『イスラエルの歴史に鮮明に見られる神の介入!』
―聖書に記録された使徒パウロの最初の伝道説教から学ぶ(その1)―《使徒13:1-52/今回は序論&13:14-20》
【序 論】
―説教の重要性(1)/初代ユダヤ人教会からサマリヤ人教会そして異邦人教会への流れで―
●さてこれから、使徒の働き13章14節から41節に記されている、聖書に記録された使徒パウロの最初の説教を取り上げます。聖書に記録されたパウロの説教の中では、一番長いものです。勿論、これが使徒パウロの最初の説教ではありませんし、またパウロは新米の説教家でもありませんでした。既に、数年にわたって御言葉を取り次いで来た実績のある神の器でした。ダマスコで救われた後にすぐメッセージを語っていますし(使徒9:20)、アラビヤでの三年間においてもそうでしたし(ガラ1:15-18)、アンティオキアの初代異邦人教会においても牧師として御言葉を取り次いでいました(使徒13:1)。彼が使徒として召されたのは、キリストの福音を宣べ伝えるためでした!(使徒26:15-20/1コリ1:17、21-23/2コリ5:19/エペ3:8/コロ1:25、28/1テモ2:7/2テモ1:11)ですから、彼は、「福音を宣べ伝えないなら、私はわざわいです」(1コリ9:16)とまで語っている通りです!そして、ローマ10章で、パウロはイザヤ書から引用して次のように語っています。
10:14 しかし、信じたことのない方を、どのようにして呼び求めるのでしょうか。聞いたことのない方を、どのようにして信じるのでしょうか。宣べ伝える人がいなければ、どのようにして聞くのでしょうか。10:15 遣わされることがなければ、どのようにして宣べ伝えるのでしょうか。「なんと美しいことか、良い知らせを伝える人たちの足は」(10:14-15)。
●神は、使徒1:8で、「聖霊があなたがたの上に臨むとき、あなたがたは力を受けます。そして、エルサレム、ユダヤとサマリヤの全土、更に地の果てにまで、わたしの証人となります」と語られました。ユダヤ人中心のエルサレムとユダヤの地における宣教、ユダヤ人と異邦人の血が混ざったサマリヤの宣教、そしてローマ世界における異邦人の宣教という三つの重要な流れにおいて、何がその働きを促進したのかを理解する事は大切です!聖霊が下ってエルサレム教会が誕生しましたが、そこでなされた事は、使徒ペテロによる福音説教でした!サマリヤ教会が誕生しましたが、そこでなされた事は、ピリポによる福音説教でした!そして、前回から始まったキプロス宣教、今回のピシディアのアンティオキア宣教でなされた事は、使徒パウロによる福音説教でした!宣教を促進するもの、教会の誕生と教会形成を促進するもの、それは全て、御言葉を取り次ぐ説教を通してなされました!ですから、御言葉を説教するという事が、何にもまして重要な働きなのです!
―説教の重要性(2)/初代教会以降のキリスト教の歴史で―
●それでは、一方、使徒の時代以降の説教の働きというのはどうだったでしょうか?使徒の後を受け継いだ教父たちの働きの中心は何だったでしょうか?実に、彼らが聖書の真理を語る説教によって、福音がローマ帝国を支配するようになりました!次に、16世紀のルターやカルバンに代表される宗教改革者たちの聖書を紐解く説教によって、何世紀も続いた中世の暗黒時代に、真理の光が教会へもたらされました!(続く) ―1―
17世紀になりますと、イギリスでピューリタンの働きによるリバイバルが起こりますが、その火付け役になったのは、ジョン・オーウェンやジョン・バニヤンなどに代表される偉大な聖書の説教家たちでした!18世紀にはアメリカで霊的大覚醒が起こりますが、その火付け役になったのは、ジョン・ウェスレーやジョナサン・エドワーズなどに代表される聖書を紐解く偉大な説教家たちでした!19世紀においては、その推進役になったのは、スポルジョンやパーカーなどに代表される聖書を紐解く説教家たちでした!しかし、現代はなぜリバイバルが見られないのでしょうか?理由は何なのでしょうか?それは恐らく、力強くて、聖書的で、健全な教えによってなされる説教が無くなって来たからです!
