『不適格な器を神の栄光を現す器へ!』

【序 論】

●『平凡な人々、非凡な召命』というテーマのもとに12弟子シリーズのメッセージを取り次いでいますが、一番目のペテロについては三回目で締めくくりを迎えています。神は不適格な土の器を選ばれ、失敗からの回復を導いて再任命し、そしてご自分の栄光を現す器として用いられます!ペテロがその最たる例です!そして、ペテロが晩年に記した第一と第二の手紙には、老聖徒の成熟した品性が見られます!メッセージの後半ではそれらの御言葉に注目します!

●今回のメッセージの主題は『不適格な器を神の栄光を現す器へ!』で、副題が「どん底にいたペテロの心を奮わせたイエス様のお言葉とは・・・」です。ペテロについての締めくくりのメッセージの要点は、下記のアウトラインの示す通りです。

【全体アウトライン】

 ◎ 序論/シモン&ペテロ(ルカ6:14a)/済

[1]ペテロの生来の素材/済

[2]ペテロの人生経験/済

[3]ペテロの自信と落胆、回復と安定/今回

[4]ペテロの成熟した品性/今回

【今回のアウトライン】

[3]ペテロの自信と落胆、回復と安定

1)不適格なペテロ(ヨハネ21:3)

2)再任命されるペテロ(ヨハネ21:15-17)

3)神の栄光を表すペテロ(ヨハネ21:18-19/他)

[4]ペテロの成熟した品性

1)ペテロは従順を学んだ!(1ペテロ2:12-20)

2)ペテロは自制を学んだ!(1ペテロ2:21-23)

3)ペテロは謙遜を学んだ!(1ペテロ5:5-6)

4)ペテロは愛を学んだ!(1ペテロ4:8/他)

5)ペテロはあわれみを学んだ!(1ペテロ5:8-10)

6)ペテロは勇気を学んだ!(1ペテロ3:14-15)

【本 論】

[3]ペテロの自信と落胆、回復と安定

●傲慢で、独善的で、自信に溢れ、自分を誇っていたパリサイ人であったパウロは、自分が「罪人のかしら」(1テモ1:6)であると認めるようになりました!そして、パウロは、「神の恵みによって、私は今の私になりました。・・・私に対するこの神の恵みは無駄にはならず、私はほかのすべての使徒たちよりも多く働きました。働いたのは私ではなく、私とともにあった神の恵み(です)」(1コリ15:10)と告白しました!                                                   ―1―

1)不適格なペテロ(ヨハネ21:3)

●さてペテロの場合ですが、彼もまた自信に溢れ、自分を誇っている人物でしたが、その自信は三度も、しかも回を追う毎に語気を強めてイエス・キリストを強く否定した事によって完全に粉砕されました。しかし、イエス様は彼をその状態に留まらせませんでした!イエス様がペテロと関わる中で、彼の人生における最終の経験へと導かれます!そして、その経験は、彼が福音を広めるに当って果たすべき重要な役割に備えさせるためでした!

●イエス様の復活後、南のユダヤの地にいたペテロと他の弟子たちは、北の「ガリラヤに行くように」(マタ28:10)という主の命令に従いました。故郷のガリラヤに帰った後、ペテロは、「私は漁に行く」(ヨハ21:3a)と仲間の弟子たちへ伝えました。イエス様がガリラヤに来られるまでの待ち時間をつぶすために、ペテロが気分転換や楽しみのために「漁に行(こう)と仲間を誘った訳ではないと思われます。そうではなくて、自分が以前生計を立てていた職業である漁師に戻る事を意味していたのではないかと取れなくもありません。なぜなら、もう自分はイエス様に仕える者としては不十分な者そして不適格な者だと考えていたからです。無理もありません。彼はイエス様を三度も否定して裏切り、本当に恥ずべき罪深い行動を取っていたからです。

●ところで、他の弟子たちはペテロの呼び掛けにどう反応したでしょうか?彼らは「私たちも一緒に行く」(ヨハ21:3b)と応答してペテロと行動を共にしました。勿論、彼ら自身もペテロと同じように、イエス様に仕える者としては不適格さを痛感していたに違いありません。彼らはかつて自分たちの「舟」をはじめ「全てを捨ててイエスに従った」(ルカ5:11)者たちでしたが、再びその生業(なりわい)に戻って行こうとしているのです。「彼らは出て行って、小舟に乗り込(み)漁をしたのですが、「その夜は何も捕れ(ません)」(ヨハ21:3c)でした。ペテロをはじめ弟子たちは過去の生活に戻ろうとしていましたが、イエス様は弟子たちに対して勿論別のご計画をお持ちでした!

