「使徒の働き」講解説教(7) 『最初のクリスチャン殉教者!』 2023.09.17

『聖霊なる神に明け渡された人生!』―怒り充満の人々VS聖霊充満のステパノ―

【前 置】●ステパノの八回シリーズは、最後のテーマ、「最初のクリスチャン殉教者」を二回残すのみとなりました。今回は、その序論と本論の第一ポイントのメッセージを取り次ぐ事にします。序論においては、今から五百年前に宗教改革の口火を切ったマルチン・ルターと、それから更に千五百年さかのぼった聖書の時代のステパノを重ね合わせて、神に用いられた二人の共通点に注目します。そして本論においては、その前半で、ステパノを告訴する最高法院の議員たちやそれに追随するユダヤ人たちに見られる特徴を取り上げます。本論の後半では、ステパノの霊性に注目します!今回と次回のメッセージを通して、両者の明らかな四つの相違点を浮き彫りにします。そして、上辺だけの信仰者と真の信仰者の違いを通して、神がステパノを通して告げておられる真理を学ぶ事にいたします!

●今回のメッセージの主題は『聖霊なる神に明け渡された人生!』で、副題は「怒り充満の人々VS聖霊充満のステパノ」です。紐解かれる聖書の真理に期待を寄せて、メッセージに霊の耳を傾けましょう。

【全体のアウトライン】

序 論:ステパノと彼の殺害者たちとの天国と地獄の違い!/今回

本 論:最初のクリスチャン殉教者!/今回&次回

[1]ステパノの優れた霊性!(6:8-15)/済

[2]ステパノの信仰の弁明!(7:1-53)/済

[3]ステパノ、最初の殉教者!(7:54-8:1a)/今回(1回目)

【今回のアウトライン】

序 論:ステパノと彼の殺害者たちとの天国と地獄の違い!

1)500年前のマルチン・ルターの召喚と裁判

2)1500年前のステパノの召喚と裁判

3)ステパノと彼の殺害者たちとの天国と地獄の違い!

本 論:最初のクリスチャン殉教者!

[3]ステパノ、最初の殉教者!(7:54-8:1a)

1)怒り充満の人々、聖霊充満のステパノ(7:54-55a)/今回

ア)怒り充満の人々(7:54)

イ)聖霊充満のステパノ(7:55a)

―1―

【次回のアウトライン】

[3]ステパノ、最初の殉教者!(7:54-8:1a)

2)霊的盲目な人々と霊的視界良好のステパノ(7:55b-57)/次回

ア)霊的視界良好のステパノ(7:55b-56)

イ)霊的盲目な人々(7:57)

3)永遠の死を迎える人々と永遠の命に移されるステパノ(7:58-59)/次回

ア)永遠の死を迎える人々の行動(7:58)

イ)永遠の命に移されるステパノの行動(7:59)

4)憎しみに溢れた人々と愛に溢れたステパノ(7:60-8:1a)/次回 

ア)愛に溢れたステパノ(7:60)

イ)憎しみに溢れた人々(7:60)

【序 論】

ステパノと彼の殺害者たちとの天国と地獄の違い!

1)500年前のマルチン・ルターの召喚と裁判

●1521年の春、ローマ・カトリックの修道僧でありまた神学の教授であったマルチン・ルターが、神聖ローマ皇帝チャールズ五世とその帝国議会に召喚されました。ルターは、数年間にわたって、ローマ・カトリック教会の様々な権力乱用や悪癖を恐れる事なく批判していました。それは、ローマに対して長期間にわたってくすぶり続けて来たドイツの人々の憤りに対して、火を付ける事となりました。ルターが火付け役となった宗教反乱に終止符を打つべく、若き皇帝は、彼を、ドイツで開かれる帝国議会のある地、ウォルムスへ召喚しました。そこで、ルターが裁判にかけられて有罪宣告を受けると、死刑に処せられる事となります。ルターは自分の身の安全の保障を皇帝から与えられてはいましたが、ルターの友人であるシュパラティンという人物が、ルターがウォルムスへ行く事に対して警告を発しました。というのも、その時点から一世紀さかのぼった時の事ですが、チェコ出身の宗教改革の先駆者の一人であるヤン・フスという人物が、ローマから身の安全を保障されていたにもかかわらず、ドイツのコンスタンツ公議会で有罪宣告を受けて、火あぶりの刑に処せられていたからです。

