「使徒の働き」講解説教(3) シリーズ『ステパノの信仰の弁明!』2023.08.20

『誰にでもいつでも弁明できる用意をしていなさい!』―神への冒涜罪に対するステパノの弁明(その1)―

【復 習】●ステパノは、偽りの証人を通して不当に逮捕され、神への冒涜罪で死刑に値するかどうかを、これから始まる裁判によって判決が下されます。モーセの顔を輝かせたように、裁判官の前で、神はステパノの顔を御使いのように輝かせ、彼と彼の教えが正しいものであるという事を証明されました!クリスチャンの生き方とは、究極的には、神にその潔白を証明していただく人生だと言えます!

【前 置】●ステパノは知恵と御霊に満たされて、イスラエルの長い歴史における重要な点を取り上げて行き、御言葉の真理を紐解いて行きます!神への冒涜罪として訴えられたステパノでしたが、聖書の御言葉に基づく信仰の弁明を通して、私たちに多くの霊的教訓を与えています!

●「あなたは何を信じているのですか、そしてなぜその事を信じているのですか」と問われた時、あなたは聖書に基づいて自分の信仰について説明し、あるいは弁明する事ができるでしょうか?その最たるお手本の一つが、ステパノによる信仰の弁明です!これから数回かにわたって、使徒7章の御言葉を学んで行きます。下記のアウトラインが示していますように、今回はメッセージ全体の序論と、本論の一番目のポイントの前半を取り上げます。本日のメッセージの主題は『誰にでもいつでも弁明できる用意をしていなさい!』で、副題は「神への冒涜罪に対するステパノの弁明(その1)」です。信仰の弁明に関する聖書の真理を共に学んで行きましょう。

【全体のアウトライン】

序 論:聖書に見られる信仰の弁明/今回

本 論:ステパノの信仰の弁明!/今回&次回以降

[1]ステパノの優れた霊性!(6:8-15)/済

[2]ステパノの信仰の弁明!(7:1-53)/今回(1回目)

1)神への冒涜罪に対する弁明(7:1-16)/今回&次回

2)モーセへの冒涜罪に対する弁明(7:17-37)/次々回

3)律法への冒涜罪に対する弁明(7:38-43)

4)神殿への冒涜罪に対する弁明(7:44-53)

[3]ステパノ、最初の殉教者!(7:54-8:1a)

【今回のアウトライン】

序 論:聖書に見られる信仰の弁明!

1)キリスト教伝道における欠かす事のできない信仰の弁明!(テトス1:9/他)

2)旧約聖書に固く基づいたステパノの信仰の弁明!

―1―

本 論:ステパノの信仰の弁明!

[2]ステパノの信仰の弁明!(7:1-53)

1)神への冒涜罪に対する弁明(7:1-16)/今回&次回

ア)大祭司の尋問とステパノの答弁の始まり(7:1-2)/今回

イ)イスラエルの共通先祖アブラハムの信仰(7:3-8)/今回

ウ)イスラエルの12族長とステパノを告訴する人々との共通点(7:9-16)/次回

【序 論】

1)キリスト教伝道における欠かす事のできない信仰の弁明!(テトス1:9/他)

●序論の一番目のポイントです。この世の人々に伝道するに当たって、クリスチャンは、自分の信仰について弁明する事ができなければなりません!パウロはテトスに対して、テトス1:9並びに1:5で、次のように指示しました。「教えにかなった信頼すべきみことばを、しっかりと守(り)・・・健全な教えをもって励ましたり、反対する人たちを戒めたりすることができる」牧師たちを、「町ごとに」任命するように、と!そして続く10節と11節で、その任命された牧師たちが「反抗的な者、無益な話をする者、人を惑わす者」の「口」を「封じ(る)」だけでなく(参/テト1:11-16)、信徒もまた同じ事ができるよう、その信徒をよく教える事が大切です!それと呼応するように、ペテロは一般信徒に対して、「あなたがたのうちにある希望について説明を求める人には、だれにでも、いつでも弁明できる用意をしていなさい。ただし、柔和な心で、恐れつつ、健全な良心をもって弁明しなさい」と指示しています!(1ペテ3:15)

●しかし、現状はどうでしょうか?多くのクリスチャンがそうできないでいます。自分がなぜ信じているのかについて、よく理解していません!自分の信仰に関して強固な土台がないために、「人の悪巧みや人を欺く悪賢い策略から出た・・・教えの風に・・・吹き回され・・・もてあそばれ」てしまっています!(エペ4:14)自分の信仰をよく把握していないために、イエス・キリストの無力な証し人となっています!

