『寸分違わない聖書の証言!』②―聖書に記録された使徒パウロの最初の伝道説教から学ぶ(その3)―《使徒13:1-52/今回は13:27-37》
【序 論】
●『寸分違わない聖書の証言!』と題して、今回、二回目のメッセージを取り次ぎます。前回は、バプテスマのヨハネに関する旧約聖書の預言を取り上げ、それが、寸分違わずに成就した旨をお伝えしました!今回は、引き続きこの主題で、イエス・キリストご自身の旧約聖書の預言を取り上げ、それが、寸分違わずに成就した事をお伝えします!言うまでもありませんが、バプテスマのヨハネの場合よりも、遥かに多くの預言が、しかも実に細かい部分に至るまで、イエス・キリストに関してはなされています!そして、実に驚く事に、その全てが完璧に成就しています!使徒パウロの伝道説教から、根本的なキリスト教の真理が紐解かれています!その根本真理に、私たちの目を留めて行きましょう!それではまず、下記のアウトラインを通して、メッセージの全体像を捉える事にしましょう。
【全体のアウトライン】
[1]力あるキリスト教会の特徴(13:1-13)/済
[2]キリストの福音を宣べ伝える(13:14-41)/前々回&前回&今回(3回目)
[3]明暗を分けるキリストの福音(13:42-52)/次回以降
【今回のアウトライン】
[2]キリストの福音を宣べ伝える(13:14-41)/前々回&前回&今回(3回目)
1)イエス・キリストは、歴史の頂点である!(13:17-23)/前々回&前回
2)イエス・キリストは、預言の成就そのものである!(13:23-37)/前回&今回
ア)救い主の到来を告げたバプテスマのヨハネ(13:23-26)/前回
イ)救い主に関するユダヤ人の二つの疑問を解く(13:27-31)/今回
ウ)救い主が朽ち果てない三つの約束(13:32-37)/今回
3)イエス・キリストは、罪人を義とするお方である!(13:38-41)/次回以降
【本 論】
[2]イエスの福音を宣べ伝える(13:14-41)
1)イエス・キリストは、歴史の頂点である!(13:17-23)/済
2)イエス・キリストは、預言の成就そのものである!(13:23-37)/前回&今回
ア)救い主の到来を告げたバプテスマのヨハネ(13:23-26)/済
イ)救い主に関するユダヤ人の二つの疑問を解く(13:27-31)
―ユダヤ人の二つの疑問―
●パウロは、聴衆がどのような疑問を抱いているのかについてはよく把握していました!
―1―
熟練したキリスト教説教者の第一人者であるパウロは、聴衆の心にある疑問をあらかじめ把握しながら、それに答えるような形で、教会へ手紙を書いている事からも分かります!(ロマ3:3,7-9、21、6:1、15、7:7、13、9:14、11:1、11/1コリ15:35/ガラ3:21)27節~31節で、聴衆が抱いている二つの疑問に対してパウロが答えております。一つ目の疑問は、使徒の時代から今日に至るまで、ユダヤ人が葛藤し続けて来た事です!それは、もしイエス・キリストが救い主であるのなら、ユダヤ人指導者たちはなぜその重要な点を認める事に失敗したのか、という点です!そして、二つ目の疑問が、もし救い主が拒絶されて退けられたのであれば、神の救いのご計画は台無しにされたのではないか、という点です!
―一つ目の疑問(13:27)―
●それでは、一つ目の疑問に答えて行きましょう。ユダヤ人指導者たちは、イエス・キリストが救い主であるという重要な点を認める事において、なぜ失敗したのでしょうか?パウロは、ステパノが答えたように答えています。その答えとは、ユダヤ人指導者たちのかたくなさ、罪によって暗くされた心のゆえであったと!パウロは27節で、次のように説明しています。「エルサレムに住む人々とその指導者たちは、このイエスを認めず、また安息日ごとに読まれる預言者たちのことばを理解せず、イエスを罪に定めて、その預言を成就させました」、と!
