『金儲けする望みがなくなったのを見て・・・』④

―迫害の背後にある金銭愛と拝金主義&困難は福音を前進させる―《使徒16:19-40/今回は16:19-24》

【前 置】

●これまで三回にわたって、『二人の女性像!』というテーマで、自由にされた異邦人女性リディアと束縛された奴隷の女性を取り上げて御言葉を学んで来ました。全ての人は、神かあるいはサタンのいずれかの支配のもとに置かれています。イエス・キリストを信じて、罪と永遠の死の束縛からの解放にあずかる者は幸いです!そして、今回から三回にわたって、それに続く出来事によって現される主の御業を通して、聖書が私たちに伝えている真理について学びます。

●後半の三回にわたるメッセージシリーズのテーマは、『迫害から生み出される救いの実!』です。そして、その一回目のメッセージの主題は『金儲けする望みがなくなったのを見て・・・』で、副題が「迫害の背後にある金銭愛と拝金主義&困難は福音を前進させる」です。一回目のメッセージは、序論と本論の第一ポイントをお伝えします。紐解かれる聖書の真理に、私たちの霊の耳をそばだてて行きましょう。

【全体のアウトライン】

序論:悪い状況から良い結果をもたらしてくださる聖書の神!/今回

本論:金儲けする望みがなくなったのを見て・・・/今回&次回&次々回

[1]迫害の背後にある金銭愛と拝金主義(使徒16:19-24)/今回

[2]祈りと賛美と神の介入(使徒16:25-29)/次回

[3]備えられた魂と宣教(使徒16:30-32)/次回

[4]救いとその証拠(使徒16:33-34)/次回

[5]報復でなく教会の守りを意識した対応(使徒16:35-40)/次々回

【今回のアウトライン】

序論:悪い状況から良い結果をもたらしてくださる聖書の神!

1)旧約聖書の具体例(創世記45:5-8、50:20/他)

2)新約聖書の具体例(使徒8章-11章、16章)

本論:金儲けする望みがなくなったのを見て・・・

[1]迫害の背後にある金銭愛と拝金主義(使徒16:19-24)

1)金銭愛と拝金主義がもたらす迫害の実態(使徒16:19-22a)

ア)金銭愛と拝金主義がもたらす残虐性(使徒16:19a)

イ)金銭愛と拝金主義がもたらす不当な訴え(使徒16:19b-21)

ウ)金銭愛と拝金主義がもたらす群衆操作(使徒16:22a)

2)迫害とその違法性(使徒16:22b-24)

ア)長官たちの違法刑罰と違法投獄(使徒16:22b-24)

イ)迫害は福音を前進させる(使徒5:19-25、12:6-11)                    ―1―

【序 論】 それではまず序論から入りましょう。そして、本論へとつなげましょう。

悪い状況から良い結果をもたらしてくださる聖書の神!

●悪い状況から良い結果をもたらしてくださるお方、これが、私たちクリスチャンが信じているまことの神です!聖書の全知全能の神の主権と支配は、全天地宇宙の隅々にまで及んでいます!特に、迫害の中を通されるクリスチャンにとって、それはまさに真実な事です!神は、「人の憤り」や怒り「まで」をもご自分をほめ「たたえ」させる事によって(詩76:10)、「神を愛する人たち・・・神のご計画に従って召された人々のために・・・すべてのこと」を「ともに働」かせて「益と」してくださいます!(ロマ8:28)(Wow! & Wow!)聖書の神は、悪い状況から良い結果をもたらすお方です!迫害でさえも、神をほめたたえる事へと変えてくださるのです!(Amen!)