●キリスト教信仰を弁明する教えを、キリスト教弁証論と言います!(別紙を提示)ギリシャ語では「弁明」を“アポロジア”といい、その言葉を元に、英語では“アポロジー”だとか“アポロジェティック”などと言います。「ある事を防御するために話す」という意味があります。使徒25:16で、ユダヤの総督フェストゥスが「アグリッパ王とベルニケ」に対して、ユダヤ人たちから「訴えられている」パウロが、彼を「告発する」ユダヤ人たちの「面前で」、その「訴えについて弁明する機会が与えられずに(いる)」と語っているくだりがあります。そこに、「弁明」という言葉が使われています。また、ピリピの教会に対して、パウロが、「私が福音を弁証するために立てられている」と書き送っています(1:16)。「弁証」や「弁明」と訳されている言葉は、ギリシャ原語では同じ言葉です。この節で、「弁明」についての二つの面を伝えています。一つ目が攻撃に対して信仰を擁護するという面と、二つ目が不信者に対してキリスト教が真理であるという事を提示する面とがあります!

●パウロは福音を提示するに当たって熟練していただけでなく、優れた弁明者の一人でした!使徒17:2-3は、弁明者でありまた弁証者のパウロについて、次のように伝えています。   

―2―

「17:2 パウロは、いつものように人々のところに入って行き、三回の安息日にわたって、聖書に基づいて彼らと論じ合った。17:3 そして、『キリストは苦しみを受け、死者の中からよみがえらなければならなかったのです。私があなたがたに宣べ伝えている、このイエスこそキリストです』と説明し、また論証した」、と!パウロのように、全ての信仰者は、「聖徒たちにひとたび伝えられた信仰のために戦う」者なのです!(ユダ3)

2)旧約聖書に固く基づいたステパノの弁明!

●ところが、使徒パウロの前に、信仰の偉大な弁明者がいました!その名前が、ステパノです!公共の場での討論で、ステパノを打ち負かす事ができないと気づいた敵対者たちは、ステパノに対して、冒瀆罪という偽りの訴えをでっち上げました!そして、ステパノを捕らえ、裁判にかけるために、彼を最高法院の前に引いて行きました(6:8-15)。ステパノのそこでの弁明は旧約聖書に固く基づくもので、彼は旧約聖書から一語一語を頻繁に引用して行きました!この点が、序論の二番目のポイントです。ステパノは自分が真理を知っており、そしてなぜその真理を信じているのかもよく知っていました!ステパノは巧みに自分の信仰を弁明し、揺るぎない勇気をもって、その弁明に我が身をささげて行きました!その信仰の弁明とは物凄く力強いもので、ステパノがその弁明を終えるまで、彼に敵対する者たちがその話の内容に魅了される程でした!(Wow!)そして最後には、怒りで我を忘れた敵対者たちが、彼を石打ちの刑に処するのです!

ア)冒瀆罪に対するステパノの弁明!

●今回から学ぶ7章に進みますと、ステパノに対する裁判が始まります。7章の大部分は、ステパノに向けられた偽りの告訴に対する、彼の弁明から成っています!ステパノは、神に対する冒瀆、モーセに対する冒瀆、律法に対する冒瀆、そして神殿に対する冒瀆で告訴されました!これら四つの冒瀆罪は、ユダヤ社会で考えられる最悪な告訴に匹敵していました!

●ステパノの弁明の要点は、自分に向けられた神への冒瀆罪による告訴に対して答えるもので、他の三つの訴えというものは、その神への冒瀆罪に織り交ざってなされています!ステパノは、自分の弁明に耳を傾けている聴衆の注意を引き付け、そしてその状態を保って行かねばならないという事を知っていました!(I see)それゆえ、ステパノは、自分の弁明の土台に、イスラエルの歴史を列挙して話して行ったのです!イスラエルの人々は自分たちの先祖を熱烈に誇っている者たちですので(参/ロマ2:17、9:4-5、ガラ1:14)、その話題を中心に弁明して行く限り、彼らが聞き飽きる事は決してないという事を、ステパノはよく把握していました!(I see)

イ)救い主を拒絶した事への告発!