●ルターは、シュパラティンに対して、次のような内容の手紙を送りました。自分は、「地獄の門と闇の権力」にもかかわらず、ウォルムスの町へ入ります、と。そして、「『家々の屋根の瓦の数のように」たとえ「多くの悪霊どもが」いたとしてもです」、と!ルターは議会の前に姿を現し、自分が書いた事を取り消すという事を拒みました!ルターが撤回するものは何もありませんでした!ルターは、彼を訴える者たちが、自分が間違っているという事を聖書から証明する事ができないとして、と次のように力強く主張しました!

聖書の証言や明確な理由によって納得させられるまで、私は、自分が引用した聖書のお言葉によって固く結ばれており、私の良心は神の御言葉に固くつながれています。(私はローマ法王も、また評議員会も信頼していません。なぜなら、彼らはしばしば間違いを犯し、矛盾した事を言っているからです。)

―2―

私は自分が書いた事は何であっても、撤回する事はできませんし、これからも撤回する事をしません。なぜなら、自分の良心に反する事をするのは安全ではないですし、また正しい事でもありません。私は、そのようにする以外には何もできません。私はここに立っております。神が私をお助けになられますように。アーメン。

2)1500年前のステパノの召喚と裁判

●ルターの時から1500年さかのぼりますと、奇跡を行うキリストのしもべステパノが裁判にかけられました。ルターのように、ステパノは神の啓示である御言葉という岩の上にしっかりと立っていました!そしてまた、ルターのように、ステパノの大胆な姿勢が、またその証言が歴史の流れを変えました!弁明において彼が語った内容というものは、イスラエルの歴史を紐解くに当たって優れたものでした!その中で、自分が神を、モーセを、律法を、そして神殿を冒涜したという偽りの告訴に対して、ステパノは自分を巧みに弁護しました!その弁明の延長線上にいる、全てのクリスチャンのためでもありました!

●そしてそこから、忠実な伝道者であるステパノは攻勢に転じました!そして、最高法院の偽善に満ちた告発を酷評して、自分の抗弁を終えました!そうする事によって、ステパノは、自分を告訴する者との間の形成逆転を果たしたのです!ステパノではなくて、実に、彼ら最高法院の宗教指導者たちこそが、そして彼らに追随する者たちこそが、冒瀆罪で有罪判決を受ける者たちであると告げました!

●これから取り上げる使徒7章の締めくくりの節は、ステパノの生涯の最後の瞬間を記録しています!ルターはドイツのウォルムスで開かれた帝国議会で有罪とされ、処刑されても仕方のない状況下にありましたが、その時点ではカトリック教徒の有力者であったフレドリック三世によって、密かにルターが安全な場所へと連れ去られた事で命が守られました。ルターのようではありませんでしたが、ステパノはその大胆さのゆえに、自分の命の代価を払う事となりました!これから学ぶこの聖書箇所は、実に劇的で、感動を超えるもです!ステパノは殺害されますが、彼は犠牲者ではなくて、勝利者でした!ステパノにとって、その死は、単に彼を天の主の元に先導したに過ぎません!しかし逆に、ステパノを殺害した暴徒たちの殆どが、その後生き続けたにしても、いずれ永遠に滅ぼされる運命にあったのです!その中いたタルソ出身の若者サウロは、明らかに例外はありましたが!

3)ステパノと彼の殺害者たちとの天国と地獄の違い!

●ステパノと彼を殺害した者たちとの間にある明確な相違が、この短い聖書箇所の合間を縫うようにして記されています!その著しい相違は、天国と地獄の相違を象徴していると言っても過言ではありません!どういう相違でしょうか?それは、レジュメのアウトラインで示されていましたように、一番目に、怒り充満の人々と聖霊の充満ステパノです!二番目に、霊的に盲目な人々と霊的視界良好のステパノです!三番目に、永遠の死を迎える人々と永遠の命に移されるステパノです!そして、四番目に、憎しみに溢れた人々と愛に溢れたステパノという相違点です!今回は、一番目の怒りの充満と聖霊の充満のみを取り上げます。

―3―

【本 論】

ステパノの信仰の弁明!