―説教の重要性(3)/何よりの模範であるイエス・キリスト―
●イエス・キリストは、地上での生涯で、「あなたは出て行って、神の国を言い広めなさい」(ルカ9:60b)、と語られました!そして、イエス様ご自身も、「主の霊がわたしの上にある。貧しい人に良い知らせを伝えるため、主はわたしに油を注ぎ、わたしを遣わされた」(ルカ4:18a)と語られ、「ほかの町々にも、神の国の福音を宣べ伝えなければなりません。わたしは、そのために遣わされたのですから」と語られました!(ルカ4:43)イエス様ご自身が、福音の真理を説教しておられました!そして、昇天される最後の時に、最後の命令として、「あなたがたは行って、あらゆる国の人々を弟子としなさい。・・・わたしがあなたがたに命じておいた、すべてのことを守るように教えなさい」(マタイ28:19-20)と弟子たちに命じられました!
●このように、説教の重要性は、イエス様ご自身をはじめ、その後を引き継いだ使徒たちも、教父たちも、宗教改革者たちも、ピューリタンたちも、霊的大覚醒者たちも、そしてそれを引き継ぐ者たちによって、証明されていました!只、問題は現代です!もっと説教の重要性を、その価値を聖書と歴史から認識して、真剣にその務めをなして行かねばなりません!
―導 入―
●さて、今回から三回にわたって、『パウロはキリストの福音を宣べ伝える』というテーマで、メッセージを取り次ぐ事にします。初回のメッセージの主題は『イスラエルの歴史に鮮明に見られる神の介入!』で、副題は「使徒パウロの最初に記録された伝道説教から学ぶ」(その1)です。パウロはその説教の中で、イスラエルの歴史に見られる重要な点を取り上げながら、ユダヤ人たち並びにユダヤ教に改宗した異邦人たちに対して、歴史は実に救い主イエス・キリストに向っている事を告げて行きます!福音に関する基本理解は、ユダヤ人の歴史の中で鮮明に現わされた神ご自身を理解する事無しには得られません!それでは、次のアウトラインに沿って、メッセージの全体の流れを押えて行く事にしましょう。
【全体のアウトライン】
[1]力あるキリスト教会の特徴(13:1-13)/済
[2]キリストの福音を宣べ伝える(13:14-41)/今回(1回目)
1)イエス・キリストは、歴史の頂点である!(13:17-23)/今回&次回
2)イエス・キリストは、預言の成就そのものである!(13:23-37)/次回
3)イエス・キリストは、罪人を義とするお方である!(13:38-41)/次々回
[3]明暗を分けるキリストの福音(13:42-52)
―2―
【今回のアウトライン】
[2]キリストの福音を宣べ伝える(13:14-41)
-キリストの福音はガラテヤの地へ(13:14-41)-
1)イエス・キリストは、歴史の頂点である!(13:17-23)
ア)イスラエルの民を選ばれる事によって(13:17a)
イ)エジプトにおいて(13:17b)
ウ)荒野において(13:18)
エ)カナンにおいて(13:19-20a)
オ)さばき人を遣わす事によって(13:20b)
カ)王たちを立てる事によって(13:21-23)/次回
2)イエス・キリストは、預言の成就そのものである!(13:24-37)/次回
3)イエス・キリストは、罪人を義とするお方である!(13:38-41)/次々回
【本 論】
[2]キリストの福音を宣べ伝える(13:14-41)
◎キリストの福音はガラテヤの地へ(13:14-16)
―福音はガラテヤ地方へ/「ピシディアのアンティオキアに行き」―
●前回のメッセージで、サウロとバルナバが助手のヨハネと呼ばれているマルコを引き連れて、最初の異邦人宣教地であるキプロス島へ渡った事をお伝えました。その島はバルナバの郷里であり、最初の宣教地としてはふさわしい選択でした。そして14節以降、宣教チームは、キプロスから海路と陸路で北へ320キロ離れた「ピシディアのアンティオキアに行き」ました。小アジヤのガラテヤ地方を指していますが、そこは、現在のトルコを指しています。このガラテヤ地方に、パウロの郷里であるキリキヤのタルソがあります。ですから、まずは手堅く、二人の宣教者の出身地に関連するところから、福音宣教を始めているのです!(I see!)
