「使徒の働き」講解説教(1)/『御使いの顔のようであったステパノ!』(その1)/2023.08.06

『ステパノの優れた霊性!』―初代教会最初の殉教者ステパノ、かつてない最も気高く、力強い信仰者の一人ステパノ―

【前 置】

●私が夏季休暇を迎えた事で、暫くルカの福音書の講解説教から離れ、11年前に取り次いだ使徒の働きから、『御使いの顔のようであったステパノ!』というテーマのメッセージのリメイク版をお届けする事にしました。リメイク版であるにしても、今回は特に序論の部分を新しく加えました。初代教会で用いられた神の器、ステパノを通して、きっと多くの霊的教訓が与えられるに違いありません!

●一回目の今回は、序論で「ペテロからパウロへの移行を力強く橋渡ししたステパノ」、そして本論の一回目で「ステパノの優れた霊性」について学びます。主題は同じく『ステパノの優れた霊性!』で、副題が「初代教会最初の殉教者ステパノ、かつてない最も気高く、力強い信仰者の一人」です。それでは、紐解かれる聖書の真理に、心を向けて行きましょう。

【全体のアウトライン】

序 論:ペテロからパウロへの移行を力強く橋渡ししたステパノ!

本 論:ステパノの優れた霊性!(使徒6:8-15)/(1回目)

[1]ステパノの優れた霊性!(6:8-15)/今回&次回

[2]ステパノの信仰の弁明!(7:1-53)/次々回以降

[3]ステパノ、最初の殉教者!(7:54-8:1a)

【今回のアウトライン】

序 論:ペテロからパウロへの移行を力強く橋渡ししたステパノ!(今回)

1)ペテロからパウロへの移行期に当たって

2)ステパノは、ペテロからパウロへの移行を橋渡しした人物

3)ステパノは、教会初期の歴史における重要な人物

4)ステパノを、神を冒瀆する者としてこの世は裁いたが、

彼はかつてない程に最も気高く、また最も力強い信仰者の一人である!

本 論:ステパノの優れた霊性!(使徒6:8-15)/(1回目)

[1]ステパノの霊性(6:5、8)/今回

1)信仰に満ちたステパノ(6:5a)    3)恵みに満ちたステパノ(6:8a)

2)聖霊に満ちたステパノ(6:5b)    4)力に満ちたステパノ(6:8b)

[2]ステパノの勇気(6:9-14)/次回

1)ステパノを迫害した者の背景(6:9)

2)ステパノと議論し、裁判へ持込む迫害者(6:10-14)                     

―1―

[3]ステパノの輝き(6:15)/次回

1)神がステパノにお与えになった聖さと栄光の輝き(6:15)

2)神がステパノにお与えになった教え(出エジプト34:27-35)

【序 論】

1)ペテロからパウロへの移行期に当たって

●一番目のポイントです。この聖書箇所は、使徒の働きにおける移行期について伝えています!この時点までは、ペテロが主要な役割を果たして来ました。ガラテヤ2:7によりますと、ペテロは、割礼を受けた者たち、すなわち同胞のユダヤ人たちへ福音を届けるという神からの召命を果たして来ました!そしてそれに続き、もう一人の主要な役割を果たす人物が現れる兆しが見えてきました!それがパウロで、使徒の働き7章の終わりの方で、使徒の働きの中で初めてその名前が記さ、伝えられる事になります!

