「使徒の働き」講解説教(2)/『御使いの顔のようであったステパノ!』/2023.08.13
『御使いの顔のようであったステパノ!』―ステパノの勇気と輝きが物語っていること―
【復 習】
●前回から、『御使いの顔のようであったステパノ!』というテーマのもと、8回にわたるメッセージシリーズを始めました。キリスト教史上、最初の殉教者となったステパノの気高い霊性は際立っていました!ステパノは、「信仰と聖霊とに満ち」(使6:5)また「恵みと力とに満ち(た)」(使6:8)信仰者でした!ステパノは神に信頼し、神に従いました!恵みに溢れて自分の死に直面する事ができましたし、また彼を殺す人々に対しても恵みに溢れて赦しを祈る事ができました!彼は、「私たちは、生きるとすれば主のために生き、死ぬとすれば主のために死にます。ですから、生きるにしても、死ぬにしても、私たちは主のものです」(ローマ14:8)という使徒パウロの告白と全く同じもので、主に全く委ねきった信仰生涯を歩んていました!
【前 置】
●さて、ステパノシリーズの二回目は、彼の勇気と輝きとに注目します!彼は不当な裁判にかけられ、最高法院の権力者たちの前で厳しい試みの中を通されますが、彼は決して後ずさりする事無く、その勇気は揺るがないものでした!そして何よりも、神が彼の教えの正しさを証明されるのです!今回のメッセージの主題はテーマと同じく『御使いの顔のようであったステパノ!』で、副題が「ステパノの勇気と輝きが物語っていること」です。それでは、紐解かれる聖書の真理に心を向けて行きましょう。
【全体のアウトライン】
●序 論:ペテロからパウロへの移行を力強く橋渡ししたステパノ!/(済)
●本 論:ステパノの優れた霊性!/2回目
[1]ステパノの優れた霊性!(6:8-15)/済
[2]ステパノの信仰の弁明!(7:1-53)/今回
[3]ステパノ、最初の殉教者!(7:54-8:1a)/今回
【今回のアウトライン】
[2]ステパノの勇気(6:9-14)
1)ステパノを迫害した者たちの背景(6:9)
2)ステパノと議論し、不当な裁判へ持ち込んだ迫害者たち(6:10-14)
[3]ステパノの輝き(6:15)
1)神がステパノにお与えになった聖さと栄光の輝き(6:15)
2)神がステパノにお与えになった律法の解釈と救い主に関する教え(出エジプト34:27-35)
―1―
【本 論】
[2]ステパノの勇気(6:9-14)
―なぜ迫害が起こるのか?―
●ステパノは、8節の後半に記されていますように、「人々の間で大いなる不思議としるしを行って」伝道していました。言うまでもなく、「大いなる不思議としるし」は多くの人々をひきつけます!悪霊から解放され、不治の病が癒され、著しい奇跡が行われると、使徒たちにもそうであったように、大勢の人々がステパノの所に集まって来ました。そこで、人々はステパノが神から遣わされた器であり、その教えも神から来ているものだと信じ受け取る事ができまました!力ある伝道がなされ、多くの魂の救いが引き起こされました!
●ステパノの働きが盛んになり、有名になり、人々が集まって来ると、どういう否定的な事が起こるのでしょうか?その働きを妬み、大勢の人々がイエス・キリストの教えに流れて行く事を良く思わない人々が策略を練り、妨害して来ます!使徒4:16-17は、その事を次のように伝えています。
4:16 「あの者たちをどうしようか。あの者たちによって著しいしるしが行われたことは、エルサレムのすべての住民に知れ渡っていて、われわれはそれを否定しようもない。4:17 しかし、これ以上民の間に広まらないように、今後だれにもこの名によって語ってはならない、と彼らを脅しておこう」。
●イエス様ご自身に対してもそうでした。ヨハネ11:47-48、53には次のように記されています。
11:47 祭司長たちとパリサイ人たちは最高法院を召集して言った。「われわれは何をしているのか。あの者が多くのしるしを行っているというのに。11:48 あの者をこのまま放っておけば、すべての人があの者を信じるようになる。そうなると、ローマ人がやって来て、われわれの土地も国民も取り上げてしまうだろう。」・・・11:53 その日以来、彼らはイエスを殺そうと企んだ。
1)ステパノを迫害した者たちの背景(6:9)