1)旧約聖書の具体例(創世記45:5-8、50:20/他)

●旧新約聖書の至る所で、その真理は鮮明に記されています!まずは、旧約聖書の出来事から取り上げて行きましょう。創世記においては、ねたみに駆られた兄弟たちが、ヨセフをエジプトに売り飛ばしましたが、ヨセフは後々に、パロの宮廷で物凄く卓越した人物として神によって引き上げられていました!飢饉の中で、家族がカナンの地からエジプトを訪れた時に、ヨセフは家族に食料を提供しました。ヨセフは、次のように語りました。

45:5 私をここに売ったことで、今、心を痛めたり自分を責めたりしないでください。神はあなたがたより先に私を遣わし、いのちを救うようにしてくださいました。・・・45:7神が私をあなたがたより先にお遣わしになったのは、あなたがたのために残りの者をこの地に残し、また、大いなる救いによって、あなたがたを生き延びさせるためだったのです。 45:8 ですから、私をここに遣わしたのは、あなたがたではなく、神なのです。神は私を・・・エジプト全土の統治者とされました。・・・50:20 あなたがたは私に悪を謀りましたが、神はそれを、良いことのための計らいとしてくださいました。それは今日のようにして、多くの人々が生かされるためだったのです(創45:5-8、50:20)。

●次に、もう一つの旧約聖書の例を取り挙げましょう。神に背を向けた事によって、残虐な人々の手によってユダヤ人が奴隷とされ、外国の地へ連れて行かれました。それをバビロン捕囚と呼んでいますが、深く傷つき、悲劇そのものだと言える70年という期間の前に、期間中に、そして期間後に、どのような事が起こされたでしょうか?まず、エレミヤは、エルサレムに帰還する者たちの中から将来の新しいイスラエルの民が生れる事を希望として預言していました!そして、ダニエルをはじめ、エゼキエル、エズラ、ネヘミヤ、そしてエステルという輝かしい神の器たちが起こされました!神は、バビロン捕囚という闇の時代にあっても、その間、光で照らし、物事を益に変えられて行きました!

2)新約聖書の具体例(使徒8章-11章、16章)

●一方、新約時代に入ってから、人類史上、最も極悪な犯罪が、神の御子イエス・キリストを殺害するというものでした!しかしいかがでしょう、神はその最も邪悪な犯罪を通して、人類に対して、罪と永遠の死からの救いをもたらしたのではなかったでしょうか!(Wow! & Wow!)

●そして、私たちが今学んでいる使徒の働きに目を向けてみますと、4章5章7章8章12章には、それぞれ初代教会の迫害についての記録が記されています。しかし、これら全ての迫害はむしろ教会を強め、その結果、信者の数がかえって増えて行った事を伝えています!(続く)           ―2―

一昨年の夏のリメイクメッセージで取り上げましたが、使徒8:1には、「サウロは、ステパノを殺すことに賛成していた。その日、エルサレムの教会に対する激しい迫害が起こり、使徒たち以外はみな、ユダヤとサマリヤの諸地方に散らされ(て)」行ったと記されていました。そして、その結果どうなったでしょうか?3章後の11章には、次のように記されていました。「11:19・・・ステパノのことから起こった迫害により散らされた人々は、・・・11:20・・・主イエスのことを宣べ伝えた。 11:21・・・主の御手が彼らとともにあったので、大勢の人が信じて主に立ち返った」と伝えていました!(使11:19-21)「教会に対する激しい迫害」は、文字通り、「大ぜいの人が信じて主に立ち返(る)」事につながったのです!(Wow! & Wow!)

―今回の使徒16章の例―

●そして、今回から三回にわたって学ぶ使徒16:19-24にもまた、悪い状況から良い結果をもたらしてくださる神のもう一つの出来事が記されています!不当に訴えられ、不当に鞭打たれ、そしてまた不当に投獄されたパウロとシラスは、神がそれら最悪とみられる状況を用いて、看守の家族に救いをもたらすという神の素晴らしい御業が現されます!

●今回のこの聖書箇所は、パウロが、悪霊につかれた「若い女奴隷」を奇跡的に解放した結果起こった事を取り上げています(使16:16-18)。パウロの働きを通して、神は、ピリピという重要都市にヨーロッパ最初の宣教拠点を築かれました!最初ピリピにおいて、パウロは、シラスやテモテやルカという同労者たちと共に、ユダヤ人女性やユダヤ教改宗者の女性たちからなるグループに伝道をしました。そして、その一人であったリディアが、その家族と共に回心した事によってピリピ教会が誕生しました!(使16:14-15)。