[3]ステパノ、最初の殉教者!(7:54-8:1a)

1)怒り充満の人々と聖霊充満のステパノ(7:54-55a)

●それでは、本論に入って行きましょう。前述しましたように、一つ目のポイントは、怒り充満の人々と聖霊充満のステパノについてです!

ア)怒り充満の人々(7:54)

●最高法院はステパノの前半のメッセージに対しては、疑いなく、関心と同調の思いをもって聞いていました。それは、ステパノがユダヤ人の心にとって大切な歴史上の話題を列挙して話したからでした。しかし、ステパノの意図している事が次第に明らかになって来た時、最高法院の宗教指導者である議員たちをはじめ、他の聴衆が不愉快になり始めました!そして、51節から53節に記されているステパノの明白で辛辣な批判を彼らが「聞い(た)」時、54節の前半に記されていますように、彼らは「はらわたが煮え返る思い」となりました。「はらわたが煮え返る思い」と訳されている“ディアプリオ”というギリシャ語の文字通りの意味は、「のこぎりでひき切る」です!ステパノの言葉は、彼らの上辺だけの偽りで見せかけの霊性をはぎ取り、そして彼らがいかに冒涜的な偽善者であるのかという事を露わにしました!

●ステパノの言葉によって砕かれて悔い改めるのではなくて、逆に、激怒しました!そして、54節の後半に記されていますように、彼らは憤りに満たされて、「ステパノに向かって歯ぎしり」をしました!この「歯ぎしり」という表現は、彼らが激しく怒り、相当いらだち、そして不満である事を示していました!(参/詩35:16、37:12)そしてそれは、これから強情な罪人たちの世代が来る事をも示唆していました!キリストの再臨前の後半の三年半の大患難時代の間、御使いたちが神の聖なる怒りと裁きの鉢の中身を注がれる時、罪人たちが強情にも、悔い改める事を拒否するという事を、黙示録16:8-11、17-21の預言が次のように伝えている事から理解する事ができます。

16:8 第四の御使いが鉢の中身を太陽に注いだ。すると、太陽は人々を火で焼くことを許された。16:9 こうして人々は激しい炎熱で焼かれ、これらの災害を支配する権威を持つ神の御名を冒瀆した。彼らが悔い改めて神に栄光を帰することはなかった。16:10 第五の御使いが鉢の中身を獣の座に注いだ。すると、獣の王国は闇におおわれ、人々は苦しみのあまり舌をかんだ。16:11 そして、その苦しみと腫れもののゆえに天の神を冒瀆し、自分の行いを悔い改めようとしなかった。・・・16:17 第七の御使いが鉢の中身を空中に注いだ。すると大きな声が神殿の中から、御座から出て、「事は成就した」と言った。16:18 そして稲妻がひらめき、雷鳴がとどろき、大きな地震が起こった。これは人間が地上に現れて以来、いまだかつてなかったほどの、大きな強い地震であった。16:19 あの大きな都は三つの部分に裂かれ、諸国の民の町々は倒れた。神は大バビロンを忘れず、ご自分の激しい憤りのぶどう酒の杯を与えられた。16:20 島はすべて逃げ去り、山々は見えなくなった。16:21 また、一タラントほどの大きな雹が、天から人々の上に降った。この雹の災害のために、人々は神を冒瀆した。その災害が非常に激しかったからである。

―4―

この地球に対するこれまでかつてなかった厳しい裁きがもたらされる時でさえも、強情な罪人たちは、悔い改める事をしないという事を如実に示しています!この黙示録の記述の中で、その頑なで強情な罪人たちが、神に対する怒りに対して、三回にわたって神を「冒涜」する事によってその実態を示していました!