●使徒の働き9章に記されたパウロの回心を受けて、ペテロが使徒の働きの表舞台から退いて行きます。(I see)使徒の働き10章と11章においては、ローマの百人隊長であるコルネリウスに対するペテロの務めが記されています。12章では、ペテロの牢獄からの二度目の奇跡的な解放について記されています。しかし、13章から最終章までは、パウロに対して焦点が当てられています!13章から28章までの使徒の働きの中でペテロに関する記述は、15章のエルサレム会議のみです。

2)ステパノは、ペテロからパウロへの移行を橋渡しした人物

●二番目のポイントです。この二人の主要な神の器たちを橋渡ししたのが、これから数回にわたって学ぶステパノです!ペテロの務めは主にユダヤ人たちで、パウロの務めが主に異邦人たちです。ステパノの短い務めは、主に、異邦人の地からやって来たユダヤ人たちに対するものでした。ペテロはエルサレムで務めをなし、パウロはローマ帝国の支配が及んでいる地ででした。ステパノの働きは、教会の働きを、エルサレムから他の地域へ急激に動かす事を促進する事となりました!(使8:1)

●ステパノはいろんな意味で、パウロの先駆者となりました!彼は、エルサレムにある外国から来たユダヤ人の会堂に出向きました!そして恐らく、そのいくつかの会堂に入って、ステパノはそこに属する人たちと討論したに違いありません!(使6:9)パウロもまた新しい町に入る時には、いつも習慣的に、ユダヤ人会堂へ最初に出向きました(使17:2)。ステパノが激しい反対に直面して、肉体に害が及ぶ程の迫害を受けたように、パウロもまたそのように迫害を受けました!(使7:54-60/参 2コリ11:23-25)エリヤがエリシャに対して、預言者の特徴の一つである外套を与えてその後継者になったように、まるで、ステパノの外套が、ギリシャ語を使う同じ文化圏出身のタルソのサウロに受け継がれて行くのでした!ギリシャ語を使う文化圏出身のタルソのサウロの上に降りたのです!パウロが初めて福音に触れる事が、ステパノを通してであったという可能性さえ大いにあります!(使7:58、8:1)

ステパノの死は、パウロに対して、生涯消す事のできない非常に大きな印象を与えたに違いありません!なぜなら、殉教の死を遂げる時に、ステパノが「主よ、この罪を彼らに負わせないでください」、と執り成しの祈りを祈ったからです!それは、パリサイ人の宗教には全く見られないものだからです!                                                       

―2―

3)ステパノは、教会初期の歴史における重要な人物

●それゆえ、三番目のポイントです。教会の初期の歴史の中で、ステパノは重要な人物です!しかし、彼の歴史的な役割を抜きにしても、その品性ゆえに、ステパノは重要な働きをしました!人の人生や働きがもたらす影響力というものは、必ずしも、その長さに関係するものではないという事を証明しています!彼の働きは短いのですが、世界宣教のための神のご計画にとって、絶対不可欠な器でした!彼は一つの勇気ある取り組みを示しました!それは、短い期間でしたが、広範囲に及ぶ影響を与える事ができました!

●ステパノが自らを省みず、恐れなく語ったその福音の宣言によって、そしてその献身ゆえに、自らに究極の代価を払わせる事になりました!クリスチャンを尊敬していた民衆が(使5:13)、巧みに操られて敵意に転じた事によって、彼は最初のクリスチャン殉教者となりました!教会に繰り返し挑戦して来る長期にわたる迫害の歴史の引き金を、ステパノの死が最初に引いたのです!(Wow!)ステパノは極めて重要な説教者で、また深く愛されている者でしたので、彼が死んだ時、教会は深い悲しみに包まれました!(使8:2)でも、彼は、神が彼に計画しそして割り当てられた使命を成し遂げる前に死なれたのではありませんでした!また、ステパノを通して信仰に導かれた回心者のリストが記録されていない事によって、彼の働きがより重要でないという事でもありません!その数は、勿論、多かったでしょう!神が支配しておられる救いの領域において、ある者が植え、ある者が水を注ぎ、そしてある者たちが収穫するのです!(1コリ3:6)ステパノが植えた種から、豊かな収穫という結果がもたらされて行きます!(Amen!)

4)ステパノを、神を冒瀆する者としてこの世は裁いたが、

彼はかつてない程に最も気高く、また最も力強い信仰者の一人である!

