「ピレモンへの手紙」講解説教(1)/メッセージ原稿/『神の赦し、人の赦し』/2015.11.29

ピレモン

『赦すこと、赦さないこと!』

―「あなたが赦してくださるからこそあなたは人に恐れられます」(詩 130:4)― 《ピレモン 1-7/今回は 1-5a》

【序 論】

●145 回にわたる使徒の働きの講解説教が終盤に差し掛かるにつれ、私は、同性愛や戦争を聖書で紐 解いてメッセージを取り次ぎたいと皆さんへ伝えていました。それで、つい先々週、5 回にわたる同性愛の問 題を聖書から紐解きました。戦争についてもいずれ取り扱いますが、そのテーマの大きさを考えますと、それ 相当の準備時間を要する事が分かりましたので、戦争に関するメッセージについては準備が整い次第取り 次ごうと思っています。

●それで、二週間後にはクリスマスを迎え、その後年末年始を迎えますので、クリスマスや年末年始のテー マから外れずにメッセージを語らねばなりません。そこで、私が選んだ聖書の書簡は、「ピレモンへの手紙」で す。パウロの霊感された手紙の中で、たった 25 節しかないという一番短い内容です。しかし、いろいろな点で、 ピレモンへの手紙というのは独特です。まず、パウロがローマの獄中で書いた手紙の中で、唯一個人へ宛て られた手紙であるという事です。また、他の獄中書簡であるエペソ・ピリピ・コロサイのように教理的に大変深 いものは記されていませんが、きわめて重要な実践的な課題が取り扱われています。その実践的な課題 とは、クリスチャンは互いに赦すという事です!同じ獄中書簡では、赦しについて次のように述べられてい ます。

■お互いに親切にし、心の優しい人となり、神がキリストにおいてあなたがたを赦してくださったよ うに、互いに赦し合いなさい(エペソ4:32)。

■互いに忍び合い、だれかがほかの人に不満を抱くことがあっても、互いに赦し合いなさい。主があな たがたを赦してくださったように、あなたがたもそうしなさい(コロサイ3:13)。

その赦しについての真理は、新約聖書では最初にイエス・キリストによってマタイの福音書で教えられていま す。そして、随所でその真理が適用されています。その最たる赦しの実例が、イエス様の十字架上での赦し の祈りです。「父よ。彼らをお赦しください。彼らは、何をしているのか自分でわからないのです。」(ルカ 23:34)、と!

●聖書は、神は赦しの神であるという素晴らしい真理を明確に教えています!旧約聖書では、イス ラエルの民に対して、「主は、あわれみ深く、情け深い神、怒るのにおそく、恵みとまことに富み・・・咎とそむ きと罪を赦す者・・・」(出エジプト34:6-7)だと告げています!詩篇では、「赦しの神であられた」(99:8) と記されていますし、「あなたが赦してくださるからこそあなたは人に恐れられます」(130:4)と記され ています!赦しの神というテーマは聖書全体を通して記されています(詩32:1、85:2、130:3-4/イザ43:25、 55:7/エレ33:8/エペ1:7/コロ1:14/1ヨハ1:9、2:12)。

―1―

●その中でも、新約聖書の放蕩息子のたとえ話ほど、神の赦しのご性質を鮮明に表しているものはありま せん。皆さんもよくご存じのように、二人の息子を持った父親がおり、息子の一人が父親の財産の生前贈 与を申し出、「遠い国に旅立(ち)」(ルカ15:13)、そこで堕落し、全てのお金を使い尽くし、そして最後に卑 しい仕事に就いて飢えに苦しんでいる時に我に返り、父親の事を思い出して次のように言いました。「父のと ころには、パンのあり余っている雇い人が大ぜいいるではないか。それなのに、私はここで、飢え死にしそうだ」 (ルカ15:17)、と!彼は父親の元に帰る事を決断はしましたが、父親から赦してもらう事は一切期待する事 はありませんでした。彼は、「雇い人のひとり」(ルカ15:19)にでもしてもらえたらと考えたのみでした。自分勝 手な事をして神にもまた父親にも罪を犯している息子が遠くに見えた時、父親は走り寄って息子を抱き、そ の後、その帰りを祝って祝宴を開いたのでした。

●このイエス様が語られた物語は、その父親に象徴されていますように、神がいかに熱意を持って、完全 に、そして惜しみなく赦して下さるお方なのかを示しています!神と赦しという関係で見ますと、次の ように言えます。「神がお赦しになる時、それ以上に神ご自身のご性質を表すものはありません!」※1、 と。

●この真理から、二つの大変重要な結論が導き出されます。一つ目は、「もし神がお赦しになる時それ 以上に神のご性質を表すものがないのなら、人が赦す時、それ以上に人が神に似る時はないので す!」※2、と!その真理について、箴言19:11は次のように私たちに伝えています。「人に思慮があれば、怒 りをおそくする。その人の光栄は、そむきを赦すことである。」、と!