●すると、黙っていないのがサタンでした!ピリピ教会の誕生に対して、サタンは素早く反応しました!サタンが最初に取った行動は、この誕生したばかりの若い教会に対して、占いの霊につかれた者を忍び込ませる事でした!しかし、パウロに使徒として与えられていた超自然の神の力が、サタンのその企てを阻止しました!となると、サタンは、今度は迫害という手段で教会を滅ぼそうと試みて来ました!サタンの用いる常套手段はいつもこの二つの方法です!一つ目が、教会へ忍び込む事で、それは教会の内側から破壊する事を意味します!そして二つ目が、迫害で、それは教会を外側から破壊する事を意味します!今回から学ぶ使徒16:19-40は、迫害によるサタンの攻撃の失敗を伝えており、同時にまた、神がその迫害を用いてピリピ教会を拡張させて行った事を伝えております!それではこれから、本論の第一ポイントである迫害の背後にある金銭愛と拝金主義について御言葉を学んで行く事にしましょう。

【本 論】 それでは、本論に入りましょう。

金儲けをする望みがなくなったのを見て・・・

[1]迫害の背後にある金銭愛と拝金主義(使徒16:19-24)

1)金銭愛がもたらす迫害の実態(使徒16:19-22a)

ア)金銭愛がもたらす残虐性(使徒16:19a)

●パウロは使徒職に与えられた悪霊解放の賜物を用いて、「占いの霊につかれた若い女奴隷」(使16:16)を悪霊から解放しました。19節ですが、その解放の業に対する「女奴隷」の「主人たち」の反応というものは、奴隷を用いて利益を得ようとする彼らの残虐性を示しています。彼らは、その若い「女奴隷」が解放されたのを喜ぶのではなくて、自分たちが「もうける望みがなくなったのを見て」激怒したのです! ―3―

●彼らのこの態度は、マルコ5章のゲラサ人たちを思い起こさせます。ゲラサ人の地には、「夜も昼も墓場や山で叫び続け、石で自分のからだを傷つけていた」人がいました(5:5)。この人はゲラサの狂人と呼ばれ、その原因は、その人が悪霊につかれていたからでした!彼は「墓場に住みついていて、もはやだれも、鎖を使ってでも、彼を縛っておくことができなかった」と聖書は伝えています(5:3)。そして、彼は「鎖を引きちぎり、足かせも砕いてしまい、だれにも彼を押さえることはでき」ませんでした!(5:4)

●そのゲラサの狂人に対するイエス様の取り扱いを見てみましょう。

5:6 彼はイエスを遠くから見つけ、走って来て拝した。 5:7 そして大声で叫んで言った。「いと高き神の子、イエスよ、私とあなたに何の関係があるのですか。神によってお願いします。私を苦しめないでください。」 5:8 イエスが、「汚れた霊よ、この人から出て行け」と言われたからである。 5:9 イエスが、「おまえの名は何か」とお尋ねになると、彼は「私の名はレギオンです。私たちは大勢ですから」と言った。 5:10 そして、自分たちをこの地方から追い出さないでください、と懇願した。 5:11 ところで、そこの山腹では、おびただしい豚の群れが飼われていた。 5:12 彼らはイエスに願って言った。「私たちが豚に入れるように、豚の中に送ってください。5:13 イエスがそれを許された。そこで、汚れた霊どもは出て行って豚に入った。すると、二千匹ほどの豚の群れが、崖を下って湖へなだれ込み、その湖でおぼれて死んだ。 5:14 豚を飼っていた人たちは逃げ出して、町や里でこのことを伝えた。人々は、何が起こったのかと見ようとやって来た。 5:15 そしてイエスのところに来ると、悪霊につかれていた人、すなわち、レギオンを宿していた人が服を着て、正気に返って座っているのを見て、恐ろしくなった。 5:16 見ていた人たちは、悪霊につかれていた人に起こったことや豚のことを、人々に詳しく話して聞かせた(マコ5:6-16)。

そして続く17節で、ゲラサの人々は、イエス様に対してどのような反応をしたでしょうか?「人々はイエスに、この地方から出て行ってほしいと懇願した」のでした。(Wow)町の人々は、悪霊につかれた狂人がその苦しみから解放された事を喜びませんでした!なぜでしょうか?彼らは、「二千匹ほどの豚」を失った事に憤慨していたからでした!(Wow!)それで、「人々はイエスに、この地方から出て行ってほしいと懇願した」のです!

