ルカの福音書講解説教(27)/メッセージ原稿/『ザカリヤの讃歌(パート1)』(その2)/2017.02.26
『救いの角!』―「神である主は彼にその父ダビデの王位をお与えになります。」―《ルカ1:67-80/今回は1:67-69a》
【序 論】
●今回のメッセージは『ザカリヤの讃歌』の二回目で、テキストの冒頭の部分の御言葉(1:67-69a)と本論の最初の部分の御言葉(1:69b)を取り扱います。キーワードは、「イスラエル」、「贖い」、「買い取(る)」、「救いの角」、「ダビデの家」、そして「しもべダビデ」です。特に、「贖い」というテーマを掘り下げます!神が永遠の昔から「贖い」による赦しを備えられていた事については驚きを隠せません!
●メッセージの主題は『救いの角!』で、副題が「神である主は彼にその父ダビデの王位をお与えになります」です。それでは、下記のアウトラインに沿って、メッセージの要点を押える事にしましょう。
【全体のアウトライン】
《1》ザカリヤの讃歌(パート1)/ダビデの契約(1:67-71)/今回(1)
《2》ザカリヤの讃歌(パート2)/アブラハムの契約(1:72-75)
《3》ザカリヤの讃歌(パート3)/新しい契約(1:76-80)
【パート1のアウトライン】
《1》ザカリヤの讃歌(パート1)/ダビデの契約(1:67-71)
◎ 序論/ザカリヤの讃歌に見られる重要な架け橋!/済
◎ 導入/「ほめたたえよ。イスラエルの神である主を。」(1:67-69a)/今回
[1]ダビデの契約の背景(1:69b)/今回
[2]ダビデの契約の約束(1:70)/次回
[3]ダビデの契約の成就(1:71)/次回
【今回のアウトライン】
◎ 導入/「ほめたたえよ。イスラエルの神である主を。」(1:67-69a)
1)聖霊に満たされたザカリヤ(1:67)
2)神の贖いのご計画を正しく捉えていたザカリヤ(1:68-69a)
[1]ダビデの契約の背景(1:69b)
1)「ダビデの家」から永遠に偉大な王キリストが生まれる(1:69b)
2)「しもべダビデ」がイスラエルの最も偉大な王である(1:69b)
―1―
【本 論】
◎ 導入/「ほめたたえよ。イスラエルの神である主を。」(1:67-69a)
1)聖霊に満たされたザカリヤ(1:67)
●妻であるエリサベツがマリヤの訪問を受けた時に聖霊に満たされたように(1:41)、また息子ヨハネが胎児の時から聖霊に満たされていたように(1:15)、ザカリヤ自身も67節で「聖霊に満たされ(た)」と記されております。神の聖霊の力がザカリヤに臨んだ時に、彼は「預言」をしました。「預言」すると訳された言葉は、「語り出す」とか「宣言しそして神の言葉を説く」という意味があります。ザカリヤは神の聖霊によって満たされそして霊感されていましたので、彼は神のお言葉そのものを語る事ができました!
2)神の贖いのご計画を正しく捉えていたザカリヤ(1:68-69a)
―「ほめたたえよ・・・神である主を」―
●68節で、ザカリヤは開口一番、「ほめたたえよ・・・神である主を」という言葉がほとばしり出ました!この最初の言い回しというのは、旧約聖書においては神を賛美する時の決まった型で、共通して見られる表現でした(創9:26、24:27/出18:10/ルツ4:14/1サム25:32、39:2/2サム18:28/1王1:48、8:15、56/1歴16:36、29:10/エズ7:27/詩28:6、31:21、41:13、66:20、68:19、72:18-19、89:52、106:48、113:2、124:6、135:21/ダニ2:19-20/参 ルカ2:28/ロマ1:25/2コリ1:3/エペ1:3/1ペテ1:3)。
―「イスラエル」―
●ここで、「イスラエル」という言葉がザカリヤの口から発せられていますが、何を意味しているのでしょうか?それは、贖いの計画が神の約束としてイスラエルに対して展開しているという事を、ザカリヤが正しく受け取っているという事を示しています!イエス様が誕生されて後に公生涯を始められてから、サマリヤの女に対して次のように語られました。「救いはユダヤ人から出るのですから」(ヨハ4:22)、と!また、使徒パウロは、「9:4 彼らはイスラエル人です。子とされることも、栄光も、契約も、律法を与えられることも、礼拝も、約束も彼らのものです。 9:5 父祖たちも彼らのものです。またキリストも、人としては彼らから出られたのです。・・・」(ロマ9:4-5)と語っています。神の贖いの計画は、ご自分の民である「イスラエル」をはじめとして展開されるのだという事を、イエス様をはじめ、ザカリヤも使徒パウロもよく把握していました!