●旧約聖書の専門家と呼ばれている人たちが、律法学者、パリサイ人、サドカイ人、そして祭司たちでした。彼らは、旧約聖書の教えを理解す事において完全に的を外していました!前回のメッセージの序論でお伝えしましたように、イエス・キリストが救い主である事は明らかでしたし、また今回のメッセージのタイトルを付けるヒントとなったヨハネ5:39にありますように、聖書がキリストを証言しているのは明らかであったのですが、ユダヤ人指導者たちは、それを全く理解しなかったのです!彼らがもしその大切な点を理解していたのなら、イエス・キリストを救い主として認めたに違いありません!
●聖書の中に書かれた神の御言葉に無知であるのなら、必然的に、生ける神の御言葉として来られたイエス・キリストに対して無知であるのは当然な事です!無知が彼らの生き方でした!(Wow!)彼らは、聖書の真理を上辺の儀式に取り替えていました!彼らは、宗教行事を伝統的にこなしているだけでした!そして、皮肉にも、彼らは、イエス・キリストを「罪に定め(る)」事によって、自分たちが理解していなかったまさにその御言葉の預言を成就させたのです!
●この点は、昔も今も深刻な問題です!(Right!)聖書は家にある。聖書は持っている。聖書は身近にある。そして、教会にも毎週通っている。しかし、聖書を持っているだけで、また教会に通っているだけで、聖書の御言葉の本当の意味を理解せずに、霊的に何の変化もない上辺だけのクリスチャン生活を送っている人々がどのくらいいるでしょうか!?異端と呼ばれているグループもそうです。聖書を使っているのですが、本当の意味をつかんでいないがゆえに、常に的を外した、形式だけの、上辺だけの誤った信仰生活となっています!
―2―
―二つ目の疑問(13:28-31)/「理由なしに・・・憎んだ」―
●パウロの聞き手たちが抱いた二つ目の疑問に移りましょう。もし救い主が拒絶され、そして退けられたのであれば、それは、神のご計画を台無しにしたのではないですか、という疑問です。パウロは、それはとんでもない事で、むしろ、救い主が拒絶される事は既に予知されていた事であると告げるのです!28節に目を留めましょう。ユダヤ人指導者たちは、「死に値する罪が何も見出せなかったのに、イエスを殺すことをピラトに求めたのです」、とパウロは伝えました!ここで注目したい言葉は、「死に値す罪が何も見出せなかったのに・・・殺(した)」という事です!すなわち、彼らは、「理由」なしキリストを憎んだのです!
●その点について、ヨハネ15:25が、当時の宗教指導者について次のように述べています!「これは、『彼らはゆえもなくわたしを憎んだ』と、彼らの律法に書かれていることばが成就するためです」、と!その言葉がどこから引用されているかと言いますと、詩篇35:19と69:4の「ゆえもなく私を憎む人々」という言葉からです!という事は、ユダヤ人指導者たちは、知らずに、この旧約聖書の預言を成就させたのです!イザヤ53:3に預言されていますように、イエス・キリストは、まさしく「蔑まれ、人々からのけ者にされ(た)」のです!
―十字架の預言とその成就―
●救い主は拒絶されて、そして退けられただけに留まりませんでした。29節には、「こうして、彼らはイエスについて書いてあることをすべて成し終えた後、イエスを木から取り降ろして」と記されています!十字架刑のむごたらしい犯罪でさえも、実に、旧約聖書の預言を成就させたのです!預言の中でも、十字架に関する預言は、救い主を非難の的にするもので溢れていました!詩篇109:25で「私は彼らのそしりの的となり 彼らは私を見て 頭を振ります」と預言されていますが、それがマタイ27:39-40では、「通りすがりのひとたちは」、実際に十字架に架けられたイエス・キリストを見て、「頭を振りながらイエスをののし(り)」ました!そして、『・・・もしおまえが神の子なら自分を救ってみろ。そして十字架から降りて来い』」と罵倒しました!このように、旧約聖書の預言は寸分違わず成就しました!(Wow! & Wow!)