●ステパノの弁明のもう一つの目標は、聴衆であるユダヤ人が救い主を拒絶した点を訴える事にありました!ステパノのメッセージを通して、その訴えが徐々に積み上げられて行き、51節から53節に記された痛烈なクライマックスに達して行きます!ステパノは、同胞のユダヤ人たちが救い主を退ける事によって、彼ら自身が、ヨセフやモーセやそして神ご自身でさえも退けていった、彼らの先祖に倣う者になっているのだと語りました!ステパノが冒瀆者ではなく、彼らが冒瀆者であったのです!                                                       

―3―

ウ)キリストの型であるヨセフとモーセを用いて、イエス様が救い主である事を提示!

●序論の最後のポイントとして、ステパノは、キリストの型として表されているヨセフやモーセを用いて、救い主としてのイエス・キリストを彼らに提示する事をしました!

●この箇所は、ステパノに対する偽りの冒瀆罪の訴えに対して、彼の四つの部分からなる弁明を伝えています!ステパノが用いた旧約聖書からの引用について、ここで長い議論をするのではなくて、この優れたメッセージに含まれている劇的なテーマや流れを捉える事に心を配る事にします!(I see)そうするのは、ステパノが取り次いだこのメッセージの目的が、イスラエルの歴史を列挙する事ではなくて、神やモーセや律法や神殿に対する冒瀆に関して、ステパノ自身が無罪であるという事を立証する事に重点を置いていたからです!しかし、実に、ステパノを告訴する敵対者たちこそが、神に対し、モーセに対し、律法に対し、そして神殿に対して冒瀆する者たちであり、救い主を退ける者たちであったのです!

【本 論】

[1]神への冒涜に対する弁明(7:1-16)

ア)大祭司の尋問とステパノの答弁の始まり(7:1-2)

●さて、ここから本論です。ステパノは最初に、イスラエルの人々の最も深刻な罪、すなわち神に対する冒瀆罪についてはっきりと指摘して、告発して行きます!彼はイスラエルの神を全く信じており、旧約の契約が廃止されるのではなくて、キリスト教の中で成就したのだという事、それが神の御旨であるという事をはっきりさせて行きます!

1節冒頭に「大祭司」と記されていますが、それは、紀元後36年までその職に就いていたカヤパを指していると思われます。彼が、ステパノに対して「そのとおりなのか」と尋ねる事によって、この訴訟手続きを始めました。「あなたに対する告訴に対して、あなたはどのようにして弁明して行きますか?有罪ですか、それとも無罪ですか?」、という意味の問い掛けです。その質問に対するステパノの直接の答えは、一見しただけでは分かりません。マッカーサー師が引用している、リチャード・ロンジェネッカーという聖書注解者が次のように解説しています。

最高法院の前におけるステパノの答弁というものは、原告の訴えから自分を守り、無罪判決を勝ち取るために説明をしたり、弁明したりするというものでは殆どありませんでした!(I see & Wow)それは、むしろ、当時の大衆の宗教であったユダヤ教に対するクリスチャンのメッセージであり宣言であったのです!更に、それは、ナザレのイエスを救い主として認める事を退け、またキリストの救いに感謝する事もしなかったユダヤ人宗教指導者たちからの告訴に対する、クリスチャンのメッセージであり宣言であったのです!(Wow!)

●ステパノは長い歴史の要点を順序立ててまとめながら、それを基に、自分の主張の正しさを説明して行きました!彼の答弁のし方というのは、ネヘミヤ8:5、詩篇78篇、105篇、106篇という旧約聖書の御言葉に根差しているものでした!ステパノの答弁の目的というのは、彼が説教したキリストそしてクリスチャンの信仰が、旧約聖書の完全な成就であるという事を示すものでした!

―4―

ステパノは、アブラハムを皮切りに、イサク、ヤコブ、ヨセフ、モーセ、そしてダビデ、そして52節に記された「正しい方」主イエス・キリストに至るまで、神の主権による御心の筋道を辿って行きます!

2節で、ステパノは自分を告訴する者たちに対して「兄弟」と呼び掛け、彼らは自分と連帯する者だという事を示しています!そしてまた「父」と呼んで、彼らをユダヤ人指導者たちである事を認めて尊敬を表しました!(Wow & I see!)これが、敵対者に対するクリスチャンの態度です!そして、彼らに対して、ステパノは、イスラエルの歴史から引き出した答弁を始めて行きます!ギリシャ語原文において、ステパノの答弁の最初に来る文字というのが、贖いの全ての歴史を司って来られた「神」という言葉でした!(Amen!)この「栄光の神」という表現は、ここと詩篇29:3のみにしか出て来ません。これは、全能で、聖く、主権者なる神の最も豊かで完璧な描写です!というのも、神の「栄光」がこれら全ての神のご性質から成り立っているからです!(参/出33:18-19)(Wow!)