―「顧みて」―
●ザカリヤは、「主」が「その民」イスラエルを「顧みて」下さったという事で、まず初めに主なる神を「ほめたたえ」ています!主なる神がご自分の民を「顧み(る)」ために訪れるという表現や(ルツ1:6/1サム2:21/エレ29:10)、逆に、主なる神がご自分の民を裁かれるために訪れるという表現も(出32:34/ヨブ35:15)、それぞれ旧約聖書の中で使われている言い回しです。天が地に降りて来られ、超自然が自然を支配して行く時の表現です!そのようにして、神は、ご自分の永遠のご計画を成し遂げて行かれたのです!
―2―
―「贖いをなし」―
●特にここで、ザカリヤが主なる神の栄光を「ほめたたえ(て)」いるのは、「主」がご自分の民であるイスラエルのために「贖いをなし(て)」下さったからです!(参 2:38、24:21)この「贖い」という言葉とそれに関連する言葉が新約聖書の中で用いられていますが、それは救いの豊かな真理を表しています!それがどういう内容を含んだ言葉かと言いますと、代価を払って誰かを奴隷の束縛から解放するという時に用いる言葉です!それと関連した言葉で、「買い取る」という言葉があります。その言葉には所有するという意味が加わって来ます。神が罪人を贖い、その人をご自分の所有の民とするという事を意味しています!たとえば、暗唱聖句でお馴染みですが、次の御言葉はその事をよく表しています。
6:19 あなたがたのからだは、あなたがたのうちに住まれる、神から受けた聖霊の宮であり、あなたがたは、もはや自分自身のものではないことを、知らないのですか。 6:20 あなたがたは、代価を払って買い取られたのです。ですから自分のからだをもって、神の栄光を現しなさい(1コリ6:19-20)。
●「贖い」は、贖われる人に多くの解放をもたらします!一番目に、罪の奴隷から罪人を解放します!(ヨハ8:34/ロマ6:6、17、20)二番目に、律法の呪いから解放します!(ガラ3:13、4:5)三番目に、堕落した者をその罪深い生き方から解放します!(1コリ7:23)四番目に、その人を偽りの宗教から解放します!(ガラ4:3)五番目に、その人を死の力を振り回す悪魔から解放します!(ヘブ2:14-15)そして、その人を神の御旨に従わせます!(ヨブ2:6)神によって選ばれた者を贖うために支払われた代価が、主イエス・キリストの十字架の義性の死でした!(ロマ3:24/1コリ1:30/エペ1:7/コロ1:14/テト2:14/ヘブ9:12/1ペテ1:18-19)
―既に契約が成立したかのように贖いを語ったザカリヤ―
●ザカリヤがこれらの言葉を語ったのは、「贖い」は既にずっと与えられていたからでした!しかし、その「贖い」を確定する契約がまだ成立してはいませんでした!救い主の前ぶれを伝えるザカリヤの息子であるバプテスマのヨハネは、この時点では生まれてまだたったの八日目です。そして、救い主である主イエス・キリストはまだ生まれてもいません。しかし、ザカリヤは、神は約束された事を果たされると強く確信していましたので、もう既に契約が成立したかのように「贖い」を語っているのです!ザカリヤは自分の息子ヨハネの誕生を知っていましたので、それが、神がご自分の民を訪れて「顧みて」下さる確かな合図であり、救いを可能にしてくれる契約をもたらして下さるものだと確信していました!