●昨年の私の春休み期間中に、使徒19章からリメイクによるメッセージを取り次ぎました。キリスト教の拡大に対して、懸念を示すエペソの銀細工人の反応が記されていました。彼らは、エペソにあるアルテミス神殿の模型を作って稼いでいる人たちでした。キリスト教の発展によって自分たちの偶像産業が廃業に追い込まれ、収入を断たれる事への恐れから大規模な暴動を起こしました!(使徒19:23)

●ゲレサの人々も、エペソの銀細工人たちも、その底辺に流れているものは皆同じです!金銭愛です!拝金主義です!金を愛する事そして金を神とする事は、冷静な判断を曇らせます!クリスチャンに適用するなら、金を愛する事は霊的な洞察力を鈍らせます!金銭愛や拝金主義について、パウロは、第一テモテの手紙で次のように述べています。

6:9 金持ちになりたがる人たちは、誘惑と罠と、また人を滅びと破滅に沈める、愚かで有害な多くの欲望に陥ります。6:10 金銭を愛することが、あらゆる悪の根だからです。ある人たちは金銭を追い求めたために、信仰から迷い出て、多くの苦痛で自分を刺し貫きました(1テモ6:9-10)。                                                  ―4―

単刀直入で、鋭い内容の御言葉です!金銭は大切なものです!私たちは、神から託された金銭を賢く管理をすべきです!しかし、問題は「金銭を愛すること」です!金銭を神にする事です!拝金主義になってはいけません!「金銭を愛することが、あらゆる悪の根だからです」!迫害の実態をよく調べてみますと、その背後には、往々にしてこの金銭愛が見られるのです!

―金儲けまっしぐらで経済的に栄えた中国の例から学ぶこと(2052/10/13/日、NHKスペシャルから)―

●2013年10月13日、「中国激動」という見出しでNHKスペシャルが放映されましたが、その番組は、かなり衝撃的な内容でした!1949年10月1日、毛沢東が、天安門広場で中華人民共和国の建国を宣言するに当り、中国共産党は、その重要政策の一つに『無神論』を掲げました!中国の憲法に、『無神論』が定められているのです!「宗教はアヘン」と定義しました!アヘンは麻薬ですので、「宗教は人心を惑わす」としたのです!宗教と国家という点では、常に緊張をはらんだ歴史を辿って来たのが中国です。特に、1960年代に始まった「文化大革命」においては、キリスト教会の会堂や神社仏閣が徹底的に破壊されました!

●建国から58年後の2007年、第17回共産党大会で、当時の胡錦涛総書記が次のような政策の大転換を発表しました。それは、「宗教を利用する事で社会の安定をはかる」というものでした!「宗教を利用する」という考え方はふさわしいものではありませんが、中国共産党は、その方針が憲法と矛盾しているにもかかわらず、その新しい政策に舵を切ったのです!その重要政策の転換の背景には何があったのでしょうか?

●皆さんもお分かりのように、日本はGDP(国民総生産)世界第二位の座を42年間守り続けて来たのですが、2010年に中国に明け渡しました。それは、中国の物凄い経済成長を物語っていました。「先に豊かになる者から豊かになれ」というスローガンの下に、中国の人々は熾烈な競争を戦って行きました。ある女社長は、そのスローガンの下で、「常に自分の事だけ。他人はどうでもよかった。お金が全てでした」、と語っていました!陳生未(チン・セイミ)という牧師が、「中国社会が物質的な豊かさを求めた結果、拝金主義が蔓延し、人間関係が希薄になってしまった」と語っていました!「『人を思いやる』という気持ちが、今の中国社会にはなくなってしまいました。貧しい人は貧困に絶望しています。成功した人は、空虚感にさいなまされています」、と!そうして、「これでいいのだろうか」という人々の疑問が湧き起こって来たのです!

●そのような社会状況下で、金銭愛や拝金主義を象徴する事件が起こりました!2011年10月、車にひき逃げされた二歳の女の子がそのまま路上に放置され、18人の人々が見て見ぬ振りをして通り過ぎて行き、結局、その少女は死亡ました。中国人の道徳観が、どん底まで落ちた事を表している事件でした!「人間関係が完全に冷め切ってしまった中国の状態でした」と陳牧師は語っていました!これが金銭愛や拝金主義がもたらす結果です!(Wow!)