●序論、最後の四番目のポイントです。この世がステパノの偉大さを認めないのは、何ら驚くに値するものではありません!なぜなら、この世は人々の高い人気や評判によって、あるいは物質的な富によって成功を図るからです!そして結局のところ、この世の人々はイエス・キリストを殺し、パウロの首をはね、ペテロを死刑に処し、そして教会を迫害しました!この世の人々は悪しき意図をもってステパノを裁き、神を冒瀆する者として殺しました。ステパノはかつてない程に最も気高く、また最も力強い信仰者の一人でした!彼を、アブラハムやモーセやエリヤやダビデやバプテスマのヨハネや使徒たちと肩を並べる者として位置付けたとしても、何ら大げさな事ではありません!

●ステパノの徳の高さは、六章から現れ出ています!エルサレム教会に属する何千人の男性の中から、食事の配給の務めを監督するために選ばれた七人の内の一人でした!そして実に、そのリストの一番目に、ステパノの名前が記されています!(I see!)彼がその任に選出されたという事は、教会が彼に対して高い尊敬を払っているという事を示していました!そして、人々は、ステパノがその最高の義務を遂行するに値する者だと承認を与えていました!それから、教会ではなく、イエス・キリストご自身によって選ばれ、より高い働きに召されている使徒たちが七人の者たちの上に手を置いて祈り、その務めに就かせました。

―3―

●使徒6:8-15は、ステパノの霊的な気高さの更なる証明を伝えています!それらは、レジュメのアウトラインで確認しましたように、彼の霊性、彼の勇気、そして彼の輝きを伝えています!それでは、本論に入って行く事にしましょう。

【本 論】

[1]ステパノの霊性(6:5、8)

●ステパノの霊性に関する4つのポイントについて、御言葉を掘り下げて行く事にします。

1)信仰に満ちたステパノ(6:5a)

●第1ポイントの「信仰」に「満ちた人ステパノ」ですが、彼がどういう信仰を持っていたのか、彼は何を信じていたのか、その信仰の中身がどういうものであったのかを取り上げましょう。彼が権力者の前で取り次いだ説教と、彼が石打の刑で殉教の死に直面する中で、その信仰がありありと表されました。ステパノの信仰は、次の5つの点でまとめる事ができます。

ア)神が歴史を支配しておられるということ!(7:1-51)

●一つ目です。7:1~51において、ステパノは、神が歴史を支配しておられるという事を固く信じている事を示しています!それゆえ、ステパノは、自分の生涯も神の主権による支配の下にあるという確信がありました!「何が起こっても、神が支配している中で許されて起こっている事で、自分が心配する必要はありません」という神への信頼と確信に満ちていました!「生きるとすれば主のために生き、死ぬとすれば主のために死にます。ですから、生きるにしても、死ぬにしても、私たちは主のものです」(ローマ14:8)、と力強く告白したパウロの信仰と全く同じです。

イ)イエス・キリストが救い主の預言の成就であったということ!(7:52)

●二つ目です。7:52おいては、ステパノは、イエス・キリストが真の救い主であり、旧約聖書の預言の成就であった事を確信していました!

ウ)イエス・キリストは死から甦られ、

高く引き上げられて父なる神の右の座におられるということ!(7:55-56)

●次に、三つ目です。7:55-56においては、ステパノは、イエス・キリストが死から甦られたお方で、復活後、高く引き上げられて父なる神の右の座におられるという事を信じていました!そして、父なる神の右の座で、クリスチャンのために執り成しておられる事を信じていました!

エ)イエス・キリストの保護の下にあるという信頼からくる確信は、

自分の死に対して、落ち着いて直面する事を可能してくれた!(7:59-60)

●四つ目です。7:59-60においては、ステパノは、イエス・キリストの守りを信頼し、その信仰は、落ち着いて自分の死に直面する事を可能にしました!