●十字架の預言はまだまだ続きます。詩篇22:17には、「彼らは目を凝らし、私を見ています」と預言されています。それが、ルカ23:35では、「民衆は立って眺めていた。議員たちもあざ笑って言った。『あれは他人を救った。もし神のキリストで、選ばれた者なら、自分を救ったらよい』」と言って、文字通り旧約の預言を成就させました!そしてまた、詩篇22:18には、「彼らは私の衣服を分け合い 私の衣をくじ引きにします」と預言されています!それが、ヨハネ19:23-24では、「19:23 さて、兵士たちはイエスを十字架につけると、その着物を取って四つに分け、各自に一つずつ渡るようにした。また下着をも取ったが、それは上から全部一つに織った、縫い目のないものであった。 19:24 そのため、彼らは互いに言った。『これは裂かないで、だれの物になるか、くじを引こう。』これは、『彼らは私の衣服を分け合い、私の衣をくじ引きにします』とある聖書が成就するためであった」と記されています!ここでも、旧約聖書の預言は寸分違わず成就しました!(Wow! & Wow!)
―3―
●更にまた一方、詩篇69:21では、「彼らは私の食物の代わりに 毒を与え 私が渇いたときには酢を飲ませようとした」と預言しています。それが、マタイ27:34では、「彼らはイエスに、苦みを混ぜたぶどう酒を飲ませようとした。イエスはそれをなめただけで、飲もうとはされなかった」と伝えられ、文字通り旧約の預言が成就しました!そして、まだ続きます!マタイ27:46で、イエス・キリストは、「わが神、わが神、どうしてわたしをお見捨てになったのですか」と「大声で叫ばれ」ました!イエス・キリストが私たちの罪の代わりに罪とされ、その罪に覆われ罰せられる事になり、それゆえ父なる神から初めて離されるという深い悲しみの叫び声を発せられました!その叫び声は、詩篇22:1の預言の成就でした。その預言とは、「わが神 わが神 どうして私をお見捨てになったのですか。私を救わず 遠く離れておられるのですか。私のうめきのことばにもかかわらず」、と!(Wow! & Wow!)
●ルカ23:46で、イエス様は、十字架上で最後に大声を上げて叫ばれて息を引き取られました!その時、何と叫ばれたのでしょうか?「父よ、わが霊をあなたの御手にゆだねます」と!このお言葉は、既に詩篇31:5で預言されていました!「私の霊をあなたの御手にゆだねます。まことの神 主よ」、と!イエス・キリストの死刑執行人たちは、その時は「備え日」の金曜日の午後3時を回っており(ヨハ19:33)、翌日は土曜日の安息日という事で、「死体が十字架の上に残らないようにするため、その脚を折って取り降ろしてほしいとピラトに願い出」ました(19:31)。「それで、兵士たちが来て、イエスと一緒に十字架につけられた一人目の者と、もう一人の者の脚を折(り)」ました(19:32)。しかし、「イエスのところに来ると、すでに死んでいるのがわかったので、その脚を折らなかった」と伝えています!(ヨハ19:33)この点について、詩篇34:20では、どう預言されていたでしょうか?「主は彼の骨をことごとく守り その一つさえ 折られることはない」、と!実に、このような細部に至るまで全て預言されており、それがすべて成就しました!そして、十字架上の最後の出来事で、「兵士の一人は、イエスの脇腹を槍で突き刺した。すると、すぐに血と水が出て来た」、とヨハネ19:34は伝えています!その点について、ゼカリヤ12:10では、どう預言されていたでしょうか?「彼らは、自分たちが突き刺した者、わたしを仰ぎ見て」、と記されています!イエス・キリストが突き刺されるという事が、明確に預言されていました!(Wow! & Wow!)
―十字架刑の驚き!―
●これらの預言に加えて、旧約聖書が、救い主が十字架刑で殺されるという事を預言している事自体、実に、大きな驚きでした!なぜなら、それが預言された当時、十字架刑というのが、ユダヤ人の死刑執行方法ではなかったからです!しかしたとえ、旧約時代に十字架刑が知られていたとしても、救い主が十字架上で殺されるという事自体、驚き以外の何ものでもありませんでした!しかし、詩篇22篇や民数記21章そしてヨハネ3:14では、「モーセが荒野で蛇を上げたように、人の子も上げられなければなりません」と、救い主が十字架に上げられて処刑される事を預言していました!(Wow! & Wow!)