●全ての計画の源であるである主権者なる「栄光の神」について語った後に、ステパノは、信仰の父でありまた神の民であるイスラエルの「父アブラハム」に聴衆の注意を向けさせます!その出だしで、ステパノは、「アブラハム」を主権的に召された神と、「アブラハム」がイスラエルの信仰の父であるという事実に、自分の信仰の土台を据えているのだという事を伝えます!それは、ステパノ自身が神をけがす者ではなく、また同胞のイスラエルの民を裏切る者でもないという事を自ら証言しています!(I see)それは、自分が「無罪」に等しい者であるという事を結果的に示すものでした!

●それに続く2節中盤以降で、ステパノは、イスラエルの運命というものが、神の主権の支配のもとにあるのだという事を固く信じている事を告げます!そのために、ステパノはまず初めに、約束の地へ召される「アブラハムがハランに住む以前、まだメソポタミアにいた」事から語り始めて行きます。アブラハムは、「カルデア」の「ウル」という地の出身で、そこにいた時に神からの最初の召しを受け(創15:7/ネヘ9:7)、そしてその後再び、移動した「ハラン」の地においても神の召しを受けたのだという事を伝えています。

イ)イスラエルの共通先祖アブラハムの信仰(7:3-8)

3節で、神はアブラハムに対して、「『あなたの土地、あなたの親族を離れて、わたしが示す地へ行きなさい』と言われました」。その神の召しに対してアブラハムは従順に従い、4節に記されていますように、「カルデア人の地を出て、ハランに住みました」。「ハラン」はアブラハムの出身地「ウル」から800Km余り北西に位置しており、「ウル」は月を神として礼拝する偶像礼拝の地で知られていました。アブラハムは、自分の「父」親が「死(ぬ)(創11:32)まで「ウル」に留まっていました。そして、神はまた、約800Km離れた「この地」イスラエルへアブラハムを「移されました」。ステパノのメッセージを聞いているユダヤ人たちが「住んでいる・・・地」です。神の主権に従うアブラハムの従順が、彼の生涯に対する神の目的を成し遂げさせる事になります!

●サウロがキリストへ回心して後にパウロとなりますが、そのパウロもしたように(参/ロマ4章、ガラ3章)、ステパノは、信仰の人としてアブラハムに焦点を当てています!

―5―

アブラハムは信仰によって、完全に、神の主権による召しに従い、そしてどこに行くのかを正確に知らないままで、自分の故郷を離れました!アブラハムが新しい地に到着した時でさえ、神は5節に記されている通りに、彼に対して「足の踏み場となる土地さえも、相続財産として彼にお与えになりませんでした」。アブラハムが所有した土地はと言えば、妻サラの死に伴って購入した自分たちの「墓地」のみでした(創23章)。アブラハムに「まだ子がいなかった」時の事ですが、彼が受け取っていた全てのものはと言えば、「この地を」すなわち将来のイスラエルの地を「彼とその後の子孫に所有地として与える」という神の約束と誓いのみでした!(参/創12:7、13:15、15:18、17:8)そして、そのような重要な約束が成就するという事を、アブラハムがその目で見る事になる最も近いものと言えば、息子イサクの誕生でした!アブラハムは100歳、サラは90歳という人間的には全く不可能な年になってから、神がお与えになられた息子の誕生でした!(創17:17,21:5)

●アブラハムの信仰は、6節に記されている神の啓示によって、更に試されて行く事になります!「神は次のように言われました。『彼の子孫は他国の地で寄留者となり、四百年の間、奴隷となって苦しめられる。』」、と!(参/創15:13)(Wow!)イスラエルがエジプトに留まった正確な期間は430年でしたので(出12:40)、ステパノが語った「四百年」という期間は、そのエジプトにおけるおおよその滞在年数を示すものです。アブラハムは、7節に記されていますように、「彼ら」イスラエルの民「が奴隷として仕えるその」エジプトの「国民を、わたしはさばく。それから彼らは出て来て、この場所でわたしに仕えるようになる」、という神の約束を信じました!そしてまた、神が、7節で、エジプトにおける束縛の後に、イスラエルの民が「それから・・・出て来て、この場所で」すなわちイスラエルへ将来与えられる約束の地カナンへ戻り、その地で「わたしに仕えるようになる」という更なる約束を、アブラハムは信じました!