2)再任命されるペテロ(ヨハネ21:15-17)

「夜が明け始めていたころ」(ヨハ21:4)、何も捕れなかった彼らに対して、イエス様は「舟の右側に網を打ちなさい」(ヨハ21:5)と命じました。すると、網一杯の「おびただしい数の魚」(ヨハ21:6)が獲れるという奇蹟を行われてご自分を現されました!岸辺でイエス様が準備された朝食を彼らが食べて後に、イエス様はペテロに話し掛けられました。勿論、イエス様は、初代教会が建て上げられそして福音宣教においてペテロが果たす役割があり、そのためペテロが霊的に回復して再任命される必要があるという事をご存じでした!ペテロはイエス様を見捨てましたが、イエス様はペテロを見捨てないという事を通して、彼は安心させられる必要がありました!それで、イエス様は三回もご自分を否定したペテロに対して、三回にわたって「あなたはわたしを愛していますか」(ヨハ21:15、16、17)とチャレンジを与えて、ご自分に対する愛を再確認されたのでした!

―2―

3)神の栄光を表すペテロ(ヨハネ21:18-19/他)

●そして、イエス様は、失意のどん底にあったペテロの心が最も震えたに違いないお言葉を語られます!それが、ヨハネ21:18のお言葉で、「まことに、まことに、あなたに言います。あなたは若いときには、自分で帯をして、自分の望むところを歩きました。しかし年をとると、あなたは自分の両手を伸ばし、ほかの人があなたに帯をして、望まないところに連れて行きます」と語られました!使徒ヨハネは、次の19節で、それが何を意味しているのかを補足して説明しています。「イエスは、ペテロがどのような死に方で神の栄光を現すかを示すために、こう言われたのである」、と!

●いかがでしょう、「あなたはこのように死にます」と伝えられたら、通常、不安になり、慰めにはならないのではないでしょうか?ペテロにとってはどうだったでしょうか?恐らく、ペテロを安心させ、慰めを与えたのではないかと思われます!なぜでしょうか?それはペテロにとって、「ああ、自分は死ぬまで、イエス様に対して忠実であり続ける事ができるんだ」と確信できた瞬間だったからです!「ああ、もうためらったり、ぐらついたりしないんだ」という事を知った瞬間だったからです!「もうイエス様を裏切る事はないんだ」という事を知った瞬間だったからです!「自分が神から与えられた務めを忠実に成し遂げて行く事ができるのだ」と確信した瞬間だったからです!ですから、このイエス様のお言葉はペテロの心を奮わせたに違いないと思われます!

●ペテロが自分の終わりが近づいて来た時に、彼は自分が記した第二の手紙で次のように述べています。

1:12 ですから、あなたがたがこれらのことをすでに知り、与えられた真理に堅く立っているとはいえ私はあなたがたに、それをいつも思い起こさせるつもりです。1:13 それを思い起こさせて、あなたがたを奮い立たせることを、私は地上の幕屋にいるかぎり、なすべきことだと思っています。 1:14 私たちの主イエス・キリストが示してくださったように、私はこの幕屋を間もなく脱ぎ捨てることを知っています。 1:15 ですから、ぜひとも、私が去った後いつでも、あなたがたがこれらのことを思い起こせるようにしておきたいのです(1:12-15)。

ペテロがイエス様のお言葉によって奮い立たされたように、ペテロもまた信徒たちに「真理に堅く立(つ)」事の大切さを「いつも思い起こさせ・・・奮い立たせる」という役割を果たしていました!このように、ペテロは主が必要とされる働き人になっていたのです!