●そこで今中国共産党は、2500年前の中国の伝統思想である儒学を奨励して、国民に対して道徳心を芽生えさせようと様々な試みをするようになりました!また一方、キリスト教の台頭も著しく、国家に認可されてない家庭の教会が爆発的に広がっていました。

―5―

1980年代に、外貨を取り込むために始めた宗教の自由を認め始めた改革開放政策の頃は六百万人と言われたキリスト教徒が、現在では一億人に昇っています。その数は、中国共産党の党員をしのぐ勢いで増えています!金銭愛や拝金主義はいずれ行き詰まる事を、この中国の激動が物語っています!それと同時に、『無神論』を国家の憲法に据える共産主義思想が、国民に行き詰まりをもたらす事を示していました!(Yes!)

イ)金銭愛がもたらす不当な訴え(使徒16:19b-22a)

●聖書本文に戻りましょう。「若い女奴隷」の主人たちは、占いによって「金儲けする望みがなくなったのを見て」激怒しました!それで、彼らは「パウロとシラスを捕らえ、広場の役人たちのところに引き立てて行(き)」ました(使16:19)。ここに、パウロの興味深い変化が見られます。彼は、かつて救われる前は、「家から家に押し入って、教会を荒らし、男も女も引きずり出して、牢に入れ」ました(使8:3)。今度は、そのパウロ自身が全く逆の立場に立たされたのです。これは、彼が確かに回心していて、キリストの側に立っているという証拠を示している事に他なりません!

●町の「広場」(使16:19b)では、様々な事が営まれていました。そこには、働き口を探している人々が訪れ、病人の治療も施され、また今回のように長官たちが裁判をする所でもありました。ですから、この「若い女奴隷」の主人たちはローマの法律にのっとり、自分たちが原告としてパウロとシラスを訴え、その裁判に当たる「ふたりの長官たちの前に引き出して」(使16:20)、自分たちの不服申し立てをしたのです。ルカが「ふたりの長官たち」と記していますように、ローマのそれぞれの植民地においては、「ふたりの長官たち」が治安維持のために配属されていました。

●奴隷の主人たちの訴えの根拠が、20節21節に記されています。「16:20・・・この者たちはユダヤ人で、私たちの町をかき乱し、 16:21 ローマ人である私たちが、受け入れることも行うことも許されていない風習を宣伝しております」、と。一番目の訴えの内容がパウロとシラスが「ユダヤ人であ(る)ということ、二番目が「町をかき乱し(ている)ということ、三番目が「ローマ人である私たちが、受け入れることも行うことも許されていない風習を宣伝して(いる)という三点でした。

●一番目の訴えは、反ユダヤ主義を表している言葉です。反ユダヤ主義は、何もナチスドイツに始まった事ではなく、古代からありました。この使徒16章と大体同時期の使徒18:2には、ローマ皇帝クラウデディウスが、「すべてのユダヤ人をローマから退去させるように命じた」という事から、歴史には常に反ユダヤ主義が横行していました。なぜパウロとシラスのみが捕らえられたのかと言いますと、この二人はユダヤ人でしたが、同行していたルカは異邦人で、テモテは父親が異邦人で母親がユダヤ人の半異邦人でしたので逮捕されませんでした。

●二番目の訴えは「町をかき乱し(ている)」すなわち騒乱罪を主張していますが、それは明らかに誤った訴えでした!なぜなら、パウロとシラスは「町をかき乱し(て)」はいなかったからです!「町をかき乱し(た)」本当の原因は、「金儲けする望みがなくなった」主人たちの怒りにありました!三番目の訴えは「ローマ人・・・が、採用も実行もしてはならない風習を宣伝して(いる)という事でしたが、これは、法的には正しい訴えだと言えます。ローマ帝国に認可されていないいかなる宗教を、市民が信じる事は禁止されていたのですが、その法律は殆ど実行に移されてはいないというのが当時の実情でした。  ―6―

ウ)金銭愛がもたらす群衆操作(使徒16:22a)