●「贖い」が既にずっと与えられていたという点について、もう少し説明が必要であろうと思われます。最初の人アダムの罪以来、神は御子イエス・キリストの十字架の「贖い」を適用しておられたという事です!別の表現を用いますと、永遠の昔から、父なる神は御子イエス・キリストが十字架に架かられて「贖い」を成し遂げられたと見なしておられ、その「贖い」のゆえに罪の赦しと救いを適用して来られたのです!それは、神がいかに赦しの神であられるのかを示していないでしょうか!それは、文字通り驚きです!そして、時が満ちて救い主がこの世に誕生され、実際に十字架の身代わりの死を遂げる事によって、その「贖い」の契約が成立する事になります!
―3―
―ローマからの政治的な解放を求めたイスラエルの大多数の人々―
●ところがここで、イスラエルの人々は、救い主についてどのように受け止めておられたのかを確認する必要があります。かつて神が自分たちの先祖をエジプトにおける奴隷の束縛から解放して下さったように(詩106)、救い主がイスラエルに来られてローマの束縛から自分たちを解放して下さる事を熱望しました。彼らは自分たちの解放を、主(おも)に、この地上の政治的な意味合いで受け止めていました。救い主がこの地に御自身の王国を建設され、ダビデとアブラハムに約束された祝福を実現して下さる事を期待していました。
―新しい契約による罪の赦しなしに、救い主の地上の王国は成就しない!―
●しかし、彼らは、これらの祝福が罪の赦しという新しい契約から離れては、決して成就しないという真理を見落としていました!悲しい事に、バプテスマのヨハネや救い主イエス・キリストが個人的な救いの必要性をいくら説いても、イスラエルの大多数の人々は、そのメッセージを退けました!勿論、ザカリヤはそのような事が起こるなどとは知る由もありませんでしたが、彼は「贖い」の夜明けの日を待ち望んで喜んでいたのでした!
―「救いの角」―
●そして、ザカリヤは「贖い」を神が「立てられ」る「救いの角」だと表現しています!「角」とは、旧約聖書で用いられている表現です。そのいくつかの例を、取り上げてみましょう。
■22:2 彼(ダビデ)はこう歌った。「主はわが巌、わがとりで、わが救い主、 22:3 わが身を避けるわが岩なる神。わが盾、わが救いの角、わがやぐら。私を暴虐から救う私の救い主、私の逃げ場。 22:4 ほめたたえられる方、この主を呼び求めると、私は、敵から救われる」(2サム22:2-4)。
■主は、はむかう者を打ち砕き、その者に、天から雷鳴を響かせられます。主は地の果て果てまでさばき、ご自分の王に力を授け、主に油そそがれた者の角を高く上げられます(1サム2:10)。
■92:9 おお、主よ。今、あなたの敵が、今、あなたの敵が滅びます。不法を行う者どもがみな、散らされるのです。 92:10 しかし、あなたは私の角を野牛の角のように高く上げ、私に新しい油をそそがれました(詩92:9-10)。
■主は、その民の角を上げられた(詩148:14a)。
このように、「角」とは力を表している言葉です!大きな「角」のある動物が相手に向かって「角」を突き付けて突進しそして相手を圧倒するような力を表した言葉です。ザカリヤは、ここで、「角」を救い主に当てはめています。救い主を力ある動物のように描き、その「角」を低くして構えて突進し、敵を追い散らしてご自分の民を解放されるという事を描写しています!
―イスラエルの歴史の中の最も偉大な瞬間の只中に置かれたザカリヤ―
●この時点というのは、イスラエルの歴史の中の最も偉大な瞬間です!全ての「贖い」の希望と期待の頂点を示す瞬間です!その「贖い」の物語が明かされて行く最も偉大な瞬間の只中に、取るに足らない小さな町の出身の平凡な普通の祭司がその中心に置かれているのです!旧約聖書の御言葉を深く心に染み込ませたザカリヤが、その讃歌の初めにダビデの契約を取り上げているのです!
