで学んだ真理を理解し、そして実践する事によっ て初めて信仰者はその意味を身を持って把握するようになり、その結果、霊的な成熟がもたらされます!
●ピレモンに当てはめて考えてみましょう。ピレモンは、赦しについて聖書からまたコロサイ教会の牧師のメッセージから学んで来ました。今度は、その赦しを実際に行動に移す時が来たのです!人は、赦すという行動に移して初めて赦しが何なのかを本当に知る事ができます!パウロは、ピレモンがオネシモを実際に赦す事によって、赦しに関する本当の意味を知りたいという思いがピレモンにある事を確信していました!そして、近い内にピレモンがオネシモと再会し、彼が実際に赦す事によって、赦しについての深い知識を持つ事を確信していました!パウロは、ピレモンに対してもまたこの手紙を聖書として読む多くの読者たちに対しても、「よく知ること」への関心を持つ事の大切さを教えているのです!
●そして、忘れてはならない事は、ピレモンの内にまた私たちの内に、聖霊が住まわれまた聖書の御 言葉が備え蓄えられていますので、その良きものを主は用いられて、人を実際に赦せるように助け 導いて下さるのです!私たちが頑張るというよりも、神が私たちの内にある赦しを実行させる源を 通して働き掛けられ、実行に移させるのです!信仰者って何と幸いでしょうか!
5)交わりへの関心(6c)
●赦す者の五番目の霊的な品性は交わりへの関心です。6 節の後半ですが、「あなたの信仰の交わり が生きて働くものとなりますように」と記されています。本物の信仰は、自ずと主にある兄姉の交わりへの 関心へとその信仰者を導きます!キリストの体である教会においては、他の信徒の事は考えないと いう自己中心主義者の場所なんてどこにもありません!兄姉との交わりへの関心が、ピレモンをし てオネシモを赦す動機になります!オネシモはローマの獄中にいる使徒パウロを通してキリストへ の信仰に導かれてクリスチャンになったのですから、もしピレモンがオネシモを赦す事をしないのな ら、コロサイの教会の交わりに亀裂を生じさせる事になります!ですから、オネシモを赦す事によって、 ピレモンはコロサイ教会へ調和と平和と一致を保つ事ができるのです!
―「交わり」=“コイノニヤ”について―
●この「交わり」という言葉は、原語では“コイノニヤ”という言葉が使われています。この言葉は、私たちが 互いに主にある仲間として「交わり」を楽しむという意味を遥かに超える大切な意味を含んでいま す。この“コイノニヤ”、「交わり」という言葉は、互いに人生の全てを分かち合うという事を指してお り、「属する」というふうに訳する事のできる言葉です!ですから、信仰者は互いの結び付きによって 属し合っている者同士で、その関係はキリストある「信仰」に導かれた事によって生み出されたもの です!ピレモンがオネシモを赦す事によって、ピレモン自身がキリストにある兄弟としてオネシモに 属する者になるいう事を認識することとなります!
―6―
●そして引き続き、その「信仰の交わり」が「生きて働くものとなりますように」とあります。「生きて働く」とい う言葉は、原語では“エネルギス”という言葉使われています。日本でも日常で使っているある言葉を連 想させませんか?そうですね、“エネルギス”というのはエネルギーと同じ意味の言葉です。エネルギーと は力また力強さという意味があります。という事は何を意味するのかと言いますと、このような赦しの行 為というのは、教会に対して「交わり」の重要性について力強いメッセージを送ると言っているので す!その交わりの重要性とは、奴隷とその主人の関係においてさえもそうなのだという事を告げて いるのです!
●ガラテヤ 3:28 は、次のように告げています。「ユダヤ人もギリシヤ人もなく、奴隷も自由人もなく、男子 も女子もありません。なぜなら、あなたがたはみな、キリスト・イエスにあって、一つだからです。」、と!ですか ら、たとえ相手がどのような事をしたにしても、教会の信徒同士が赦し合うという事が、交わりへの 関心を促す力強い勧めになるのです!