●ステパノに対抗して「立ち上がっ(た)」のは、9節に記されている外国から来たユダヤ人たちでした。彼らは、6:1に記されていましたように、「ギリシャ語を使うユダヤ人たち」でした。この「立ち上がっ(た)」という言葉は、腰掛から「立ち上がっ(た)」というレベルのものではなく、「激しく奮い立って行動に移した」という意味の言葉です。ここでは、3つの会堂に属すると考えられるグループの人々が記されています。なぜ3つの別々の会堂かといいますと、共通言語であるギリシャ語があったにしても、それぞれ異なる外国の出身者たちですので、言語においてもまた文化にも違いがあったからです。
●9節最初に記された「リベルテン」という言葉は、欄外の注釈にもありますように、「解放奴隷」すなわち「自由を得た者」という意味があります。紀元前63年、ローマのポンペイウス将軍がユダヤを征服した時に捕らえられ、ローマに連行されて奴隷として売られた人々です。その内からある者が自由を得てイスラエルに帰り、エルサレムにおいて自分たちの会堂を造った人々です。
―2―
●続く「クレネ人」は、北アフリカのリビアの海岸都市に住んでいる人々で、イエス様の十字架を無理に負わされたシモンは、このクレネ出身のユダヤ人であったと言われています(マタ27:32)。そして、次の「アレクサンドリア人」は、エジプトの北の海岸都市に住んでいる人々です。いずれもアフリカ大陸の北に位置する国々です。ヘブル語旧約聖書をギリシヤ語へ翻訳した70人訳は、このエジプトにおいて紀元前3世紀頃に行われたと言われています。使徒18:24に出てくる「アポロ」は「雄弁なユダヤ人」で、この「アレクサンドリア」の出身だと記されています。
●更に、「キリキア・・・から来た人々」とありますが、「キリキア」と言えばサウロ、後のパウロの出身地である「タルソ」があります。ですので、まだキリストを信じていなかった青年サウロが、ステパノに反対して「立ち上がっ(た)」人々が属するエルサレムにある会堂に通っていたのであろうという事が十分考えられます!それを裏付けるように、ステパノが直面した不当な裁判と死刑執行に関わっていた者としてサウロの名前が使徒7:58と8:1に記されています。著名な律法学者であり、且つまた最高法院の議員であったガマリエルの門下生であったサウロが、ステパノとの議論さえにも加わっていた事が十分推測できます!(I see)それに続く「アジヤから来た人々」というのは、イスラエルの北にあるシリアや現在のトルコに掛けて住んでいるユダヤ人たちである事を示しています。
―さて、ここからステパノとその迫害者たちとの議論、
偽りの証人、そして不当な裁判が始まります。―
2)ステパノと議論し、不当な裁判へ持ち込んだ迫害者たち(6:10-14)
●想像できますでしょうか?恐らく間違いなく、キリストを信じて新生したステパノと、まだキリストを信じておらず新生していないユダヤ主義の若きリーダー、サウロと他の者たちとが「議論」を交わしたのです!前述しましたように、サウロは偉大な律法学者と言われたガマリエルの門下生で、物凄く優秀で将来のユダヤ教を担う器です。そのサウロと他の者たちとが、「知恵と聖霊によって語っていた」ステパノに対抗する事ができたでしょうか?聖書は何と伝えているでしょうか?10節で、「彼」ステパノが「語るときの知恵と御霊に」対して、パウロとその者たちは「対抗することはできなかった」のです!
●という事は、ステパノが、議論を許さない程の真理を語っていた事が分かります!反対者には、もう手におえない状況です!正当な議論では、ステパノには勝てないのです!となれば、どうするしかないでしょうか?画策する他ありません!彼らは、卑劣な戦術に打って出るのです!それゆえ、11節で、「ある人たちをそそのかし」とあります。邪悪な動機をもって「ある人たちをそそのかし」、13節に記されていますように「偽りの証人を立て(た)」のです!
●それは、イエス・キリストを十字架刑によって殺すために取った最高法院の宗教指導者たちの方法と全く同じでした!(I see)マタイ26:59は、次のように伝えています。「祭司長たちと最高法院全体は、イエスを死刑にするためにイエスに不利な偽証を得ようとした」、と!イエス・キリストを訴えるのに成功した戦術を、ステパノにも適用したのです!
―3―
●彼らは、どのような言葉を用いて「そそのかし」ましたか?それが、11節に記されています。「私たちは、彼が」すなわちステパノが「モーセと神とを冒涜することばを語るのを聞いた」と。聖書は実に正直に伝えていますが、誰と誰をけがす言葉を聞いたのでしたか?「モーセと神」とあります。何かおかしくありませんか?そうです、順序です!「モーセ」が「神」よりも先に来ていませんか?彼らは「神」よりも、神がお与えになられた「律法」に対する誤った熱意が優先しています!