[4]ペテロの成熟した品性

●ペテロの生まれながらの性質(素材)を、主が彼の経験を通して作り上げ、真の霊的リーダーにとって欠かせない徳や品性に仕上げて行かれました!それでは、具体的に、ペテロの内にどのような徳や品性が形作られて行ったのでしょうか?彼自身が聖霊によって霊感されて記したペテロ第一第二の手紙を通して、六つの徳や品性を取り上げて学んで行く事にします。

1)ペテロは従順を学んだ!(1ペテロ2:12-20)

●一番目に、ペテロは従順を学びました!従順は、霊的リーダーの土台です!従順とは、神に従う事そして神の御言葉に従う事です!(続く)                               ―3―

イエス様と共に弟子たちが「カペナウムに着いたとき、神殿税を集める人たちがペテロのところに近寄って来て・・・『あなたがたの先生は神殿税を納めないのですか』」(マタ17:24)と問い掛けて来ました。すると、ペテロは「納めます」(17:25a)と答え、イエス様が向かわれた「家に入ると」(17:25a)、イエス様の方から「先にこう言われ」ました。イエス様の方から先に口を開かれたという事は、ペテロも何かを感じていてイエス様に問い掛けようとしていたのではないかと思われます。イエス様は、「シモン。あなたはどう思いますか。世の王たちはだれから税や貢ぎ物を取りますか。自分の子たちからですか、それともほかの人たちからですか」(17:25b)と尋ねました。すると、ペテロは「ほかの人たちからです」(17:26a)と答えました。

●地上の王たちでさえ自分の子たちには税金を掛けないのなら、ましてや神殿で礼拝をお受けになる神ご自身の御子であられるイエス様が神殿税を払う「義務」(17:26b)はどこにもありません。しかし、神殿関係者の方々に「つまずきを与えないために」、イエス様はペテロに対して「湖に行って釣り糸を垂れ、最初に釣れた魚を取りなさい。その口を開けるとスタテル銀貨一枚が見つかります。それを取って、わたしとあなたとの分として納めなさい」(17:27)と指示されました。ちなみに、イスラエルでは、20歳以上の男性が一日の労働賃金に相当する神殿税を支払っていました。

●ペテロはイエス様の言わんとしている事を理解してから、約30年程の時が経過して後に彼は自分が記した第一の手紙で、クリスチャンへ次のように熱く勧めました。「異邦人の中にあって立派にふるまいなさい。そうすれば、彼らがあなたがたを悪人呼ばわりしていても、あなたがたの立派な行いを目にして、神の訪れの日に神をあがめるようになります」(1ペテ2:12)、と!そして、その詳細について、次の節から説明して行きます。

2:13 人の立てたすべての制度に、主のゆえに従いなさい。それが主権者である王であっても、 2:14 あるいは、悪を行う者を罰して善を行う者をほめるために、王から遣わされた総督であっても、従いなさい。 2:15 善を行って、愚かな者たちの無知な発言を封じることは、神のみこころだからです。 2:16 自由な者として、しかも自由を悪の言い訳にせず、神のしもべとして従いなさい。 2:17 すべての人を敬い、兄弟たちを愛し、神を恐れ、王を敬いなさい。 2:18 しもべたちよ。尊意を込めて主人に従いなさい。善良で優しい主人だけでなく、意地悪な主人にも従いなさい。 2:19 もしだれかが不当な苦しみを受けながら、神の御前における良心のゆえに悲しみに耐えるなら、それは神に喜ばれることです。 2:20 罪を犯して打ちたたかれ、それを耐え忍んでも、何の誉れになるでしょう。しかし、善を行って苦しみを受け、それを耐え忍ぶなら、それは神の御前に喜ばれることです(2:13-20)。

●ペテロがかつて神殿税を納めた頃から比べると、彼の霊的成熟ぶりには物凄く大きな進歩が見られます!ペテロは、自分は第一に神の国の配下にいる者であり、この地においては「旅人」でありまた「寄留者」(1ペテ2:11)であると捉えているのですが、それでも彼はキリストのゆえにこの世の人間の権威に従う必要がある事を説きました!「異邦人の中にあって立派にふるま(う)」事によって、より良く妨げられずにキリストを証しする事ができるためです!