●ステパノの弁明を聞いている最高法院の宗教指導者たちは、真理に対して抵抗する者たちであり、その真理に対して頑なな態度を取っている者たちです!彼らが福音を聞くのは、今回で、少なくとも三回目です!(参/使4:5-12、5:27-32)それでも、彼らの怒りは次第に増幅して行き、自分たちの心を引き続き頑なにしました!人があくまでも故意に自分の心を神に対して頑なにし続けると、これまでも学んで来ましたように、神がそこへ介入され、ご自分の裁きをもって彼らの心を頑なにされる事となります!使徒パウロは、そのような人々に対して、次のように警告されました。「28:25・・・『まさしく聖霊が、預言者イザヤを通して、あなたがたの先祖に語られたとおりです。28:26 「この民のところに行って告げよ。あなたがたは聞くには聞くが、決して悟ることはない。見るには見るが、決して知ることはない」』、と!(使28:25-26)そして、イスラエルについて、パウロは次のように記しています。

11:7・・・イスラエルは追い求めていたものを手に入れず、選ばれた者たちが手に入れました。ほかの者たちは頑なにされたのです。11:8 「神は今日に至るまで、彼らに鈍い心と見ない目と聞かない耳を与えられた」と書いてあるとおりです。11:9 ダビデもこう言っています。「彼らの食卓が、彼らにとって罠となり、落とし穴となり、つまずきとなり、報いとなりますように。11:10 彼らの目が暗くなり、見えなくなりますように。その腰をいつも曲げておいてください」(ロマ11:7-10)。

●同じように、エジプトの王ファラオが繰り返し自分自身の心を頑なにして後、神は彼の心を頑なされました!(参/ファラオ自身が、出8:15、19、32、9:7、34、神ご自身が、10:1、11:10)ヘブルの著者は、次のように記しました。

3:7 ですから、聖霊が言われるとおりです。「今日、もし御声を聞くなら、3:8 あなたがたの心を頑なにしてはならない。荒野での試みの日に神に逆らったときのように。3:9 あなたがたの先祖はそこでわたしを試み、わたしを試し、四十年の間、わたしのわざを見た。3:10 だから、わたしはその世代に憤って言った。 『彼らは常に心が迷っている。彼らはわたしの道を知らない。』3:11 わたしは怒りをもって誓った。『彼らは決して、わたしの安息に入れない。』」3:12 兄弟たち。あなたがたのうちに、不信仰な悪い心になって、生ける神から離れる者がないように気をつけなさい(ヘブ3:7-12)。

●最高法院は、ステパノを通して真理を聞きました!彼らは、イエス・キリストの教えも聞いていました。また、イエス・キリストの奇跡も目の当たりにしていました!彼らは、使徒たちの説教を聞きました。使徒たちが行う奇跡を目の当たりにしていました!彼らの繰り返される拒絶のゆえに、ステパノは更なる招きの言葉を掛ける事をしなかったのです!しかし、最後に、ステパノは逆に彼らを訴えたのです!それは、彼らを激しい怒りに満たしました!54節最後の部分に記されていますように、彼らはその日「歯ぎしりしてい」ましたが、恐らく彼らの殆どが、今日、地獄で同じ事をしています!ここで見られる彼らの「歯ぎしり」というのは、彼らが永遠にわたって行っているものなのです!   

―5―

●イエス・キリストは、地獄について、そこが「歯ぎしり」する場所であるという事を、繰り返して伝えていました!マタイ13:41-42において、イエス様は次のように警告されました。「13:41 人の子は御使いたちを遣わします。彼らは、すべてのつまずきと、不法を行う者たちを御国(この地球/この世界)から取り集めて、13:42 火の燃える炉の中に投げ込みます。彼らはそこで泣いて歯ぎしりするのです」、と!また、イエス・キリストはマタイの福音書の七ヶ所で、マルコの福音書の一ヶ所で、またルカの福音書の一ヶ所で、不信仰なユダヤ人たちに対して、次のように警告されました。「8:11 あなたがたに言いますが、多くの人が東からも西からも来て、天の御国でアブラハム、イサク、ヤコブと一緒に食卓に着きます。8:12 しかし、御国の子らは外の暗闇に放り出されます。そこで泣いて歯ぎしりするのです」、と!(マタ8:11-12/参 マタ13:50、22:13、24:51、25:30、ルカ13:28)

●聖書に記述された地獄の苦しみはというのは、私たちの想像を遥かに超えるものです!例えば、聖書は、地獄とは、永遠に滅びる事のない体を持って、永遠の火に焼かれ続ける永遠の苦しみの場所であるという事を告げています!今回、特に、ここでお伝えしたい地獄の苦しみというのは、そこに落ちた人の永遠に尽きる事のない怒りといらだちです!どういう意味かと言いますと、自分の罪が罰せられている事に対する強烈な確信を持っていると同時に、それにもかかわらず、神に対する永遠の怒りといらだちを持ち続けるのです!神の恵みと愛を退ける人々は、神の裁きの下で、罪責感や自責の念を感じる事はありません!それどころか、神に対するより大きな怒りへと駆り立てられて行くのです!