●「冒瀆」とは、神が聖なるものとしておられるモーセの律法や神ご自身や神殿に対して悪しき言葉を発する事を指しており、それは深刻な罪で、冒瀆者には死刑が科せられました(レビ24:16)。ステパノに対する反対者が彼を神への冒瀆罪で訴えたのは、律法が人を救う事ができるという事を彼が否定していたという事を示唆しています!(I see)律法はあくまでも人に罪を示し、人が律法を守れない事を自覚させ、そして救い主に案内してくれるという役割をもっています!また、反対者たちは、神の臨在が宿る宮、神殿である「聖なる所」(使6:14)に対してステパノが反対を表明して、神を「冒涜」しているのだと告発しています。更に、一方、この敵対者たちの訴えは、神とはどのようなお方なのかを具体的に現されたお方がキリストであるというステパノの提示に対する、彼らの反対の訴えを間違いなく映し出していました!(I see)
●人々はモーセと神に対して熱狂的でしたので、12節に記されていますように、偽りの告発によってた易く「扇動」されました!(I see)それで、「長老たちと律法学者たち」と一緒になって暴徒と化した「民衆」が、「ステパノを襲って捕らえ、最高法院に引いて行(き)」ました。この「引いて行(く)」という言葉は、「暴力で捕らえる」という意味がある言葉です。(I see)これと同じ言葉が、ルカ8:29では、ゲラサ人が悪霊によって「捕らえ」られというふうに記され、また、使徒の働き19:29では、ならず者たちによってパウロの同行者たちが「捕らえ」られというふうにも記されている事からも分かります。
●これまで、「民衆」はキリストを自分たちの救い主として受け入れないにしても、力ある御業を行う使徒たちを好意的に思っていました。それゆえ、もし権威者である宗教指導者たちが、使徒たちに対して「手荒なこと」をすると、「民衆」からの反感や反対に直面するという事について、彼らは恐れていました。それゆえ、彼らは、「手荒なこと」はせずに使徒たちを捕らえていました(使5:26)。ところが、今回のステパノの場合は、その同じ「民衆」が「手荒なこと」をしてステパノを捕らえたのです!ステパノが病人たちを癒し、またしるしや不思議を行っていましたので、彼は人々から好意的に受け止められ、人々には人気がありました。しかし、ルカの福音書の講解説教で思い出す事ができますが、心変わりしやすい群衆が、ホサナと叫んで救い主を歓迎して称賛した後すぐに、イエス様を十字架に付けろと叫んで敵意を示したように、今度は、これらの民衆が扇動されて心変わりし、説教者ステパノを襲ったのです!(I see!)福音を聞く事と福音を憎む事とは、実に紙一重です!これが背教者の境界線なのです!このラインを超える者たちが、しばしば、信仰者に対して暴力的になるのです!
●ルカは、ステパノの捕縛からどれ位すぐ後に、裁判が始まったのかについては伝えてはいおりません。しかし、ステパノが捕らえられた時に最高法院が招集され、そして議員たちが待機していたとは考えにくいです。
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恐らく、行き当たりばったりの即席の裁判が始まった時、これらギリシャ語を使うユダヤ人たちは、13節の前半で、「偽りの証人たちを立て」たのです!これらの「証人たち」とは、明らかに、11節に記されている「そそのか」された人たちです。彼らの偽りの訴えが、ステパノを捕らえさせたのです。
●「偽りの証人たち」が告発し続けた結果、人々が「扇動」される事になりました。その訴え続けた内容が、13節の後半に記されていますように、ステパノが、「この聖なる所」すなわち神殿と「律法に逆らうことばを語るのをやめ」なかったというものでした。彼らがステパノの口に自分たちの偽りの言葉を入れるというのではなくて、ステパノが語った言葉をねじ曲げる事による「偽りの証人たち」でした!この点に関して、聖書注解者のF.F.ブルースは次のようにコメントしています。
彼らは、イエスに反対して同じように証言をした人々のように(マタ26:59-61、マコ14:55-59)、「偽りの証人たち」と呼ばれている。両者の場合、彼らの証言の偽りは、彼らがまっかなうそをついたというのではなく、実際に語られていた言葉を、巧妙に、命取りになるように、偽り伝えた点にある。