―パンフィリアの「ペルゲ」から「ピシディアのアンティオキア」/トーレス山の危険性―
●ここではまず、「ペルゲ」という地名が出で来ますが、そこでは宣教をしていません。しかし、シリヤのアンティオキアの初代異邦人教会へ帰る時には、「ペルゲ」に寄って御言葉を語っています(14:25)。ある注解者は、ガラテヤ4:13に記されていますように、パウロが病気に掛かったのであろうと推測しています。恐らく、マラリヤではないかと推測しています。海岸の低湿地帯よりも、涼しい標高千メートル余りの「ピシディアのアンティオキア」に進んだのであろうと考えられます。ルカは、簡潔に、「ペルゲから進んでピシディアのアンティオキアに行き」と書いていますが、そこまでには約160Kmもの距離があり、その間にそびえているトーレス山の目もくらむような崖を登らなければなりませんでした。困難で危険な旅であった事には間違いありません!しかも、マラリヤにかかっている体を押しての旅であったのなら尚更の事です!(I see!)それから、トーレス山と言えば、悪名高い強盗の一団の出没する地域で、ギリシャのアレキサンダー大王や皇帝アウグストにとってさえも、これらの山賊は厄介な存在でした。ですから、パウロとバルナバにとっても、この山越えが一番きつく険しいものであったに違いありません。加えて、山があれば川があります。セントウス川やエウリェメドン川を渡らなければなりませんでしたが、それらの川が洪水を起こしやすく激しい流れの川でした。(続く) ―3―
パウロは、その時の事を振り返ったのであろうと推測できますが、書簡の中で次のように記しています。「11:26 何度も旅をし、川の難、盗賊の難・・・に会い、 11:27 労し苦しみ、たびたび眠らず過ごし、飢え渇き、しばしば食べ物もなく、寒さの中に裸でいたこともありました」、と!(2コリ11:26-27)
―「ピシディアのアンティオキア」のユダヤ人会堂へ―
●困難な旅を終えたパウロとバルナバは、14節に記されていますように、「ピシディアのアンティオキア」に到着し、「安息日に会堂に入って席に着(き)」ました。パウロの宣教の優先順序は、まずは同胞のユダヤ人へそして次に異邦人へというものでした(ロマ9:1-5)。エルサレムから距離的にはかなり離れているのですが、そこにユダヤ人会堂が建てられていました!その会堂に、真理を求めている会衆が聖霊によって備えられていたのです!15節では、「律法と預言者たち書の朗読があって」と記されていますように、一世紀のユダヤ人会堂では、モーセ五書を7年掛けて安息日毎に読んでいました(申6:4)。御言葉を朗読してから、信仰告白をし、祈りを捧げ、そして「奨励」の時をもっていました。
●そこへ力ある律法教師が訪ねて来るのでしたら、その方に「奨励」をしていただくというのがユダヤ人の慣習でした。パウロは、エルサレムで「民全体に尊敬されている律法学者・・・ガマリエル」(使5:34)の下で学んでいましたので、その条件を満たしていました!パウロがイエス・キリストの福音を語るに当って、彼と会衆との共通の基盤である旧約聖書の御言葉を用いる事から、説教を始めました。これが、熟練した説教者の説教方法でした!共通の理解からスタートするという点です!(I see!)聖霊が主権をもって状況を整えてくださり、パウロが福音を説教するための門戸を大きく開いておかれたのです!神が魂を備えてくださっておられるのです!(Wow!)現代の宣教においても、神が魂を備えられるという点が大切です!