イ)聖霊充満のステパノ(7:55a)

●さて、ここから二つ目のポイントです。一つ目は怒り充満の人々でしたが、二つ目は、それとは真逆の聖霊充満のステパノです!55節冒頭に、ステパノが「聖霊に満たされ」ているという事が記されています!ステパノの周りでは怒号が飛び交うという怒りの嵐の中、彼は落ち着きを保ち、完全にご聖霊のご支配に自分の身を明け渡していました!ここで日本語訳には十分表されていない部分を、ギリシャ語の原語から補う事にしましょう。この「聖霊に満たされ」というのは現在形で記されており、それを文字通りに訳しますと次のようになります。「聖霊に満たされ続けている」です!すなわち、「聖霊に満たされ続ける」事が、ステパノの生き方であったのです!ステパノについて、使徒6:3では、彼が「御霊・・・に満ちた」人だと記されています!また、使徒6:5では、「聖霊に満ちた人ステパノ」と記されています!ステパノは「聖霊に満たされ続けている」がゆえに、自分がいざ死に直面する時が迫っているという時、自分の生き方をその場に合わせるという事を一切しませんでした!ここです!私たちがステパノから深く学ばなければならない点は!御霊に満たされ続ける信仰生涯を送る事が、クリスチャンにとって非常に重要な事なのです!

●聖霊なる神が、信仰者の日々の生活において、キリストの敬虔さに似て行くという実を結ばせてくださるのです!しかもその上、聖霊がステパノになされたように、危機に直面した時に、聖霊は特別な恵みと力をお与えになられるのです!イエス様ご自身が、ご自分に従う人々へ次のように語られました。

―6―

「12:11・・・人々があなたがたを、会堂や役人たち、権力者たちのところに連れて行ったとき、何をどう弁明しようか、何を言おうかと心配しなくてよいのです。12:12 言うべきことは、そのときに聖霊が教えてくださるからです」、と!(ルカ12:11-12)使徒ペテロは次のように書き送りました。「もしキリストの名のためにののしられるなら、あなたがたは幸いです。栄光の御霊、すなわち神の御霊が、あなたがたの上にとどまってくださるからです」、と!(1ペテ4:14)迫害に遭遇しているクリスチャンに対して聖霊は恵みをお与えになり、その死に際しては、クリスチャンが神の栄光をたたえる事ができるようにされるのです!ステパノは、これから後、この真理を実践して証明して行く、無数のクリスチャン殉教者となる人々の模範となるのです!

●そういう訳で、クリスチャンは困難な状況に尻込みしてはならないのです!パウロのように、クリスチャンは、「私は、キリストのゆえに、弱さ、侮辱、苦悩、迫害、困難を喜んでいます。というのは、私が弱いときにこそ、私は強いからです」、と言う事ができるようになるのです!(2コリ12:10)聖霊なる神が恵みをお与えになり、喜びと平安をもって、勝利の内に、その結果に直面する事ができるようにされるので、クリスチャンは、全ての状況下で、正々堂々とキリストを伝える事ができるのです!

【まとめ】

●今回のメッセージの序論において、500年前に宗教改革の口火を切ったマルチン・ルターと、それから更に1500年さかのぼった聖書の時代のステパノとを重ね合わせて考えてみました。二人の神の器に共通していたものは、やはり神の御言葉である聖書の真理に基づいた二人の確固たる見解であり、その見解に基づく二人の確信であり、そしてその確信に基づく二人の勇気ある行動でした!自分の命をいかに迫害者たちから守るかではなく、聖書の真理に対して自分がいかに忠実に歩むか、そしてその真理によって研ぎ澄まされた良心にいかに自分が反せずに歩むかが、それらがその二人に共通してみられる重要な点でした!それから、二人の神の器が取った勇敢な行動によってもたらされた共通点は、その後の歴史の流れが大きく変えられて行ったという事でした!ステパノは殺害されましたが、彼は犠牲者ではなくて、実に、勝利者でした!逆に、ステパノを殺害した暴徒たちの殆どが、その後生き続けたにしても、いずれ永遠に滅ぼされる運命にあった敗北者たちでした!そのように、その両者の著しい違いというものは、天国と地獄の大きな違いを象徴していました!