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―葬りのこと―
●十字架刑後の葬りについても、旧約聖書は預言しています!十字架刑で処刑された人々は、通常、集団墓地にその遺体は投げられていました!なぜなら、十字架刑は極悪犯のみに科せられた処刑方法であったからです!しかし、29節の二行目の言葉を見ますと、「イエスを木から取り降ろして」から、どこへ葬られたとありますか?「墓に納めました」と伝えられています!集団墓地ではなかったのです!(I see!)この普通でない取り扱いも、実は旧約聖書に預言されていました!(Incredible!)イザヤ53:9は、「彼の墓は、悪者どもとともに、富む者とともに、その死の時に設けられた」、と預言されています!イエス・キリストの墓は集団墓地に葬られるどころか、実際は、アリマタヤのヨセフという信仰の篤い立派で有力な議員がイエス様の遺体を引き取って、ルカ23:53が告げていますように、「まだだれをも葬られていない、岩に掘った墓に納めた」のです!イエス・キリストが生まれる700年も前に預言された言葉が、皆その通りに、寸分も違わずに成就したのです!(Wow! & Wow!)
―パウロの説教の頂点/「神はイエスを死者の中からよみがえらせました」(13:30)―
●30節に進みましょう。そこで、使徒パウロの説教はその頂点に達します!それが何かと言いますと、十字架の死後の復活です!「神はイエスを死者の中からよみがえらせ(た)」のです!(使2:24、32、3:15、4:10、5:30、10:40)イエス・キリストが救い主であるという事を証明する全てのものの中で、最大の根拠となるものです!パウロは、後々にローマ人への手紙を記した時に、次のような重要な一文を記しています!「死者の中からの復活により、力ある神の子として公に示された方、私たちの主イエス・キリスト」、と!(1:4)
●復活の証拠として、パウロは、テキストの31節の事実を力強く伝えています!「イエスは、ご自分と一緒にガリラヤからエルサレムに上った人たちに、何日にもわたって現れました。その人たちが今、この民に対してイエスの証人となっています」、と!1コリント15:6では、「キリストは五百人以上の兄弟たちに同時に現れました」と伝えています!女性を含めますと、千人は優に超えるものと思われます!二人か三人の証人という、律法上定められた証人の数を遥かに超えていました!(I see! & Amen!)そして、パウロ自身にも復活のキリストが現れた事を、聖書は伝えています!(15:8)。
●イエス・キリストが復活した事によって、一番困り果てまた大変焦ったグループの人々がいました!それが、当時の宗教指導者たち、国家最高指導者たちでした!マタイ28:12-15において、彼らは、復活の事実を次のようにもみ消きました!
28:12 そこで祭司長たちは長老たちとともに集まって協議し、兵士たちに多額の金を与えて、28:13 こう言った。「『弟子たちが夜やって来て、われわれが眠っている間にイエスを盗んで行った』と言いなさい。28:14 もしこのことが総督の耳に入っても、私たちがうまく説得して、あなたがたには心配をかけないようにするから。」28:15 そこで、彼らは金をもらって、言われたとおりにした。それで、この話は今日までユダヤ人の間に広まっている。
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ウ)救い主が朽ち果てない三つの約束(13:32-37)
●最後のポイントなりました。32節~37節の御言葉を取り上げます。32節には、「神が父祖たちに約束された福音」と記されています!そして、33節に記されていますように、神はその「約束」を、イエス・キリストを「よみがえらせ(る)」事によって「成就してくださいました」!33節から37節には、三つの「約束された福音」が記されています!それらの「約束」を取り上げて復活の真理を解説して、今回のメッセージを締めくくる事にしましょう。
(1)一番目の約束(13:33)
●一番目の約束は、33節の後半に記されています。「あなたはわたしの子。わたしが今日、あなたを生んだ」という預言の言葉に表されています!それは、詩篇2:7から引用された御言葉です!これには、二つの意味があります。一つ目が、御子イエス・キリストのこの世での誕生を意味しているという事です!神学の専門用語を用いますと、救い主イエス・キリストの受肉です!(ヘブ1:5-6)二つ目が、34節の前半に記されていますように、受肉されたキリストの肉体が死なれて後に、神が「死者の中から」キリストを「よみがえらせて、もはや朽ちて滅びることがない方とされること」によって、その「よみがえ(り)」を通して復活の真理を打ち立てられました!