―会衆を構成する二種類の人々―
●16節に進みますと、「そこでパウロが立ち上がり」人々の注意を引くために「手を振り」ました(12:17、19:33、21:40、26:1)。そして、開口一番、「イスラエル人の皆さん、ならびに神を恐れる方々、聞いてください」と切り出しました。「イスラエル人の皆さん」とはユダヤ人たちを指していますし、「神を恐れる方々」とはユダヤ教に回心した異邦人たちを指しています。
―「聞きなさい」/「十分な権威」と「健全な教え」―
●日本語の聖書では、「聞いてください」とパウロの言葉を記していますが、この言葉は「聞いて従ってください」という意味もあります。しかも実は、原語では命令形で書かれていますので、「聞きなさい」あるいは「聞き従いなさい」と訳すべき言葉です!ここに、説教を語る者に与えられた権威を読み取る事ができます!テトス2:15では、「十分な権威をもって語り・・・なさい」と命じられています!また、同じくテトス2:1では、「健全な教え・・・を語りなさい」とも命じられています!まとめますと、説教とは、「健全な教え」と「十分な権威をもって」なされるべきものです!もし、説教にその二つがなければ、アモス8:11に記されていますように、「主のことばを聞くことのききん」が人々を襲い、たちまちその魂は飢餓状態に陥ります!その飢餓状態を、アモスは、次のように述べています。「8:12 彼らは海から海へと、北から東へとさまよい歩く。【主】のことばを探し求めて行き巡る。しかし、それを見出すことはない。8:13 その日には、美しい若い女も、若い男も、渇きのために衰え果てる」、と!(アモ8:12-13)
―4―
●ですので、聖書は、「よく指導している長老は、二重に尊敬を受けるにふさわしいとしなさい。みことばと教えのために労苦している長老は特にそうです」と伝えています!(1テモ5:17)私たちの教会の将来も、「みことばと教えのために労苦している長老」すなわち牧師が引き続き起こされる事に掛かっています!喜んで犠牲を払い、そのために命を投げ出す霊的指導者が、いつの時代にも求められています!
―説教の重要性が軽んじられる傾向にある現実―
●聖書は説教の重要性を語っていますが、しかし現実は説教の重要性が軽んじられる傾向にあります!ある教職者は、次のような事を語っています。「説教が必要な時代はもう終わりました。説教が必要な時代は識字率の低い時代であって、現代のように本がこれだけ溢れている時代には、もはや説教はいりません」、と。それから、これだけハイテクの時代にあって、もはや説教は時代遅れだ、とまで言う人までもいます。すると、説教に代わるものが教会の中心を占めるようになります!それが、演劇や寸劇であったり、娯楽指向の礼拝プログラム、カウンセリング中心の教会形成、そして一人の人が説教するのではなくて、御言葉に対してみんなが意見を述べ合う集会へと変わって行っているのです!そこに御言葉の権威が見られないのです!使徒13:1で学びました「預言者や教師」のいない教会となるのです!すなわち、「健全な教え」と「十分な権威」とによって聖書が説教されない時代になりつつあるのです!それは、絶対に避けねばなりません!要注意です!
●使徒パウロは、これから「健全な教え」と「十分な権威」によって、最も重要なメッセージを取り次ごうとしています!父なる神について(13:17、18、19、20、21、22、23、30、33、37)、そして主イエス・キリストについて(13:23)、その中でも特に、イエス・キリストの生涯、死、そして復活を、主要テーマとして、パウロは説教を語って行きます!すなわち、伝道説教です!