6)祝福する事への関心(7)
●赦す者の六番目の霊的品性は祝福する事への関心です。7 節がその事を次のように伝えています。「私はあなたの愛から多くの喜びと慰めとを受けました。それは、聖徒たちの心が、兄弟よ、あなたによって力づけられたからです。」、と!ピレモンに対する人々の評判はと言いますと「愛」でした!その評判は、パウロに対しては「喜びと慰め」になっているというのではなくて、「多くの喜びと慰め」となってい るというのです!そしてもう一方、ピレモンの品性は「聖徒たち」に対して何をもたらしたでしょうか?そ れは、彼らの「心」を「力づけ(る)」ものとなっているのです!
●「心」という言葉は、原語では「はらわた」すなわち「腸」全体を指す言葉が使われています。「はらわた」 や「腸」全体というものは、人の何を表すところでしょうか?それは、人の感情を表すところです。日本人 はよく「断腸の思い」と表現します。「腸が断たれる」程悲しく痛んでいる事を表す表現です。葛藤し、痛み、 感情的に傷付いている人々が、ピレモンによって「力づけられた」のです!この「力づけられた」という言葉は、 原語では軍隊用語です。軍隊が隊列を組んで長距離を行進して移動するという行軍の疲労から休 息を得るという意味です。行軍の疲労から回復される、元気づけられるという言葉です!そのように、 ピレモンは困難に直面している人々に対して休息をもたらしそして元気を回復させるという品性の 持ち主なのです!文字通り、ピレモンはそのような人物でした!
●私たちが知りうる限り、ピレモンは長老でもなく、執事でもなく、または教師でもありませんでした。恐らく、 事業家であったと言われています。しかし、彼は親切で、全ての人にとって祝福の源となりました!ピレ モンは、人々を祝福する事において関心がありました!そのような品性の持ち主がピレモンでした ので、パウロはきっと彼がオネシモを赦すという事において大きな期待を寄せる事ができたので す!
●神は私たちを寛容なお心で赦し、赦しただけでなく、私たちに聖霊と御言葉の力をお与えになり、 私たちがピレモンと同じように赦すよう願っておられるのです!私たちに赦す事できないという事が あるでしょうか?!
―7―
【まとめ】 それでは、今回のメッセージのまとめをしましょう。
●ピレモンへの手紙シリーズ『神の赦し、人の赦し』の二回目は、主に二つの視点からメッセージを取り次 ぎました。一つ目が、赦さないことの意味について四つの点で学びました。その一番目に、赦さないとい う事は信仰者を自らの過去に閉じ込めてしまうというものでした!二番目に、赦さないという事は 苦々しさを生み出すという事でした!三番目に、赦さないという事はサタンに対して足場を築かせ てしまうという事でした!四番目に、赦さないという事は神との交わりを妨げるという事でした!そ して、二つ目が、赦す者の六つの霊的な品性について学びました。主への関心がある事、聖徒への関心 がある事、栄光への関心がある事、よく知る事への関心がある事、交わりへの関心がある事、そして最 後に祝福する事への関心がある事でした。
【適 用】 それでは、今回のメッセージを適用しましょう。
●皆さん、いかがでしょうか、赦さない事が生み出す四つの好ましくない結果、そして赦す者に備えられ るべき六つの霊的な品性について、あなた自身に当てはめて自分の内側を吟味してみませんか?そ して、主の前に必要な助けを祈って行こうではありませんか?!
【結論の御言葉】
お互いに親切にし、心の優しい人となり、神がキリストにおいてあなたがたを赦してくださったよう に、互いに赦し合いなさい(エペソ4:32)。
[参考文献]
※1 ジョン・マッカーサー、『マッカーサー新約注解書/ピレモンへの手紙』(ムーディー出版、1992)(John MacArthur, The MacArthur New Testament Commentary, , COLOSSIANS & PHILEMON The Moody Bible Institute of Chicago, 1992, pp.208-209.)
※2 同上、p.209。