●二つ目は、「神が私たちをお赦しになるのは、私たちの他者への赦しに基づくものです!」という事 です。イエス様は、次のように教えて警告を与えました。「6:14 もし人の罪を赦すなら、あなたがたの天の父 もあなたがたを赦してくださいます。 6:15 しかし、人を赦さないなら、あなたがたの父もあなたがたの罪をお 赦しになりません。」(マタ6:14-15)、と!ヤコブはその真理を次のように伝えています。「あわれみを示したこ とのない者に対するさばきは、あわれみのないさばきです」(2:13)、と!主イエス様は、肯定的にこの真理を 次のように述べられました。「あわれみ深い者は幸いです。その人たちはあわれみを受けるから。」(マタ5:7)、 と!

●クリスチャンが他者を赦さないなら、神もクリスチャンを赦さないので、その結果、地獄の滅びに至るという 事を言っているのではありません。なぜなら、「キリスト・イエスにある者が罪に定められることは決してありませ ん」(ロマ8:1)と宣言されているからです。では、「人を赦さないなら、あなたがたの父もあなたがたの罪を お赦しになりません」というのはどういう意味なのでしょうか?赦しの神によって全ての罪が赦された クリスチャンが他者の罪を赦さないのなら、その信仰者が赦しを実践できるように神がその人を戒 め、その人の霊的成長のためにその人を取り扱われますよ、という意味です。赦されたクリスチャンが 赦しを実践できるように、キリストに似た者となるように、神はその赦さないクリスチャンを取り扱わ れ、聖化の道を歩ませられますよ、という意味です。

―2―

●神が私たちを赦されたようにクリスチャンは互いに赦し合う、というのがこのピレモンへの手紙の 底辺に流れるテーマです!このピレモンへの手紙は、たとえ話でもなく赦しの教理でもありません。このピ レモンへの手紙は、実際に起こった事を取り扱ったもので、赦しに関する生きたレッスンなのです! これから数回にわたって学んで行く事にしましょう。ピレモンへの手紙の[全体のアウトライン]は、次の大き な四つ要点から成り立っています。また、[今回のメッセージ]の流れもそれに続くアウトラインの通りです。

【全 体のアウトライン】

[1]初めのあいさつ(1-3)/今回 [2]赦す者の品性(4-7)/今回[1)のみ] [3]赦す者の行動(8-18)

[4]赦す者の動機(19-25)

【今 回のアウトライン】

[1]初めのあいさつ(1-3)

1)使徒パウロ(1a) 2)兄弟テモテ(1b) 3)愛する同労者ピレモン(1c) 4)姉妹アピヤ(2a)

[2]赦す者の品性(4-7)

1)主への関心(4-5a)/今回 2)聖徒への関心(5b)/次回 3)栄光への関心(6a)

5)戦友アルキポ(2b) 6)家にある教会(2c) 7)恵みと平安(3)

4)よく知る事への関心(6b) 5)交わりへの関心(6c) 6)祝福する事への関心(7)

【本 論】 それでは、今回のメッセージの本論に入りましょう。 [1]初めのあいさつ(1-3)
1)使徒パウロ(1a)
―「パウロ」という名前―

●それでは、ピレモンへの手紙の第一節から御言葉を紐説いて行く事にしましょう。パウロはピレモンに対し て、「キリスト・イエスの囚人であるパウロ、および兄弟テモテから、私たちの愛する同労者ピレモンへ」と記し ています。原語のギリシャ語で見ますと、実は、「パウロ」という言葉が最初に出てきます。それは、当時のギ リシャ・ローマ文化においては通常の手紙の書き方です。いつの時代でもそうですが、誰からの手紙かという のはとても大切です。その書面の最初に「パウロ」という名前が記されているという事は、ピレモンにとっては 相当心臓の鼓動が高鳴り、その文面に釘付けにされた事でしょう。