●救いの歴史の流れを辿りながら、ステパノが語るメッセージは族長時代へと移って行きます。イスラエルの運命を支配する神の主権は、神がアブラハムの子孫に対してご自分の契約を成就すると断言した如くに、アブラハム以降に引き続いて起こる世代へと及んで行きます!8節に記されていますように、神がアブラハムとその子孫にお与えになられた契約のしるしは「割礼」でした。「アブラハム」が「イサク」の父親になって後、彼はその契約に従う事によって、「八日目にその子」イサクに「割礼を施しました」。「それからイサクはヤコブ」の父親となり、そして「ヤコブは十二人の族長たち」の父親となりました。それから、その「十二人の族長たち」は、それぞれイスラエルの十二部族の頭たちとなりました。

●時間の都合上、今回は2節からこの8節までを取り上げて、ステパノに関する第二シリーズの一回目、神への冒涜罪に対するステパノの弁明に関する前半のメッセージを取り次ぎました。次回は、その次の9節から16節までを取り上げ、神への冒涜罪に対するステパノの弁明を完結する事にします。ですので、この一番目の点に関する締めくくりは、次回に持ち越しとなります。

【まとめ&適用】それでは、まとめと適用をして行きましょう。

●序論の一番目に、私たちは信仰の弁明について学びました!聖書は、「あなたがたのうちにある希望について説明を求める人には、だれにでも、いつでも弁明できる用意をしていなさい。

―6―

ただし、柔和な心で、恐れつつ、健全な良心をもって弁明しなさい」と命じておられました!(1ペテ3:15)いかがでしょうか、自分が信じているキリスト教信仰について「弁明できる用意」は、あなたにできていますか?そうするに当たって、あなたがすべき事は何ですか?また一方、教会内において、「反抗的な者、無益な話をする者、人を惑わす者」の「口」を「封じ(る)」事が、牧師だけでなく、信徒もまた同じ事ができるようよく教えられる必要があるという事を聖書は告げていました!それを裏付けるように、「私の兄弟たちよ。あなたがた自身、善意にあふれ、あらゆる知識に満たされ、互いに訓戒し合うことができると、この私も確信しています」、とパウロはローマ教会に書き送りました!いかがでしょうか、「あなた」は自分「自身」「善意にあふれ、あらゆる知識に満たされ、互いに訓戒し合うことができる」よう、自分の霊的な成長、聖書の知識における成長を願っていますか?「私たちの主であり、救い主であるイエス・キリストの恵みと知識において成長しなさい」と、ペテロは教会員一人一人に書き送っています!(2ペテ3:18)いかがでしょうか、あなたは「イエス・キリストの恵みと知識において成長し」ている実感はありますか?もし、あなたにその実感がなく、自分が無力な証し人と感じているのなら、あなたが取るべきステップは何ですか?全ての信仰者は、自分たちに「ひとたび伝えられた信仰のために戦う」者です!(ユダ3)いかがでしょうか、あなたは、その真実で尊いキリストにある信仰のために「戦(って)いますか?

●序論の二番目は、旧約聖書に固く基づいたステパノの弁明を取り上げました!ステパノに対する偽りの告訴は、ユダヤ社会で考えられる最悪な罪に基づくものでした!それが、神、モーセ、律法、神殿に対する冒瀆罪でした!そのようにでっち上げるのは、ステパノの命を狙う敵対者たちの強い意志の表れでした!キリスト教信仰において傑出した弁明者の一人であるステパノは、揺るぎない確信と勇気をもって、自分のキリストにある信仰を、旧約聖書に固く基づいて見事に弁明して行きました!他方、自分たちの先祖を熱烈に誇る同胞のユダヤ人敵対者たちは、ステパノが弁明で引用した旧約聖書の一語一語の言葉に魅了され、そのメッセージに聞き入ったのでした!

●ステパノの弁明の目標は、敵対者たちが救い主を十字架につけて拒絶した点を取り上げて訴える事にありました!ステパノは、キリストの型として表されているヨセフやモーセを用いて、救い主イエス・キリストを彼らに提示する事を求めました!そして、その弁明が痛烈なクライマックスへと達し、敵対者たちは怒りで我を忘れ、ステパノを石打ちの刑に処するのでした!実に、ステパノを告訴する敵対者たちこそが神とモーセと律法と神殿を冒瀆し、救い主を退けたように、ステパノを退けたのです!他方、ステパノの弁明の目的は、自分が神やモーセや律法や神殿に対する冒瀆に関して無罪であるという事を立証して行く事でした!