●14節がその例で、彼らは、ステパノの言葉に自分たちの視点を加え、次のように装って語りました。「『あのナザレ人イエスは、この聖なる所を壊し、モーセが私たちに伝えた慣習を変える』と彼が言うのを、私たちは聞きました」、と。「あのナザレ人イエス」という表現は、イエス様に対する彼らの軽蔑を表わすものです。というのは、彼らは、ナザレから何の良きものも出ないと信じていたからです(参/ヨハ1:46)イエス様は、ご自分がエルサレムの神殿を「壊(す)」という宣言したわけでは決してしてありません!イエス様はご自分の敵対者たちに対して、「この神殿を壊してみなさい。わたしは、三日でそれをよみがえらせる」(ヨハ2:19)と語られました!その二節後のヨハネ2:21が明らかにしていますように、「イエス(様)はご自分のからだという神殿について語られたので」した!すなわち、ご自分の十字架の死と復活を言われたのでした!彼らのこの偽りの訴え方がイエス様を罪に定めるのに成功して以来、彼らは、それを素早くステパノに対しても用いたのです!(I see)
●彼らのもう一つの告発の方法は、「イエスは、・・・モーセが私たちに伝えた慣習を変える」とステパノが教えたという事によって、人々を激怒させようとたくらみました!ステパノは使徒たちのように、イエス・キリストが十字架の救いの御業によって、全ての旧約聖書の儀式を成就させたお方であられると宣言しました!エレミヤによって預言された新しい契約が(参/エレ31:31-34)、古いものに取って代わりました!道徳的な律法は変わりませんが、儀式的な律法は廃止されました!イエス・キリストという本物が、儀式に取って代わったからです!ステパノが次の7章で語っているように、彼が、モーセと律法に対して多大な尊敬を払っていたという事を示しています!しかしながら、彼らが選んだ言葉は、ステパノは革命家だと主張し、既に神によって制定され秩序を転覆しようとたくらむ者であるとしました!彼らは、ステパノの肯定的な宣言を、否定的な攻撃に変えたのです!
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―ステパノの勇気―
●このような厳しい試練の中で、ステパノの勇気が衰える事はありませんでした!衰えるどころか、輝き続けました!物凄い圧力が掛けられる中で、彼は決して後ずさりせず、また妥協する事もありませんでした!反対者が不当な訴えを並び立てても、ステパノは一歩も譲る事無く、福音を繰り返し、繰り返し語り続けました!そして更に、最高法院の権力者たちの前でも、ステパノの勇気が衰える事はありませんでした!使徒7:51-53に目を留めましょう。何と、ステパノは、大胆にもその国家最高権力者たちを叱責しました!
7:51 うなじを固くする、心と耳に割礼を受けていない人たち。あなたがたは、いつも聖霊に逆らっています。あなたがたの先祖たちが逆らったように、あなたがたもそうしているのです。7:52 あなたがたの先祖たちが迫害しなかった預言者が、だれかいたでしょうか。彼らは、正しい方が来られることを前もって告げた人たちを殺しましたが、今はあなたがたが、この正しい方を裏切る者、殺す者となりました。7:53 あなたがたは御使いたちを通して律法を受けたのに、それを守らなかったのです。
この聖霊充満から来る勇気です!神を恐れ、人を恐れないステパノの勇敢な姿です!(Wow!)
[3]ステパノの輝き(6:15)
1)神がステパノにお与えになった聖さと栄光の輝き(6:15)
●さて、6章最後の節です。「ステパノ」と「最高法院で席についていた人々」との間には、実に真逆な光景が映し出されていました!ステパノは、神と神殿と律法をけがしている邪悪な者として非難されて訴えられていましたが、「最高法院」の議員たち、国家最高権力者たちの目は何に注がれていたのでしょうか?それは、彼らが、「御使いの顔のように」輝いているステパノの顔に注目していました!ステパノは邪悪さというものからは遥かに遠く離れており、神の聖さと栄光を放っていたのです!