●今回のメッセージの本論においては、怒りを充満させていた最高法院の宗教指導者たちとそれに追随するユダヤ人たちを取り上げました。他方、終始、落ち着きを保ち、完全にご聖霊のご支配に自分の身を明け渡していた聖霊充満のステパノを取り上げて、両者の大きな違いを浮き彫りにしました!ステパノの言葉は、彼を告訴した人々の上辺だけの偽りに満ちた、見せかけの霊性をはぎ取り、彼らがいかに強情で冒涜的な偽善者であるのかという点を指摘しました!彼らは、そのステパノの言葉によって砕かれて悔い改めるのではなく、逆に、激しい怒りに充満しました!

●悔い改めない強情な罪人たちは、この地上においてもまた地獄においても全く変わらず、「歯ぎしり」して神を「冒涜」し続ける者である事を聖書は示していました!「歯ぎしり」とは、激しい怒りといらだちと不満を表わす表現です!

―7―

地獄の苦しみというのは、そこに堕ちた人の永遠に尽きる事のない怒りといらだちです!自分の罪が罰せられている事に対する強烈な確信を持っているにもかかわらず、同時に、神に対する永遠の怒りといらだちを持ち続けて神を「冒涜」するのです!神の恵みと愛を退ける人々は、神の裁きの下で、罪責感や自責の念を感じる事はありません!それは、実に、その人々をより大きな怒りへと駆り立て行きます!そして、それは次の重要な真理を私たちに教えていました。人があくまでも故意に自分の心を神に対して頑なであり続けるなら、神がそこに介入され、ご自分の裁きをもってその人の心を頑なにされるという事でした!そうされる神の意図は、これまでも学んで来ましたように、神が福音の真理を強情な人々から隠されないと、福音を聞き続けて拒否する事によって、より大きなさばきが下されないためでした!神が人の心を頑なにされるのは、実に、神の強情な者に対する愛から出ている事でした!

●前述しましたように、ステパノを取り囲む怒りの嵐にもかかわらず、彼は落ち着きを保ち、完全にご聖霊のご支配に自分の身を明け渡していました!ステパノは「聖霊に満たされ続けている」神の器でしたので、自分がいざ死に直面するという時に、自分の生き方をその状況に合わせて変えるというような事は一切しませんでした!聖霊充満に加え、危機に直面した時に、聖霊は特別な恵みと力をお与えになられる事を聖書は伝えていました!迫害の最中、「何をどう弁明しようか、何を言おうかと心配しなくてよいのです。言うべきことは、そのときに聖霊が教えてくださるからです」、と御言葉が約束しています(ルカ12:11-12)。「キリストの名のためにののしられる」時、「神の御霊が」クリスチャンの「上にとどまってくださる」です!(1ペテ4:14)迫害されているクリスチャンに対して聖霊は恵みをお与えになり、その死に際しては、神の栄光をたたえる事ができるようにされるのです!神は、その実例であるステパノを通して、後世のクリスチャンに示されました!ですので、クリスチャンは困難な状況に尻込みしてはいけません!「迫害」という「困難を喜(び)・・・私が弱いときにこそ、私は強いからです」、と告白言できる者とされます!(2コリ12:10)聖霊なる神が恵みをお与えになり、喜びと平安をもって、勝利の内にその結果に直面するようにされるので、クリスチャンは、全ての状況下で、正々堂々とキリストを伝える事ができるのです!