●その二つの点をまとめますと、神は、次のように語っておられるのです。「私は、私の御子でありまた救い主を、その受肉においても、且つその復活においても持っているのだ」、と!すなわち、父なる神が御子イエス様を救い主としてこの世に送られて誕生させたのですが、それが真実な事であるという事を、復活によって証明されたのだ、と語っておられます!実に、復活によって、キリストが神の御子である事が証明され、確信され、そしてキリストご自身が高く上げられたのです!
(2)二番目の約束(13:34)
●二番目の約束は、34節の後半に記されていますように、「わたしはダビデへの確かで真実な約束を、あなたがたに与える」という預言の言葉で、イザヤ55:3から引用されたものです!これは、ダビデの子孫からお生まれになる救い主イエス・キリストによって実現するという約束を意味しています!復活して永遠に生きておられる救い主であるがゆえに、この「確かで真実な約束」をダビデとその子孫にお与になる事ができるのだという事を意味しています!死んでいる救い主であるならば、それはできない事でした!しかし、復活して生きておられるので、その「確かで真実な約束」をお与えになる事ができたのです!
(3)三番目の約束(13:35-37)
●最後の三番目の偉大な約束が、35節の「あなたは、あなたにある敬虔な者に 滅びをお見せになりません」という預言のお言葉で、それは詩篇16:10から引用されています!神は、ご自分にある「敬虔な者」すなわち救い主イエス・キリストを、十字架の死後、「滅びをお見せにな」らずに死から甦らせました!しかし一方、36節に記されていますように、人であったイスラエルのダビデ王は、「彼の生きていた時代に神のみこころに仕えた後、死んで先祖たちの仲間に加えられ、朽ち果て滅びることになりました」!人であるダビデは、死後、その遺体は墓の中に留まり続けました!誰もが、彼が甦る事を信じませんでした!
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●人ダビデに対する鋭い対比が、続く37節に記されています!「神がよみがえらせた方」すなわち救い主イエス・キリストは、その体が墓の中で「朽ちて滅びることがありませんでした」!救い主は、確かに甦られたのです!これら全ての約束も、また数える事のできない他の数々の約束も、全てイエス・キリストの復活なしには成就する事がないものばかりでした!死んだままの救い主であるならば、何も成就する事はできません!それゆえ、これらの約束というのは、イエス・キリストが真の救い主であるという旧約聖書の力強い証明であったのです!(Amen!)(Amen! & Amen!)
【まとめ】
●今回のメッセージの本論で、ユダヤ人の二つの疑問について取り上げました。一つ目の疑問が、ユダヤ人指導者たちは、イエス・キリストが救い主であるという重要な点を認める事において、なぜ失敗したのでしょうか?その答えは、ユダヤ人指導者たちのかたくなさ、罪によって暗くされた心のゆえでした!それで、彼らはキリストを罪に定め、十字架刑に処して殺害するという預言を成就させました!旧約聖書がキリストを証言しているのは明らかでしたが、ユダヤ人指導者たちは、それを全く理解しませんでした!聖書の御言葉に対する無知が、生ける神のお言葉として来られたイエス・キリストに対して無知であった事は言うまでもありませんでした!イエス・キリストを「罪に定め(る)」事によって、自分たちが理解していなかった預言の御言葉を成就させました!そのように、聖書を正しく理解しない事が、上辺だけのクリスチャン生活を送っている人々や、キリスト教異端の人々の深刻な問題点です!
●二つ目の疑問が、もし救い主が拒絶され、退けられたのであれば、それは、神のご計画を台無しにしたのではないか、という点でした。それはとんでもない質問で、むしろ、救い主が拒絶される事は既に予知されていた事でした!ユダヤ人指導者たちは、「死に値する罪が何も見出せなかったのに、イエスを殺すことをピラトに求め」ました!(使13:28)すなわち、彼らは「ゆえもなく」すなわち理由なしに、キリストを「憎んだ」のです!(ヨハ15:2)すなわち、ユダヤ人指導者たちは、知らずに、この旧約聖書の預言を成就させたのです!キリストは文字通り、「蔑まれ、人々からのけ者にされ(た)」のです!(イザ53:3)「こうして、彼らはイエスについて書いてあることをすべて成し終え(て)」(ルカ13:29)、旧約聖書の預言を成就させたのです!