1)イエス・キリストは、歴史の頂点である!(13:17-23)
―前置き―
●さてこれから、三回にわたって、イエス・キリストが歴史の頂点である、という真理をお伝えする事にしましょう。今回がその一回目で、その真理に至る前の、神ご自身のイスラエル並びに全世界に対する聖定や摂理や配慮や守りについて学ぶ事にします!前述しましたように、16節の後半で、使徒パウロは、開口一番、「イスラエルの皆さん、ならびに神を恐れかしこむ方々、聞いてください」と語り出しました。パウロはこれから重要なメッセージを取り次ごうとしているのですが、この会衆がどのような歴史観を持っているのかについては、よく把握していました!ユダヤ人たちも異邦人改宗者たちも、旧約聖書に基づいて、双方が同じ歴史観を持っているという事を理解していました!そうでないと、17節以降のイスラエルの歴史を辿りながら神のご計画を紐解き、そして23節の救い主イエス・キリストに結び付ける事ができないからです!パウロのメッセージを学びながら教えられる重要な点は、このメッセージの主題でもありますが、『歴史はイエス・キリストに向かう!』という事です!この「ピシディアのアンティオキア」のユダヤ人たちと異邦人改宗者たちは、その歴史の大きな流れは分かるのですが、イエス・キリストが既に来られて救いの御業をなされたのかについては全く知らないのです!(I see!)ですから、パウロは、会衆をイエス・キリストへと導こうとしているのです! ―5―
●ジョン・マッカーサー牧師は、この聖書箇所を、歴史的背景や思想的背景を解説するのですが、私はその洞察力に驚きを隠せませんでした。使徒の時代には、17:18に見られますように、「ストア派」の哲学者たちがいました。キプロス島出身の「ゼノン」(B.C.335年~262年)という哲学者がその創始者です。「哲学」という元々の意味は「知恵を愛する」というとろから来ています。スポーツの中継で、ある選手を指して、「彼はストイックな人です」と表現します。禁欲的に夢中でそのスポーツ競技に打ち込む姿を指す解説します。それは、「ストイック」という表現は、実に、この「ストア派」の「ストア」から来ています。禁欲や自制を最高の徳と説きます。簡単に説明するとそういう事なのですが、その哲学の歴史観とは、歴史は終わりのない周期で繰り返しているものだと解説しています!(I see!)そこには存在目的はなく、行き着く終着点もありません!歴史に、目的はないと考えます!そのような考えは、ヒンズー教や仏教にも、一部神道などにも見られる「輪廻説」と共通します!唯一絶対的な神の存在はなく、全てに神が宿るという汎神論です!それゆえ、自分の行動の責任を神の前に取らねばならないという理解にはなりません!そうなると、何をしてもいい、その責任を自分が問われる事はないのだという理解になります!ですから、極論しますと、「人を殺す事がどういう事なのかを体験してみたかった」という表現にまで発展して行きます!(I see!)ドフトエスキーの「カラマーゾフの兄弟」という長編小説の中で、兄弟の一人が、「もし、神がいないのなら、全てが許されている事だ」と語っています!※2(Wow!)もし人が神を取り除くのなら、人の存在もまた歴史も全く意味をなさない偶然のものとなってしまいます!(Wow!)
●しかし、そのようなだましごとの哲学とは裏腹に、これからパウロが語ろうとするユダヤ人たちや異邦人改宗者たちの中には、歴史はどこへ向かっているのかよく知っていました!歴史の絶頂が救い主の王国の到来にある事をよく知っていました!人と神との交わりは、人の堕落によって損なわれました。しかし、神と人との交わりというものは、救い主の到来によって、人が罪の束縛から解放される時に回復する事を知っていました!人類の歴史は、罪赦された人々が神との完全な交わりに戻され、そして神に栄光をお返しする事によって自ずと終結する事を知っていました!救い主が来られてこの地を千年間支配される事、そして新しい天と新しい地を永遠に治める事が歴史の究極であるという事を知っていました!