●パウロとシラスに対する訴えが全て正しいものではありませんでしたが、奴隷の「主人たち」の怒りによってパウロとシラスを広場に連れて来て訴えるだけで、周りの群衆を騒ぎに巻き込むのには十分でした!群集心理が働きますし、暴徒たちが騒ぎ立てます!そして、二人の宣教師に反対して立ち上がるのでした!(Right)

2)迫害とその違法性(使徒16:22b-24)

ア)長官たちの違法刑罰と違法投獄(使徒16:22b-24)

●反ユダヤ主義によって逆上した暴徒たちが、二人の長官たちを取り囲んで相当な圧力を与えた事は言うまでもありません。(I see)群衆に圧倒された二人の長官たちは、原告の訴えを聞いたのですが被告を取り調べる事を怠りました!(Right!)何と、この二人がローマの市民権をもっている者たちである事すらチェックしなかったのです!(I see!)これは、裁判官としては甚大なミスでした!ローマ帝国とその属国や属州で重んじられていた事は、裁判官をはじめ人々は、ローマの正義に基づいた基準で動くというものでした!二人の裁判官は、その点で大きな失敗を犯しました!(I see!)

22節~24節によりますと、「16:22・・・長官たちは、彼らの衣をはぎ取ってむちで打つように命じた。16:23 そして何度もむちで打たせてから二人を牢に入れ、看守に厳重に見張るように命じた。16:24 この命令を受けた看守は、二人を奥の牢に入れ、足には木の足かせをはめた」と伝えています。この長官たちの取った行動が、37節によりますと、ローマの法律に反した違法行為であった事が記されています!正しい法的手続きは一切ありませんでした!35節38節では、「警吏」という言葉が出てきますが、彼らは長官たちの命令下にある者たちで、彼らには、鞭を打つという役割がありました。ローマの「むち」は、細い棒を束ねて作られているのですが、皮肉にも、この「むち」がローマの法律と正義のシンボルとして用いられていました。「警吏」の一人ひとりがその「むち」を携帯しており、その「むち」で犯罪人を厳しく打ち叩いくのでした。パウロは、使徒の生涯で、むち打ちの刑を3回受けたと記していますが、これは、その一つです!(2コリ11:25)

「警吏」によってパウロとシラスに「何度もむちで打たせて」から(使16:23a)、長官たちは、「二人を牢に入れ(る)」よう「命じ」ました。長官たちは、不当なむち打ち刑に加えて、不当な投獄までも行ったのです。そして更に、「看守には厳重に見張るように命じ」ました(16:23b)。命令を受けた看守は、間髪入れずに、この鞭打たれて傷付き、血を流している重要犯罪人とされた二人を「奥の牢に入れ」、更に警戒して「足に足かせを掛けた」のでした。

イ)迫害は福音を前進させる(使徒5:19-25、12:6-11)

●しかし後になると分かりますが、それらの二重三重の脱獄防止策は何の意味ももたないという事が証明されて行きます!使徒5章で、ユダヤ人最高法院が弟子たちを留置場にぶち込んだ時も、また使徒12章で、ヘロデ王がペテロを兵士の間に置き、鎖につなぎ、且つ番兵を戸口に置き、完全監視下で牢屋に入れた時でさえも、神が解放される時には、ユダヤ人最高法院も、またヘロデ王も、全くなすすべがないのです!この使徒16章のピリピにおいても、全く同じ事が起ころうとしていました!人がどんなに厳重に牢獄に閉じ込めても、神が解放される時は、牢獄は何の役にも立たないという事を、権力者たちが知るようになります!                                   ―7―

―この出来事を振り返ったパウロのコメント―

●サタンによって触発されたこのピリピにおける迫害は、パウロとシラスを威圧する事ができないどころか、彼らが更に大胆になれるようにさえ導きました!この後の牢獄における出来事からも分かりますが、なおはっきりその事が分かるのは、パウロ自身が、このピリピでの出来事を振り返って、テサロニケ人への手紙で、次のように語っているからです。「ご存知のように、私たちは先にピリピで苦しみに会い、辱めを受けていたのですが、私たちの神によって勇気づけられて、激しい苦闘のうちにも神の福音をあなたがたに語りました」、とあります!(1テサ2:2)「激しい苦闘」が、神の器たちを落ち込ませないのです!かえってそれは、神の器たちを大胆にさせるのです!