●具体的に、イエス・キリストに関するどのような旧約聖書の預言が成就したでしょうか?十字架近くを通りすがる人たちの数々ののしり、罵倒、あざ笑い、救い主の「衣服を分け合い・・・衣をくじ引きに」する事(詩22:18/ヨハ19:24)、「苦みを混ぜたぶどう酒を飲ませようとした」事(マタ27:34/詩69:21)、十字架上でのご自身のうめきのお言葉(マタ27:46/詩22:1)、十字架刑において骨が折られないという事(ヨハ19:33/詩34:20)、槍で突き刺される事(ヨハ19:34/ゼカ12:10)、誰もが想像できなかった救い主の十字架刑(ヨハネ3:14/詩22、民21)、十字架刑という極悪犯が葬られる集団墓地ではなく「墓に納め」られた事(ルカ23:53/イザヤ53:9)、イエス・キリストがお生まれる何百年も前に預言された言葉が、皆その通りに、寸分違わずに成就しました!そして、使徒パウロが、その説教の頂点で語られた事は、十字架刑による死後の復活でした!「神はイエスを死者の中からよみがえらせ(た)」のです!(使2:24、32、3:15、4:10、5:30、10:40)「復活」された「力ある神の子として公に示された」のです!(ロマ1:4) ―7―
●最後のポイントとして使徒パウロが語った点は、救い主イエス・キリストが朽ち果てない三つの約束でした!その一番目が、父なる神がキリストをこの世に送られたという事がその復活によって証明され、それによってキリストご自身が高く上げられました!二番目に、死んだままの救い主だと「ダビデへの確かで真実な約束」は実現しませんでしたが(使13:34b)、復活して生きておられる救い主であるからこそ、その「確かで真実な約束」をダビデとその子孫にお与えになる事ができました!(使13:34b)そして三番目に、神は「敬虔な」御子イエス・キリストへ「滅びをお見せになりません」でした!(使13:35b)御子の復活は、聖書の他の数々の約束を成就させる事になりましたし、これから起こる終末の約束をも成就させる事になります!復活は、実に、イエス・キリストが真の救い主であるという証明となりました!
【適 用】
●ユダヤ人指導者たちの最大の欠点は、聖書の御言葉に対して無知であったという事です!それゆえ、生ける神のお言葉として来られたイエス・キリストに対しては当然無知でした!いかがでしょうか、あなたの聖書理解は、ルターやカルバンたちの宗教改革に見られる、福音主義や聖書中心主義の理解に基づいていますか?聖書を知っていると思っているけれども、実は、大きく的を外していて、聖書理解が歪められているという事はありませんか?
●救い主の拒絶に始まり、十字架刑、そして復活に至るにおびただしく細かい旧約聖書の預言が、寸分違わずにみな成就しました!そこでいかがでしょうか、あなたの聖書への信頼は深められましたか?あなたの聖書への確信は強くされましたか?
●もしイエス・キリストが十字架の死からよみがえられなかったのなら、聖書そのものが成り立たなくなり、キリストに望みを置く者は、「すべての人の中で一番哀れな者」となってしまいます!(1コリ15:19)そこでいかがでしょうか、あなたはキリストの復活を確信していますか?数々の試練の中で、あなたは復活信仰によって支えられ、復活の力によって、それらの問題を乗り越えていますか? それでは、祈りましょう。
【締めの御言葉】
■「・・・『彼らは私の衣服を分け合い、私の衣をくじ引きにします』とある聖書が成就するためであった。・・・これらのことが起こったのは、『彼の骨は、一つも折られることはない」とある聖書が成就するためであり』」(ヨハネ19:24b、36)。
■「こうして、彼らはイエスについて書いてあることをすべて成し終え(た)」(ルカ13:29)。
■「・・・『あなたにある敬虔な者に滅びをお見せにならないからです』」(使徒13:35/詩篇16:10)。
[参考資料]
※1 ジョン・マッカーサー、『マッカーサー新約注解書/使徒の働き13-28』(ムーディー出版、1996)(John MacArthur, The MacArthur New Testament Commentary, Acts 13-28, The Moody Bible Institute of Chicago, 1994, pp.23-25.)
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