ルカの福音書15章3つのたとえ話
『三つ目のたとえ話の奥深さ!』―自分の快楽のために父親の死を願う人間の邪悪さ、その願いを許されご自分の元へ回帰するよう導かれる神の愛と赦し―《ルカ15:11-32/今回は序論&15:11-12》3‐①
2024年12月8日
【前 置】 ●ルカの福音書15章の講解説教は、今回からいよいよ三つ目のたとえ話がスタートします。今回はその初回のメッセージですので、序論部分で、三つ目のたとえ話の特徴と背景について学びます。ユダヤ社会に深く染み付いていた […]
『弟息子に見られる罪人の実態!』―放蕩の末に物乞いにさえなれず、万策尽き、餓死寸前へと追い込まれて行く弟息子―《ルカ15:11-32/今回は15:13-16》3-②
2024年12月7日
【前回の復習】 ●『二人の反逆息子、愛と恵みの父親』というテーマで、二回目のメッセージを取り次ぎます。前回はメッセージ全体の序論で、このたとえ話が極めて重大な救いの物語であるという事をお伝えしました。この最も豊かな内容で […]
『我に返った弟息子!』―「私はあなたに向かって顔を上げることを恥ずかしく思います。・・・私たちの罪過は大きく、天にまで達したからです」(エズラ9:6)。― 《ルカ15:11-32/今回は15:17-19》3-③
2024年12月7日
【前 置】 ●「弟息子」についてのメッセージは、今回が三回目で締めくくりとなります。それゆえ、前々回のメッセージでは、「弟息子」の父親に対する恥知らずの要求を取り上げました。それに続く前回のメッセージでは、「弟息子」が恥 […]
『放蕩息子の父親に見られる神の愛と赦しと和解!』自分を正しい者とする律法主義者VS自分を「不敬虔な者」と認める霊的破綻者③-4 《ルカ15:11-32/今回は15:20-24》
2024年11月18日
【前 置】 ●三回にわたる「弟息子」に関するメッセージを前回終了し、今回はその父親にスポットライトを当ててメッセージを取り次ぎます。父親に関するメッセージは一回で終えますが、その聖書箇所が提供する真理は、私たちの神に関す […]
『畑にいた兄息子!』 律法主義者である兄息子VSあわれみ深い忍耐で「祝宴」へ招く父親③-5 ――《ルカ15:11-32/今回は15:25-30》―
2024年11月18日
【前 置】 ●前回のメッセージにおいては、愛と赦しと和解によって弟の放蕩息子を受け入れてくださった父親を通して表された神について学びました。今回から二回にわたって、三人目の「兄息子」に焦点を当てて御言葉を学びます。「兄息 […]