―4―
―導 入―
●アウトラインで既に触れましたが、ダビデの契約の背景、約束、そして成就という三つのポイントについて、今回と次回のメッセージで学びます。今回は、第一の背景について学ぶ事にします。そして、その一番目のポイントが「ダビデの家」から永遠に偉大な王キリストが生まれるで、二番目のポイントが「しもべダビデ」がイスラエルの最も偉大な王であるです。
[1]ダビデの契約の背景(1:69b)
1)「ダビデの家」から永遠に偉大な王キリストが生まれる(1:69b)
―「救いの角を・・・しもべダビデの家に立てられた」―
●69節の後半に、「救いの角を・・・しもべダビデの家に立てられた」と記されています。「救いの角」すなわち救い主はダビデの家系からお生まれになるというのです。旧約聖書が明確にその事を教えている事を、ザカリヤはよく知っていました。預言者エレミヤを通して、神ご自身が次のように語っておられます。「見よ。その日が来る。─主の御告げ─その日、わたしは、ダビデに一つの正しい若枝を起こす。彼は王となって治め、栄えて、この国に公義と正義を行う」(エレ23:5)、と!同じく、エレミヤ33:15では、「その日、その時、わたしはダビデのために正義の若枝を芽ばえさせる。彼はこの国に公義と正義を行う」と繰り返し語っておられます!イザヤ11:1と11:10では、似通った内容の御言葉が次のように記されています。
■エッサイの根株から新芽が生え、その根から若枝が出て実を結ぶ(11:1)。
■その日、エッサイの根は、国々の民の旗として立ち、国々は彼を求め、彼のいこう所は栄光に輝く(11:10)。
「エッサイ」とは誰でしょう?それは、ダビデの父親です!すなわち、救い主はダビデの父「エッサイ」の子孫としてお生まれになると明確に預言されているのです!ダビデの家系です!
●今、イザヤ11章を開いていますので、11:2-5に記された救い主がどういうお方なのかを示している大切な御言葉に目を留めましょう。
11:2 その上に、主の霊がとどまる。それは知恵と悟りの霊、はかりごとと能力の霊、主を知る知識と主を恐れる霊である。11:3 この方は主を恐れることを喜び、その目の見るところによってさばかず、その耳の聞くところによって判決を下さず、 11:4 正義をもって寄るべのない者をさばき、公正をもって国の貧しい者のために判決を下し、口のむちで国を打ち、くちびるの息で悪者を殺す。 11:5 正義はその腰の帯となり、真実はその胴の帯となる。
2節から4節の前半に記された内容から、救い主はまさに完全なお方で、誤りなく人々を導かれるお方である事が分かります。また、4節の後半では、初臨の救い主ではなく、再臨の時の裁きを示す救い主の姿が描かれています。そして、5節では「正義」と「真実」の「帯」をしておられる事から、再臨の主の準備が整った事を示しています。ですから、いつ再臨してもおかしくない事を示しています!付け加えますと、その後の6節から9節には、再臨後の呪いの無い千年王国の麗しい姿が描かれています。
―5―
●一方、詩篇132:17では、神が、「わたしはダビデのために、一つの角を生えさせよう。わたしは、わたしに油そそがれた者のために、一つのともしびを備えている」と語っておられます!ダビデの血筋から、「角」すなわち救い主がお生まれになり、そのお方は「ともしび」を永遠に照らされて、永遠に存在されるお方だという事を告げています!
―マリヤの家系―
●ザカリヤはイエス様の母親であるマリヤもまたダビデの家系にある事を知っていました!マリヤは、自分がザカリヤとエリサベツ夫妻の家に三ヶ月滞在した時に、御使いガブリエルが彼女に告げた言葉を分かち合ったに違いありません。その御使いの言葉は、次のような内容で語られました。「1:31 ご覧なさい。あなたはみごもって、男の子を産みます。名をイエスとつけなさい。 1:32 その子はすぐれた者となり、いと高き方の子と呼ばれます。また、神である主は彼にその父ダビデの王位をお与えになります」(1:31-32)、と!いずれ学びますが、ルカ3:23-38に記された系図によりますと、マリヤがダビデの子孫である事が分かりますし、そのようにして、イエス様はマリヤを通してダビデ王の血筋を引き継いだのでした!
2)「しもべダビデ」がイスラエルの最も偉大な王である(1:69b)
―「しもべダビデ」⇒神の「心にかなう人」⇒「高くあげられた者」・・・―
●69節の後半で、最後に、もう一点だけ大切な言葉に注目し、今回のメッセージを閉じる事にしましょう。その大切な言葉とは、「しもべ」です!「しもべダビデ」です!旧新約聖書を合わせると、合計34箇所で「わたしのしもべダビデ」という表現が使われています!新約聖書では、このルカ1:69だけに使われています。旧約聖書を見ると、ダビデが神の「しもべ」である事が明確に記されています!そして、ダビデは「しもべ」のみならず、神の「心にかなう人」(1サム13:14)、「高くあげられた者」、「ヤコブの神に油そそがれた者」、「イスラエルの麗しい歌」(2サム23:1)とさえも呼ばれています!このように、ダビデは間違いなくイスラエルの最も偉大な王でした!