●ここで序論の二番目について、適用の質問をしましょう。ステパノの確信と勇気と卓越した弁明の基盤となったものは、何と言っても、旧約聖書の御言葉を固く信じる事にありました!序論の一番目の質問と重複しますが、あなたが自分のキリスト教信仰について説明し、弁明するに当たって、旧新約聖書に固く立ち続ける事はできていますか?あなたがどんなに追い詰められても、あなたが理解している聖書の真理があなたに勇気を与えてくれるという点を確信しましたか?

―7―

●次に本論のまとめと適用に移りましょう。ステパノは旧約聖書を神の誤りなきお言葉として確信しており、イスラエルの神を全く確信しており、旧約聖書の契約が廃止されるのではなくて、キリスト教の中で成就したという事をはっきりさせる事を願って答弁して行きました!被告人であるステパノの最高法院の前での答弁は、無罪判決を勝ち取って自分を守るというものでは全くありませんでした!そうではなくて、ナザレのイエスを救い主として認める事を拒否し、キリストが提供してくださる救いを感謝して受け入れなかったユダヤ人宗教指導者からの告訴に対する、クリスチャンのメッセージであり、真理の宣言でした!いかがでしょうか、被告人ステパノの最高法院における態度について、あなたは何を教えられますか?あなたの信仰に反対して攻撃する者に対して、キリストにある確信と落ち着きをもって対応していますか?もしそうではないならば、その原因は何ですか?聖書の御言葉に対する確信の欠如ですか、それとも聖書の御言葉に対して全面的に従っていないからですか?

●ステパノは告訴する敵対者たちに対して「兄弟」と呼んで連帯を表し、且つまた「父」と呼んで、指導者の立場にある者として尊敬を表しました!そこでいかがでしょうか、あなたは敵対者に対して、敬意を表して関わっていますか?敵対者の人格を尊重して、関わっていますか?そして、物事の全てにおいて、栄光の神を第一に求めて生きていますか?あなたの人生は、神の栄光を求める事が何よりも優先されていますか?家庭において、教会において、職場において、友人関係において、どこにおいても、神の栄光が最優先されていますか?あなたの言動に、神の栄光は見られますか?

●「アブラムは【主】を信じた。それで、それが彼の義と認められた」とありますように、人は信仰によって初めて義とされるという事を、聖書は、アブラハムを通して教えています!(創15:6、ロマ4:3、ガラ3:6/ヤコ2:23/参 ハバ2:4、ヘブ10:38)アブラハムは、イスラエルの運命が、神の主権の支配のもとにあるという事を固く信じていました!それゆえ、たとえ外国の地で四百年以上にわたって奴隷の苦しみが待っているにしても、再び、このカナンの約束の地に戻って来るという神の約束を信じました!そして更に、神がアブラハムの子孫に対してご自分の契約を成就すると断言されたように、イスラエルの運命を支配する神の主権は、自分以降に引き続いて起こる十二部族の世代へと及んで行く事を信じていました!ステパノは、「アブラハム」を召された神の主権と「アブラハム」がイスラエルの信仰の父であるという事実に、自分の信仰の土台を据えていました!それが、ステパノ自身が神をけがす者ではなく、また同胞のイスラエルの民を裏切る者でもないという事を証言するものでした!そしてそれが結果的に、自分が「無罪」に等しい者であるという事を示すものでした!そこでいかがでしょうか、今一度、確認させてください。あなたが神の前に正しいと見られるのは、イスラエルの宗教指導者たちのように、自分の良い行いによるものですか?それとも、キリストを信じる信仰によるものですか? それでは、祈りの時をもちましょう。

【締めの御言葉】

■3:15・・・あなたがたのうちにある希望について説明を求める人には、だれにでもいつでも弁明できる用意をしていなさい。 3:16 ただし、優しく、慎み恐れて、また、正しい良心をもって弁明しなさい。そうすれば、キリストにあるあなたがたの正しい生き方をののしる人たちが、あなたがたをそしったことで恥じ入るでしょう(1ペテロ3:15-16)。

[引用&参考文献]・ジョン・F・マッカーサー、『マッカーサー新約注解書/使徒の働き18-24』(ムーディー出版、2014)