オ)聖霊を信じていたということ!(7:51)

●五つ目です。7:51においては、ステパノは、聖霊なる神を信じていましたし、その臨在と共に歩む者でした!いかがでしょう、今日、「あの兄弟は、あの姉妹は、本当に信仰に満ちた人です」という言葉を聞いた事があるでしょうか?いやむしろ、「信じます。不信仰な私をお助けください」(マルコ9:24)、という言葉を多く聞く事がないでしょうか?                                

―4―

●いかがでしょう、あなたは、神が永遠の幸福を保障しまた永遠の天国の約束も保証していると信じながらも、現実の毎日の生活の事になると心配し過ぎて、グラグラしてはいませんか?聖書の約束も永遠に変わらないと信じていながら、あなたは目の前の問題に右往左往していませんか?しかし、ステパノはそうではありませんでしたし、私たちクリスチャンの信仰の模範となっています!彼は神を全く信頼し、神が彼に望んでおられる事を行うのに集中していました!その結果、どういう事が起ころうが、彼はそれを喜んで神の御心として受け入れる用意がありました!前述しましたように、「生きるとすれば主のために生き、死ぬとすれば主のために死にます。ですから、生きるにしても、死ぬにしても、私たちは主のものです」(ローマ14:8)、という信仰者の生き方をステパノはしていました!ステパノは主のご支配を全く確信し、そのご支配に全く委ね切った信仰生活を送っていました!

2)聖霊に満ちたステパノ(6:5b)

●ステパノは信仰・・・に満ち」(6:5)ていただけでなく、御霊・・・に満ち」(6:5)ていたとあり、7:55では、殺される寸前であっても「聖霊に満たされ」ていたと記されています!これが、ステパノの二番目の霊性を表している言葉です。表現は少し違いますが、両方とも全く同じ意味です。これは、全ての信仰者に与えられている特権です(エペソ5:18)。信仰に満たされるとは神を信頼する事ですが、一方、御霊に満たされるとは神の御心に完全に従う事を指しています!ステパノは神を信じ、そして力と聖さとをお与えになる聖霊の導きに従いました!信仰と御霊に満たされるとうこの二点は、力強いクリスチャン生活の原動力です!神を信頼して従う、これがイエス・キリストにある幸せな道です!

3)恵みに満ちたステパノ(6:8a)

●ステパノの三番目の霊性について学びましょう。神を信頼しそして神に従う事から流れ出て来るものは何だと思いますか?6:8がその答えを提供しています。それは恵みです!ステパノは神を信頼しそして御霊に満たされて歩んでいましたので、迫害に直面しても、更に殉教の死に直面しても、恵みに溢れていました!恐れや憎しみが彼を支配する事は有りませんでした!彼はただ神を信頼し、神に従っていました!それゆえ、彼は死に際しても恵み深くあり得たのです!(Wow!)凄いです!彼は神に信頼していましたから、自分に対する神の目的をしっかりと受け止めて、恵み深くあり得ました!

7:59-60に注目して下さい。59節は耐え難い内容です。しかし、ステパノは、自分を強めて下さる神の恵みの御手の中に自からを完全に委ねました!それゆえ、いかなる試練の中でも喜んで耐える事が神の力で可能となりました!そして、神の恵みはステパノを通して他の人々にも流れて行った事が分かります!初代教会が、夫に先立たれた「やもめたち」(6:1)を愛し守る働きにステパノを選んだのも、他者に対する彼の恵み深さが大きな理由でした!

●そして、60節はクライマックスです!ステパノは、石打による死刑執行人に対してでさえも恵み深くある事ができました!「石を投げつけ」る人々に対して、ステパノは彼らの罪の赦しを祈ったのです!(Wow!)皆さんは、このステパノの態度をどう受け止めますか?もう、言葉がないです!物凄いとしか言いようがありません!キリストの品性を100パーセント表しています!