―4―

2)ペテロは自制を学んだ!(1ペテロ2:21-23)

●二番目に、ペテロは自制を学びました!自分を抑制する事を学びました!決断力があり、行動志向の指導者は、自分のヴィジョンを共有しない人たちやそのヴィジョンに沿って行動しない人たちによって自分の目標が妨げられる事に憤慨します。そして、彼らに対して怒りをぶつける事によって、彼は危険に直面します!ペテロが自分を押える事ができなかった実例が、イエス様を捕縛するためにゲッセマネの園に押し寄せて来た者たちと争った場面に見られました。ペテロがその時に学んだ教訓を、ペテロ第一の手紙の中で次ように記しています。先程引用した箇所の続きの部分です。

2:21 このためにこそ、あなたがたが召されました。キリストも、あなたがたのために苦しみを受け、その足跡に従うようにと、あなたがたに模範を残された。 2:22 キリストは罪を犯したことがなく、その口には欺きもなかった。 2:23 ののしられても、ののしり返さず、苦しめられても、脅すことをせず、正しくさばかれる方にお任せになった(2:21-23)。

ペテロは、イエス様がご自分を抑制して自制された模範に従う事の重要性を十分理解し、それを信徒一人ひとりに熱心に勧めました!

3)ペテロは謙遜を学んだ!(1ペテロ5:5-6)

●三番目に、ペテロは謙遜を学びました!プライド、高慢な思いというものは、絶えずリーダーに付きまとうものです!なぜなら、彼らが及ぼす影響力によって人々から称賛されまた敬われるからです!これまでも見ましたように、ペテロの誇り高い言動の背後には、彼の高慢とみなぎる自信がありました。それがイエス様を見捨てる事につながり、彼は勢いよく落下して行きました!それによって、彼のプライドは粉々にされました!ペテロは自分自身が記した第一の手紙を閉じるに当り、長老たちに向けて、彼らに「割り当てられている人々」(5:3)に対して自分を高くしないよう警告を与えました!そして、全信徒に向かって次のように記しました。

5:5 同じように、若い人たちよ、長老たちに従いなさい。みな互いに謙遜を身に着けなさい。「神は高ぶる者に敵対し、へりくだった者には恵みを与えられる」のです。5:6 ですから、あなたがたは神の力強い御手の下にへりくだりなさい。神が、ちょうど良い時に、あなたがたを高くしてくださいます」(5:5-6)。

ペテロの人生、メッセージ、そして指導力は、彼が大きな痛みを通して学んだ謙遜を映し出すものでした!

4)ペテロは愛を学んだ!(1ペテロ4:8/他)

●四番目に、ペテロは愛を学びました!教会の指導者でさえ、信徒を目的達成の手段として捉える事があります!人々を優先するよりもむしろ仕事を優先するのです!しかし、真の霊的指導者の本質は、へりくだって他者に仕える事を愛することです!イエス様は12弟子に対して、「だれでも先頭に立ちたいと思う者は、皆の後になり、皆に仕える者になりなさい」(マコ9:35)と語られました!

―5―

●イエス様は、亡くなられる前の晩、弟子たちの汚れた足をへりくだって洗われる事によって、指導者にとってこの大切な原則をリアルに伝えました!当時、他人の足を洗うという底辺の仕事は、通常最も低いしもべに課せられたものでしたが、その夜、屋上の部屋(アッパールーム)にはしもべはいませんでした。普段の弟子たちと言えば、自分たちの間では誰が一番偉いのだろうかという議論をしていましたが、彼らの誰一人として、イエス様が自分たちの足を洗われるという行為を遠ざける者はいませんでした。

●そこでペテロですが、彼はイエス様の行動の意義深さを理解していませんでした。ですから、イエス様が彼のところに来て彼の足を洗おうとした時に、彼は「決して私の足を洗わないでください」(ヨハ13:8a)と言って猛反対しました。ところがイエス様は、「わたしがあなたを洗わなければ、あなたはわたしと関係ないことになります」(13:8b)と語られました。そこでペテロの特徴である極端から極端へ移り変わる態度が見られました。「主よ、足だけでなく、手も頭も洗ってください」(13:9)と言いました。

●ご自分のお手本を通して、イエス様が12弟子に対して強く勧めたのは、信仰者がへりくだって互いに愛するという事がいかに重要な意味を持つのかという事でした!(13:34-35、15:12-13、17)このイエス様のメッセージを受け取ったペテロは、自分の書簡の中で次のように熱く勧めました!「何よりもまず、互いに熱心に愛し合いなさい。愛は多くの罪をおおうからです」(1ペテ4:8/参 1:22、2:17/2ペテ1:7、と!