【適 用】

●序論の要点と適用に移りましょう。500年前に宗教改革の口火を切ったマルチン・ルターと、それから更に1500年さかのぼった聖書の時代のステパノとを重ね合わせた時の二人の共通点は、聖書の真理に基づいた確固たる見解、その見解に基づく確信、そしてその確信に基づく勇気ある行動でした!その行動は、その後の歴史を大きく変えました!ルターは迫害され、ステパノは殺害されましたが、二人の共通点は敗北者ではなく勝利者でした!逆に、ステパノを殺害した暴徒たちの殆どが、いずれ永遠に滅ぼされる運命にある敗北者たちでした!その両者の違いは、天国と地獄の差ほどある大きなものでした!さて、私たちへの適用です。あなたの信仰の歩みは、聖書の真理に基づいた確固たるものですか?あなたの考えや判断や行動の基準は、常に聖書に基づいたものですか?あなたがたとえ殉教の死を遂げても、あなたは勝利者である事を、御言葉を通して確信しましたか?

―8―

●本論の前半の要点と適用に移りましょう。悔い改めない強情な罪人たちは、この地上においてもまた地獄においても全く変わらず、「歯ぎしり」して神を「冒涜」し続ける者である事を聖書は告げていました!地獄に落ちた人は、自分の復活した体が永遠に焼かれ続ける苦しみだけではありませんでした。その苦しみとは、そこに落ちた人の永遠に尽きる事のない怒りといらだちです!自分の罪が罰せられている事に対する強い確信をもっているにもかかわらず、同時に、神に対する永遠の怒りといらだちをもち続けて神を「冒涜」し続けるという苦しみです!神の恵みと愛を退ける人々は、神の裁きの下で、罪責感や自責の念を感じる事はありません!それゆえ、その人々がより大きな怒りへと駆り立てられて行きます!いかでしょうか、人はそれ程までに堕落した者であるという事に、あなたはどう思われましたか?人の堕落の深刻さ、人の罪の深刻さに対するあなたの理解は深まりましたか?それは、あなたにとって衝撃的なものでしたか?私たちクリスチャンもまた皆罪人ですが、私たちの理解を遥かに超えた神の選びのゆえに、聖書の真理が本物の真理だと理解できるよう、聖霊様が私たちへ働き掛けくださいました!あなたは神の選びそして聖霊のお働きに対して、どう応答されますか? 

●本論の後半の要点と適用に移りましょう。信仰者としてのステパノの重要な特徴は、彼が「聖霊に満たされ続けて」いた点にありました!それゆえ、彼は、自分を取り囲む怒りの嵐の中で、落ち着きを保ち、聖霊のご支配に自分の身を完全に明け渡す事ができました!そして更に、危機に直面した時に、聖霊は特別な恵みと力をお与えになるお方である事を示していました!迫害の只中で、「神の御霊が」クリスチャンの「上にとどまってくださ(い)」ます!それゆえ、クリスチャンに弁明する言葉を授けられます!(ルカ12:11-12)そして、殉教に際しては、神の栄光をたたえる事ができるようにされます!ですので、クリスチャンは困難な状況に尻込みしてはいけないのです!「迫害」という「困難を喜(び)・・・私が弱いときにこそ、私は強いからです」、と告白言できる者とされます!(2コリ12:10)ですので、クリスチャンは、全ての状況下で、正々堂々とキリストを伝える事ができるのです!そこで、いかがでしょうか、あなたは「聖霊に満たされ続けて」いますか?すなわち、聖書の真理に満ち溢れていますか?それゆえ、危機的状況の中で、落ち着きを保ち、聖霊のご支配に自分の身を完全に明け渡していますか?それゆえ、「困難」の中で「喜(び)・・・私が弱いときにこそ、私は強いからです」と告白していますか?それゆえ、全ての状況下で、あなたは、正々堂々とキリストを伝える事ができていますか? それでは、祈りの時をもちましょう。

【締めの御言葉】

■「7:54 人々はこれを聞いて、はらわたが煮え返る思いで、ステパノに向かって歯ぎしりしていた。7:55 しかし、聖霊に満たされ」ていた(使徒7:54-55a)。

[引用&参考文献]

・ジョン・F・マッカーサー、『マッカーサー新約注解書/使徒の働き18-24』(ムーディー出版、2014) (John MacArthur, The MacArthur New Testament Commentary, Luke 18-24, The Moody Bible Institute of Chicago, 2014, pp. 217-222.)