●パウロは、その彼らに向かって、「イエスこそあなた方が長い間にわたって待ち望んでいた救い主である」という事を指し示したかったのです!しかし、その結論を示す前に、熟練した説教家であるパウロは、まずその初めに、彼らの注意を十分に引く必要がありました!そこで、パウロは、彼ら同胞の心にとって大切なテーマから始める事にしたのです!(I see!)それが、「イスラエルの神」の聖定や摂理や配慮や守りという大切な点でした!
ア)イスラエルの民を選ばれる事によって(13:17a)
●イスラエルに対する神の聖定、摂理、配慮、守りというものは、いつから始まったのでしょうか?その答えが、17節から始まっていきます。何と書かれているでしょうか?「この民イスラエルの神は」、彼らの「父祖たちを選(ぶ)」という点から始めています!神は、ご自分の主権を持って、その聖定と摂理によって、イスラエルという国を樹立するために、その元となる「父祖たち」を選ばれたのです!(続く)
―6―
いつから選ばれたのでしょうか?永遠の昔からです!その「父祖たち」とは、アブラハム、イサク、ヤコブ、そしてヨセフなどの12部族の長となる子どもたちでした。神は彼らを祝福して、神の恵みを、彼らを通して全世界へ伝えるという計画によって彼らと契約を結ばれたのです!たとえその契約が彼らによって破られても、神がその契約を成り立たせるという神の恵み溢れるものでした!
イ)エジプトにおいて(13:17b)
●そして続く17節の中盤に記されていますように、神は、「民がエジプトの地に滞在していた間にこれを強大にし」ました!神の摂理や神のご配慮や守りというものが、外国の地エジプトで、イスラエルの人口が増えて強大になる事によって示されています!イスラエルはカナンの地から70名でエジプトに下り、四百年後にエジプトを脱出する時には約二百万人に膨れ上がっていました!神がエジプトへ遣わされ、また神がエジプトを脱出させるのです!神はその当時、帝国であったエジプトを含め、この世界を治め、その歴史を完全に支配しておられたのです!
●イスラエル民族だけでなく全世界を飢饉から救うために、神は不思議な方法でユダヤ人ヨセフを先にエジプトへ遣わされました!エジプトは、ヨセフによって大きく助けられました!しかし、「ヨセフのことを知らない新しい王がエジプトに起こ(り)」ました(出1:8)。イスラエル民族が、人口増加によって「強大」になって行く事を、新しいエジプトの王は恐れました。それで、イスラエル民族を奴隷化して、ひどく扱ったのです。しかし、歴史を動かしておられる神は、ご自身が選ばれた民を忘れる訳がありませんでした!神は、17節の終盤に記されていますように、「御腕を高く上げて、彼らをその地から導き出してくださいました」!「御腕を高く上げ(る)」というのは、神ご自身の力を表している表現です!(詩89:10/イザ40:10/エレ21:5/エゼ20:33-34/他)それは、神がイスラエルをエジプトの奴隷のくびきから解放する偉大な力を表していました!(出6:6/申4:34/2列17:36/詩44:3)
ウ)荒野において(13:18)
●エジプトを脱出後、18節には、神が、「約四十年の間、荒野で彼らを耐え忍ばれ・・・た」と記されています。新改訳聖書の欄外には、異本には、18節のこの部分を、神が彼らを「養われた」とも記しています。この言葉は両方の意味に取る事のできる言葉ですので、神は、イスラエル民族の反抗や罪に対して「耐え忍ばれ・・・た」と同時に、そのような状況にもかかわらず「彼らを養われ・・・た」のです!それはまさしく、神が出エジプト後もイスラエルを保護し続けた事を表しています!なぜでしょぅか?実に、この歴史において、イスラエルが神の御計画の中で重要な役割を担っていたからでした!