5)ペテロはあわれみを学んだ!(1ペテロ5:8-10)

●五番目に、ペテロはあわれみを学びました!しかも、それは、サタンがペテロを「ふるいにかける」(ルカ22:31a)という言葉に表れていますように、サタンの攻撃によって彼が主を否定するという、最も驚くべき方法で彼はあわれみを学びました!勿論、それはサタンの願いが神によって「聞き届けられました」(22:31b)という言葉から、神が許された制限と範囲内でなされた事であり、全てが益に変えられるという事を忘れてはなりません。そして、イエス様の「立ち直ったら、兄弟たちを力づけてやりなさい」(22:33)というお言葉に見られますように、ペテロの最もひどい罪深い失敗からの回復が、実に、試みの中にある人々を強める事ができるように導いたのでした!彼の回復というものは、前回のメッセージで学びましたように、実に涙に溢れまた後悔の念に駆られながらのものでした!実は、その経験が、後々に彼があわれみの器として用いられる最大の要因となったのでた!

●あわれみ深さというのは、しばしば指導者たちに欠けている徳の一つです!自分たちの目標や目的に焦点を当てる事によって、往々にして傷付いた者をお世話する事をやめてしまうのです!主による回復を経験したペテロはそうではありませんでした!後悔して悲嘆に暮れている者や罪によって葛藤している人々に対して、あわれみによる慰めを与えるお手本となりました!ペテロが記した第一の手紙には、サタンの攻撃に直面している人々に対する慰めとあわれみの言葉が次のように綴られています!

―6―

5:8 身を慎み、目をさましていなさい。あなたがたの敵である悪魔が、ほえたける獅子のように、食い尽くすべきものを捜し求めながら、歩き回っています。 5:9 堅く信仰に立って、この悪魔に立ち向かいなさい。ご承知のように、世にあるあなたがたの兄弟である人々は同じ苦しみを通って来たのです。 5:10 あらゆる恵みに満ちた神、すなわち、あなたがたをキリストにあってその永遠の栄光の中に招き入れてくださった神ご自身が、あなたがたをしばらくの苦しみのあとで完全にし、堅く立たせ、強くし、不動の者としてくださいます(5:8-10)。

この勧めの言葉は、ペテロの実際の経験から生まれたものです!

6)ペテロは勇気を学んだ!(1ペテロ3:14-15)

●最後の六番目ですが、ペテロは勇気を学びました!それは、ペテロがゲッセマネの園でマルコスの耳を切り落とした時の衝動的且つ無謀で誤った勇気とは違います!ペテロが学んだ勇気とは、キリストのために苦しむという事を心に据えた成熟した品性としての勇気です!ペテロはその勇気を必要としていました!なぜなら、彼は困難や反対や迫害に直面し、そして究極的には殉教の死を遂げる事になるからでした!前回のメッセージでも取り上げましたが、イエス様がヨハネ21章で彼の殉教の死を予見して、次のように述べました。「まことに、まことに、あなたに言います。あなたは若いときには、自分で帯を締めて、自分の望むところを歩きました。しかし年をとると、あなたは両手を伸ばし、ほかの人があなたに帯をして、望まないところに連れて行きます」(21:18)、と!使徒ヨハネは、それは、イエス様が、「ペテロがどのような死に方で神の栄光を現すかを示すために」そう「言われた」(21:19)と記しています!