●それと全く同じ事が、ローマの牢獄でも見られます!パウロは、ローマの牢獄から、このピリピのキリスト教会宛ての書簡の中で次のように語っています。「さて兄弟たち。私の身に起こったことが、かえって福音の前進に役立ったことを知ってほしいのです」、と!(ピリ1:12)「私の身に起こったこと」とは、ローマで「キリストのゆえに投獄されていること」を指していますが(ピリ1:13)、それが返ってローマをはじめ他の地域に住んでいるクリスチャンに確信を与えて福音を前進させたというのです!何と、その福音は、ローマ皇帝「カイザルの家に属する人々」にまでも及びました!(ピリ4:22)どのようにして及んだのでしょうか?それは、ローマで投獄された機会を用いて、パウロが「親衛隊」の兵士たちに福音を伝える事によって福音が広がったからでした!囚人としてのパウロの言動は、兵士たちに大きな尊敬と感動と良き影響を与えたに違いありません!(I see!)その中から救われる人々が起こされ、その兵士たちからローマ皇帝「カイザルの家に属する人々」へ福音が伝わり、回心者が起こされて行ったのです!(Wow! & Wow!)

―小結論/パウロの信仰から学ぶもの!―

●パウロには、不屈で断固とした信仰が与えられていました!また、やがて天国ではキリストと共にいるようになれるという喜びと期待に溢れた確信も与えられていました!それが、福音を宣教する当たって、彼に捨て身の大胆さを与えていたのでした!主の働きをする上で、パウロは、直面するあらゆる困難を受け入れる準備が常にできていました!それはどういう理由から来ているのでしょうか?それは、自分が「注ぎのささげ物となっても」、すなわち自分が犠牲になっても、その犠牲によって「かえって福音の前進に役立(つ)」からです!(ピリ1:12)それゆえ、パウロは、「私は喜びます。あなたがたすべてとともに喜びます」と告白しているのです!(ピリ2:17)(Wow! & Wow!)

●そのローマの牢獄での喜びと全く同じ喜びが、このピリピの牢獄でも与えられているのです!ですから、迫害が神への賛美に変わるのです!この賛美を、次回のメッセージで取り上げます!

【まとめ】 それでは、メッセージをまとめましょう。

●今回は二つの点を学びました。一つ目が、金銭愛や拝金主義でした!金銭に目がくらむと、残虐な行為に発展しますし、不当な言動に出ますし、そして周りの人々を自分の益のために操作します!女奴隷の主人たちは金を愛するが余り、最高権威者の長官たちまでも動員して自分たちの利益を守ろうとしました!金銭愛、拝金主義は、実に要注意です!二つ目が、キリストにある苦しみや困難は、「福音の前進に役立(つ)」という事でした!私たちクリスチャンのキリストある苦しみは、他の人々の益となるのです!                                               ―8―

【適 用】 ここで、適用する事にしましょう。

(1)あなたはお金をどのように捉えていますか?お金に目がくらんではいませんか?金銭愛に走っていませんか?お金を、神よりも、聖書の教えよりも優先してはいませんか?主のためそして教会の必要や貧しい人々の必要のために進んであなたの財を用いていますか?

(2)あなたはキリストにある者として困難にぶつかっていますか?その困難が、他のクリスチャンの益になる事を理解しましたか?それとも、キリストにある困難とは全く関係のない生活をしてはいませんか?自分が、キリストの道を本当に歩んでいるのかどうかを吟味する時をもちましょう。 それでは、祈ります。

【結 論】

■「金銭を愛することが、あらゆる悪の根だからです」(1テモテ6:10)。

■「・・・兄弟たち。私の身に起こったことが、かえって福音の前進に役立ったことを知ってほしいのです」(ピリピ1:12)。

[引用&参考文献]

・ジョン・マッカーサー、『マッカーサー新約注解書/使徒の働き13-28』(ムーディー出版、1996)(John MacArthur, The MacArthur New Testament Commentary, Acts 13-28, The Moody Bible Institute of Chicago, 1994, p.99-104.)

―9―