―5―

●どうしたらステパノのように生きる事が可能なのでしょうか・・・?クリスチャンがステパノのように生きる唯一の方法は、罪深い自分に死に続ける事しかありません!自分の興味ある事だけに夢中になっている人から、自分を捨てる思いは出て来ません!そのような人は、ステパノが経験した恵みを経験する事はできません!ですから、自らの罪深さをよく悟り、また自分に注がれた神の恵み深さを悟って感謝し、自分の肉の思いに毎日死に、神のために生かされる事を心から願うのです!

4)力に満ちたステパノ(6:8b)

●最後のポイント、四番目の霊性です。6:8には、ステパノは・・・に満ち(て)と伝えています!その「力」は、「人々の間で」なされる「すばらしい不思議なわざしるしに表れていました!使徒たちと同じレベルです!ですので、「ステパノは」只単に「執事的な役割を担っている人です」という事では説明がつきません!新約聖書を注意深く読みますとでは、「不思議としるし」を行う神の器たちとは、「使徒たち」と「ステパノ」と「ピリポ」(8:6-7)そして「バルナバ」(15:12)のみです。日本語では、ステパノは「不思議としるしを行っていた」とありますが、文法的に説明しますと「行い続けていました」という未完了形が用いられています。ですから、ステパノは、使徒たちと全く同じようなインパクトを与えた働きをし続けていたという事が理解できます!使徒のような「著しいしるし」(4:16)の伴うキリストの証し人として用いられていたのです!まさに、力に満ちた器でした! それではここで、序論と本論をまとめましょう。

【序論のまとめ】

●それでは、序論のまとめをしましょう。ペテロからパウロへの移行するに当たって、重要な役割を果たしたのがステパノでした!ペテロの務めが主にユダヤ人に対して、パウロの務めが主に異邦人に対して、そしてステパノの短い務めが、主に、異邦人の地からやって来たユダヤ人に対してでした。ペテロがエルサレムで務めをなし、パウロはローマ帝国の支配が及んでいる地で務めをなし、そしてステパノの務めが、教会の働きを、エルサレムから他の地域へ急激に動かし促進させました!

●ステパノはいろんな意味で、パウロの先駆者となりました!ステパノがユダヤ人会堂に出向いたように、パウロもまた新しい町に入る時にはいつも、ユダヤ人会堂へ最初に出向きユダヤ人に伝道し、それから異邦人に向かいました。ステパノが激しい反対に直面して、肉体に害が及ぶ程の迫害を受けたように、パウロもまたそのように迫害を受けました!エリヤがエリシャにその外套を与えてその後継者になったように、まるで、ステパノの外套が、ギリシャ語を使う同じ文化圏出身のタルソのサウロに受け継がれて行くのでした!パウロが初めて福音に触れる事が、ステパノを通してであったという可能性が大いにあります!(使7:58、8:1)ステパノの死は、パウロに対して、生涯消す事のできない非常に大きな印象を与えたに違いありません!

●それゆえ、教会の初期の歴史の中で、ステパノは重要な人物でした!ステパノの歴史的な役割を抜きにしても、その品性ゆえに、ステパノは重要な働きをしました!人の人生や働きがもたらす影響力というものは、必ずしも、その長さに関係するものではないという事を証明していました!ステパノの働きは短かったのですが、世界宣教のための神のご計画にとって、絶対不可欠な器でした!彼は一つの勇気ある取り組みは短い期間でしたが、広範囲に及ぶ影響を与える事ができました!

―6―

●ステパノが自らを省みず、恐れなく語ったその福音の宣言によって、そしてその献身ゆえに、自らに究極の代価を払わせる事になりました!教会に繰り返し挑戦し続けて行く長期にわたる迫害の歴史の引き金を、ステパノの死が最初に引きました!でも、ステパノは、神が彼に計画しそして割り当てた使命を成し遂げる前に死なれたのではありませんでした!神のお与えになられた使命を全うして、天に召されたのでした!ステパノを通して信仰に導かれた回心者のリストが記録されていない事によって、彼の働きがより重要でないという事はありません!いや、彼を通して救われた魂は多かった事でしょう!神がつかさどる救いの領域において、ある者が植え、ある者が水を注ぎ、そして他の人々が収穫するのです!ステパノが植えた種から、豊かな収穫という結果がもたらされて行くのでした!