●その後、イエス様が天に昇られ、使徒たちの宣教時代が幕開けました。ペテロは、イエス様を「十字架につけろ」(マタ27:22-23)と叫んだまさにその人々に向かって、イエス様が救い主でありまた主であるという事を大胆に宣言する事によって、彼の勇気が示されました!彼は説教する事を止めないばかりか、最高法院によって語ってはならないと命じられた時でさえもやめませんでした!(使徒4:18-20,5:27-29)ペテロは、その第一の手紙において、自分が自分に取らせて下さった勇敢な模範に倣うよう次のように書き送りました。

3:14 たとえ義のために苦しむことがあっても、あなたがたは幸いなことです。人々の脅かしを恐れたり、おびえたりしてはいけません。 3:15 むしろ、心の中でキリストを主とし、聖なる方としなさい。あなたがたのうちにある希望について説明を求める人には、だれにでも、いつでも弁明できる用意をしていなさい(3:14-15)。

●ペテロは、最終的には、イエス様が必要としている器となりました!彼は、使徒の働きの最初の12章における中心人物として記録されています!ペテロはまたイスカリオテ・ユダの代わりにマッテヤを12弟子に加える手順を進めましたし、またペンテコステの日に教会史における最初のメッセージを取り次ぎ、最高法院の反対の中でも宣教を続けました。また、ヨハネと共に神殿の門のところで足の不自由な人を癒し、アナニヤとサッピラの偽善を取り扱い、偽教師で且つ魔術師のシモンに対して大胆に立ち向い、中風のアイネヤを癒し、ドルカスという女弟子を死から生き返らせ、そして福音を異邦人へもたらしました!物凄い用いられ方です!物凄い勇気が与えられた結果です!       ―7―

―まとめ―

●その中で、ペテロは迫害と投獄に苦しめられました!最終的には、イエス様が予見されたように、イエス・キリストにある揺るぎない信仰のゆえに殉教の死を遂げました!伝説によりますと、ペテロは自分の妻が十字架刑に処せられるのを強制的に見させられ、自分も十字架刑に処せられました。それも、ペテロ自身の要求で、自分は主と同じように死ぬにはふさわしい者ではないので、逆さ十字架刑にするよう伝え、その通りに処刑されたと伝えられています!彼の生涯と働きは、彼が記した書簡の最後の締めくくりの言葉によって要約されています!「私たちの主であり、救い主であるイエス・キリストの恵みと知識において成長しなさい。キリストに、栄光が、今も永遠の日に至るまでもありますように。アーメン」(2ペテ3:18)、と!

【まとめ】 それでは、今回のメッセージのまとめをしましょう。

●12弟子の筆頭であるペテロについては、三回のメッセージを取り次ぎました。神が用いる器としては不適格なペテロを、イエス様は愛と忍耐と恵みによって彼の回復を導いて再任命され、そして彼は神の栄光を現す神の器となりました!ペテロの記した第一と第二の手紙には、彼の成熟した品性が如実に表されていました!それは、従順であり、自制であり、謙遜であり、愛であり、あわれみであり、そして勇気でした!

【適 用】 それでは、今回のメッセージの適用をしましょう。

●三回目の今回を含め、ペテロに関する三回のメッセージを通して、あなたが最も学んだ事は何でしたか?あなたは、自分は不適格な者だと考えて足踏みしていませんか?イエス様は常にあなたを回復へ導かれ、神の栄光を現す器として立たせる事のお出来になる方だと信じていますか?イエス様はあなたを決して見捨てないお方だと信じていますか?キリスト者として主を証しするために、従順、自制、謙遜、愛、あわれみ、勇気という品性の実を、主が御言葉とあなたの経験を通して結ばせるお方であると信じていますか? 主があなたを日々の霊的成長を導かれ、あなたをご自分の証人として用いられるよう祈りを捧げましょう。

【締めの御言葉】

私たちの主であり、救い主であるイエス・キリストの恵みと知識において成長しなさい。キリストに、栄光が、今も永遠の日に至るまでもありますように。アーメン(2ペテロ3:18)。

[参考文献]

・ ジョン・マッカーサー、『マッカーサー新約注解書/ルカの福音書6-10』(ムーディー出版、2011)(John MacArthur、 The MacArthur New Testament Commentary、 Luke 6-10、 The Moody Bible Institute of Chicago、 2011、 pp.32-36.)

―8―