―イスラエル王国の衰亡―
●イスラエル王国は、その初代の王サウルのもとに始まりました。そして、ダビデの後を継いだソロモンによって衰退して行きました。ソロモンの死後間もなく、イスラエル王国は南北二つに分裂しました。それから北の十部族はアッシリヤに捕囚の身として連れられ、その後帰って来る事はありませんでした。その後、南の二部族がバビロンに70年間にわたって捕囚の民とされます。それが終わって祖国に帰っては来ましたが、その後ギリシャに征服され、更にローマによって征服されるという歴史をたどり、このルカの一章を迎えています。イスラエルは、ローマの支配下に置かれていました。
―ダビデの王座を確立する救い主への期待―
●ユダヤ人にとっては、救い主が自分たちのところに来られてダビデの契約を成就し、イスラエル王国をかつてのダビデの時代の栄光へと回復させて下さる事を切望し期待を寄せていました!果たして、このユダヤ人の栄光への回復の期待はどのように叶えられるのでしょうか?それが、次回のダビデ契約の約束とその成就について学ぶ時に明らかにされます!次回のメッセージに、どうぞご期待下さい!
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【まとめ】 それでは、今回のメッセージのまとめをしましょう。
●メッセージの前半では、第一に、神の「贖い」について学びました!「贖い」とは、神がご自分の民を「顧み」、罪の奴隷から、律法の呪いから、罪深い生き方から、偽りの宗教から、死の力を振り回す悪魔から解放する事でした!そのようにして、神の御旨に従わせるのでした!神によって選ばれた者を「贖(う)」ために支払われた代価が、主イエス・キリストの十字架の義性の死でした!しかも、永遠の昔から、父なる神は御子イエス・キリストが十字架に架けられて「贖い」を成し遂げられたと見なしておられ、その「贖い」のゆえに罪の赦しと救いを適用して来られたというのは、神がいかに赦しの神であられるのかを思い知らされました!そして第二に、「救いの角」について学びました!救い主は、力ある動物のようにその「角」を低くして構えて突進し、敵を追い散らしてご自分の民を解放されるお方だという事を示していました!
●メッセージの後半では、聖書は一貫して、永遠に偉大な王であるキリストは「ダビデの家」が来られるという事を告げていました!そして、まさにその預言の通りに、ダビデの血筋からお生まれになられました!イスラエルの最も偉大な王は、「しもべダビデ」でした。イエス様ご自身もまさにしもべの姿を取って人々に仕えられ、最後は十字架の身代わりの死を持って仕えられたしもべでした!それゆえに、ダビデの契約とアブラハムの契約は確定されて行くのでした!
【適 用】 それでは、今回のメッセージを私たち自身に対して適用しましょう。
●贖い主イエス・キリストは、「救いの角」と呼ばれる力あるお方でした!また一方、「しもべ」として十字架の道をへりくだって歩まれ、偉大な「贖い」の御業を達成されました!あなたにとって、イエス・キリストとは贖い主ですか?もしそうなら、あなたはザカリヤのような「ほめたたえよ・・・神である主を」という讃歌がほとばしり出ているでしょうか?また一方、あなたにとってイエス・キリストがまだ贖い主でないのでしたら、あなたはこのお方にどう向き合えばよいのでしょうか? 主の導きを祈ります。
【締めの御言葉】
■主は・・・わが救いの角・・・(2サム22:23)。
■あなたがたは、もはや自分自身のものではないことを、知らないのですか。あなたがたは、代価を払って買い取られたのです(1コリ6:19-20)。
[参考文献]
・ジョン・マッカーサー、『マッカーサー新約注解書/ルカの福音書1-5』(ムーディー出版、2009)(John MacArthur, The MacArthur New Testament Commentary, Luke 1-5, The Moody Bible Institute of Chicago, 2009, p.96-98)
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