―3―

●皆さん、いかがでしょうか、パウロからあなたが個人的に手紙を受け取った場合の事を想像してみて 下さい。パウロは神から召された気高い使徒で、その当時、ギリシャ・ローマ世界の福音宣教の第一責任 者でした。パウロが記した13の手紙(書簡)の中で、個人に宛てたものが四通あり、三名の人物が受け取っ ています。テモテへ二通、テトスへ一通、そしてピレモンへ一通です。テモテとテトスは共に牧会者たちでした が、ピレモンは牧師ではなく一般の信徒で、恐らく実業家であったであろうと思われます。彼はパウロのエペソ の地における宣教を通して救われ、後に、コロサイの地にある自分の広い家屋を家の教会として提供し、教 会の働きに大きく貢献していた人物でした。そして何と、彼に宛てられたパウロから個人的な手紙は聖 霊によって霊感されたものでした。ですから、ピレモンがその手紙の最初に「パウロ」という名前を見た時の 彼の心臓がどれくらい早く脈打ったかを、皆さんは想像できると思います!一般信徒では唯一使徒から霊 感された手紙を受け取ったのですから、物凄い特権を感じた事でしょうし、その内容に釘付けになったに違いありません。

―「イエス・キリストの囚人」であるパウロ(1)―

●パウロは、自分を「キリスト・イエスの囚人」だと記しています。パウロの13の手紙の中で、「イエス・キリ ストの囚人」という表現をして始めているのは、このピレモンへの手紙以外にはありません。他の手紙では、 通常、「イエス・キリストの使徒」という風に記されており、パウロ自身の使徒職に重きが置かれ、神がパウロ に与えられた権威が強調されています。それは、テモテとテトスという個人宛ての手紙でもそのように記されて います。その理由としては、それらの手紙の内容が教会と関連立てて記されているからです。しかし、ピレモン への手紙では、8節と9節にも見られますように、パウロは敢えて自分に与えられた権威を用いないよう にしています。むしろ、もっぱら、自分の友人に対する優しさを持って語り掛けています。

―「イエス・キリストの囚人」であるパウロ(2)―

●「キリスト・イエスの囚人」について、もう少し深めましょう。パウロは、使徒の働きで学びましたように、ロー マの獄中に収監されているのですが、彼は、自分を「キリスト・イエスの囚人」と見ています。なぜなら、キリ ストのためにそしてキリストの御心のゆえに、自分は囚人として獄中に収監されているからという理解からです。 パウロが、自分が獄中にある身であるとい事を書き記しているのには大切な理由がありました。それは、次の ようにパウロが語っているのと同じです。「もし、私(パウロ)が獄中に置かれてより厳しい任務に直面する 事ができるのであれば、これから私があなた(ピレモン)にお願いするよりた易い任務を、あなたが果 たす事ができないという事はあり得るでしょうか?」、と。ピレモンは、パウロがキリストのゆえに苦し みを受けているという事は全て知っていました。そうであるのなら、これからパウロがピレモンにお 願いする事に対しては、彼は進んで行うに違いないのです。

2)兄弟テモテ(1b)

●次に記された人物である「テモテ」に進みましょう。彼はパウロと共にこの手紙を書いているのではなく、パウ ロがこの手紙を書いている時に共にいた人物です。パウロは彼を「兄弟テモテ」と記していますが、それはパウ ロにとってもまたピレモンにとっても主にある「兄弟」でした。テモテはパウロがエペソにいた時に共におり、恐らく そこでピレモンはテモテにと出会ったのであろうと思われます。(続く) ―4 ―

パウロはその手紙の冒頭の部分でよく「テモテ」の名前を記しているのですが、それは、「テモテ」がパウロの宣 教の働きの中で誰よりも近く関わっていたからです。パウロは、いつの日か、自分の霊的指導者としての立 場を「テモテ」に移譲する時が来る事を知っていました。パウロは、「テモテ」が指導者としてまた自分の後継 者として認められる事を願っていました。

3)愛する同労者ピレモン(1c)