●この世の人々は悪しき意図を持って、ステパノを、神を冒瀆する者として裁きそして殺しました。しかし、彼はかつてない程に最も気高くまた最も力強い信仰者の一人で、アブラハムやモーセやエリヤやダビデやバプテスマのヨハネや使徒たちと肩を並べる者として位置付けされたとしても、何ら、それは大げさなものではありませんでした!ステパノの徳の高さは傑出していました!ステパノはエルサレム教会に属する何千人の男性の中から、食事の配給の務めを監督するために選ばれた七人の内の一人でした!そして、実に、そのリストの一番目にステパノの名前が記されていました!そして、人々は、ステパノがその最高の義務を遂行するに値する者だと承認を与えたのでした!

【本論のまとめ】

●ステパノの霊性には、二つの方向に向いていました!一つが神に対するもので、もう一つが人に対するものでした!神に対するものが「信仰」に満ちているという事、そして「御霊」に満ちているという事でした!神に全く信頼し、神に全く従うという信仰者の霊性の基本を示していました!そして、その基本且つ重要な霊性から、人々に対して「恵み」と「力」が流れて行きました!このように、「信仰」と「御霊」と「恵み」と「力」という霊性がステパノの特徴で、私たちの模範とするところです!

●クリスチャンの喜びや力、神によって用いられるという事、恵みによって人々に仕えるという事、それらは全て、神を信頼し神に従う事から流れて来ます!ステパノの信仰、ステパノの霊性、そしてステパノの行い、それらをパウロの言葉で表現してみますと、エペソ4:1-3,17-32の御言葉のようになります。

■4:1 さて、主にある囚人の私はあなたがたに勧めます。あなたがたは、召されたその召しにふさわしく歩みなさい。4:2 謙遜と柔和の限りを尽くし、寛容を示し、愛をもって互いに耐え忍び、4:3 平和の絆で結ばれて、御霊による一致を熱心に保ちなさい。

■4:17 ですから私は言います。主にあって厳かに勧めます。あなたがたはもはや、異邦人がむなしい心で歩んでいるように歩んではなりません。4:18 彼らは知性において暗くなり、彼らのうちにある無知と、頑なな心のゆえに、神のいのちから遠く離れています。4:19 無感覚になった彼らは、好色に身を任せて、あらゆる不潔な行いを貪るようになっています。4:20 しかしあなたがたは、キリストをそのように学んだのではありません。4:21 ただし、本当にあなたがたがキリストについて聞き、キリストにあって教えられているとすれば、です。(続く)

―7―

真理はイエスにあるのですから。4:22 その教えとは、あなたがたの以前の生活について言えば、人を欺く情欲によって腐敗していく古い人を、あなたがたが脱ぎ捨てること、4:23 また、あなたがたが霊と心において新しくされ続け、4:24 真理に基づく義と聖をもって、神にかたどり造られた新しい人を着ることでした。4:25 ですから、あなたがたは偽りを捨て、それぞれ隣人に対して真実を語りなさい。私たちは互いに、からだの一部分なのです。4:26 怒っても、罪を犯してはなりません。憤ったままで日が暮れるようであってはいけません。4:27 悪魔に機会を与えないようにしなさい。4:28 盗みをしている者は、もう盗んではいけません。むしろ、困っている人に分け与えるため、自分の手で正しい仕事をし、労苦して働きなさい。4:29 悪いことばを、いっさい口から出してはいけません。むしろ、必要なときに、人の成長に役立つことばを語り、聞く人に恵みを与えなさい。4:30 神の聖霊を悲しませてはいけません。あなたがたは、贖いの日のために、聖霊によって証印を押されているのです。4:31 無慈悲、憤り、怒り、怒号、ののしりなどを、一切の悪意とともに、すべて捨て去りなさい。4:32 互いに親切にし、優しい心で赦し合いなさい。神も、キリストにおいてあなたがたを赦してくださったのです。

●ステパノの信仰生活は、エペソ4章のように、神の恵みと力とが豊かに表わされていました!なぜなら、ステパノは従順な信仰に満たされ、そして聖霊に満たされた器だったからです!徳に満ちた品性そして霊的影響力を持った信仰生活の道について、ステパノはその最たる模範を示していました!