2)神がステパノにお与えになった律法の解釈と救い主に関する教え(出エジプト34:27-35)
●ここで、大切な質問をしましょう。ステパノに対する偽りの訴えに対して、誰が答えておられるのでしょうか?それは実に、神です!どのようにでしょうか?それは、顔の輝きによって、神がステパノに栄光を与えて答えておられるという事によってです!もう一つの質問をしましょう。顔が神の栄光で輝いていた人物は、聖書では他に誰がいましたか?それは、モーセです。出エジプト34:27-35は、次のように伝えています。
34:27 【主】はモーセに言われた。「これらのことばを書き記せ。わたしは、これらのことばによって、あなたと、そしてイスラエルと契約を結んだからである。」34:28 モーセはそこに四十日四十夜、【主】とともにいた。彼はパンも食べず、水も飲まなかった。そして、石の板に契約のことば、十のことばを書き記した。34:29 それから、モーセはシナイ山から下りて来た。モーセが山を下りて来たとき、その手に二枚のさとしの板を持っていた。モーセは、主と話したために自分の顔の肌が輝きを放っているのを知らなかった。34:30 アロンと、イスラエルの子らはみなモーセを見た。(続く)
―6―
なんと、彼の顔の肌は輝きを放っていた。それで彼らは彼に近づくのを恐れた。34:31 モーセが彼らを呼び寄せると、アロンと、会衆の上に立つ族長はみな彼のところに戻って来た。モーセは彼らに話しかけた。34:32 それから、イスラエルの子らはみな近寄って来た。彼は【主】がシナイ山で告げられたことを、ことごとく彼らに命じた。34:33 モーセは彼らと語り終えると、 顔に覆いを掛けた。34:34 モーセが主と語るために【主】の前に行くとき、彼はその覆いを外に出て来るまで外していた。 外に出て来ると、 命じられたことをイスラエルの子らに告げた。34:35 イスラエルの子らがモーセの顔を見ると、モーセの顔の肌は輝きを放っていた。 モーセは、 主と語るために入って行くまで、 自分の顔に再び覆いを掛けるのを常としていた。
●ステパノの顔の輝きがモーセの顔の輝きと同じであるという事は、神は何をここで議会の権力者たちに示していたのでしょうか?モーセは十戒を受けました。そして、モーセの顔は輝いていました!それは、モーセが受けた律法が神からのものであるという事が、その輝きによって証明されるためでした!(I see & Wow!)それと全く同じように、ステパノの顔も輝いていました!ステパノが語った教えが神からのものであるという事が、その輝きによって証明されるためでした!(Wow & Wow!)モーセの律法もステパノが教えた律法の解釈も、更に救い主に関する教えも、それら双方が、全て神から与えたものであったという事を物語っていました!
【まとめ】
●ステパノの気高い霊性そしてそのたぐいまれな勇気は、彼がいかに優れた信仰者なのかを物語っていました。それから、五千人以上の成人男性の中からステパノが教会のリーダーとして選ばれたのは、彼に対する教会の深い尊敬を表していました!
●その全ての中で最も優れた点が、ステパノが神の目にとって素晴らしい信仰者であったという事です!モーセに与えられたようにステパノにも栄誉を与える事によって、神が、ステパノを最も偉大な信仰者の一人として立てられ、用いておられます!彼の生涯と彼の証しは、キリキヤのタルソ出身で、後に偉大な使徒となるパウロに対して多大な影響を与えた事に間違いはありません!全てのクリスチャンは、ステパノを思い出すべきです!そして、神が御使いの顔のように輝かせた彼の霊性と勇気を学び、その霊性と勇気にまねるべきです!
【適 用】
●私たちは、前回、信仰と聖霊と恵みと力に満ちたステパノの霊性について学びました!そして今回、私たちはステパノの勇気とステパノに与えられた神の輝き、神からの栄誉について学びました!
●いかがでしょう、あなたの霊の眼に、尊い信仰者のお手本の一人であるステパノの姿がくっきりと焼き付けられましたか?神は、あなたの地道で忠実な信仰生活の積み重ねを通して、あなたを輝かせて下さる事を信じますか?あなたの日々の隠れた積み重ねを見ておられる主に信頼していますか? それでは、祈りましょう。
―7―
【結 論】
■「最高法院で席に着いていた人々が、みなステパノに目を注ぐと、彼の顔は御使いの顔のように見えた」(使徒6:15b)。
[引用&参考文献]
・ジョン・F・マッカーサー、『マッカーサー新約注解書/使徒の働き18-24』(ムーディー出版、2014) (John MacArthur, The MacArthur New Testament Commentary, Luke 18-24, The Moody Bible Institute of Chicago, 2014, pp. 192-196.)
・F.F.ブルース、『使徒行伝』、聖書図書刊行会、1958、p.149。(F.F. Bruce, THE BOOK OF ACTS, Wm B. Eerdmans Publishing Co., Grand Rapids, Michigan, 1986, p.135.)