●前述しましたように、「ピレモン」はコロサイ出身の人物で、恐らく実業家で財力のある教会員でした。自 分の大きな家を解放して家の教会とし、彼自身もその働きにおいて熱心な人物でした。パウロはコロサイ教 会を一度も訪れた事はありませんが(コロ2:1)、パウロが彼を「愛する同労者」と呼ぶのには理由があります。 それは、パウロがエペソで二年から三年間という長い年月を掛けて宣教の働きを進めていた時にピレモンと 出会い、彼を救いに導き、共に宣教の働きを進めながら信頼関係を築いて行き、キリストにある愛や友情 が深まって行ったという事でした。ですから、パウロは彼を「愛する同労者」とこの手紙で記したのでした。この パウロとピレモンの主にある友情関係が築かれているがゆえに、パウロは、これからピレモンに対して重要な霊 的原則を伝えて行くのです。その重要な霊的原則とは赦しと和解です!ピレモンが、彼に害を与えそし て彼の元から脱走したオネシモという奴隷を赦して受け入れ、彼との和解を図るという重要な霊的原則をこ れから伝えて行くのです!今後、聖書と奴隷についても説明が必要となりますので、これからのメッセージ の中で触れて行く事にします。

4)姉妹アピヤ(2a)

●2節の前半に進みますと、「姉妹アピヤ」とう人物が記されています。それは、ピレモンの妻である事に疑い はないだろうと言われています。そして、その「アピヤ」もパウロにとって友人でした。

5)戦友アルキポ(2b)

●そして次に、2節の中盤に進みますと、「アルキポ」という人物が記されています。彼は恐らくピレモンとアピ ヤの息子ではないかと考えられます。パウロは、彼を「戦友」と呼んでいます。彼もまた父親と同様に主の働 きに熱心に仕えていた事が分かります。コロサイ4:10で、パウロは彼に対して、「主にあって受けた務めを、注 意してよく果たすように」と伝えています。「アルキポ」は、恐らく、ラオデキヤ教会やコロサイ教会で仕える牧 会者であったのであろうと考えられています。

6)家にある教会(2c)

●更に、2節の後半に進みますと、パウロは「あなたの家にある教会へ」と記しています。すなわち、ピレモンの 「家にある教会」を指して記しています。一世紀の「教会」は家で集まっています。3世紀になるまで、教会 堂という建物の存在はありませんでした。最も古い教会堂は、シリアの東部の砂漠地帯を流れるユーフラテ ス川の中流に位置する都市、ドゥラエウロポスで見つかっています。ピレモン書は個人宛ての手紙ではあり ますが、パウロは、その手紙を教会でも読むように願っている事が分かります。そうする事によって、赦しの重 要性を教会へも伝える必要があるという事が分かりますし、またそれと同時に、ピレモンがその課 題に対して責任を持って対処する事ができるためでした!

―5―

7)恵みと平安(3)

●次に、初めのあいさつの最終部分である3節です。「私たちの父なる神と主イエス・キリストから、恵みと平 安があなたがたの上にありますように」というのは、パウロの13の書簡の全てに記されていている通常の挨拶 の言葉です。「恵み」は何を意味しているでしょうか?それは、救いを表しています。「平安」は何を意味 しているでしょうか?それは、救いの結果与えられるものです。「父なる神」と「主イエス・キリスト」を「恵 み」と「平安」の共同の源として結び合せています。何を言わんとしているのでしょうか?それは、イエス・ キリストが、父なる神と等しい神であるという事を示しています!

[2]赦す者の品性(4-7)

1)主への関心(4-5a)

―ピレモンは赦しを期待させる霊的品性の持ち主!―

●さて、次の4節から、この手紙の本文が始まります。パウロは、「私は、祈りのうちにあなたのことを覚え、い つも私の神に感謝しています」と記しています。これは、パウロがピレモンをおだてたり、おべっかを使っているの では決してありません。それは、むしろパウロのピレモンに対する正直な思いです。相手がした良い事や 気高い事を正しく褒める事はその人の徳を高めますし、それはその人にとって悪を退ける励ましに もなります!このピレモンの徳や品性の高さが、実に、これからピレモンがオネシモを赦すようお願 いする下地となって行くのです!

●ピレモンの品性の気高さについては、パウロがじかにそれを知る機会がありました。パウロはピレモンの救い のために神によって用いられた器であり、またパウロはピレモンと宣教を共にしていました。ピレモンの出身地コ ロサイの牧師であったエパフラスは、パウロと共にキリストの囚人としてローマにおりましたが(23)、彼もまたピレ モンの気高い品性については証言する事ができました。オネシモも同様でした。パウロをはじめパウロの側近 の神の器たちが、ピレモンに対して共通して良い証しをしていました。それゆえこれらの証しが、4節で、パウロ をして、「私は、祈りのうちにあなたのことを覚え、いつも私の神に感謝しています」と述べさせるのでした!何 と、パウロがピレモンの事で神に祈る時には、いつも神に感謝を捧げる事ができたのです!パウロ は、ピレモンについて一切否定的な事を知りませんでした!