【序論の適用】

●それでは、序論の適用をしましょう。ペテロからパウロへの移行するに当たって、その間に、神はステパノを置かれ、その重要な役割を果たさせました!ステパノの殉教の死をきっかけに、エルサレム、ユダヤ、サマリヤ、そして地の果てにまでというイエス様の宣教命令が実現して行きました!神がパウロの前にステパノを置かれて宣教の先駆者とし、そしてステパノの死は、パウロの生涯に対して、消す事のできない非常に大きな印象を与えました!そこでいかがでしょうか、ペテロ・ステパノ・パウロという流れの背後に、あなたは見えない神の聖定と摂理を見る事ができましたか?中東で始まったその流れは世界宣教へつながり、極東に位置する日本にも福音宣教がなされ、あなたが信仰をもつに至りました!あなたが救いに至った背後に、神が永遠の昔から定められた聖定とそれを達成するための摂理の御業をあった事を確信できますか?

●ステパノが自らを省みず、恐れなく語ったその福音の宣言によって、そしてその献身ゆえに、自らに究極の代価を払わせる事になりました!教会に繰り返し挑戦し続けて行く長期にわたる迫害の歴史の引き金を、ステパノの死が最初に引きました!いかがでしょうか、あなたはステパノのように自らを省みず、恐れなく福音を語った事はありますか?それとも、いつも自分を省みて、自分の興味本位に生きていませんか?ステパノに見られますように、クリスチャンは生きていて証しし、死んで後も証しするのです!いかがでしょうか、あなたのクリスチャンとしての歩みは、生きていて証しし、死んで後も証しする歩みですか?

―8―

●ステパノの徳の高さ、その品性は傑出していました!いかがでしょうか、あなたの徳や品性はどのようなものでしょうか?あなたの言動に、徳の高さや気高い品性は見られますか?あなたのクリスチャンとしての生き方に、イエス・キリストが見られますか?

【本論の適用】

●ステパノは、神が歴史を支配しておられるという事を信じていました!それゆえ、ステパノは、自分の生涯も神の主権による支配の下にあるという確信がありました!「何が起こっても、神が支配している中で許されて起こっている事で、自分が心配する必要はない」という神への信頼と確信がありました!そこでいかがでしょうか、あなたもステパノのように、神が歴史を支配しておられるという事、自分の生涯も神の主権による支配の下にあるという事に信頼を置いていますか?神の支配の中で許されて起こっているがゆえに、自分が必要以上に心配する必要はないという歩みをしていますか?

●ステパノは、イエス・キリストが死から甦られたお方で、復活後、高く引き上げられて父なる神の右の座におられるという事を信じていました!そして、父なる神の右の座で、クリスチャンのために執り成しておられる事も信じていました!それゆえ、彼はイエス・キリストの守りを信頼し、その信仰は、落ち着いて自分の死に直面する事を可能にしていました!そこでいかがでしょうか、あなたもステパノのように、キリストの死からの復活、昇天、父の右の座での執り成しを確信していますか?その事実は、あなたが死に対して落ち着いて直面する事を可能にしてくれると信じていますか?