エ)カナンにおいて(13:19-20a)
●40年間の荒野での放浪の旅の後で、神は、イスラエルの新しい世代を約束の地へ導き入れました!そして、19節にありますように、神は、「カナンの地で七つの異邦の民を滅ぼした後、その地を彼らに相続財産として与えられました」!そして、20節の冒頭に記されていますように、これら一連の出来事の年月が「約四百五十年の間のことで」した。四百年に及ぶエジプトでの捕らわれの身、40年に及ぶ荒野での放浪の旅、そしてヨルダン川を渡ってから約束の地を分割するまでの約10年に及ぶ期間でした。その間、神はイスラエルに対して、ご自分の力と守りと真実とを示されました!(続く)
―7―
滅ぼされた「七つの民」というのは申命記7:1に記されている民たちですが、神がその民たちを地上から取り除かねばならなかった程に、その「七つの民」の「咎」(創15:16)は、まるで癌細胞のようにその地に満ちていました!(I see)
オ)さばき人を遣わす事によって(13:20b)
●イスラエルの民は、約束の地を譲り受けた後でも、神に対して真実を尽くし続ける事をしませんでした!しかし、逆に、神はイスラエルに対して真実を尽くし続けました!イスラエルの民が敵によって害を加えられる時には、20節の後半に記されていますように、神は、「さばきつかさたちを与えられ」、イスラエルの人々を解放してあげました!「さばきつかさ」が遣わされたのは、「預言者サムエルの時代まで」でした。このサムエルが最後の「さばきつかさ」であったと同時に、彼はまた「預言者」でもありました。「さばきつかさ」の時代が終わって、サムエルがサウルに油を注いで最初の王を立てるのです。それから神は、王たちを立てる事によって、イエス・キリストが歴史の頂点であるというポイントへつなげて行かれます!次回のメッセージはその点からスタートし、キリストこそ預言の成就そのものであるへつなげて行きます!
【まとめ】
●この度のメッセージの序論で、説教の重要性を語りました!イエス様ご自身においても、その後を継いだ使徒たちにおいても、更にその後の教父たちにおいても、そして宗教改革者たちやピューリタンにおいても、また偉大な霊的覚醒やそれを引き継ぐ重要な神の働きを推進する者たちにおいても、神の福音の真理を宣べ伝える説教がその重要な役割を果たして来ました!そして、本論においては、キリストの福音の中身の第一ポイントは、イエス・キリストが歴史の頂点であるという事でした!歴史が救い主イエス・キリストに向かう中で、神はご自身の主権による聖定と摂理によって、常にイスラエルに対してご配慮と守りをお与えになられたお方でした!
【適 用】
(1)あなたは、説教の働きが、旧新約聖書において、その後のキリスト教史において、極めて重要な働きをしてきた事を理解する事ができましたか?歴史が、救い主イエス・キリストに向かっている事、その歴史の頂点にキリストがおられる事を確認し始めましたか?そして、このお方が、選びのもとに、いかにご配慮と守りとを与えながら、神の民イスラエルを導いて来られたのかを確認できましたか?
(2)さて、あなたとって、救い主イエス・キリストはどういうお方ですか?あなたの人生は、救い主イエス・キリストに向かっていますか?あなたの人生の頂点にキリストがおられますか?あなたは、このお方の選びのもと、ご配慮と守りとを経験しながら歩んでいますか? それでは、お祈りしましょう。
【締めの御言葉締】
■みことばを宣べ伝えなさい。時が良くても悪くてもしっかりやりなさい。忍耐の限りを尽くし、絶えず教えながら、責め、戒め、また勧めなさい(2テモテ4:2)。
■神である主、今おられ、昔おられ、やがて来られる方、全能者がこう言われる。「わたしはアルファであり、オメガである(黙示1:8)。
[参考資料]
※1 ジョン・マッカーサー、『マッカーサー新約注解書/使徒の働き13-28』(ムーディー出版、1996)(John MacArthur, The MacArthur New Testament Commentary, Acts 13-28, The Moody Bible Institute of Chicago, 1994, p.11.)
※2 同上(p.18)。 ―8―