●その点に関して、このピレモンへの手紙がそれを裏付けています。ピレモンへの手紙を読みますと、パウロ がピレモンを正しているところは一ヶ所も見られません。また、ピレモンの過ちやピレモンに関する 不都合な点についての提案や勧め等も一切見られません。それと、ピレモンに関してパウロが耳に する事は全て良いものでした。ピレモンにとってオネシモを赦すという事が難しいと感じさせる言葉 が一切ありません!むしろ、オネシモをきっと赦してくれると期待させるピレモンの霊的な品性を感 じさせる手紙の内容なのです!

―ピレモンの霊的品性の第一にくるものは何か?―

●さてここで、ピレモンの霊的品性の第一にくるものは何なのか、5節の前半に注目してみましょう。「そ れは」まず「主イエスに対してあなたが抱いている信仰」とパウロは明記しています!(続く) ―6 ―

赦す者の第一にくる霊的な品性は、主に対して第一の関心を持っているという事です!パウロは、ピ レモンが「主イエスに対して・・・抱いている信仰」について、良い証しを「聞いて」いました!

●ピレモンは本物の信仰者として、主を一番の関心としていますし、それゆえ主をお喜ばせする事 を一番の願いとしています!主は彼の全ての罪を赦しましたので、彼もまた他の人々の全ての罪 を赦す事ができます!内住の御霊と神の御言葉によって人は回心しますが、その双方が、ピレモン がなすべき正しい事を成し遂げさせる力をお与えになるのです!また、この「主イエスに対して・・・抱 いている信仰」とありますが、その「抱いている」いう動詞は現在形ですので、ピレモンの主に対する関心 がずっと継続しているという事を示しています!ピレモンの揺るがない信仰は、彼が進んで赦すと いう確信をパウロに与えているのです!

●クリスチャンは人を赦します!なぜなら、彼らはイエス・キリストを通して神と和解し、赦しの基盤 が彼らの内に築かれているからです!一方、未信者は、イエス・キリストを通して神と和解していません ので、赦しの基盤がありません。ですから、通常、苦々しさによって支配されていますので、赦しを実践す る事が困難なのです!多くの家族の人間関係が崩れているのは、恐らく、この赦しの欠如に起因し ているからなのです!

●今回のメッセージでは、赦す者の品性の一番目だけ、主への関心だけを取り上げましたが、次回は、聖 徒への関心(5b)、栄光への関心(6a)、よく知る事への関心(6b)、交わりへの関心(6c)、祝福する事 への関心(7)を取り上げて学ぶ事にします。

【まとめ】 それでは、今回のメッセージのまとめをしましょう。

●今回の第一回目のピレモンへの手紙からのメッセージは、半分近くが序論でした。赦しの神、赦しの神 を信じるクリスチャンも赦しの人となる事、もし赦さないのなら神はそのクリスチャンがご自身に似 るように取り扱われるという事を学びました。そして、後半では、赦す者に見られる霊的品性は、第一 に主に対する関心を持っている人でした!

【適 用】 それでは、今回のメッセージを適用しましょう。

●あなたがキリストにある信仰を持ち罪の完全な赦しを受けました。あなたは主に赦され続けて今日を迎え ています。ところが、いかがでしょうか、主に赦され続けているように、あなたも他者を赦し続けているでし ょうか?主の赦しの中に生かされ続け、主の赦しを基盤に他者を赦し続けているでしょうか?

●もし、他者を赦す事について葛藤をおぼえている方がおられるのでしたら、ピレモンへの手紙の 講解説教は、きっとあなたを神の赦しの実践へと導かれる事でしょう。他者を赦し、解放された信 仰生活や教会生活をおくる事ができるでしょう。それぞれで、今回語られたメッセージや御言葉を振り 返りながら、祈りを通して主に応答して行きましょう。

【結 論の御 言葉】

■あなたが赦してくださるからこそあなたは人に恐れられます(詩130:4)。

■人に思慮があれば、怒りをおそくする。その人の光栄は、そむきを赦すことである(箴言19:11)。

―7―