●ステパノは聖霊なる神を信じていましたし、その臨在と共に歩む者でした!いかがでしょうか、あなたは、日々、聖霊が自分と共に歩んでくださっておられる事を実感していますか?聖霊に励まされ、教えられ、喜びや悲しみを分かち合いながら、また時には警告を受けながら歩んでいますか?そして、ステパノは神が自分に望んでおられる事を行うのに集中していました!ですから、「私たちは、生きるとすれば主のために生き、死ぬとすれば主のために死にます。ですから、生きるにしても、死ぬにしても、私たちは主のものです」(ロマ14:8)、と告白する事ができました!そこで、かがでしょうか、あなたもこの御言葉を告白して、この地上の信仰生活を送る者ですか?

●ステパノは「信仰・・・に満ち」(6:5)ていただけでなく、「御霊・・・に満ち」(6:5)ていたとあり、彼は殺される寸前であっても「聖霊に満たされ」(7:55)ていたと記されていました!信仰に満たされるとは神を信頼する事ですが、一方、御霊に満たされるとは神の御心に完全に従う事を指していました!神を信頼して従うという事は、力強いクリスチャン生活の原動力です!そこでいかがでしょうか、あなたは神に信頼し、従っていますか?もし、あなたが信頼して従っていないのでしたら、何が原因なのですか?神の御前に頑なにならずに、素直に、神に向き合う必要はありませんか?

●神を信頼しそして神に従う事から流れ出て来るものは、「恵み」でした!ステパノは神を信頼しそして御霊に満たされて歩んでいましたので、迫害に直面しても、更に殉教の死に直面しても、恵みに溢れていました!恐れや憎しみが彼を支配する事はありませんでした!彼はただ神を信頼し、神の目的をしっかりと受け止め、そして神に従っていましたので、彼は死に際しても恵み深くあり得ました!                                                      

―9―

いかがでしょうか、あなたは、自分に対する神の目的をしっかりと受け止めていますか?それゆえ、恵み深くあり得ていますか?そしてまた、ステパノは、自分を強めて下さる神の恵みの御手の中に自からを完全に委ねていました!それゆえ、いかなる試練の中でも喜んで耐える事が神の力によって可能となっていました!いかがでしょうか、あなたは問題や課題を自分で握っていますか、それとも完全に神に委ねていますか?

●一連の出来事のクライママックスですが、ステパノは、石打による死刑執行人に対してでさえも恵み深くある事ができました!「石を投げつけた」人々に対して、ステパノは彼らの罪の赦しを祈りました!ステパノのように生きる唯一の方法は、罪深い自分に死に続ける事しかありません!いかがでしょうか、あなたは、自分の罪深さをよく悟り続け、それによって自分に注がれた神の恵み深さを悟って感謝し続けていますか?そして、自分の肉の思いに毎日死に、神のために生かされるよう願って祈っていますか?

●最後です。ステパノは「力に満ち」、その「力」は、「人々の間で」なされる「大いなる不思議としるし」に表れていました!何と、ステパノは、使徒たちと全く同じような「著しいしるし」の伴うキリストの証し人として用いられていたのです!彼は、まさに使徒レベルの力に満ちた神の器でした!聖書が完成した現代において、使徒たちのように「不思議なわざとしるし」を行う人は誰一人いません。しかし、言動において、力ある信仰生活を送る事ができます!いかがでしょうか、あなたの言葉と行いとには力が溢れていますか?そして、キリストの証人として、あなたは用いられていますか?もし、あなたの言動に力がないのでしたら、それは、何が原因でそうなのですか?その原因を神の御前に告白して、あなたの証人としての歩みを妨げているものから離れる事にしましょう!

【締めの御言葉】

■「6:5・・・信仰と聖霊に満ちた人ステパノ・・・6:6 ステパノは恵みと力に満ち・・・」(使徒6:5a、6a)。

[引用&参考文献]

・ジョン・F・マッカーサー、『マッカーサー新約注解書/使徒の働き18-24』(ムーディー出版、2014) (John MacArthur, The MacArthur New Testament Commentary, Luke 18-24, The Moody Bible Institute of Chicago, 2014, pp. 187-191.)